271話 友という呪縛
そうか、と腑に落ちた。
彼らは警戒しているのだ。神々と、それに関わりの深い者達を。
――セナ=トーヤに敵対できる可能性のある存在として。
(【エレシュ】の意向によっては、俺がセナを害することも厭わないと疑っているのか)
ウォルドの中に怒りはなかった。先に疑われかねない行動を取ったのは自分のほうだったので、恥じ入るほかないと思うばかりだ。
(神々との関わりの深さで言えばゼルシカやアスファもそうだが、あえて俺に釘を刺してくるのは……俺が一番、弱いからか)
ゼルシカの精神的な強さは言うに及ばず。
アスファも、他者にそそのかされて思考や行動を歪められる心配は、この先もうないだろう。
あの少年は目指すべき姿がしっかり見えるようになり、そこへ向けて歩き始めていた。その道の中に〝セナ=トーヤを害する〟という要素はなく、無理に持ち込もうとする者がいても、自らの意思で退けるに違いないと信じられた。たとえそれが〝神々の意思〟であったとしてもだ。
そもそも、アスファは半神――人の世に生まれた神の系譜、その末裔である。当人の自覚がどこまであるかは不明だが、彼はウォルド達のように〝加護を得た者〟ではない。果ての神【エル・ファートゥス】も、あくまでもアスファの側近であり相談役であり文字通りの剣であり、一方的に指示や命令を下せる存在ではなかった。格付けをするならば、アスファのほうが上位なのである。
仮に神々が何かを要求してきたとしても、「嫌だ」と突っぱねればそれで終わりなのだ。
(俺は違う。俺は神々に対して従順であり、受け入れ難い指示であれば易々と従わないにしても、基本的には逆らえない……そう思われているのだろうな。そして、絶対にそうはならないと俺自身でも断言できなかった。そこが何よりも反省すべき点か)
出発前に不安要素を消しておきたいのは当然だった。
ウォルドは瞼を伏せ、己の神に語りかけた。
そして再び瞼を開く。
「俺がセナに刃を向けることは決してない。友として接近し、油断したところを死角から斬りつけるような裏切りを強要するのなら、今後永遠に従わぬと【エレシュ】に要求した」
シェルローヴェンが少し意外そうに片方の眉を上げた。加護を与えし存在に、そこまで強い態度に出るとは思わなかったのだ。
「それから、我が神【エレシュ】にどのような思惑があるのか、俺も知りたかったので尋ねてみた」
「ほう?」
「結論を言えば、〝わからない〟らしい」
「……何?」
「神々は、セナ=トーヤに敵対する意思はない。これだけははっきり言える。ただ、セナのほうがどういうつもりでいるのか、この世界にとってどういう存在なのか、神々ですら掴みあぐねているらしい。ゆえに【エレシュ】のみならず、ほかの神々もセナの動向を気にしているのだ」
「今までの言動を見ていれば、余計な手出しや干渉さえなければ安全な平和主義者だと明白であろうに。破壊を振り撒くのが趣味なわけでもない」
「そうだな。だが己の平穏を乱しかねないものに対しては、万の命をも躊躇わず一瞬で刈り取る。そして一片の後悔もせず、その行いを振り返って囚われることもない」
「…………」
かつてイルハーナム帝国でセナ=トーヤが何をしたのか。
彼女も、使い魔の青い小鳥もさりげなく暈して明らかにしなかったが、ウォルドやゼルシカ、精霊族の一部は何が起こったのかを理解していた。
――いや、何が起こったのかは知っているが、理解はできなかった。
彼女がいったい何をしたのか、あらゆることが理解の範疇を超え、想像力の及ばぬ彼方にあった。
そして帝国の崩壊後、東の地は各部族が守りを固め冬の備えに注力しており、目立った小競り合いもない。一部の難民は光王国に流れてきたが、捌ききれないほどの数ではなかった。
