258話 しぶとさが取り柄です
神殿にいられなくなった直後、ナナシはしばらく何をする気力も湧かず、呆然と彷徨っていた。
これからどうすればいいのか、今までの自分はいったい何だったのか。座り込んで考え始めると底無しのどこかに沈み込んでいきそうだったので、何も考えず、ひたすら機械的に目の前の道へ一歩一歩足を進めていくしかなかった。
身に纏うのは、役立たずの烙印を押された元神官用の服に、ボロボロのマント。荒行に励む神官が身につけることもあるので、誰かが気まぐれにほんのわずかな恵みを与えてくれることもあった。
粗食に慣れているおかげで、道端の草や木の実でなんとか食いつなげられた。神殿ではよく治療薬を調合しており、草木の種類に詳しくなっていたのも幸いだった。
のちに思い返せば、小さな幸いがいくつもあった。本当に無知で無力な浮浪者と比較すれば、ナナシはどこへも属せぬ者の中でもまだマシなほうだった。
そうして、ただ何日も、過ぎるだけの日が過ぎていった。
ある日、どこかの街道を通り過ぎようとした瞬間。
無数の星々のまたたく夜空を、炎とも光ともつかない、何か眩しいものが横切っていった。
それはわずかな時間で地平に消え去ってしまったが、ナナシに強烈な衝撃を与え、その日の記憶を胸の奥ににざっくりと刻みつけた。
――あれは、何なんだろう?
それを目撃したほぼ全員が、同じことを思っていた。しかしナナシの思考は、大多数の人々より一歩深く踏み込んでいた。
彼は思った。あれはいったいどこから来たのだろう。
そうして直感的に気付いた。世界は、今目の前に広がっているよりもっと広く、その周りにもさらに世界があるのではないか、と。
あの鮮烈な光が何者かの魔術ではなく、神々の奇跡でもないことをナナシは見て取っていた。視界にかかっていた靄が急激に晴れたような心地で、ひとつの問いが浮かび上がる。
――神々は、あれのことをご存知なのだろうか。
己の踏んでいるこの大地とは別の世界があるとするならば、それは神々のおわず天上界であり、恐ろしい悪鬼の住まう地獄界である。それ以外をナナシは想像したこともない。ならばあれは、天上界からやって来たものなのだろうか? ……何のために? そもそも、世界は本当にそれ以外には存在しないのか?
立ち寄った村や町では結構な騒ぎになっていた。狂った自分の頭が見せた幻覚ではないと知り、ナナシは安堵とともに、また次の村や町へ進む。浮浪者が長居を好まれないのはどこも同じだ。施しをくれる者も、「これをくれてやるからとっとと立ち去れ」という意味でやっている場合がある。そうして移動を重ねながら、あれが何なのかをどこで聞けるだろうかと思っていたのに――いつの間にか、それは噂にすら上らなくなっていた。
不思議になって、勇気を出して人に尋ねてみれば、「ああそんなこともあったな」程度の反応しかない。どこかの広大な森の辺りに落下したらしく、王家が兵隊を出してしばらく調査していたが、結局何も出てこなかったそうだ。それきりだと。
ナナシは愕然とした。天から光の塊が高速で夜空を突っ切っていったのだ。あれほどのことが、何故それだけで終わったと見做され、何故早くも人々の記憶が風化しかけている?
何かいいことがあったとは聞かないが、悪いことがあったとも聞かない。だから王家は調査をやめて、人々も目の前の生活に意識を戻した。――それでいいのか?
