269話 ようやく作戦会議 (後)
怪しげな儀式により、〝種〟を飲み込んだ者の特徴をまとめると。
紛い物の神聖魔術が備わり、傷を負った瞬間から即座に回復するほど魔力が劇的に上昇する。
その代わり猛烈な感情の昂りや強い怒りなどが引き金となり、力が暴走して怪物化しやすくなる。
怪物化した際、まずは全身が強化され、肉体は巨大化し、筋力や体力が何倍にもなる。
理性はない。思考は単純化し、興奮状態が続いて現状を俯瞰できなくなる。
目の前だけを真っすぐ見て、閉じ込められれば何度でも体当たりを繰り返して破壊しようとする。
出口があれば迷わず突っ込み、獲物を発見すればひたすらに追いかける。
本能のままに突っ走る、ただの凶暴な獣だ。
「暴走した時の不利益のほうがでかいじゃねーか。自分の腹にそんなもんが入ってて、そいつら怖くならねえのかね?」
「ワシだったら、なんぞこやつら騙しおったな! ちぅて怒るわな」
「だよなあ。変なもん飲ませやがって、バケモンになるとか聞いてねーぞ! って激怒するもんじゃねえの?」
「それが、誰もそうならないんですよね。資格を失った元神官は本当に惨めなものですから、力を取り戻せた瞬間の高揚感がいつまでも残るというか、妙な無敵感めいたものがあるみたいなんです。関所の町の襲撃が失敗したのも、偉大な神に殉じられて幸せだったろうとか、せっかく真なる神の御力を与えられても制御できなかった無能と切り捨てたり……要するに、どいつもこいつも狂信者なんです。神殿への信仰心が、そっくりそのまま邪神教に移った感じですね」
「うへぇ」
「お近付きになっちゃイカン人種だの~、ゲェップ。――おぉっと、スマン」
「嫌がらせかジジイ。俺にも一杯寄越せ」
「ヤじゃもん」
力を与えてくれた対象を〝真なる神〟と信じ切り、仲間がどんな無惨な姿になろうと気にしない。
だが自分自身もあんな獣と化す恐れがあるとなれば、多少は恐怖心が芽生えるものだ。誰一人そうならないのは、やはり異常である。
《一部の魔性植物は獲物を捕える際、精神異常をもたらす物質を放って獲物を引き寄せますが、〝種〟を取り入れた信徒の体内でも近い現象が起こっております。胃の中で消化されずに留まって根をめぐらせ、宿主の強化を行うと同時に、不安感を薄れさせ多幸感が強まる物質を放つのです。その結果宿主は軽い酩酊状態で気が大きくなり、恐怖心にとらわれにくくなっているのでしょう》
「要するに酔っぱらっとるんかい。んなモンで酔ったって楽しくなかろ~に、アホじゃの~」
《至言と思われます》
「あの、使い魔様……何故そこまで詳しくご存知なのでしょう? 僕もそれは初めて知るのですが……」
《丁度いい標本があるので調べました》
「調べましたって」
小鳥の特技をまだよく知らないナナシは、目を白黒させている。
自らを標本として提供した勇気あるサフィーク氏は、現在氷漬け真っ只中。そんな状態でどんな調べようがあるのか、不思議でたまらないのだろう。
「この術ですわよね? アーク様ほど精密ではありませんけれど、わたくしも出来るようになりましたのよ。調べられる範囲はまだまだ狭いのですけれど」
「おおっ? それは……?」
「ほほう? 素晴らしいな。その術を習得されたか」
「あ、これ、すげーんだぜ! なんか、あのバケモンの中に入ってる変なのまでわかっちまうの!」
「アスファ、言葉遣い! ――恐縮ですわ、グラヴィス様。ですがこれは習得ではなく、授けられたものなのです。……そうですわよね?」
《万人の扱える術ではありません。素養があり、なおかつ努力を怠らないエルダ嬢だからこそです》
「アーク様……」
「よかったじゃん! アークもたまにはいいことするな!」
《私は常によいことを行っております》
感動と祝福の空気が辺りに満ちた。
「…………」
小鳥よ。
きさま。
なんてことを。
瀬名の心の叫びは誰にも届かない。
(術? あれほんとに魔術? うん確かにエルダの魔力は流れてるよね。でもなんか違うもの使ってるように見えるよなんでかな!?)
