25話 十六歳、違法奴隷 (4)
路面状態は良いとは言えないが、覚悟したほど馬車の乗り心地は悪くなかった。
もちろん揺れはあるものの、衝撃の緩衝装置については思った以上に技術が進んでいる。
陽が地平に隠れたら、暗くなるのは一瞬だ。
騎士達が手にしているのは松明ではなく、陽輝石と呼ばれる魔石だった。
暗闇で息を吹きかけるだけで、ほのかな橙色の光を発する。消したい時は蝋燭の火を消す要領で、少し強めに息を吹きかければいい。
水や強風にかき消されることはなく、短い棒の先端にその石をはめこめば、松明より何倍も使い勝手のいいライトのできあがりだ。
さすが魔法の世界。ひょっとしてドーミアの夜も、灯りは蝋燭ではなく陽輝石を使っているのだろうか。この機会に、昼とは違った町並みを見物してみるのもいいかもしれない。
そんなふうに呑気に眺めていると、灯りに照らされた騎士達の横顔が、妙に硬くなっているのに気付いた。
「…………?」
何故か空気がぴんと張りつめ、軽口を叩ける雰囲気ではない。
そういえば出発してからずっと、一人として言葉を発していなかった。
耳に届くのは、魔馬の足が力強く地面を蹴る音。蹄ではなく猫科の猛獣に似た足なので、足音はドッドッと鈍く響き、とても静かだ。
そして息を吐く音、車輪の音。この車輪も何の素材を使っているのだろう。
地表に接する際、あまり甲高い音を響かせない。間に分厚いゴムを挟んだように、鈍く衝撃を殺した、音にならない音がする。
(……なんか、やけに速度を出してない?)
パワーのある魔馬が引いているので、スピードを上げやすいのはわかるが、それにしても時速四十キロメートル前後は軽く出ているのではないだろうか。
単騎で全速力を出した場合とは比較にならないだろうけれど、積載量の多い馬車が出せる、限界ぎりぎりの速度で進んでいる気がする。
曲がりくねった道が多いので、余計に速く感じて結構怖い。
(……何かから逃げてるみたいな)
そもそもどうして野営をせずに、視界の悪い夕暮れの移動を強行しているのだろう。
逃げた連中が仲間を連れて追って来るのを警戒しているのか?
「…………」
違う。
なんだろう。
小骨がのどに引っかかったような違和感がある。
何かをうっかり失念しているような――
(――そうか! しまった……!)
がつんと頭を殴られたようなショックを覚えた。
そうだ。当然ではないか。
こんな基本中の基本を失念するなんて!
≪ARK・Ⅲ、さっきからみんなが警戒してるのってもしかして≫
≪魔物と思われます≫
≪やっぱり~っ!≫
念話で小鳥に確認をとり、瀬名は頭を抱え込みたくなった。
(ああああ、やっちまった……!!)
他にもっと方法はなかったのか自分!?
≪いいえ、マスター。あなたは短時間で制圧可能な最善の方法を選択されました。当て身で気絶させるには敵の人数が多く、時間がかかりすぎて現実的ではありません。また、一時的に意識を失わせるだけでは、仲間によってすぐに覚醒を促され、手間取っている隙に証拠隠滅をはかられる恐れがありました≫
≪そ、そっか……≫
ぐずぐずしていれば、この子らを始末されていたかもしれない。そちらのほうがより最悪なパターンである。
それに一度町に入られてしまったら、瀬名の前に立ちはだかるのは、他でもないデマルシェリエ辺境騎士団だ。証拠もないのに〝本物の〟王家の使者を犯罪者呼ばわりすれば、不敬罪やら反逆罪やらに問われかねない。
瀬名がドーミアで自由気ままにさせてもらえているのは、〝法に触れず一般の住民に迷惑をかけていない〟からであり、領主親子と親しいからといって、何でもかんでも勝手を通せるという意味ではなかった。
こっそり救出しようと思えば不法侵入するしかなく、優秀な騎士団の警備体制を出し抜ける確証はなかった。
ARK氏の悪智慧であっさり忍び込めたとしても、もしそれがバレた日には、彼らの面子を酷く傷付ける結果になったに違いない。
町に着く前に、短期決戦で。