さらに勇気を出して、神官をつかまえて尋ねてみた。見るからに追放された元神官の風情であるナナシは非常に嫌がられたが、根気よく尋ねていけば、何人かは受け答え程度の相手をしてくれた。
やはり、彼らも何も知らなかった。隠しているふうでもない。本当に誰も知らないのだ。上では何かをつかんでいて、下の者には知らされていないだけなのか――いや。
違う。
上のほうでも、あれの正体を把握できていないのだ。
ただの勘である。だがこの世界では、実績のある勘の持ち主は決して馬鹿にできず、危険地帯の騎士団や討伐者には重宝されていた。
逆に神殿という環境では、己や仲間の命をギリギリで救い上げる〝勘〟のありがたみを実感したことのない者がほとんどだった。ゆえに、根拠のないそれは軽んじられる傾向にあり、ナナシも口にしたことはなかった。彼自身、そこまで自分の勘に自信を持っていなかったせいでもある。
けれど、あれは決して無視してはならないものだと強烈に感じていた。
ナナシは生まれ変わったように、街頭で神殿の批判を始めた。すべてがそうであるとは言わないが、彼の体験してきた神殿の実態は、決して清廉とも正しいとも言い難いものであった。
しょせん学のない男は、それ以外にやり方を知らなかった。馬鹿正直に批判を繰り返す彼の姿は当然ながら反感を買い、荒くれ者に目をつけられて痛い目に遭わされた。
そんな折、声をかけてきた人物がいた。言動の過激な元神官に目をつけるのは、何も荒くれ者だけではなかったということだ。
その人物は穏和で、ナナシとそう歳の変わらない、お人好しそうな男だった。神殿でいらぬ叱責や仕事を追加されないよう、相手の気質を読むスキルに磨きをかけていたナナシから見ても、まともで善良そうだった。
その男から誘われて、初めて至光神教の存在を知った。
正直、最初は二の足を踏んだ。真なる神など聞いたこともない。
しかし信徒を名乗る男の目は正常な人間のそれで、そんな教団などに属していれば世間からどう見られるか、ちゃんと自覚もしているようだった。
それでも遠慮がちに語られる内容につい耳を傾ければ、彼はナナシと似たような過去の持ち主と判明した。いいようにこき使われ、学ぶ機会も出世の機会もなく、けれど外に残した家族に累が及ばぬよう耐え続けた挙句、言いがかりで神官位を剥奪されてしまった。傷心を抱えて実家に戻った彼を、親兄弟は面汚しと罵倒して追い出したという。
ナナシも、耐えてラゴルスに仕え続けたのは、親兄弟がラゴルスの実家の使用人として仕えていたからだ。破門された不信心者をかくまっていると誤解されぬよう、実家に戻りはしなかったが、もし戻っていれば、やはりナナシも何故戻ったと罵倒されていたかもしれない。
互いに他人とは思えず、急速に親しくなった。教団の全容や歴史その他の詳細は下っ端の知る所ではなかったが、精神的な拠り所ができるだけでも大違いだった。
ナナシは学んだ。批判というものは声高に自分の考えだけを主張すればいいものではない。相手が耳を貸さなければそれで終わりだ。極端な話、内容の是非はさておき、まずは聞く耳を持ってもらえるような振る舞いが肝要なのだ。聞いてもらえねば、内容の良し悪しを検討する段階にすら進めない。
同僚となった男の物腰を参考に、ナナシは己の欠点を洗い出し、改善できるようになった。やってみれば難しい話ではない。己が思い描く神官として相応しい態度、そう意識して振る舞えば、周囲の視線が以前より明らかに和らいだ。ナナシは男に感謝したが、しかしどうしてか、最後まで彼を〝友〟と呼ぶ気にはなれなかった。
至光神教の崇める真なる神とは、つまるところ何者なのか――ほんの一滴の警戒心が拭い切れなかったのだ。
その男もまた、結局はそれが何なのかを知らなかった。知らぬまま、やはり親切な信徒に苦しいところを救われて、教団に参加したのだった。
抜けたほうがいいかもしれない。だんだん、そう感じるようになった。
ナナシは、己の過去すべてを打ち明けたわけではない。実際、話したのはおおまかな部分だけで、言えぬまま秘密にしていることはいくつもあり、なんとなくそのまま話さないほうがいいような気がしていた。
まるで誰かが警告を発しているようだと感じ、それに従った。のちにその判断が正解だったと判明する。
ある日、数名の信徒が迎えに来た。
代表者はどの角度からも善良そうで穏やかな、知的な雰囲気を纏う初老の男だった。
けれどどうしてか、ナナシの皮膚の表面を電流めいたものが走り、「行きたくない」と強く感じた。
そう感じているのはどうやら彼だけであり、教団の大切な場所へ案内すると言われ、逆らうことはできなかった。既に外には数名の信徒が控えており、逃亡は難しそうだった。
場所は秘匿されているからと、同僚の男とナナシの二人は目隠しをされた。緊張の中、どこか遠くへ黙々と案内されてゆく。時たま挟む休憩以外はすべて目隠し。星のある夜は絶対に外させてもらえなかった。旅慣れた者ならば、星の位置や角度でだいたいの場所に見当がついてしまうからだ。
何日経ったのか、「もうすぐ着く」と言われた頃、森の中をしばらく歩かされた。森の中に不自然な石畳があり――靴の裏から伝わる平坦な感触でそうあたりを付けた――無音の不思議な空間をしばらく歩き続け、ようやく目隠しを取ることを許された。
――。
果ての知れぬ巨人の洞窟。
いや、太古の大神殿だ。
どのようにこれを建造したのか、途方もない巨大な石柱が並び、見上げれば天井の闇に吸い込まれるかのごとく、遥か上まで伸びている。
薄ぼんやりと暗い向こうの壁に描かれているのは、単なる模様か、それとも歴史か。光源は見当たらないのにうっすらと視界が確保されているのは、石材の内部に微量の月輝石が含まれているかららしい。
ナナシと同僚の男は顔を見合わせた。互いに限界まで目を丸くし、鳥肌を立てていた。
ここは人の世にあるものなのだろうか?
