270話 憂いを断つ
ペンタブレットをマウス代わりに使っているのですが、いきなり勝手に設定が変わってて難儀しました。文字が選択できず画面もブレて誤動作を起こし、前の設定へ戻すまでに数時間格闘…。
何故こんな使いづらい機能を、しかも勝手に変更するのか最近のPCこういうところが本当困ります。
(すいません、ペンタブオンリーとか少数派意見で)
幾重もの結界で守られた騎士の城の地下、さほど広くもない真四角の部屋は、壁も天井も剥き出しの石材が陰鬱にのしかかる印象を与え、到底長居したくなる場所ではない。
そこに、氷の檻に閉じ込められたままのサフィークがいる。
案内の騎士は通路で待機し、シェルローヴェンとウォルドは中央に置かれている塊を見やった。
激痛に叫ぶ表情のまま時が停まったサフィーク。
この男が討伐者を装い、仲間をそそのかして罪のない少女を襲わせようとしたのは記憶に新しい。
幸いにもその少女は心身ともに後遺症もなく、父娘二人で忙しく充実した日々を送るうち、以前より明るい性格になったそうだ。父親のほうは仕事を憶えるのに必死で溜め息をつく間もなく、後ろ向きにどんより落ち込むのを忘れる瞬間が増えたという。いろいろ吹っ切れたのもあるだろうが、子供ながらに〝上手な人生の楽しみ方〟を熟知しているトール達の影響も大きいはずだ。
それでこの男の罪が帳消しになる道理はなかった。そそのかされた連中にしても、紛れもない彼ら自身の意思で少女を襲っており、その行動に精神操作は関わりがなかったと判明している。減刑の要素は一片たりとなく、しかも女性に無体を働いた前科が複数出てきたため、既に討伐者資格を剥奪の上、全員が牢獄送りとなった。
(己の傷口に自ら塩をすり込まずともよかろうに)
情報は既に得られるだけ得て、もうこれを生かしておく必要はない。むしろいつまでも残しておかないほうがいい。
遠出する前に処分しておこうと決めたシェルローヴェンに、ウォルドが自分も見届けたいと頼み込んできた。
ウォルドの感傷に付き合わねばならない義務はない。だが、断るほどの理由もなく、「好きにしろ」とだけ答えた。
瀬名あたりには意外に思われそうだが、この二人、実は相性があまり良くない。真面目で責任感の強い長男と生真面目で清廉な神官騎士は、傍から見れば互いに親近感を抱きそうな組み合わせに見えるが、双方の間に流れる空気はどうしても硬質になりがちだった。
「騎士団からの通達を無視し、カシムとカリムを言いがかりで拘束しようとしたこの町の副ギルド長は降格処分になったそうだ。それから、サフィークを見逃した子爵領のギルド長は死体で見つかっている」
「……教団の口封じか」
「手をかけたのはこの男自身だ。出発前にギルド長へ渡した酒の中に遅効性の毒物を仕込んでいた。ギルド長が何者からそれをもらったのか、大勢の目撃者がいたにもかかわらず、不思議と誰の記憶にも残っていなかったそうだ。残念ながら、アークの目と記憶を誤魔化すことはできなかったのだがな」
「――……」
「おまえが罪悪感を覚えるのは見当違いだぞ? その男は日頃から賄賂で査定に手心を加えていた上、さまざまな被害届も握り潰していた。トール達と親しくなった役人が、既に伝手を使って本部に働きかけているという。近いうちに、そのギルド支部には大鉈が入るだろう。――入らなくとも、わたしの知ったことではないが」
この一言だ。
付け加えた最後の一言。この手の台詞が、どうにもウォルドには許容できない。
瀬名も口にしそうな台詞ではあるのだが、何故か瀬名が言った時はそれほど気にならない。大概は言うだけのことがあるからだと思われる。
精霊王子の場合、塵芥を塵芥と言って何が悪い、そんな冷徹さと相手への無関心さが全面に出ている。
おまえの感情へいちいち配慮などしないと。そこが瀬名とは決定的に違うのだ。
「子爵も無傷では済まんだろうな。例の父娘の村が魔物に襲われた日、神殿は門を閉ざして住民を決して入れなかったそうだ。その結果、村は壊滅し、住民は散り散り。調査が始まったのは村が空になって何日も後のことで、しかも神官以外からはまったく聞き取りがされていない。神官は『あっという間の出来事だったので何もできなかった』と己の無力を嘆き悲しんでいるとか。【断罪の神】の加護を得る者として、おまえはこれをどう考えている?」
「……怖かったのだろうな」
「魔物が?」
「違う。村人の怪我を治せないと露見することが、だ」
「まあ、そのあたりだろうな」
またもや無感動に言い放たれ、ウォルドの横顔に苦渋の色が差す。同じ話をしているのに、温度差が激しい。
神殿に属する者すべてが善良などと、ウォルドでさえ思ってはいなかった。神々の存在を間近に感じる分、神職者は俗世より圧倒的に善い者のほうが多い。けれどそれでも堕落に走る者は少なくなかった。
その意味では、サフィークもラゴルスも、決して堕落していたわけではなかった。なのにどうして、こんな結果になってしまったのか。
「サフィークは別人に化けていたと聞く。その上、何人も操り人形のように動かしたと。何故奴らはその能力を活用しないと言い切れる?」
ウォルドは尋ねた。
考慮に値しないとこの青年が断言し、瀬名も同意した。使い勝手が悪いので作戦には組み込まれないだろう、と。
瀬名はその場では具体的な説明を避けたようにウォルドは感じた。
「もしや、俺が気にしそうな内容だったから、セナは気を回したのではないか?」
シェルローヴェンは一切気にせず話してくれるだろう。そういう点においてだけ、妙な信頼感があった。
果たして、彼は「その通りだな」と頷いた。
「あの擬態能力は、誰でも気軽に使える能力ではない。まず、化ける相手の血肉を一定量とりこむ必要がある」
「な――」
「アークによれば、あの赤い糸状の根で相手を捕え、血液を吸い取ったのではないかということだ。血を奪われ過ぎた相手は結果的に命を落とす。おまけに根を使って吸い込む行為は、直接肉へ喰らいつくよりも、喰っている実感を抱きにくいのではないか、とな」
元友人のおまえに言えんだろう、そんなこと。
シェルローヴェンの声がどこか遠くで反響している。
(それでは――それでは、本当に魔物ではないか!)
