261話 その頃、勇者達は (3)
※(2)を一新し、以前の(2)を(3)に移して少し修正しました。 2020.9.16
父親とともに子爵領から辺境へ逃れてきた少女は、最低限の身の回りの品を揃えるべく買い出しに来ていた。
勤め先からの支給品という扱いのため、買うものと予算はきっちり決まっており、店も指定されている。けれど初めて見る大きな町での買い物、それも雇い主がお金を出してくれるとあって、少女は今にも踊りだしそうなはしゃぎぶりだった。
予定では父親と一緒に来るはずだったが、ただでさえ人手不足だったところにお貴族様からの大口注文が入り、このままでは納品に間に合わなくなってしまうとかで、急遽父親が駆り出された。働いた分ちゃんとお給金をもらえるという話なので、父にも娘にも文句はない。ただ、着いたばかりの大きな町を女の子一人でうろつくのは不安だったので、彼女は様子を見に来たトール達に、一緒についていってくれないかと頼んだ。
トール達がこの町にいるのはあと少し。彼らは護衛依頼ではなく、残り少ない日を友達と一緒に遊ぶつもりで快諾した。明らかな危険があればギルドを通してくれという話になるけれど、そういう心配はない普通のお出かけなのだから。
「お友達なのにギルドを通すの?」
「そーだよ。じゃなきゃ、なんでもかんでも『ダチなんだからまけてくれたっていいだろ?』って、厚かましくゴリ押ししてくる奴が出てくんだよ」
「それを狙って新人に声かけてくる奴もいるんだ。僕らだけじゃなくほかの討伐者にも影響あるからさ、身内でも安易にタダ働きを請け負うなって、新人には特に強く注意喚起されているんだ」
「そうなんだ……。ごめん、あたしひょっとして、迷惑だった?」
「んにゃ、全然?」
「だいじょぶだよー。危なそうなお仕事だったら、っつったじゃん」
「そうそう。『誰かにつけ狙われて怖いから護衛して、もちろんタダで♪』ていうのがダメなだけで」
ちなみに、「あたし怖いの……お願い、そばにいて?」が魔性の呪文だというのは有名な話だ。危ないと周知されているにもかかわらず、被害に遭う男が毎年必ず出る。
パーティに女性がひとりでもいれば大抵防がれるらしいので、トールとレストは今からミウを頼りにしているのであった。
「フツーに遊びに行く分には全然モンダイないよ!」
「あんまカタく考えなくていいぜ? ダメならダメって言うからさ」
「そっか。――ありがとう」
「気にすんな」
「いいよお~、あたしらだって楽しんでるもん♪」
「だよね。ここ来るの、僕らも初めてだし」
イシドールの町はドーミアより大きいと聞いてはいたが、本当に広くて大きい。このメンバーではいつも一番落ち着き払っているレストまで、今回ばかりはほかの二人とテンションがあまり変わらなかった。
「――そうだ! ねえねえ、トール達は知ってる? 今朝女将さんが言ってたんだけど、この町に魔女が来てるんですって!」
「…………へえー」
「………………」
「………………」
少女の語る〝女将さん〟は、父親と一緒に働くことになった果樹園の、労働者用の寮を管理している老女のことだ。
働き口を紹介してくれた神経質そうな〝おじさん〟の親戚だとかで、顔はピリリときつそうだが、移住してきたばかりの父娘の様子を何かと気にかけてくれているらしい。
「魔術士じゃなくて、お話の中に出てくるみたいな魔法使いなんだって。あたし小っちゃい頃に一度だけ魔術士に会ったことがあるの、旅の討伐者で一日だけ村に泊まってて、呪文唱えて火を熾してたわ。すごいすごいってみんな大騒ぎだったんだけど、魔法使いとどう違うのかしら?」
「そりゃー…………魔術士は魔術士、魔法使いは魔法使いだろ?」
「やっぱり魔術士とは違うもの? 勇者にすごい武器を渡したりとか、変身したりできるのかな?」
「…………(一緒にしたらエルダねーちゃんに怒られるんじゃねえかな)」
「…………(アスファにーさんのすごい武器は改造されちゃったらしいしね。神剣なのに)」
「…………(変身、してたよねえ。ついこないだ)」
「女将さんも噂で聞いただけで、会ったことはないんだって。そんなの、本当にいるのかしらねえ?」
「あー…………いるんじゃない?」
「うん。世の中って広いけど、端っこに流れてくることもあるっていうか、集まる所には集中するみたいっていうか」
「ある日お隣にポンと引っ越してきたりとかね~」
「? ……ふぅん」
少女は首をかしげた。よくわからない。
(つまり、トール達もよく知らないのね)
お子様っぽいと馬鹿にされている雰囲気ではないし、期待して話を振ったわけでもないので、さして気にしなかった。
(どんな人なのかなあ? ちょっと見てみたいかも。怖い魔法使いみたいなのかしら? それともあの奥様みたいな綺麗な人なのかな?)