案内された先に、古の巨人族が出入りしていそうな扉があり、信徒の男が触れるか何かをすると、内部へ向けて少しずつ開いた。数名が横になっても通過できる程度の隙間ができて、皆はその隙間の中に吸い込まれていった。
無事に帰れるだろうかと、通り抜けながら不安はいや増す。
内部は、以前過ごした神殿がいくつも軽く入りそうな祈りの間になっていた。何体もの巨大な神像と思しき御姿が壁と天井を支え、小さき者達を見おろしていたが、ナナシはそのいずれの顔にも記憶がなかった。
大勢のローブ姿の人々が周りをぐるりと囲んでいた。中央に、ひときわ豪華そうなローブを纏う老人がおり、ナナシ達はその前まで連れていかれ、跪いた。
『――新たなる同胞へ祝福を授けん』
老人は二人に、それぞれ小さな粒を与えた。小指の先ほどもない小さな粒は、丸薬ではなく何かの種に見えた。
その場で飲むように促され、ナナシは恐怖した。ともに連れて来られた同僚に視線をやれば、あちらも相当に緊張している様子だったが……意を決したか、その粒を飲み込んでしまった。
異変はすぐに訪れた。飲んだ直後、やり切ったような表情で息をつき、しかし急に胸や喉をかきむしって苦しみ始めたのだ。
絶叫をあげながらのたうち、四肢を痙攣させながらばたつかせ、近付くこともできない。周りにいる信徒達は、悠然とそれを眺めていた。つまりこれは彼らにとって、見慣れた光景なのだ。
絶句して呆然と見ているしかなかったナナシの前で、苦しみもがいていた男は、ようやく静かになった。絶命したのではなく、呼吸が見るからに落ち着いていた。
大丈夫かと声をかければ、ちゃんと返事がある。
けれど安堵する間はなかった。さっきまで七転八倒していた男が急に起き上がり、喜色満面で叫んだからだ。
『奇跡が……奇跡が! 私の力が戻った……!』
男は詠唱を口ずさんだ。強い魔力の気配が男を包み、転がる際に擦りむいた傷がみるみるうちに治っていった。今や溢れんばかりの喜びで、顔面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにし、男は改めて教団への忠誠を誓った。
ローブ姿の老人は鷹揚に頷いていた。周囲の誰もが満足そうだった。
ナナシは――ぞぞぞぞ、と震えあがった。
親切に声をかけ、教団に誘ってくれた同僚の男を、その過去に共感を覚えながら、どうして〝友〟と呼ぶ気になれなかったのか。
……そう。その男は、神聖魔術を扱えなくなっていた。
つまり、神々から資格を剥奪されるだけのことを、何かやっていたからだ。
善良そうで人の好さそうな人物であり、それについては疑問がなかった。だから漠然と、善良であるがゆえに、罪を犯さざるを得ない状況にでも追い込まれたのだろうかと、そんな想像をしていたのである。
親切に好意的に接してくれる人物を疑うのは、なんとも後ろめたい気分にさせられるものだ。自分の中で良い方向へ解釈しようと弁護する自分が出てきて、強引に自分を納得させてしまい、引っかかる何かから目を逸らしてしまう。
余談だが、後日〝サフィーク〟という人物を知り、もしやこの男はあれと同類だったのではと気付いた。
ナナシの秘密。
彼は、資格を失くしてなどいなかった。
だから彼は本当は、神殿を追放されはしても、未だに神々から認められている神官だったのだ。