ウォルドは自分がめまいを起こしかけているのに気付いた。
しっかりしろ、と己を叱咤する。
このような有様だから、瀬名に気を遣わせてしまうのだ。
「続けるか? それとも耐えられんか?」
「……続けてくれ」
「わかった。――大量に取り込んだ血肉を分析し、記憶や性格、精神構造なども読み取り、骨格や気配までそっくりに化けられるようになる。そういう仕組みの能力らしい。わたしもあれがサフィークだとは気付けなかった、そのぐらい完璧に擬態する。なのに有効活用はできないと断言できるのは、最初に言った通り使い勝手が悪過ぎるからだ」
第一に、化けた相手は死ぬ。身分証の魔道具が死を感知しながら、その者が生きているとなれば騒ぎになる。サフィークに始末された子爵領のギルド長は、相手が討伐者に成りすましていると気付きながら見ぬふりをして、簡易的な通行証を発行した。若干の精神操作も入っていたようだが、賄賂で簡単に操られる土台ができていた。
第二に、化けられる者はひとりだけ。それ以上は肉体が変化に耐えられない。
第三に、変化の際にとにかく膨大な力を消費する。ゆえに、いつでも何度でもというわけにはいかない。
「ひっそり逃亡するだけなら有用な能力だったかもしれん。だが奴は我々の前で気軽に二回目の変化――もとの姿に戻るために大量の力を消費し、さらに複数名を同時に操ることでも消費した。本来より魔力値が増えていても無尽蔵ではない。サフィークが怪物化しなかったのは、暴走する前に力が枯渇したからだ」
突然人を操ることができなくなり、怪我も回復しなくなった。彼は自分に何が起こっているのか理解できていない様子だった。
「消耗している実感がなかったのかもしれん。アークの話で合点がいったが、気が大きくなった状態で配分など思いつかぬまま強い力を振るったのだろう。もしこの男に――この連中に、無尽蔵に力を供給する何かがあったとすれば脅威になり得たがな」
力の使い方を学ぶ間もなく、短時間で限界が来てしまう。そして一度限界を迎えれば、もう自然回復はない。
エネルギー源となりそうな最大の候補は瀬名が潰してしまった。もはや仮定で終わった未来に過ぎないが、瀬名がいなければどうなっていたろうと、彼らは同時に想像する。
「我々の戦い方も大きく違っていたはずだ。間違いなく、こうものんびり構えてなどいられなかったろう」
「ああ……。それに、俺がこうして、あなたと語り合うこともなかったかもしれない」
「まず無かったろうな。わたしがおまえを好かんからではないぞ? その時はわたしの命が無かったという意味だ」
ウォルドは思い出した。そういえばこの青年と弟二人は、瀬名に助けられて命を繋いだのだった。
失言を詫びるべきか。しかし堂々と「おまえを好かん」と宣言されてしまい、謝るのも何か違う気がしてしまう。
どちらかといえばウォルドは、精霊族には気に入られやすかった。腹芸が苦手で誠実な人柄は、精神感応力を備えた種族の受けがいいのだ。
けれどこの兄弟、とみに長兄とは、あまり友好的だったことがない。最近は特にそうだ。
(独占欲……ではない)
この青年に、どうもそういう感情があるのではと、ウォルドはグレンからこっそり聞いたことがある。グレンはそういうことに鋭いのだ。
はじめは「まさか」と思ったが、よくよく見てみれば、グレンが言っていた通りではないかと思えてきた。
だが、ウォルドは〝できるなら排除したい対象〟からは外れているはずだった。
内心で首をかしげたウォルドに、どことなくシェルローヴェンの視線が厳しさを増した。
「何故だろう、という顔だな」
「……何故なのか、訊いてもいいだろうか?」
「本気で心当たりがないのか? では逆に問おう。何故おまえは――おまえの神【エレシュ】は瀬名の同行を申し出た? 何故アスファも一緒に連れて行けと?」
「それは――」
「神々は何を考えている。瀬名をどうするつもりだ?」




