268話 ようやく作戦会議 (前)
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ガルセスのお目付け役としてついてきたはずのラフィエナがまさかの暴走。
その後もまったく離れようとしないので、業を煮やした三兄弟がとうとう一歩を踏み出した瞬間、先んじて「ばりっ」と引きはがしたのはガルセスだった。
「ええい、何をするのです!」
「こらこら、ラフィエナ殿。セナ様や皆さんがお困りではないか」
あのガルセスが正論を――いや、ガルセスはもともと正しい言動の多い男だった。思慮とデリカシーの欠如が、日頃の彼をそうは見せないだけで。
しかもどうやら、「怖いと感じるのは気のせいだ!」で精霊族への本能的な恐怖心を克服したらしい。
気のせいで本能を凌駕できる男……誰よりも本能に支配されていそうなのに。
「その……すまんな、同胞が」
「いやいやお気になさるな! もとより俺は難しい話なんぞ苦手だからな、ラフィエナ殿と気分転換に少々外へ出てくる。後で結果だけ教えてくれればありがたい!」
「それはもちろんだ」
「すまんな、迷惑をかける」
「感謝します」
「はっはっは、礼を言われるほどのことではないぞ! では行こうか、ラフィエナ殿!」
「おのれ、放しなさい! 気分転換など自分ひとりで出来るでしょう!?」
「つれないことを申されるな! 俺はさびしんぼだからな!」
ガルセスは不満たらたらのラフィエナを引きずって退室してのけた。
普段はこの男に塩対応な三兄弟の中で、ガルセスの株が爆上がりしてゆく。
実際、瀬名も感動した。この困った族長が、これほど頼もしく思える日が来ようとは。
「…………」
アスファ、エルダ、リュシーの視線が、唯一ラフィエナを教官と仰ぐ少年に集中した。死んだ魚の目になったシモンの口から、「はははは」とこぼれ落ちる乾いた笑い声が何とも無情であった。
そんなハプニングがあったものの、ようやく話し合いの開始である。
始まってすらいないのに、もう終了していいんじゃない感が漂うのはよくあることである。
「ところでセナ殿……ご婦人に対して失礼な物言いを詫びるが、その格好はどうにかならんのだろうか? 落ち着かんのだが」
「すいませんグラヴィスさん、これ着替えるの時間かかるんですよ。第一、今ここを出たらまたラフィエナさんに捕捉されそうな悪寒がするので、このままで我慢してください」
「…………うむ。その通りだな」
「ほんと、すいませんね……」
脳裏にラフィエナの顔でも浮かんだか、騎士団長は重々しく頷いた。
◇
小会議室の中に、イシドール側はグラヴィス騎士団長と側近がひとりだけ。
これは瀬名のあれこれを関係者以外になるべく触れさせないよう、前々から辺境伯に指示されていたことだった。
珍しい力を持つ魔術士は、その稀少性や有用性のため国家に保護される場合がある。過去には使い手が奪い合われたり、優先的に攻撃対象にされたりが原因で、知識の継承者が絶えてしまうケースもあった。
瀬名が今まで披露してきたあれこれは、すべてその〝失われた秘術〟なのではないかと多くの者が誤解していた。壮大な話にされると腰がうずうず落ち着かなくなる小市民だが、それですらないと勘付かれた時がもっと面倒だった。
ここは否定せず、そのまま信じ込ませておくほうがいい。仮に瀬名の先祖を時の権力者が奪い合ったり、暗殺者を送り合ったりしていたとなれば、瀬名が権力者嫌いで王宮と無関係を貫きたがるのも、名を売ろうとせず隠遁生活を送りたがるのもすべて辻褄が合う。
現在瀬名の傍には、肩にとまった青い何かが一羽、精霊王子の三兄弟、聖銀ランクの討伐者三名、アスファ一行、半獣族二人、それに元神官。
後で同じ話を伝えるのは二度手間という理由で、やむをえない事情により退室した二名を除く全員が参加。カシムとカリムは完全に巻き込まれた形で、すっかり帰るタイミングを逃してしまっている。そのうち特別手当として、厄除けのまじないを込めた魔道具でも自作してプレゼントしようと瀬名は思うのだった。
ちなみに長時間の話し合いには酒が必須のローグ爺さんは、三兄弟の土産の酒を抱きしめてほくほくしており、グレンが恨めしそうにそれを眺めていた。
「今この町には教団の信徒が続々と集結し、我々が把握している範囲だけでも百余名いる」
グラヴィス騎士団長が口火を切り、明かされた数にアスファ達はぎょっとした。
彼らとしては、魔物がいきなり町の内部で大量に湧いた気分なのだろう。
「邪神教の信徒を名乗る者は昔からいるが、ほとんどは思い込みの産物でしかない。罪を犯せば法のもとに捕えるが、至光神教団はとりたてて騒ぎを起こすでもなく、犯罪行為にも手を染めぬ無害な連中と見做されていた」
騎士団長がナナシのほうを見やり、ナナシもそれを受けて頷いた。
「仰る通りです。というのも、大いなる神の降臨を迎えるまで、無闇に諍いを起こして注目されてはならないとされていたからです。彼らの攻撃性は、むしろ身内のほうに向いていましたね。秘密を漏らしそうな者、怖気づいて組織を抜けたがった者などは、早晩行方不明になっていました」
「オイオイ。だったらやべーんじゃねーか、おめー?」
「やばいですとも、グレン様。教団が壊滅してくれなかったら僕は終わりですね」
《ナナシの発言は事実です。飄々とした言動ほど、気楽に寝返ったわけではありません。慎重に振る舞い、ずっと機を窺ってきた末の行動です》
「え。――は、ははは。まいったな……お見通しですか」
「ほほ~……」
「そうだったのか」
ナナシは照れ照れと頭をかいた。カシムとカリムの顔に、心なしか共感めいたものが浮かんでいる。
教団内には至光神の存在に懐疑的な者もいたが、そういう者に声をかけられても、ナナシは耳を貸さないようにしていたそうだ。保身のために他者を切り捨てたと糾弾するのは簡単だが、彼は万能無敵の強者ではない。
それでも一応、瀬名は小鳥に念話で確認した。
≪ナナシの神聖魔術は……≫
≪完璧に保たれています。現在のサフィークのような歪さもありません。この男の波長は健やかで、むしろウォルド殿に近いでしょう≫
≪マジか!≫
うっかり叫びたくなるのを堪えた。一概に断言してはいけないのだろうが、つまりそれは親切にしてあげたほうがいい人種なのではないか?
