267話 一難去って(ある意味)また一難
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ナナシという新人を迎えるにあたり、シェルローヴェンがどういう反応をするかだけが心配だった。
が、こういう危ない奴は野放しにするより、手もとで監視したほうがいいという大義名分も用意して挑んでみれば、平素と変わらない顔で「そうか」と一言。実にあっさりしたものだった。
(ありゃ? てっきりヒュゴオオオ、て怒るかと思ったのに)
藪蛇になるかもしれないので深く訊かなかったが、翌日になっても普通だった。口調も表情も以前と同じ穏やかなものに戻り、雰囲気も角が取れてやわらかくなっている。
さらに到着したラフィエナを迎えに行くと言って、実に普通に軽い感じで瀬名の傍を離れた。
「何事だ……?」
《ついに見放されたのでしょうか》
「お黙り! ……え、違うよね? マジ違うよね?」
《それとも何かを企んでいるのかもしれません》
「な、なんだって……?」
「いえ、違いますから。大丈夫ですから」
「アーク、妙な勘ぐりで瀬名を誘導するのはやめろ」
山と出てくる心当たりを吟味してうなる瀬名の肩を、弟二人がぽんと叩いた。
「ですから、我々、兄上とお話をしたんですよ。エセル兄様と一緒にからかうつもり満々だったんですがね。いざ再会してみれば、想像以上に兄上、キていらっしゃるじゃないですか。これは中途半端に触れたらまずいなと思ったので、しっかり指摘しておくことにしたんです」
「待ちたまえ。そこは触れずにそっとしておくべき状況じゃないのか?」
「だから、そういうのが良くない。お互い変なふうに遠慮してしまうだろう? なんだか据わりが悪い緊張感も漂っていたし、だから余計に兄上が苛ついていたんだ」
「そしてつい瀬名に当たって、自己嫌悪でさらに苛つく。悪循環ですね。まあ、あの兄上がそんなふうになってるの初めて見ましたから、ある意味面白かったですけれど……」
「は? 私に当たってたって、いつ? そんな記憶ないけど……」
当たられた憶えなど本気でないのだが。
むしろこの三兄弟に対しては、彼らが嫌そうな顔をしないのをいいことに、さんざん迷惑をかけて助けてもらって振り回してきた記憶しかない。おまけに最近では精霊族の名と力をこれでもかと利用しまくり、好き放題している。
各地で大掃除をお願いしながら、未だ王家をはじめとする国の中枢とは無関係を貫き、国境なにそれ美味しいの状態でプチ旅行魔王討伐の旅に出かけ、大帝国はいつか崩壊するものだよねと嘯いて東の地の現状を放置、諸々あれこれ後始末の一切合切を丸投げし、考えてみれば以前にも〈黎明の森〉購入の際にウェルランディアから半額を出してもらった上、交渉も手続きもすべてお任せして良い結果だけを受け取っている…………。
………………。
(な、なんて無責任な最低やろうだ……!?)