恐ろしいほどに青い小鳥の予測どおり進み、荒くれ者の小集団がたまに悪さを働くぐらいで、東の地はおおむね静かなものだった。
「神々はただ、見極めたいのだ。セナがどういう存在なのか。そして俺自身も、その望みに共感を覚えている」
「いらぬ好奇心が身を亡ぼすのは人の世の常だが……暴きたてる真似はするなよ?」
「むろんだ。セナは許さんだろうし、俺もやりたくはない。知ることができればいいが、できなければそれはそれでいいとも思っている。アスファもそうだろう」
「怖い怖いと言いながら、なんだかんだで瀬名に懐いているしな」
呆れたようにシェルローヴェンが言った。辛辣そうに見えて、纏う空気はだいぶ軟化している。
ウォルドが一貫して本音を語っているのがわかるからだろう。
「おまえがこれまで通り誠実であるのなら、わたしもこれ以上は言わん。どうか、期待と信頼を裏切ってくれるなよ――友よ?」
そして何を思いついたか、実に優しげに微笑んだ。その笑みは、ウォルドの目には「ニヤリ」と映った。
ウォルドが盛大に顔をしかめ、精霊王子はますます優しそうな笑みを深める。
「なに、おまえを縛るにはきっちり友になってしまうのが一番だと考え直しただけだ。万一どこぞの神が裏切りをそそのかしてこようとも、実行へ移すにはたっぷりとした罪悪感が非常に邪魔になってくれるだろう。そこでやめるなら良し。やめそうになければ、行動不能に陥っている隙にいくらでも〝処置〟しようがある」
「……それは、友に対する台詞に聞こえんのだが。あなたは性格が悪いな……?」
「心外だ。瀬名にはよく『良い性格』と褒められるのに。それとも、こちらの〝友〟のほうがいいか?」
意地悪く部屋の中央に転がる氷塊を示した。
虚を突かれて絶句するも、ウォルドは即座に立ち直って「まさか」と首を振った。
「不甲斐ないとしか言えんな……俺があなた方兄弟を警戒させていたのは、これもあったか?」
「まあな。未だにこだわっているのかと思っていた。一度縁を切ったとしても、しつこく想いを残すというのはよくあるだろう?」
「反論できん。俺にとってサフィークはもう、友でもなんでもない。だが……かつては確かにサフィークの存在に救われ、心から友と呼べていた自分がいた。俺が今回、最後まで見届けたいと望んだのは、その思い出への感謝と、過去との決別。そして、甘っちょろい俺自身への戒めにすべきと感じたからだ」
ウォルドは己の精神力を過信しておらず、ゆえにこそ自らを厳しく律し、鍛える必要があると思っている。
「俺はもう俺の弱さに振り回され、大切なものを失いたくない」
氷の檻を見やる横顔には、不安定な迷いは一切なかった。
そう見てとったシェルローヴェンも、これならば問題なかろうと、同じように氷を見やる。
「これから術を解く。サフィークの魔力と生命力は既に枯渇寸前で、怪物化する心配はないが……どうなるかは想像できるな?」
「ああ」
「良い覚悟だ、と言いたいところだが、友として言わせてもらおう。自分の甘っちょろさをどうにかしたいなら、この男の状況にいちいち覚悟なぞ決めるな。はっきり言ってわたしはこの男が嫌いだ。よって、中身ごと氷を砕いた後で術を解くのが親切と重々承知の上で、このまま解く。自業自得の破滅という絶望を、最後まで余さず味わってもらいたい。――意見があるのなら聞くぞ、友よ? 遠慮するな」
「……その、いちいち『友』という言葉を繰り返すのはわざとか?」
「別に刷り込む意図などないぞ? ごく自然に心の声が出ているだけだ」
「…………」
大嘘つきめ、とウォルドはらしからぬ悪態をつきそうになった。
実際、この堂々たる大嘘つきのおかげで心が幾分軽くなっているのだから、どうにもこうにも始末に負えなかった。
◇
地下の小部屋で、絶叫がほとばしる。
その声は徐々に尻すぼみになり、やがて再びしんと静かになった。
 




