263話 密書① ~果ての空の勇者~ (前)
この文書は綿密な調査結果に基づいて作成されている。
なお、文中にある調査対象者の心情については、あくまでも推測であることを明記しておく。
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海から押し寄せる怪物の群れを撃退した後、勇者一行はパナケア王国の女王の別荘に招かれた。
勝利の余韻もそこそこに盛大な宴に招かれ、豪勢な食事に舌鼓を打つまではいいが、代わる代わる寄ってくる地元の有力者の対応に、彼らは相当苦慮したであろうと思われる。
女王の客人達は純粋に好意を伝えてくれているだけであり、そんな相手を無下にはできなかったのであろう。しばらくは我慢していたようだが、少年二人の顔にうんざりとした色が見え始め、ナハト王子が「疲れたろう、ゆっくり休んでくれ」とその場から逃げ出す口実を与えた。
ナハト王子は以前も群がる貴族からアスファ一行を助け出したことがある。アスファ達は随分と感謝している様子で、ナハト王子に礼を告げつつ、言葉に甘えて宴席を後にした。
別荘とはいえ女王の建物は広く豪華だ。アスファとシモン、エルダとリュシーでそれぞれ二人一部屋を与えられていたが、充分過ぎるほどに広く、しかも露天風呂までついている。
〈黎明の森〉にある大浴場の露天風呂には及ばないが、一般的に風呂付きの宿は、金貨が何枚も飛ぶ高級宿。おまけに海にほど近い国々は、場所によって地下水が塩を含んでおり、デマルシェリエより全体的に水の価値が高く、真水を沸かした湯は光王国より貴重なのである。
そんな風呂事情の違いを知らない少年二人は、呑気な顔で湯に浸かった。入浴の習慣が少ない農村で生まれ育った二人だが、女性陣と灰狼達が風呂好きのため、徐々に影響を受けている様子であった。
「そういや俺、ちょっと前に変な夢を見たんだよな」
「変な夢?」
「師匠から連絡が来た日に、エル・ファートゥスが――剣が妙にざわついてる感じがして、どうしたんだおまえって訊いても応えなくてさ。あいつ時々、師匠を見るとそんな感じになるし、いつものやつかなって思ったんだけど」
「神剣がざわついてるのに『いつものやつ』で済ますのもどうなのかな……それで?」
「その日の夜に、なんかいつもと違う夢見たんだよ。俺って、よく途中で『あ、これ夢だな』って気付くほうなんだけど、あの日のやつは目ぇ覚めるまで全然気付かなかったんだ」
それは、もしセナ=トーヤに出会わなかったらどうなっていたかという、もはや起こり得ない仮定の夢だった。
アスファという名の少年は、討伐者ギルドで持て余されていた。
血気に逸る若者らしく、自分は高みへ行ける存在だと根拠のない自信を抱き、己を認めようとしない周囲へ噛みつき続けていた。
エルダもリュシーも、彼の傍には誰もいなかった。
そんなある日、神殿から迎えが現われ、例の地下迷宮へ潜ることになった。ギルドの連中と異なり、その神官達は皆、アスファの実力を認めてくれる者達だった。
ところが思わぬ犠牲が出た。神殿が雇ったという新人討伐者のパーティが、道中の罠で全員命を落としてしまったのだ。その中に、シモンと呼ばれる少年も含まれていた。
恐怖と悲しみに苛まれながらアスファがエル・ファートゥスを手にした瞬間、彼は己が半神という選ばれし存在なのだと知った。
一切の罠がそれ以降は発動せず、何の障害もなく地上へ戻り、そこでは神官達が待ち構えていた。
新たなる勇者に神官達は跪き、亡くなった者達のことを「悲しいが必要な犠牲だった」と少年に言い聞かせた。苦痛への耐性がろくに育まれていなかった少年は、納得のいかない心へ強引に蓋をして、その言葉を受け入れた。
いつか立派に成長し、この世界を救うことこそが、亡き人々への何よりの手向けになるだろう。そう信じて、がむしゃらに努力を重ねた。
――それは現在のアスファからすれば、見当違いな上に非効率で、空回りも甚だしかった。
自らの使命を悟った日から数年後、彼は光王国のみならず、数多の国々の王侯貴族から勇者として一目置かれる存在になっていた。
その数年の間にたくさんの仲間を得て、同時にたくさんの仲間を喪った。
魔王の脅威は現実のものとなり、アスファ青年と仲間達は常に最も危険な戦場にいた。
亡くした戦友の記憶を胸に、彼は使命のために戦い続けた。悲しみに彼の精神は鍛えられ、より強く研ぎ澄まされてゆく。
魔王の討伐を果たしたのは、神剣を手にしてから実に十年以上は経過した頃だった。
世界中が歓喜に湧いて、アスファ青年と仲間達、彼に協力した各国の軍勢を褒め称えた。いくつかの国々は魔王によって滅ぼされ、いくつかの軍勢は壊滅させられており、いったい民の何割が喪われたのか、正確な数はわからない。