それを誰に打ち明けることもなく、誰かの前で神聖魔術を見せびらかしたりもしなかった。人々にこれを披露すれば、一発で正当性の証明になるのだが、妙に意固地になっていたせいか、証拠として人に見せるのは嫌だったのだ。
証拠がなくとも信用してもらいたい、ひねくれた願望もあったかもしれない。二言目には「根拠を示せ」とこちらの忠言を頭から突っぱねていた、ラゴルスへの反感もあっただろう。
ここへ来て、それらすべてが、彼を薄皮一枚で救った。
ナナシは種を凝視した。震える手の平の上、ごく小さなそれのもたらす大きな恐怖。
これをどうすべきか、彼にはわかった。
緊張で止まりそうな心臓の音を感じながら、両手で顔を包み込むようにし、一気にごくりと飲み下した――ように見せかけ、内側の袖の中にするりと落とした。
一瞬だけ息をついて、そして胸をかきむしり、ごろごろ転がりながら苦悶の声をあげる。叫びながら暴れていればそれなりに苦しい気分になるので、ほどよく目も充血して、声も枯れた。
ぜいぜいと荒い息を繰り返し、暴れ疲れて半ば本気でぼんやりとしながら、神聖魔術の詠唱を紡いだ。ここが最大の緊張の瞬間だったのだが、幸いにして気付く者はいなかった。
ナナシの感覚では、同僚の得た力は神聖魔術〝もどき〟だった。そっくりでいて、よくよく注意してみれば違和感がある。
けれどその違和感も漠然としたものでしかなく、もし気付いても気に留めない者のほうが多いだろう。それに、違いに気付けるほど、高い練度を持つ者はこの場にいなかった。
虚栄、怠惰、裏切り……資格を奪われるほどの、何がしかの掟破りがあった者達。ここにいるのは、そんな者達の集まりなのだ。
(……慎重に動かねば、きっと消される)
しばらくは仲間のフリを続けよう。組織の実態を把握しなければ、おいそれと逃亡もできない。どの程度の規模で、どこまで手が伸びているものなのか……。
できるはずだ。今まで己が身につけてきたものすべて、無駄にはなっていない。
ナナシはローブの支配者に、床に頭をこすりつけるほど深々と下げた。感極まり、忠誠の言葉すら口にできず、ただ態度で示す――そんなふうに。
具体的な文言を口にするリスクを避けたのだ。出まかせでも、強制力が発生する〝場〟になっていては厄介だ。
それはむしろ自然で、先ほどから何度も感謝を繰り返している同僚の男より、このナナシという人物の落ち着きと静かな熱意、頼りになりそうな印象を周囲へ植えつけるのに成功した。実際、ナナシは二言目には「学がない」と己を卑下するが、頭の回転は速く、細部にまでよく気がつく。
それは皮肉にも、酷使され続けた使用人時代に、自然と培われた能力だった。
◆ ◆ ◆
「綱渡りと申しましょうか。用心深く日々を重ね続け、そしてようやく『今だ!』と相成りました次第です。ああ、長かった……」
「…………」
瀬名は「そりゃ大変だったね」とも、「うわ苦労したねえ」とも言えなかった。
思った以上に濃厚な話を聞かされて、言葉が出なかったのだ。
(なにこの、ラストダンジョン手前の村でようやく出会える情報源のカタマリみたいな男……!)
たびびとレベル1の段階では決して出会えない、なんでもっと早く出て来てくれなかったんだと苦情をぶつけてやりたくても無理な事情があったから仕方ない、そんな人物。
(ていうか、夜空を横切った光のうんぬんて、あれ私とARKさんなんだよな……どうしよう、なんか大仰な話になってないか? 別にみんなと同じように忘れてくれてても良かったんだよ?)
