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264話 密書① ~果ての空の勇者~ (後)


 背後から視線を感じる……。

 誰かが自分を監視しているようだ……。


 取り急ぎ文書の作成を進める。やや冷静さを欠くかもしれないが、ご容赦願いたい。




◆  ◆  ◆




 これでもかと雰囲気たっぷりの場所でアスファはリュシーに出会った。

 余所では武器を手放さないのが基本であり、彼女もまた細剣を手にしている。

 振り返った姿は、まるで月の精霊のよう。アスファは棒立ちになって息を呑んでいた。

 ちなみにアスファは色恋沙汰に興味がなく、先輩の討伐者に鍛えてもらったり、同年代の少年と遊んでいるほうがいい、そんなどこにでもいる腕白少年であった。

 それが女性ひとりに声もかけられず、石のように固まって動けなくなっている。


「アスファ?」


 リュシーのほうが先に声をかけ、ようやく少年の金縛りは解けたようだ。


「お、おう。その……この庭すっげー広いよな。探検してみたくなってさ」

「そうですか。私も、つい散歩をしてみたくなって」

「この湖、いや、池か。すげーキレイだよな。月もキレイだし」

「そうですね」


 ふふと微笑むリュシー。アスファ少年の頬は若干赤くなっているのだが、青みを帯びた満月の光では気付きにくいようだ。


「そ、そっち行っていいか?」

「ええ、どうぞ」


 明らかにアスファは動揺している。そんなこと、わざわざ断る必要などない。しかしリュシーはおかしく思わなかったようだ。


「…………」


 池の前に並んで立ち、そのまま沈黙。同席の許可を取ったものの、アスファは会話の仕方がわからなくなってしまったようだ。


「…………」

「…………」


 じりじりじり、と時が過ぎる。少年は何かを言いかけては口を閉ざし、視線が池とリュシーの横顔を行ったり来たりしている。


 言っていいだろうか。

 非常にじれったい、と。

 いつもの快活さはどこへ落っことしてきた、と。

 今だ、行け! と拳を握った瞬間、再び明後日を向いてしまう。この握りしめた拳の行方をどうすればいいのだろうか。


 しかしそこは大人のリュシーである。少年の不審な様子はちゃんと気付いていたらしい。


「……どうかしました?」

「あ、う、えーと、そのう……た、大変だったけど、みんな無事でよかったなと思ってさ!」

「そうですね。重傷者はかなり出たようですが、治療可能な怪我だったと聞きましたし。あれほどの規模の襲撃で、被害がこうも少なく済んだのは凄いですね」

「俺、あんなでかい戦闘って初めてだったんだけど、やっぱ少なかったのか」

「無いに等しいですよ。私も経験豊富ではありませんが、知識だけならありますからね。首魁級の魔物に加え、子分もあれだけ大量にいましたから、知らず迎撃していれば何割か死者が出たはずです。『大抵の戦いは開始前にほぼ決している』とあの方が仰っていたのは、こういうことなのかと……」

「ああ、あれか。情報と事前の準備が大事って教わっても、昔はピンとこなかったんだよな。相手が強敵だってんなら、強い奴を大勢揃えりゃ倒せるじゃねーか、って。アホだったよなー俺」

「敵の目的を知り、戦力がどの程度か知っていて、どこから出現すると読めていれば、そこにこちらの戦力を効果的に投入できます。あの勝利を奇跡と仰る方々がいたようですけれど、あれは奇跡ではありません。あの方の目標はそもそも〝味方の犠牲無し〟だったそうですし、理想論と言われようと、実現させてしまえばそれが正義。中には、犠牲の出ない戦いに慣れると、あなたの精神面が鍛えられないので良くないなどと、頓珍漢な忠告をしてくる方もいたようですが……」

「あー、いたいた、そんな奴。どっかの国の偉そうなおっさん。余計なお世話ってんだよな。俺の教育のためにわざと死人出そーな戦やれって? 頭きたわ」


 これほど雰囲気たっぷりの場所で二人きりなのに、色気の欠片もない話題になった途端、舌が滑らかになるアスファ少年。

 言っていいだろうか。

 ひたすら延々じれったい沈黙より確かにマシだが。

 少年よ、それでいいのか、と。


「将来、重要な戦いの中で、味方が命を落とす場面に耐えられず行動不能に陥ったり、のちのち精神が不安定になってしまうかもしれないと案じたそうですけれど」

「そんなん、今だってそうじゃん。もしリュシーとかエルダとかシモンとかが死んじまってたら、俺ショックで抜け殻になる自信あるぜ。将来なんて関係ねえっての。だいたい重要な戦いって何だよ? 誰かひとりでも命かけてりゃ、全部重要だろが。今回の戦がそうじゃなかったとでも言いたいのか? ふざけんなってんだ」