「安心したまえ、ナナシ君。キミの身柄はうちの〈森〉できっちり保護するからね」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「ほかに何か希望とかあるなら聞いておくよ?」
「は、はい。それでは……そのう……」
「?」
ナナシは何やらごそごそと懐から取り出した。
「記念に、これに署名くださいませんか」
「待て。ちょっと待て。――何だその書物は?」
「これですか? これは今をときめくデュカス氏の著書、〝デマルシェリエ地方の童話集第一巻〟です。一話ごとに知る人ぞ知る魔術研究家ラグレイン氏の深い考察も挟んでいて、とても読みごたえが――」
「待て。誰がいつをときめくって?」
「はい? 脚本家のドニ=ヴァン=デュカス氏ですが。最近王都で人気を博している歌劇の脚本を手がけられた方なのですが、ご存知ありませんか? 王女殿下肝煎りの歌劇団でして、心の醜い貴族から生まれた〝清ら姫〟が、両親の罪に苦しみながらも民への愛情を惜しまず……どうなさいました? なんだかお顔が〝無〟になっておられますが」
「……気にしなくていい。それで?」
「はい! それでですね」
聞けば、以前ナナシが情報収集という名目で王都に立ち寄り、観劇を楽しんだ帰りのこと、酔っ払いに酒をかけられてフラフラになったところを、偶然通りかかったドニ=ヴァン=デュカスに介抱してもらえたのだという。
下戸で恥ずかしいと打ち明ければ、なんとドニ氏も下戸と判明。「お互い大変だよな!」と話が弾み、「あの劇観てくれたの? ありがとー! せっかくだからこれあげるよ! ひょっとしたらいつかプレミアつくかもね、なんちゃって!」というやりとりを経てもらったそうな。
「へえ……それはよかったね」
「はい♪」
「今は忙しいから、署名はまたそのうち、いろいろ片付いてから考えておくよ」
「はい、ありがとうございます♪」
ナナシは出した時と同様、いそいそと大切そうに懐へ仕舞い直した。
考えておくとは言ったけど書くとは言ってないよ、などと後から言おうものなら、確実に罪悪感に苛まれそうである。
≪……波長がウォルドに近いって?≫
≪近いです≫
≪え、こんなよく喋るコミュ能力の塊が? 嘘でしょ?≫
≪事実です≫
一縷の望みをかけて念を押したが、返答は無情なものだった。
「ドニ先生、売れっ子なんかな?」
「そうらしいですね。例の公演は王都から順に主要都市を巡っていくそうですから、辺境まで来るのはしばらく先でしょうけど」
「よろしかったですわね。お祝いのお手紙をお贈りしたほうがいいかしら?」
「僕、歌劇ってみたことないよ。平民もみられる?」
「ドニ先生は貴族向けの超豪華なやつと、平民が気楽に観られるやつの両方用意したって言ってたぜ」
「凄いねえ! じゃあいつか観られるかな?」
和む。
いや、和んでいる場合ではない。
ナナシが「ドニ先生」に反応しているが、きりがないので黙殺した。
瀬名とグラヴィス騎士団長の咳払いがほぼ同時となり、小会議室はシンと静かになる。――この騎士団長は良いお友達になれそうであった。
どこかくたびれたサラリーマンの気持ちで、瀬名はちろりとアスファ達に視線を投げた。無意識に癒やしを求めたのだが、意図せずそれは美女の気怠げな流し目となり、狼狽したアスファは真っ青、シモンはぽーっと頬を染めた。
この少年二人の反応はどう解釈すればいいのだろう。とりあえずシモンの将来に不安材料が増えたかもしれない。
と、そこに控えめなノックの音が響いた。渋面を作った騎士団長が入室の許可を与えると、年嵩の騎士が早足で歩み寄って耳もとへ何事かを伝えていた。
――小声だが瀬名の耳はしっかり捉えてしまった。お楽しみを邪魔されて怒り心頭なラフィエナが、「稽古をつけてさしあげましょう」と訓練場へガルセスを引っ張り込んだらしい。
そしてガルセスは脳筋な灰狼。稽古と呼ぶには生易しい激烈な戦闘に嬉々として付き合い、他の騎士達は訓練どころではなく、遠巻きに観戦することしかできないそうな。
先ほどからどこか遠くで工事現場のような音が響いているが、どうもそれだったか。