このへんは突っ込まれたら困る。瀬名はそのあたりには触れないよう、思いつくまま別の問いを投げた。
「話によると、教団は随分前からその変な力を持ってたみたいだけど、今まで大人しくしてたんだよね? 今になって襲撃を決めた理由は?」
「各地の魔物が急に強くなったり、いないはずの場所で目撃されたり、組織立った動きを見せ始めたからです。そのような兆候があれば、その時こそ教団の力を知らしめる時代が来ると、教主達は前々から言っておりました」
「……うーんと。それって、あれのことかな?」
「多分、お考えの『あれ』で相違ないかと」
ナナシが苦笑し、瀬名はその返しを聞いてピンときた。
「あんた、魔王が何者かを知ってた?」
「いいえ、存じませんでした。ですがそういう兆候があった時に教団が輝くとなれば、真なる神の正体にも想像がつきます。危険な魔物に力を与える元凶を討ち滅ぼす存在か、もしくは力を与える元凶そのものか、この二択でしょう」
太古の神殿で見たあの異様な出来事からは、後者の臭いしかしなかった。確信できたのはつい先日、おもに討伐者ギルドから流れてきたある噂だったという。
歴史上でも稀な強さと厄介さを誇る魔王が出現する場合、世界中でそのような兆候が見られる――。
「ちなみに帝国の【ナヴィル皇子】が魔王だったんだけど、もう倒しちゃったよ?」
「――。……倒しちゃったんですね、ほんとに……」
「うん。なのになんで決行することになったの? 単なる自棄?」
「こんな早く倒されるとは誰も思ってなかったからですよ……!」
「え。でも、あれから結構経ってるよね?」
「そんなに経っておりませんよ!」
首を傾げる瀬名に、背後で咳払いがあがった。
「あー、セナ? 悪いが、俺ぁそいつと同感だ」
「んむんむ。ふつーなら、今頃やっといろんな国の協力体制が整って、どこにどの軍勢を配置すりゃええかのぅ、ちゅー相談する頃じゃなかろか?」
「その前に、魔物の異常行動は察知できても、肝心の親玉の正体は、まだ確証が得られていない時期だと思うんだが……」
三対一で瀬名の敗北が決定した。否、四対一か。圧倒的である。
味方を得たナナシ氏はうんうんと頷いた。
「結論から申し上げますと、教団の規模自体はさほどではありませんでした。神殿や討伐者ギルドとは比較にもなりませんし、情報収集力にも難があります。ただ、ちょっとした犯罪組織程度の規模はあり、なおかつ一人一人が謎の方法で怪しげな力を与えられています。厄介なのがその能力で、それを除けばさほどの脅威ではないでしょう」
教団は特殊な組織で、平和な時代にいきなり規模が膨らんだりはしない。もしも魔王がこの世を恐怖のどん底に陥れていれば、教団に縋る人間は加速度的に増えたはずだったが。
そう、すべては【魔王】ありきなのである。
「たいした規模じゃなく、情報にも疎いってなれば、もっと早く逃げられたんじゃないの?」
「いいえ。さすがに一個人で相手どるのは不可能でしたし、教団がある限り逃亡者としてつけ狙われます。何より私は、教主達の妄信している真なる神と、彼らに力を与えた存在は別物ではないかと感じているのです。それこそが得体の知れない、真の脅威なのではないかと……」
裏ボス出現のフラグが立ってしまった。
いや、悲観することはないだろう。こちらから余計なちょっかいをかけなければ、スルーできる場合だってある。きっとそうだ。瀬名はそう希望を持つことにした。
(何もしなきゃ大人しくしてくれているか、放置していれば暴れ出すか、最低限そのどっちかを見極める必要性はありそうだけどね……)
しかし結構な長話になってしまったが、これらの話で、ラゴルスがどう関わってくるのだろう?
何故あの男を教団に誘ったのだ?