 リュシーが絶句し、再び沈黙が降りた。

 アスファは慌てた。「いや、リュシーに怒ったんじゃなくてさ」と焦っている。

 もちろんリュシーもそのぐらいわかっているだろう。だが本気で呆然としているようだ。


「……私が死んでも、そうなってくれるんですか?」

「はぁ!? あったり前だろ!?」


 当たり前である。何を言っているのだろうか、この子は。

 握りしめた拳の行き先が決まった。この娘の頭上にコツンと落とせば良さそうだ。

 アスファ少年は咄嗟に自分の口を塞いだ。人の気配のない夜の庭園は静かで、小声でも結構響くのだ。誰かに聞かれてはいないかと挙動不審になっている。

 もちろん誰も聞き耳を立ててなどいなかった。そこに泊まっているのは彼らだけであり、この時間帯は使用人も用がなければ立ち入り禁止だ。

 その一帯に目撃者はいないのである。決して、誰も見たり聞いたりはしていないのである。


「すいません……本当に不思議で。不愉快にさせてしまったのなら、謝ります」

「不愉快っつーか、腹立つっつーか。なんで不思議なんだよ?」

「なんでって……」


 リュシーは本気で困惑しており、アスファ少年も本気でわからない様子だった。


「私の一族の話は、憶えてますよね?」

「ああ。それが?」

「咎の一族、と呼ばれているのですが」

「うん。で?」

「……魔族の血を引いているんですけれど」

「うん、それも聞いた。で?」


 リュシーはますます困惑を深め、負けずにアスファ少年の顔にも疑問符が乱舞していた。


「私の髪の色や、目の色、肌の色、ほかの人とは違うでしょう?」

「うん。キレーだよな。髪とか雪みてーだし、目はたまに光の加減で反射してるよな? 金粉を混ぜた硝子細工、あれみたいにキラキラしててキレー」

「!?」

「でも、肌の色? この国の人もそんな色じゃねえ?」

「……ち……がうでしょう? 私の肌は、褐色は褐色ですが、この国の人々のように健康的な色合いではありません。灰色がかって、蝋細工のような不健康な色合いです。だから昔はさんざん、屍死鬼が生者のふりをしているだの、私の身体には赤い血ではなく泥水が流れているだのと陰口を叩かれましたよ?」

「ええ~? 風呂上がりにほっぺとか唇とか赤くなってっし、血が赤いのなんてすぐわかるじゃん? 蝋細工だなんだって陰口言う奴、単にリュシーの肌キレイだからやっかんでるだけじゃねえ?」

「――――ッッ!?」


 この時、まさにリュシーの顔面は真っ赤になっていたに違いないのだが、あいにく月明りの下では判然としなかった。

 しかしアスファという少年、気負わず自然に出る言葉のほうが口説き文句になるとは、恐るべき少年である。しかも本音全開だ。

 下心の透けた男なら冷たくあしらえようが、こういった攻撃を真正面から食らうのは生まれて初めてなのだろう。リュシーは湯の中で溺れかけているかのごとく、口をパクパク開閉させている。


「ごめんリュシー。俺アタマ悪いから、おまえが何を気にしてんのか全然わかんねー。もうちっとわかりやすく言ってくれね?」


 とうとうアスファ少年は心底情けなさそうに懇願した。彼女は先ほどからこれ以上なくわかりやすい理由を述べているのだが、まったく伝わっていない。

 その一族はその一族で、リュシーはリュシー。アスファ少年の中ではそれが当然過ぎて、何が問題なのか理解できないのだろう。


「で、ですから、つまり……嫌われ者なのですよ。だって嫌でしょう? いつ背後から斬りつけてくるかもわからないんですから。実際に私の祖先は、魔王に与した前例があるんです。私だって裏切るかもしれない。だから迫害されてきたんです。バシュラール公爵は私と亡き母を奴隷として迎え入れ、屋敷の皆さんもあたたかく接してくれました。けれど普通の使用人という立場だったなら、同じ使用人の方々からの不満、憎悪は凄まじいことになっていたろうと想像できます。私が誰よりも〝下〟の立場であり、契約で強固に縛られた存在だったから、皆さんは優しかった。残念ながら、そういうものなんです」