連れ三名の顔色に気付かぬまま、少女はほわほわと想像する。
「――あっ! あれあれ、ほら、あのお店じゃない!? 緑の屋根にまるっこい看板のお店!」
「えっ? あっ、ほんとだ!」
「行ってみよ!」
「うん!」
空気を読んだか否かは謎だが、ミウが話題を変えてくれた。トールとレストはホッとしつつ、内心「ミウ、ぐっじょぶ!」と親指を立てる。
ミウと少女が連れ立って店内に吸い込まれて行き、トールとレストは出入口の手前――より、やや離れた場所で待つことにした。
何故か。
――<女性用衣類・下着・小物等専門店>
この看板を越えて足を踏み入れることが許されるのは、女性か、心が女性である者のみ。
うっかり男が侵入すれば白い視線で八つ裂きにされる、恐怖の魔窟、あるいは秘密の花園である。
「……ドーミアにもあったよな、こういう店? なんでミウの奴、あんな興味津々だったんだろ?」
「品揃えが違いそうだからじゃない? あとセナ様が言ってた。『旅先だと気が大きくなって財布の紐がゆるむ』って」
「げげ……」
「ていうか、やばいよトール。このへん、食べ物取り扱ってる店が見あたんないよね?」
「そりゃ、服飾専門の区画っぽいからな。服とか鞄とか靴とか。それが?」
「これ多分、すっごく時間かかるやつだ。ミウの食欲そそる匂いが漂ってこないんだよ。二人ともきゃっきゃうふふしてたし……当分出てこないんじゃないかな」
「マジか」
男二人の間に、早くもげんなりとした空気が漂う。
そしてレストの予想が当たり、そこそこの時間が経過した。普段のミウなら有り得ない長さである。思えば、ドーミアで三人が揃って買い物をするのはたいがい装備品の店であり、必要なものが決まっているのでさほど時間がかからない。こういう店の前で長時間待たされるのは苦行か罰ゲームだと、この日二人は初めて知った。
やましいことはしていないのに、周囲の視線がどうしてか気になる。落ち着かなげにきょろきょろ周りを気にしてしまい、トールはそれを見つけてしまった。
◇
トール、レスト、ミウの三名はパーティを組んでいる。
この三名は新人の中でも群を抜いて評価が高い。それぞれが頑張り屋で、前向きな性格で、驕らず、着実に力や知識をつけている。
それだけでなく、昔からずっと一緒に育ってきたことから、連携が非常に上手い。個人の能力値だけでなく、パーティとしての成長率も大いに期待されているのだ。
前衛は身体能力の高いミウ。記憶力があり頭の回転が速い頭脳専門のレスト。
そしてリーダーのトールは、戦闘力はそこそこで、頭はレストに遠く及ばないと自覚している。
トールが他の二人より優れているのは、危険なものを見抜く目――勘だ。
この世界で、実績のある勘は馬鹿に出来ない。とりわけ命のやりとりが身近な環境では重宝される。
そしてトールの勘は、幾度となくレストやミウ、それに孤児院の子供達を救ってきた。
本能からくる危機察知能力は、一般的に獣系の他種族のほうが優れており、のんびりした性格のミウもそれなりに鼻がきく。そのミウよりも、トールのほうが遥かに鋭く、危険なものを見抜く才能があった。
どこにでもいそうなローブ姿の男。気になるのは、こんなに天気がいいのに頭までフードですっぽり隠している点だが、それだけならほかにも同じような格好を見かけなくもない。
けれどトールはひと目その男を見た瞬間、「あれはまずい」と感じた。
見逃したり、放置してはいけないものだ。
(くそっ! ムリ言ってでも、カシムさん達について来てもらやぁ良かった!)