訊きたいのに訊けない。答えを追い求めたが最後、恐ろしい真実を付きつけられそうで怖い。
葛藤していると、不意に赤毛の少女と視線が合った。その眼差しは自信と期待と不安に揺れ動いている……。
(え? これ、もしかして私も言わなきゃいけない流れ?)
言いたくないのだが。
しかし、エルダは自信と期待と不安に揺れ動く瞳でじっと瀬名を見つめている……。
(ちょ、たんま! もう少し心を落ち着ける時間を!?)
そんなエルダの様子に、ほかの連中も瀬名を見つめ始めた。
バルテスローグは酒を見つめている。手酌で酒を注ぎ足していた。
「…………」
果たして、この感動と祝福の空気に勝てる者がいるのか――。
「……エルダはよく努力している。努力は報われて然るべきだよ」
エルダがパアア、と光輝くような笑顔を浮かべた。
純粋で綺麗なオーラが瀬名の眼球と心に突き刺さる。
よかったな! と無言の祝福が行き交い、瀬名は息も絶え絶えになった。
しかし、なんとも言い難い心の叫びは、やはり誰にも届かない。
【……大丈夫か?】
【その様子だと、あれはまずいものなんだな?】
【休憩挟んでもらいましょうか?】
否、一部には届いていた。突然耳の間近で聞こえた小声に、瀬名は飛び上がりそうになる寸前で堪えた。
他の連中に気取られないよう、密かに風の魔術で三兄弟が声を送って来たのだ。それも古代語なので、やりとりを拾う者がいても内容は理解できず、兄弟同士で喋っているようにしか見えないだろう。
【大丈夫だ。まずいことなど何もなかった。それでいいんだ】
【……わかった】
【…………】
【…………】
瞼を伏せて古代語を呟く瀬名を目にした者は、謎めいて艶やかな魔女が不思議な独白をしていると勘違いをした。
どこか神秘的な雰囲気さえも感じ取り、誰も何も問わなかった。
≪ARKよ……てめえ、謀ったな……?≫
≪何のことでしょう?≫
脳内で小鳥氏と緊急会議。
こんな素敵なお祝いムードで、エルダにその術が〝継承〟されたと皆が知ってしまった以上、最早こっそり回収するのは不可能だ。
それに、嬉しいくせに態度だけはツンツンすましている努力家の少女から、一度あげたご褒美を取り上げるなど残酷な真似ができるものか。
≪後で、きっちり、オハナシしようね?≫
≪私は常によいことを行っております≫
喉元までせりあがった罵倒をごくりと呑み込んだ。
今ならその〝種〟とやらを呑まされても、吐き出し損ねた負のエネルギーが腹の中で袋叩きにして擂り潰し、跡形もなく消化しきってやれる自信があった。
「……ところで先日の襲撃についてだが、ラゴルスは失敗と思っていないのではないか?」
シェルローヴェンがすぱりと本題に戻した。すぐ近くで渦巻く負のエネルギーに危険を感じたのだ。
ほんわりムードにいよいよ耐えられなくなってきた瀬名にとっては大歓迎の流れである。ここは即座に乗らねばなるまい。
「私もそう思ってた。成功しても失敗しても、ラゴルスにとってはどちらでも成功だったんじゃないかな?」
「ふむ……そもそも閣下を足止めすることが目的だったか?」
「カルロさんというか、この地の戦力を分断したつもりなんじゃないでしょうか。仲間がいくら強化されていようと、圧倒的な数で囲い込まれたら負けるのは必至でしょうし」
「だとすれば、見通しが甘いと言わざるを得んのだが……」
首をひねる騎士団長に、「そうだな」とシェルローヴェンが続けた。
「わたしはラゴルスにもサフィークにも面識がある。彼ら二人から共通して受けた印象は、整えられた一本の大通りだ」
「と申されると?」
「見晴らしの良いそこを歩いてさえいれば、何も不自由はない。必要なものは手に入り、行き先に迷うこともない。だが細かい脇道は暗く見えず、滅多に意識することもない」
レール通りの人生、という表現が瀬名の中に浮かんだ。
不自由のないエリート街道。そこをずっと歩いてきたラゴルスやサフィークは、エリートとして必要なもの、知識その他をいくらでも手に入れてこられた。
ただし。
(あいつらは天才肌じゃなく、環境に恵まれてた秀才なんだよな)
恵まれた環境を失った時にどうするか。何を選択するか。
ラゴルスやサフィークは、今までと変わらないという選択をした。
どうしたって今までと同じではいられないのに、前と同じように明るい大通りだけを歩こうとした。
「協力者の情報にも、討伐者や騎士、用心棒といった職種がない。教団の内部にもいないのではないか?」
話を向けられたナナシは、緊張しつつ「はい」と答えた。
「ほとんどの者は前歴が神官や見習い神官、たまに村人などですね。ゴロツキを雇うことはありますが、教団には誘っておりません。選民意識が強く、戦闘で糧を得る方々を野蛮で程度が低いと見下しているのです。元村人だった連中は、こう言うのもなんですけれど洗脳するのが簡単なので……」
「真っ先に危険な仕事をやらされるか?」