「……うん。全然納得いかねーし、俺はそーゆーの嫌だけど……」

「心からそう言ってくれて、なおかつ行動でも示せる方はごく稀なんですよ。誰だって、罪人の仲間とは思われたくないですから。そうやって疑われ、誰からも信用されず、拒絶されるのが私にとってずっと当たり前だった。だから、誰かから死を惜しまれるというのが、どうにも奇妙な感じがしてしまって……」


 平気な表情をしているから、本当に平気なのかといえば、そうではないのだ。

 アスファも段々理解が追いついてきたのか、歯がゆそうにしている。

 おもむろにリュシーとの距離をつめ、怯む彼女に「あのな」といつもより低めの声で凄んだ。


「俺は近くにおまえがいるとすげー安心する。すげー頼もしい。ほっとする。ほかの連中がどんな難癖つけてこようが、俺は絶対、おまえを肯定しまくってやるからな。憶えとけ。――つかおめー、まさか俺らのパーティ、そのうちさりげなく抜けようとか思ってねーよな?」

「そっ、……れは、でも……しかし……わ、私みたいな者がいたら将来的に、あなたの不利益になりますよ? 神剣を従える者の傍に、魔族の末裔なんて……」

「おまえまでやめてくれよ、マジで! 毎日毎日激戦地へ送り込まれて、仲間いっぱい死んで、勇者だ英雄だって持ち上げられて引きずり回されて、世界中のお姫様押しつけられて、挙句に毒殺で人生終了とか絶対ごめんだからな!」

「なんですかその具体的な仮定の話は!?」

「ちょっとな。――とにかく、おまえが抜けちまったらそっちのが不利益でかいんだよ! 魔族の血が心配ってどのへんが? おまえのどこが危険だって? 魔馬も雪足鳥も魔獣だろ、人族(ヒュム)と違うってんなら半獣族(ライカン)鉱山族(ドワーフ)もそうじゃん? 何がそんなに心配なんだ?」


 そう。アスファ少年の近くにいることで、彼によくないことをもたらすのではないかと、ほかでもない彼女自身が不安に感じている。だから他者の戯言を、戯言と聞き流しきれないでいるのだ。


「……今は正気を保って、あなた方とも普通に接していられるけれど、私は……ずっと、怖かった。魔王の手が近付けば、この血が勝手に呼応して、精神(こころ)が蝕まれてしまうかもしれない。あなた方のことさえ、わからなくなってしまうやも。今回は何ごともなかったけれど、いつかはそうなるかもしれない。そんなふうに想像して、私は、怖くなるんです」

「大丈夫、んなもん師匠ならどうとでもしてくれるから!」

「他力本願ですか! ……いえ、本当にどうとでもできそうですね……」

「第一、マジで危険なら師匠がおまえを自由にさせとくわけねーじゃん。拘束するなり、魔道具持たせるなり、なんか処置するだろ」

「…………!!」


 リュシーは愕然とした。

 その通り。実際にどうとでもできるというか、魔馬や雪足鳥が魔王出現の際の強化現象に影響を受けなかったように、魔族の血を引いているからといって、必ずしも全員その配下に組み込まれるわけではないのだ。人と共存が可能で、知恵ある者であれば特に影響を受けにくい。

 なので、いくら魔族であろうと、自ら魔王に与することを望まない限り、加護も支配も受けることはないはずだ。これは神々への信仰によって神聖魔術を授けられる神官達と根底は同じである。

 しかしどのような機会にそれを教えてやるべきか。この夜の二人の会話は、誰も知り得ないことなのだから……。


「あのな、リュシー」

「は、はい……」

「俺に対して腹が立つとか、気に入らねーことがあるとか、そういうのならガンガン言ってくれよ。めっちゃ直しまくるから。でもな、おまえの生まれがどうこう、て理由で消えるのはナシだ」

「…………」

「俺はリュシーを信じられるし、すげー頼りにしてるんだよ。戦ってる時、おまえが背中守ってくれてて、俺はあん時、……なんつーか……、…………くそ、言葉にできねー」

「…………アスファ……」


 あの戦で、神剣を振るうアスファの技はいつになく冴え渡り、隣り合って戦場を駆けるリュシーも、普段よりずっと速く、正確さを増していた。

 言葉はなく、しかし二人の呼吸は誰よりもぴたりと合っていた。

 かつて対峙したことのない強大な敵を前に、高揚感が恐怖を上回っていた。

 やがてあがる勝利の声。

 荒い息をつきながら、呆然と二人は視線を交わし――


 歓喜に湧く人々が押し寄せ、彼らはもみくちゃにされてしまった。

 腕を組んだり肩を組んだり、やったな、と喜びを伝えてくる人々へ気もそぞろに返事をしつつ、視線を時おり交差させ、言い損ねた何かを伝えようとしては、結局何も伝えられないままだった。