二人は今、討伐者ギルドで足止めを食っている。例のごろつき紛いの討伐者を犯罪者として突き出した件で、妙な疑いを持たれているらしいのだ。
騎士団からは話が行っているはずなのに、詳細が部分的に伏せられているせいか、副ギルド長が懐疑的な様子を隠さない。噂では中央から辺境に飛ばされて来た男で、どうもそれを恥と捉えており、ことさら高圧的な態度をとる、プライドの高い面倒な男なのだそうだ。抑え役のギルド長が妻の出産で数日間の休暇をとっていて、我が物顔で振る舞っているのだとか。
ローブ姿の男が裏路地に吸い込まれ、トールは「くそっ」と毒づいた。
「トール?」
「レスト、中の二人に声かけて、カシムさんとカリムさん呼んで来い、すぐに! 俺はあいつを追う!」
「ちょっ、トール!?」
普段なら取らない行動だ――自分ひとりで別行動をとるなんて。
いかにも腕白少年なトールだが、その実かなり用心深く、ほかの新人から「臆病者」とからかわれたことがあるぐらい、自分の行動には慎重だった。
なのに。
(無事でいてよ、ほんとに……!)
何を見つけたのか、もはや追いかけて呼び止められる距離ではない。走り出したトールの背に声をかけながら、レストはすぐに唇を引き結んで店へ駆けた。
◇
やべえな、とトールは感じていた。
(やべえ……これって、自殺行為ってやつだぜ)
路地裏に入った男の姿を発見し、慎重にあとを尾けた。入り組んだ路地を奥までどんどん進んでいく。
日頃から、こんな真似は絶対にするなと孤児院の弟妹に言い聞かせている、そのものの行動ではないか。
単独で、地の利を持っていない初めて訪れた町で、不審者を追いかけるなんて、嫌な感じしかしない。
けれど、放置できないと強く感じたのだ。今までそれが外れたことはない。
さらにトールは途中から嫌な確信を抱いた。よくある話だ、尾行途中で相手に気付かれ、誘い込まれるケース。
ドーミアでも知り合いの子供がそうやって死んだ。たまたま賞金首を見かけ、深追いし過ぎたのだ。
人の気配の少ない場所を、背後でずっとついて来る者の気配があれば、怪しいと思われて当然だろう。いくら足音を消しても、相手が耳のいい種族であったり、気配を感知できる能力者であれば無意味だ。
果たして、袋小路に行き当たり、ローブの男はゆっくりと振り返った。
そして、唇がニタァ、と笑みを作る。
ああやっぱりな、とトールは舌打ちした。こうなると思ったのだ。
「――随分と、向こう見ずなガキだ」
口周りの皮膚からだいたいの年齢を想像する。さほど老いているようには感じない。けれど、言葉の端々は薄気味悪く枯れたような印象を受ける。
「勇気だけは称えてやろう、と言いたいところだが……」
しわがれた、嫌な余韻のある声で嘲笑交じりに言いながら、男は片手をゆっくり持ち上げた。
「残念ながら、ここで――……ッッ!?」
ばぢん!!