「――あの男のことが、心底、臓腑が煮えたぎりそうなほど、これでもかと、嫌いなのですよ。なので、徹底的に最低な目に遭って欲しい! 檻の中なんざ奴にとっちゃ罰になりやしません! どん底のさらに底までめりこんだ上で、これぞ破滅っていう破滅をとことん味わって欲しいからですね!」
「――――」
しまった、触れてはならない扉だったようだ。ほの白い月光が、ナナシ氏の周辺だけドロドロと昏く歪んで視えるのは気のせいだろうか。
瀬名は後退るも時すでに遅し、出るわ出るわ素晴らしい毒の数々。
やがて一周回り、感動を覚えてきた。実に徹底的な本気の嫌いぶりであった。
(うわーおおー、やばいこいつ、スイッチ入ったら滅茶苦茶やばい! 取り扱い要注意だわ!)
二周回る頃には麻痺して面白くなってきた。よくぞ罵倒のレパートリーが尽きないものである。きっと、長年溜め込んでいたに違いない。
だがこんな危険ブツでも、資格とやらが失われていない以上、この男には非がないと神々が認めているわけで。
確かに、呑まれそうな禍々しい憎悪のオーラさえ気にしなければ、ナナシ氏はどう聞いても被害者である。お坊ちゃん一家の都合で、問答無用で神殿に入れられた挙句、そこでも使用人としてこき使われ……お坊ちゃんの命令をつっぱねれば家族に累が及ぶかもしれないし、それでいてお坊ちゃんは何でも自力でこなせているつもりでいるし、だからナナシ氏に対して感謝の気持ちの欠片も抱かないとなれば……これは、相当に腹が立つではないか。
俗世との縁は切られると言っても、法的な縁が切られるだけであって、肉親は肉親だ。中には自分の息子のために寄付をはずむ金持ちもおり、それによって神殿内の待遇が変わることは、残念ながらあるらしい。
「た、大変だったんだねえ。ていうか、罪を犯して追放されたんなら、もれなく神聖魔術も使えなくなってるはずだよね? 何があったの?」
「神官長が、見習いの女性を手籠めにしようとしている現場に居合わせまして。殴り飛ばしましたら、何故か女性を襲ってたのは僕という話に。その神殿はそいつの御同類が何人も高い地位についてましたので、弁明など一切させてもらえませんでした」
「採用。具体的な雇用条件は後で詰めよう。休暇あり、衣食住その他支給あり、給金も必ず出すので安心するように」
「本当ですか!? やったーッ!!」
「おいこら――って、まあ、しょうがねえか……」
「うむ。かなり重要な話を、結局最後まで聞いてしまったしな……」
「情報を取るだけ取っといて、あとはポイっちゅーのもな~」
それもあるが、この男をヘッドハンティングしてきたのは小鳥氏なのだ。何故この男をという理由はここまでの会話でしっかり理解できたので、瀬名は承認するだけでいいのである。
《蛇足ですが、例の監獄は一部の神殿関係者とズブズブの癒着状態にありました。どうやら都合の悪い人物を片付ける処理場にもなっていたようで》
「あ、そうなんですよ。あそこは定期的に何らかの理由で囚人が減るんですよね。あいつは神官時代の功績を考慮してどうとかで、上のほうにある清潔で環境のいい檻に入れられてたんですが、ふざけた話ですよねえ。まあ、腐った連中の息がかかった施設だったので、奴を脱獄させる計画にも教団がすんなり前向きになったし、僕も遠慮しなくて済みました」
僕も危うくあそこに放り込まれそうになったんですよねーそうなってたら多分地下のほうですけど、などとナナシ氏は笑うが、想像力の無駄に豊かな瀬名は笑えなかった。
「と、ところで、神殿に入る前はどんな夢があったの? 今でもできそうなことなら、協力しないでもないけど」
「それでしたら、もう叶っております」
「へ?」
「子供っぽいと笑われるかもしれませんが……」
ナナシ氏は恥ずかしそうに頭をかいた。
「おとぎ話の、魔法使いに憧れていたのです。魔法使いなんて実際にはいないと馬鹿にされて、だったら魔術士の弟子になりたいと……それはそれで、平民のガキには無理だと馬鹿にされたんですがね。だからまあ、なんと言いますか僕は、魔術士に…………魔法使いに、会いたかったんですよ」
古きよき時代のRPGあるある?
ラストダンジョン手前に、何故村があるのか。
周辺の魔物がみんな中ボス級に強い。
見た目は素朴な村人の皆様、果たしてレベルはおいくつなのでしょうか……。