ARK・Ⅲが肯定してくれたように、後付けの理由になるが、直感でとったあの行動が、あのとき瀬名が選び得る手段の中で、最も確実で間違いがなかった。
――問題はその後。
永遠に関わりたくないリストのワースト3に輝いているものを、自ら呼び寄せるに等しい行動を取りながら、その自覚がまるでなかったとは。
あまりのうかつさに、自分で自分の頭をしばき倒したくなる。
≪魔物、尾けてきてる?≫
≪少なくとも地表から上空、半径二十キロメートル圏内で接近する個体は確認できません。ただ、地下から接近するものについては精度が落ちるため、五キロメートル以上離れていた場合は確認不能です≫
≪はは……もしかしてやばい……?≫
≪ドーミア近辺の魔素濃度からいって、移動速度の速い地下の大型種の存在は可能性が低いと思われます≫
≪うん。でも小型種だって会いたくないし、言うまでもないかもしれないけど、一応警戒は継続しておいてください。お願いします≫
≪はい。承知いたしております。なお、EGGSも一部帰還させておりますので、双方の視点から索敵を続けます≫
頼もしい。つくづく有能な小鳥である。
しかしそうなると、あの御者を放置し、のんびり構えていたのも危なかった。
岩場は生い茂る草の向こうにあり、ちょうど隠れて見えにくくなっていたので、面倒でそのままにしておいたのだ。
記憶を辿れば、周辺に群生していた草木の種類はジャスミンやカモミールに似た香草で、臭い消しや香水などに利用される植物だった。半獣族の子供達が血のにおいに反応していなかったので、危険な魔獣や魔物に嗅ぎつけられる心配は低かったとみていいが、単にそれは偶然の結果に過ぎない。
騎士達は証拠としてその男の衣類をはぎとり、遺体を何かの魔石と一緒に埋め、何かの薬剤もまいていた。本来ならば、瀬名がそうしなければならなかったのだ。
今回はたまたま場所が良かったけれど、もし別の場所だったなら、対処を失念したせいで呼び込む危険は尋常ではなかったはずだ。
(こいつぁ反省しなきゃな……)
今まで一度も〝それ〟と接近遭遇せずに済んでいたのは、ARK氏の優秀な索敵能力により、完璧に回避できていただけなのだから。
しかも今回に至っては、小鳥にドーミアへ伝言を運んでもらっている間、瀬名ひとりで無防備な状態だった。
多分どこかにEGGSが一機はひそんでいたのだろうと思うが、あのタマゴ鳥達は偵察や探索に特化した遠隔操作型のロボット鳥なので、危険が迫っても念話で警告を発してくれる機能はない。
小さな頭がもぞりと動き、見おろせば、きらめく小さな双眸と目が合った。薄暗く、虹彩の色がよくわからないけれど、下がった眉がどこか不安そうだった。
ああそうか。自分の動揺はこの子らに伝わってしまうのだ。
ちょっと面倒である。だがしかし可愛いので許そう。
後悔は後でやればいい。過去の行動を今さら変えられはしない。
もし妙なものが寄ってきたら、その時はその時だ。
◇
進行方向からいくつもの灯りが見えた。
先頭をゆく騎士が片手をあげると、向こうも片手をあげて応える。
例の第二隊だろう。
「ご無事でしたか。首尾は?」
「問題ない。無事、被害者を確保した。このまま戻る」
「はっ」
二つの隊が合流し、混乱もなく速やかに陣形を整え、再び進み始めた。
道中、息苦しいほどの緊張がびりりと走り、怯えた様子の半獣族の子供達が、より瀬名の近くへと擦り寄ってきた。何故か安全地帯と認識されているらしい。
街道の周辺にいくつか、見覚えのない旗が立てられている。緋色の布をくくりつけ、地面に突き立てた簡素なものだ。
≪あれって何?≫
≪デマルシェリエ領内で使われる合図のひとつですね。〝数日内にこの近辺で血が流れた、警戒せよ〟という意味です≫
瀬名は再び頭を抱えたくなった。彼らは瀬名が絡んでいる時点で、賊ではなく対魔物の戦闘を想定して出てきたのである。
想像以上におおごとになってしまった。というか、おおごとにしてしまった。
瀬名は果てしなく猛省し、睡眠薬と麻痺薬の増量と常備を心に誓うのだった。