だが、ようやくすべて終わったのだ。
苦難の日々は過去のものとなり、これからは明るい未来が待っている。
――マジで言ってんのかよ、と目覚めた直後のアスファ少年は突っ込んだらしい。
世界を救った勇者はどこへ行っても引っ張りだことなり、誰からも褒めそやされた。
我が国の王女の婿にと縁談が雨あられと降りそそぎ、最終的にどうなったかというと。
「公平に、全部の国のお姫様と子供つくれって言われたんだぜ!? この俺が!! 有り得ねえ……!!」
「う、わぁ~……」
つまり、どの国も〝勇者の血〟が欲しいけれど、それを巡って戦が起きるようでは本末転倒なので、平和的な解決策として『我が姫に子を生ませてくれ』となったようだ。
それで争いが起きなくなるのならと、夢の中のアスファ青年は承諾したらしい。
「いいよって言っちゃったの!?」
「言っちゃったんだよ!! つうか口にしてみたら、変な夢ってより気持ち悪い夢だな!? サフィークとかラゴルスの野郎に至っては、なんか俺の側近ぽい立場になってやがったんだぜ!? ……うげ、風呂浸かってんのに鳥肌立ちそうになったわ。ねえよ絶対、あれは無え……!」
「そ、それは嫌だね……僕なんてあのまんま死んじゃってる展開みたいだし……」
「そーだよ。ねえよなー。しかもその俺、勇者っておだてられて単純に喜んでやがんの。味方が何人死んじまっても『尊い犠牲だった』って言いくるめられて、普通に納得してやがんだよ!」
「ええ~? さすがにそれは嘘でしょ?」
「マジなんだよそれが! 自己正当化っつーやつ? せっかくできた仲間がバカスカ死んでんのに、『魔王との闘いに犠牲は避けて通れない』とか、カッコつけて悟ったよーなこと言う奴になっちまってさあ! 悲しいしつらかったけど、なんかどっかズレてるっつーか、犠牲前提が当たり前って本気で思ってて、疑いもしねえんだよ」
「……なんか、今のアスファからは想像できないんだけど。別人の話にしか聞こえないよ?」
「俺も違和感バリバリだぜ。目ぇ覚めてほっとする以前に『そりゃねえだろ俺!?』って突っ込みまくったわ。ちなみに俺の最期、どっかのお姫様に毒盛られて終わり♪」
「はああ!? ちょ、なにそれ、浮気したとかあっちこっちでお姫様を泣かしまくったとかじゃないよね!?」
「やるかよ! 『御子をくださいませ』って押しつけられた最初のお姫さんに殺られたんだからな、理由はわかんねえ!」
「……えーと。それって、そのう……いろいろした後? する前?」
「……し、した後……あ、そうか、もしかして……」
その姫君が身ごもっていれば、勇者の血を引く子は世界でただ一人というわけである。
「…………切ない。切な過ぎるよ、そんな終わり方……。せっかく世界を救ったのにそんな最期って……」
「俺も、なんか泣けてきた……。国がいくつも潰れて、何千万人って死んでんのに、救ったとか言いたかねえけどよ……」
「なんぜんまん……。そっか、もし討伐遅れてたら、そのぐらいは行ってもおかしくなかったんだね……」
「多分。夢だからあんま正確なとこはわかんねーけど、魔王が暴れ出してから、何年かはやられ放題だったからな。……裏切る奴もいっぱい出たし」
「…………」
湯の中にいながら、二人はぶるりと震えた。
「……いや、夢だし、夢。ただの夢。うん。悪い、嫌なもん聞かせちまって!」
「はは……いいよ。夢だしね!」
アスファ少年は無理やり朗らかに笑い、シモン少年もそれに乗った。
所詮は仮定の話。
そうならなかった、有り得ない未来の話なのだから。
◇
きちんと温まり直してから、シモンは「ちょっと散歩してくる」と部屋を出た。
アスファ少年はしばらく一人になり、己の剣を見つめていた。手入れをしている様子ではなく、対話を試みているのか、それとも何やら思案することでもあったのか。
やがてひとつ頭を振り、彼もまた散歩をする気になったらしい。
防具はつけず、エル・ファートゥスだけを持って広大な庭園の中の道を歩く。
どこも静まり返っており、あの戦いもあの宴も本当にあったことなのだろうかと、この時のアスファ少年は不思議に感じていたかもしれない。
歩いているうちに、広い人工池の前に出た。
鏡面のように凪いだ水面に月が降り、まるで水底から輝いているようだった。
計算され尽くした美をたたえる池のほとり、彼の進む方向に先客の姿を認め、少年は目を瞠った。
まっすぐな灰白色の長い髪。褐色の肌。
ほっそりとした長身を包むのは、無骨な防具を外した室内着である。
「……リュシー」
「! ……アスファ?」
弾かれたように顔を上げ、氷青の瞳がアスファを映した。