持ち上げかけた手が弾かれ、男は「ぐうっ!?」と呻いた。
トールの手は、男には見慣れない、妙な道具を構えていた。
棒の先が二股に分かれた枝のようになっており、それぞれの先に紐がついている。弓の弦のように渡された紐は柔軟で、引っ張ればぐいん、と伸びた。
単純に〝飛石棒〟と呼ばれる、対人専用の武器だ。
もともと市井の子供や、力の弱い草ランクが護身用に持つ程度の、武器とも呼べない道具だった。人はより強い武器を求めるために需要は少なく、魔物相手に使えるほどの威力もない。
トールは基本短剣を装備し、手作りの飛石棒を持っていた。剣や弓の使い手と比較されれば舐められやすく、動体視力や反射神経に優れた相手にはそもそも当たらない、そんな道具にあの魔女が興味を示した。
そして改良した。握りの部分は手に馴染み、紐はより柔軟で強靭に、そして飛ばすものはただの小石ではなく、ひと工夫を施している。ちゃちな道具ではなく、それはあくまで対人専用だが立派な武器となり、セナ=トーヤはそれを〝スリングショット〟と呼んだ。
トールは大いに喜んだのだが……目ざとい職人があっという間に広めてしまい、ドーミアの店舗では〝スリングショット〟が普通に売られるようになってしまった。
俺だけの特別な武器だったのに、と、少年がしばらく不貞腐れたのは余談である。
先ほどトールが飛ばした玉は、棘付きの球体だった。それが結構な勢いで命中したので、男の手は肉が弾けて朱い飛沫が散った。
この男はおそらく人族、身体能力は常人並み。そして対物理攻撃の防御結界は張られていなかった。
「き、さまぁ……!!」
「…………」
トールだって、相手を刺激せずにやりすごしたいのは山々であったが、明らかに攻撃が来るとわかっていながら、それをのんびり待ってなどやれない。
この時点で、やはりこの男は危険人物で、手を構えようとしたところから、魔術士だと判明した。相手の様子を窺いながら、第二弾を構える。心臓がどくどくとうるさかった。
「……ぐ!? こ……れは、……何が……」
「……よっしゃ!」
棘付きの球は、表面に痺れ薬を塗ってあるのだ。自分の手が傷つかないよう、指の内側部分に加工を施した手袋をはめて扱う。
トールは第二弾を放ち、それもあっさり命中した。強い臭気がたちこめる。それは臭い玉と呼ばれ、当たれば腐敗物と香水をぶちこんでかきまぜたような悪臭が数時間は消えない。この臭いをつけられれば、まず半獣族の鼻からは逃げ切れないのだ。
踵を返し、トールは全速力で逃げ出した。いくら痺れ薬が効いていようと、まともにやり合う気は起きなかった。彼の勘は「全力で逃げろ」と訴えているのだから。
「ごの……ガキ……うがああああ!!」
「――ぅえッ!?」
背後から咆哮があがり、トールは信じられないものを目にした。
人族ではなかったのか?
いや、あれは何の種族なのだろう?
ローブ男の指が変形し、そして獣のように四つん這いになった。
そのままだらりと長い舌を出し、まさに凶暴な獣にしか見えない勢いで追って来る――四つ足の獣のように。
異常な光景に息を呑み、トールのかかとが石畳の割れた部分に引っかかった。
転びそうになり、咄嗟に体勢を立て直すが、もう遅い。
(ああ、馬鹿なことやっちまった)
無視しときゃよかった。
もしくは、変なのを見かけたと報告だけしておけばよかった。
カシム達なら、きっと子供の思い過ごしと一蹴したりはしなかったろう。念のために確認するか、騎士団へ報せるぐらいはしてくれたはずだ。
こいつの行方が結局はわからなくなったとしても、誰もトールを責めはしなかったろう。
後悔がよぎり、「あ、俺、ここで死ぬかな」とどこか冷静に思った。
その瞬間だった。
「トール!」
ずどん!!
間一髪で少年の目前に石壁が生え、その向こう側で何かが衝突する音が耳に届いた。
「え? ……え?」
「トール! 大丈夫か!?」
「怪我はないですわね!?」
「あ……」
聞き覚えのある声。四つの人影が、混乱しかけた少年を囲む。
前に立つのは年上の少年――いや、青年と呼ぶべき年齢には達しているはずだった。
「よかった、間に合って。後は任せろよ」
にか、と笑んだ群青色の瞳に、トールは本気で泣くかと思った。
どうしてこんなところにいるのか、そんなことは最早どうでもいい。
「すっっげえ!! アスファ兄ちゃん、マジ勇者みてえ!!」
「ぶッ!! ――おま、この状況でコケそうになることゆーなよッ!?」
アスファは赤面し、かなり本気で嫌がるのだった。