「……はい。そして、彼らもそれを疑問にすら思っていないようでした。素直過ぎて、骨の髄まで信じ込まされているからだと思っていましたが、使い魔様のお話で納得しました」
「なんか教団の奴らって、貴族の腐ったのみてぇだな?」
「生まれは貴族という者が結構いますので、その認識で正しいかと思います。さらに言えばラゴルスなどは、最前線に立つような危険な真似はしないでしょう。手に入れた教団を駒として動かし、高みの見物を決め込むはずです」
「ますます最低な野郎だな。俺の嫌ぇなタイプだわ」
「そうでしょうとも」
瀬名はふと思った。
ラゴルスは〝種〟を呑んでいないのかもしれない。
ナナシのように呑んだふりをして、頭のトんでいる連中を出し抜き、教団のトップを蹴落としたのかも。
(けれどそうやって手に入れた駒の中には、戦いに秀でた者がいない)
それでも何とかなると、自分ならどうにでも出来ると、そう過信している気がする。
自分のことを環境に助けられた秀才ではなく、選ばれし天才だと信じているのではないか。以前会った時の印象も、ナナシの話から想像しても、そういう人物像しか浮かばなかった。
もしもナナシがラゴルスのブレインとして控えていれば、最悪の強敵として警戒を何段階も高める必要に迫られただろう。だがそうはならなかった。ナナシという人物の性質以前に、ラゴルスはナナシを見下して重用はしなかったろうと思われる。
気付くはずだ。――こいつは自分より賢いと。
だがラゴルスは決してそれを認めない。
もしナナシが側にいたとしても、頭から押さえつけるか遠ざけるか、存在自体を無視するか。いずれにせよ上手に使うことができず、危険視して早々に始末しようとしたかもしれない。
自分こそが最も正しく、最も上位にあるために。
「あとは、連中が仕掛けてくるタイミングだが」
「伯がイシドールに到着される前までだな。あまり日はない」
「連中は隠語でそのやりとりをしている。神殿が吉とするものを凶と言い換え、逆に凶とするものを吉と言い換えたに過ぎん暗号だが」
「既に掴んでおられるのか。さすがだ」
「グレン殿の御子息が動いている。ご友人にも声をかけてくださっているようだ」
「げ、あいつかよ。何やってんだ」
グレンは嫌そうに貶しているが、息子の黒猫を自慢に思っているのは、嬉しそうなヒゲの動きで丸わかりだ。
その後も細部まで襲撃の予測が立てられ、作戦もほぼ決まった。もちろん作戦通りにいかなかった場合も想定し、二段、三段と案が出される。
そもそも、教主が交代した今になってもイシドールの襲撃は決行されるのかという基本的な疑問すら出た。その計画は前の教主や取り巻きが承認したものだからだ。
ナナシによれば、教団の力試しで救出された立場であるラゴルスは、教団の威光を示す大計画を鶴の一声で中止させることは出来ないし、確実にデマルシェリエへ逆恨みを募らせているので、むしろ前向きに遂行させるであろうとの見解だった。
グレンの息子がもたらす情報でも、ラゴルスが気の迷いで改心したとしても、もう止められない段階に入っているという。これは信徒達が心から楽しみにしている宴であり、いきなり中止させようとしても、切れた連中が勝手に実行してしまうはずとのことだ。
「では、そのように」
「異論はない」
「ああ。こんな感じでいけると思うぜ」
そうして、話し合いはさくさく、すんなり纏まったのだった。
◇
「では、セナ殿のほうだが。あなたはどうされる?」
グラヴィスが尋ねた。
少なくとも今回の作戦は、瀬名がいなくとも実行し得るものばかりだった。
「途中まで見届けてから、教団の本拠地を叩きに行こうと思います。――コル・カ・ドゥエルのもっと向こうにある、鉱山族の旧王国です」
熱気が急激に去り、室内の空気がぴんと張りつめた。
「……そんなところにあったのか」
グラヴィスの台詞は一同の心を代表していた。
ナナシは瀬名の情報収集力に舌を巻いていた。彼は教団の一員として細心の注意を払いながら地位を高め、あの場所がどこであったのかをようやく知ったというのに。
「私ひとりで行こうかなとも、少し思ったんですが」
「異議あり。わたし達も行きますよ」
「わたしも行く。兄上もだ」
「そうだな。……構わんか?」
「言うと思った。うん、一緒に行ってくれるかな? ……正直、わからない場所がかなり多くて、危険そうな感じがするんだけど」
「無論だ」
「むしろそんな所へは連れて行け」
「怒りますよ、置いていったら」
うん、と瀬名は素直に頷いた。彼らを危ない目に遭わせたくないのは山々だが、ARK氏の前情報でも判明していない箇所が本当に多く、瀬名ですら一人では危険そうな気がしたのだ。
(教団が根城にしてる部分だけはわかる。でもそれ以外の場所が全然わからない)
教団の連中は、自分達がいつも使っている場所の広さが、いったいどれだけあるのか知っているのだろうか?