 じれったい。

 おあずけか。


 ――しかし青みを帯びた月光の下、中断されたあの瞬間が、そこに再現されている。


 これは『続きをせよ』と天がお膳立てをしてくれているのだ。

 さあ、遠慮なく進むがいいと――。



「リュシー、俺は……」



 ぐうううう……。


 盛大に腹の音が響き渡った。


 一拍おいてアスファ少年が地に崩れ落ち、きょとんとしたリュシーが大爆笑。

 もしや彼は、お約束とおあずけと肩透かしの星のもとにでも生まれたのだろうか?

 そのように邪推せざるを得ないタイミングであった。

 どうやら耳まで真っ赤になっている。目尻もキラリと光っていた。

 傍らにしゃがんで「まあまあ」と背を叩いてやるリュシーの姿は、すっかり優しいお姉さんでしかなかった。


「何か食べ物をもらいに行きましょうか?」

「……いいッ! 走って空腹なんぞ誤魔化すッ!」

「それ、余計にお腹がすくんじゃ……」


 ふてくされながらのそりと身を起こした少年。

 彼女はすっかり油断していた。無理もない。

 次の瞬間、信じられない衝撃が走った。

 今夜はもう、これで終わりだろう――そう確信した直後であったにもかかわらず、少年はあっさり覆してのけたのだ。


 顔と顔がくっついていた。

 見間違いではない。顔と顔が重なっていた。


 あのアスファ少年と、あのリュシーが。


 ごく一瞬、ほんのわずか触れ合っただけ。

 だが、その一瞬は決定的な一瞬であった。


「ふん、笑ってろよ。――また明日なっ」


 少年は勢いよく立ち上がり、宣言通り力一杯の全速力で逃亡、いや走り去ってしまった。

 お約束の神の妨害が入っても、決してそのままでは終わらない。不利な状況を不屈の精神と力業で好転させるとは、なんと強く逞しく成長したことか。

 代わりに崩れ落ちたリュシーが茹であがった顔を悔しそうに歪め、「子供のくせにッ」などと地面を殴っていた。

 どちらが勝者であるかは、もはや一目瞭然である。


 叫んでもいいだろうか?

 よくやった、と。


 リュシーの魔族の血が覚醒し人格が変わって仲間達の記憶を失くしたり、

 アスファが英雄の義務と世界中の姫君を押しつけられてリュシーが身を引いたり、

 そんな胸糞の悪い未来など断じて、永遠に訪れはしないことをここに明記しておく。




◆  ◆  ◆




「〝〈森〉の主より、親愛なる南の女王へ〟――よし、こんなものでいいか……」


 ペンを置き、書き損じがないかざっと目を通す。

 女王の別荘なのだから、敷地内の出来事ぐらいご自身で把握できるのではないか?

 そのような指摘は野暮である。できるが、やらなかったのだ。彼女は勇者達の行動範囲に監視の人員、道具、魔術などを一切置かなかった。

 視線は灰白髪の細剣使いが気付くであろうし、魔術であれば赤毛の魔術士が気付く。そうなって回復不能な悪印象が刻まれてしまうのを恐れたためだろう。


《出歯亀はさておき、セキュリティを甘くして小物を釣る餌にはしておりましたが》


 ――何者かが背後から語りかけてくる。空耳だろうか……。

 思慮の足りない野心家の手駒同士が、庭を囲む壁の手前で「今晩は」となり、非常に気まずい一夜を過ごした、などという愉快な一場面もあったらしい。

 興味をそそられた。いや、いけない。幻聴に答えを返したら、狭間の世界に引きずり込まれて抜け出せなくなってしまう。

 〈森〉の主は誘惑を振り払い、封を閉じた。




某国女王の息子の証言:

「母上が何故か背後を気にされながら、書状らしきものを読んでおられたのだ。異なる角度から覗き込もうとすれば文字が不鮮明になる魔術の透かしが入っていて、何やら良くない報せかと思ったのだが、ご機嫌は良さそうだったし……あれはいったい何だったのだろう?」

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