思い返せば青ざめるネタしか出てこない。だから普段は過去を振り返らないようにしていたのに……。
ゆえに、瀬名は彼らに多少厳しい言葉をかけられたところで、むしろ妥当、ガンガン言ってくれ、ドンと来い! という心境なのだったが。
「我々も面白がってやってるから、全然迷惑じゃないぞ。だいたい、本気で嫌なことは強要しないだろう?」
「そりゃもちろん」
「だから兄上の感情は兄上の感情で、それらとは別物だ。だが、わかっていても持て余すようになってきたらしくてな。そんな経験が滅多にないせいで消化不良のような状態になり、怒りに似た形で瀬名に向かってしまったそうだ」
「で、それは駄目ですよとお話ししたわけです。兄上もそのあたりは自覚されてましたし、どうにかしたいとお考えだったようで。――そういうわけですので、だいぶ頭も冷えた頃合いと思いますから、瀬名も今まで通りでお願いします」
「……」
第三者に余計な口出しをされたら、却ってヒートアップするのではなかろうかと瀬名などは思うが、この連中はしないのだろうか。だいぶ慣れてきたものの、未だ微妙によくわからないところのある連中だった。
しかしエセルディウスが「そういうことだ」と肩をすくめ、ノクティスウェルが鉄壁の微笑みを浮かべた以上、もうこれ以上深く語られることはないだろう。
(今まで通りでいいんなら助かるけどさ)
理屈も何もかも関係なく押し流され、周囲の視線も気にならないほど理性をぶっ飛ばすなんちゃらは、鑑賞するものであって体験するものではない。瀬名はコントロールできないものを抱え込みたくはないし、ぶつけられても本気で困る派なので、自らクールダウンしてくれるのならありがたいばかりだった。
なりふり構わず燃えあがる情熱の云々は、アスファ少年やエルダのような真の若者達にこそ相応しい。現在の精神年齢がピー歳なだけではなく、もとより〈東谷瀬名〉は大冒険より安定を好み、その手の話がまったく得意ではなかった。当時の将来の夢は、縁側――を模したマンションの一角――で、猫を膝に乗せてぬくぬくほかほかな毎日を送ること。そのためだけに頑張って貯金していたと言っても過言ではない。
悪いな、と少し思う。だが、本当に向いていないのだ。
そういうことに不向きな自分にこだわるより、彼の将来的にはよかろうと、じわりと芽生える罪悪感に蓋をした。
気の迷い。一過性の微熱。吊り橋効果。三歳児から一気に大人に戻ってしまったせいで、鮮明なままの記憶がもたらした弊害。
もともと甘え慣れ、弱みを見せるのに抵抗がなかった弟二人より、理想的な長兄である彼にとってこそ刺激の強い記憶だったろう――無力な幼児となって守られ、甘え切った日々の記憶は。
(まぁ、これで落ち着いてくれるかな)
案外、適切な距離を一定期間あければ冷めるものだ。どうしようもなければ本格的な逃亡も辞さないつもりだった瀬名は、その必要がなくなってひとまずほっとする。
そんな背中を、背後で弟二人がじっと見ていることにも気付かずに。
(――やっぱり危ないところだったみたいですよ、兄上)
(とりあえずこれで、雲隠れは防げたな)
◇
騎士の城、小会議室にて。
ラフィエナだけでなく、アスファとエルダ、リュシーとシモンの姿をみとめ、瀬名は複雑な気分になった。
先にドーミアを発ったはずの辺境伯が途中で足止めを食らっているのに対し、ずっと後に出発した彼らのほうが早く着いている。
「はっはっは! 不肖、灰狼が族長ガルセス、お呼びとあって馳せ参じましたぞ!」
「うん、ありがとう。頼もしいよ」
ちょっと棒読みになってしまったが、一応本心である。ただ、せっかく毛並みを黒く染めているので、外で大声で灰狼を名乗らないで欲しいな、と瀬名は思うのだった。
「俺は帰りてぇ……つーか、あのガキどもの引率が俺らの任務じゃなかったのかよ?」
「同感。だってセナ様すぐにまたお出かけになるんでしょ? だったら俺ら、もう戻っても……」
「なに、トール達なら滞在日数を伸ばすと言っていたぞ! 『カシムさん達お仕事頑張ってね、俺らきちんと留守番してるからさ!』だそうだ、いい子達だな!」
「いつの間に……ッ!?」
「いい子過ぎてこんな時ばかりは憎い……!」
二人は本気で愕然としている。
しかしさりげなくドーミアや〈門番の村〉を〝帰る場所〟と認識している台詞が出ているのだが、自覚はあるのだろうか。
彼らは指摘されたら貝のように口を閉ざして感情を殺すタイプと見受けられるので、瀬名はお口にチャックを意識した。
「はっはっは、照れるな照れるな! 二人とも我々の村を帰る場所と思ってくれているのだな、嬉しいぞ!」
「て、てめえッ!?」
「こ、こいつ背後から斬りつけて、いや酒に毒盛っていいかな……いいよね一滴ぐらい……」
「…………」
……おうち帰っていいかな?