ARKの指示によりEGGSは信徒の行動を追った。そしてそこが滅びた旧ドワーフ王国と判明したのだが、連中の行動範囲以外を調べることができなかったのだ。
ナナシの話していた地下神殿。秘密の儀式が執り行われた広間。教団の幹部以上が集う部屋、歩いて行ける範囲。
鉱山族の滅びた王国は大迷宮と化し、白骨もあちこちに散らばっていた。そのすべてではなく、限られたごく一部が使用されていた。
そのもっと奥に、儀式の広間が点に思えるくらい広大な空間がある。
それもどうやら、鉱山族の間でも気付かれていなかったか、隠されていたと思われる空間だった。
例の〝種〟がどこから来たものなのかも判明していない。どうあっても、瀬名が直接足を運ばねばならない案件だった。
EGGSでさえ調べ切れないのなら、そうするしかない。
「それから……ローグ爺さんも行ってもらえないかな、て思うんだけど。無理強いはしないよ。どうする?」
「そら、行くわな」
くぴりと盃を干し、あっさりと承諾した。
「ワシの同胞のおった場所、変なもんに使いおって。腹立つわな。連れてけ」
うん、わかった、と瀬名は頷いた。本当にいいのか、大丈夫なのか、などと余計な念押しは無粋だろう。
「ナナシはグラヴィスさんと連携して、イシドールの防衛班を頼む」
「えっ? 僕は連れて行かれないのですか?」
「あんたはラゴルス担当。あいつは多分、襲撃の時に本拠地にはいないからね」
「――そう、ですか。ですね。承知しました」
「カシムとカリムは、ナナシの護衛を頼むよ」
「ああ」
「わかりました」
「護衛、ですか。足手まといにならないよう気を付けますので、お二人ともよろしくお願いいたします」
「ああ」
「こちらこそよろしく」
「アスファ達四名は、イシドール防衛班を……」
「待て。アスファはセナと向かう。俺もだ」
予想外のところから待ったがかかった。
しかもウォルドからだ。
「エルダ、リュシー、シモンはイシドールでグラヴィス殿に協力してさしあげてくれ。俺とアスファはセナと一緒に行く」
「え、――ええ!? 俺!? なんで!?」
「ウォルド様……!?」
「おい、何言ってんだ?」
困惑したのは瀬名だけではない。
だがウォルドにしては珍しく、目が拒否を許さない勢いだ。
「理由を訊いてもいい?」
「そうせねばならないという感じがしている。それでは理由にならんか?」
「…………」
つまり、勘で?
瀬名はアスファのほうを見やった。少年は困り切った顔で頭を抱えていたかと思えば、不意に目を瞠り、その視線が剣に吸い寄せられた。
(あ、なるほど……)
つまり、勘ではなく〝神託〟か。
ならば仕方がない。
「わかった。じゃあウォルドとアスファも一緒によろしく」
「すまん」
「う……なんで俺がって……しゃあねーのか……」
「アスファ!? 本気ですの?」
「俺だって本気かよって訊きたいぜ? でも、こいつが行けっつーからさ」
とんとんと神剣の柄を指で叩くのに、エルダ達も意味を悟ったようだ。
「まさか俺は留守番とは言わねえだろ?」
「言わないよ。グレンも行ってもらえる?」
「おおよ」
そうして、旧王国班も決まったのだった。