「…………重ね重ね、同胞がご迷惑をおかけする」
「お気に召されるな。騎士達にとって良い刺激となるであろう」
瀬名に聞こえて三兄弟に聞こえない道理はなかった。
重々しくなりかけた空気を騎士団長は軽く払い、生真面目そうな重低音で「放置で良い」と言い切った。
報告を寄越した騎士が同じく早足で退室し、何事もなかったかのように会議の再会である。スルーは建設的な未来へ向かうため編み出された人類の叡智だ。
「今は百余名だが、この先まだ増えるであろう。壁を突き破るのは困難と理解したはずだ。ゆえに次は、内部から崩す方向で来ると予測している」
「いつの間にか頂点がラゴルスに替わってるという話ですし、そういう方法を好みそうですね」
「それに互いの監視か抑え役としてか、数名でひとまとまりの行動をとっている。アスファ達が遭遇したものは、単独行動を取ったがために暴走したとも取れる」
「律する者が周りにいなかったから、ですね」
「怪物化する前に、何かを飲んだり特殊な道具を使う素振りはなかったという話だ。つまり怪物化は、強い感情の揺れによって引き起こされるのではないか」
「同感です」
「我々の把握している限りで、教団の信徒の場所……わかりやすいローブを纏う者以外に、住民に成りすました者や協力者、潜伏していると思しき場所だが……」
「やっぱりわかりやすいですよねえ? あのお揃いのローブ」
「連帯感を出すのに揃いの衣装は良いのだが。もしくはローブを脱ぐだけで無関係を装いやすくなる利点もある。当然ながら、住民の中の協力者はローブなど身につけていない」
「でもどこかに仕舞ってて、大事な時には引っ張り出して颯爽と身につけるんでしょうね」
「……おそらくはな」
側近が瀬名に図面を手渡す。潜伏場所と思しき幾つもの箇所にマルをつけ、人数や協力者の簡単な情報などを書き込んだものだった。
瀬名は目を瞠って溜め息をつく。
「誤りがあれば遠慮なく指摘して欲しい」
「いえ、完璧ですよこれ。指摘しなきゃいけないところなんてどこにもないですね」
「そうか?」
「ええ、全部網羅してます。――だよね?」
《はい。さすがはイシドール騎士団の調査ですね。我々が改めて付け加える箇所はありません》
困惑とも安堵ともとれる複雑な面持ちで騎士団長は頷いた。
側近はあからさまにほっとしている。どこかで駄目出しを食らうと思っていたようだ。
瀬名も正直、多少は補足が必要になるだろうと思っていたのだが、知らず彼らを侮っていたようだと反省する。ARK氏も太鼓判を押したほど、この情報には文句の付け所がない。
おんぶに抱っこで、何から何まで瀬名に頼らねば何もわからない、何もできない人々ではないのだ。すべてにおいて瀬名やARK氏が口を挟まずとも、彼らは彼ら自身の力で、充分に強大な敵と対峙し得るのである。
「しかしこの流れだと、町の内部を戦場にするおつもりなのか?」
ウォルドが尋ねた。
「そのつもりだ。我々は以前から、それを想定した訓練も行っている」
「なんと……」
絶句したのはウォルドだけではない。瀬名も少し驚いた。
辺境は〈祭壇〉の守護結界を過信していないと前々から感じていたが、思った以上に徹底していた。
「イシドールは最近、魔術士が増えて様々な戦法をとりやすくなっている。エルダ殿にも活躍を期待している」
「わ、わたくしですか……?」
「ああ。――アスファ達の戦闘の話と、先日の襲撃の話から作戦を立ててみたのだが」
その作戦は、至極単純だが確かに有効と思われた。
「……このようにやろうと考えている。セナ殿はどうお考えだろうか?」
「それでいいと思います。単純だけど嵌まると思いますよ――多分、ラゴルスがどう軌道修正をしようとしても、彼の予定通りにはいかないでしょうね」
グラヴィスは無言で頷き、ナナシは神々しい笑みを深めた。
気負いのない泰然とした騎士団長の姿に、アスファ少年が憧れの眼差しをそそいでいるのが微笑ましかった。
思わぬストッパーが出現しました。ラフィエナ氏まさかの常識人枠から転落。
皮肉でも冗談でもラゴルスを「賢い」とは褒めたくない瀬名。
ドニ氏、順調に出世している様子です。