瀬名は一瞬遠い目になった。
新米のナナシは穏和そうな笑みを張りつけ、新米らしく無言ですすす……と反対側の壁に避難した。危機察知能力のすぐれた男である。
しかし、そんなカオスはまだ序の口であった。――冷静沈着な精霊族の女性ラフィエナが、瀬名のドレス姿が見たいと熱烈に訴え始めたのだ。
「わたくしは一度も拝見させてもらえていないのです。わたくしは一目たりとも、噂のお姿を目にできていないのですよ? 殿下方は全員ご覧になったのでしょう? 狡いです。何故わたくしは駄目なのですか? 駄目な道理がどこにあるのです? わたくしはそれほどお役に立っておりませんか? ご褒美のひとつも与えるに値しないと?」
「え、いや、その、ね……」
「…………」
「…………」
もしやこの女、件の女装姿を見たいがために、ガルセスのお守りを買って出たのではあるまいな……?
誰もがそんな疑念を抱く勢いであった。
いつも通りの微笑みなのに、圧が凄い。
むろん勝てる者がいるはずもなかった。
客室にとんぼ返りした瀬名が、〈スフィア〉から持参していた鏡とにらめっこし一時間ほど。Alphaのように手際よくパパパとはいかないので、余分に時間がかかってしまったが、なんとか似たようなメイクに仕上がった。
これから「さあ邪神教団を返り討ちにしよう」という作戦会議を行う直前に、この時間が非常にとても無駄でしかないが、危険物指定をした男どもまで全員が甲羅に閉じこもる亀と化した以上、あのラフィエナの勢いに太刀打ちできるはずがなかった。
肌に吸着するニセチチをぽにょんと付け、やわらか素材の矯正下着を装着し、破いていないドレスを纏う。紺色の生地に、胸もとからウエストへ、さらにウエストから裾へと銀糸の刺繍が斜めに入り、随所に散りばめられた小さな色硝子の欠片がきらめく星空を模した素晴らしい品である。
マーメイドラインは足の長い瀬名によく合っていたが、瀬名本人には〝歩きづらい〟という理由で、荷物鞄の底に沈むという不遇をかこっていた。正しくは〝蹴りが放ちづらい〟なのだが、言わぬが花である。
「あ、ウィッグどうしよう。自力でつけるの面倒なんだよなー……このまんまでいっか」
小会議室に妖艶な魔女、再びの来襲。
ガルセスは大喜び。何故かカリムも大喜び。ナナシは密かに感激に打ち震え――あれは〝萌え〟ている顔だ――それ以外の反応は様々である。
「うーわー、やべぇ師匠、なんかやべー……騙されて貢ぐ野郎が出そう……」
「ほ、本当ですわね……髪が短いままだと、基本が師匠とわかりやすい分、余計に危険な香りがすると言いますか……」
「…………」
騎士団長はごめんなさいと謝りたくなるような厳しい顔で押し黙っている。
精霊王子の三兄弟は、頬を染めて瞳を輝かせる同胞を眺めて複雑そうだ。だが止められないあたり、日頃の力関係が如実に出ている。
「素晴らしい……!!」
「……およろこびいただけたかしら?」
「ええ、ええ、もう! なんて完璧な魔女様の御姿なのでしょう!!」
それは良かったわホホホ、と、あさってを見上げた魔女に、潤んだ瞳で抱きつく美女。
ますます微妙な面持ちになる周囲の面々。
「眼福なんだけどよ……素直に見惚れたくねえっつーかよ……」
「うむ……アスファやシモンには刺激が強いのではないか? 目隠しをしたほうが良いのでは……」
「ほひょ……気にせんと酒飲みゃあええじゃろ~……」
「いや、やめろ爺さん、この場でソレを勧めんな。――いいかアスファ、シモン。これは素面を保ってねえとやべえ女だ。こういうのにどっかで会ったら、一杯おごると言われてもホイホイご馳走になるんじゃねーぞ?」
「お、おう……!」
「肝に銘じます……!」
「キミ達、本人のいるところで失礼じゃあないかね……?」
美女に抱きつく美女。傍目にはとても麗しい光景である。
長身の魔女と標準的な背丈のラフィエナ、夜を連想する装いと昼間の木漏れ日を連想する装い――この対比のせいで、怪しい麗しさ倍増。
瀬名の視線がふいにグラヴィス騎士団長の視線とかちあった。
なんとなく、視線だけで通じ合った。
――いつになれば、会議を始められるのだろうか。




