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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
過去と未来
256/316

255話 絶対ろくなことにならないのに、どうして手を出すんだ


 厳しくも正しく、後進が模範とすべき高位神官の姿。

 誰もが彼を称え、未来の自分の理想を重ねる。それが今までのラゴルスという人物だった。

 しかし今や彼の生活の場は薄汚い牢獄の中に移り、鉄柵や石壁の向こうから響くのは祈りの文言ではなく、陰鬱な狂人の妄言ばかり。

 ラゴルスは檻の中で、始終無言で過ごしていた。けれど心の中でまで無言だったわけではない。

 不当な処遇への憤りを、暗く胸の内にくすぶらせていた。


 ――何故、私はこのような場所にいるのだ。


 ――何故、私がこのような仕打ちを受けねばならない?





 ラゴルスは裕福な家に生まれた。神殿に入ったのは十二歳になるかならないかの頃。

 一度でも神々に仕える者として神殿に属せば、完全に俗世の権利から切り離され、相続権を失う。もし実家が格の高い家柄で、もし直系男子の最後の一人になったとしても、還俗はできない。

 神職は軽々しくやめていいものではない。第一それを許してしまえば、後継ぎの代用品(スペア)として我が子を神殿に預けようとする輩が出てくるに違いなく、神殿を便利な保管場所のように使われるのは業腹であった。


 ラゴルスは後継争いを避けるために家から出された。彼はそれに抗わず、憎みもせず、粛々と従った。

 彼自身、無用な争いを望まなかったからだ。側仕えの少年を伴って神殿へ入り、見習いから始めた。実家から莫大な寄付があったと聞かされたものの、ラゴルスは特別扱いを固辞した。

 外野がどう憶測をめぐらせようと、彼は神々へ仕える己の道に誇りを抱いていた。生まれがどうあろうと、自分は他の子らと同等であり対等なのだと言ってのけ、神官達は少年の心構えに感銘を受けた。

 見習いから始めるには少々歳がいっていたものの、ラゴルスはあっという間に才覚を示し、どんどん位を上げていった。残念ながら、側仕えの少年はそこまで熱心ではなく――むしろ不真面目で、怠け癖があり、かろうじて下位神官にはなれたものの、そこから上がることはできなかった。

 そして、いつの間にか行動をともにすることはほとんどなくなり、どこかで何か罪を犯したと噂が流れてきたのが最後。それ以降、一度も名を耳にすることはなかった。


 ラゴルスは忘れていた。

 その少年の名前を、とうの昔に思い出せなくなっていることに。


 彼には悪癖があった。

 己は常に正しく、間違いがあるとすれば相手のほうである、と。


 はっきりと自覚してはおらず、ゆえにそう口にしたこともないが、彼の言動はすべてその確信に基づいている。

 否定意見を述べられても、理路整然と、それがさも真理であるかのように、最終的に自分が正しいという方向に持って行く。

 自分が正しいのは至極当たり前であり、それをねじ曲げて否定しようとする輩がいれば、やれやれ困ったものだと溜め息をつく。

 感情的にならないので、第三者から見れば正しいのはラゴルスのほうに見えた。


 彼は考えもしなかった。同じように神殿に入った側仕えの少年と彼は、同じ見習いではあったが、対等ではなかった。

 争いを避けるためとはいえ、我が子を不憫に思った親が、我が子の新たな生活を支える者として、同年代の側仕えをつけた。

 すなわちあの少年はラゴルスのために親が準備したものであり、少年自身の意思はそこに微塵も入っていなかった。

 そしてラゴルスと違い、彼は神官になりたいなどと望んではいなかった。身分が低く、使われる立場の層ではあったけれど、将来の夢を大切に温めていたのだ。

 けれど拒否はできなかった。下々が身分の高い相手に盾突いたら、それこそ、そこで人生が終わってしまう。

 そうして、彼の夢や希望は誰にも気にかけてもらえることなく、ラゴルスのために潰された。


 それだけではない。側仕えの少年は、決して不真面目でも怠惰でもなかった。

 自分の身の回りだけでなく、ラゴルスの身の回りも気にかけねばならなかったのだから、単純に仕事量が倍ほどもあったのである。

 さらにラゴルスが「特別扱いは不要」と宣言したせいで、割を食ったのはその少年だった。あのお坊ちゃんが余計な格好つけをしなければ、もう少しぐらい、自分達の――自分の生活は楽になったろうに。

 いくら対等と口先だけで言っても、長年かけて染みついた〝上位〟と〝下位〟の意識はそう簡単に払拭できない。ラゴルスは自分で自分の世話を随分できているつもりでいたが、比較対象は優雅な実家暮らしであり、面倒なほとんどは側仕えの少年にさせていたのだ。

 おまけに、これまで受けてきた教育の質も量も違った。

 片や教師をつけられて、ご令息としての知識や作法を身につけてきた若君。彼はこれからも、側仕えのおかげで空いた時間を使っていくらでも学び、己の目標だけを気にして有意義な日々を送っていける。

 片や使用人の子供として、毎日朝から晩まで働いてきた少年。神殿でも使用人とは呼ばれない使用人として働き続け、一日が終わる頃にはくたくたになって、自己研鑽どころではない。


 ――だから彼は、爆発してしまったのだ。

 もう駄目だ。もうやっていられない、と。

 ラゴルスはそれを聞いても、どうせあの男は向いていなかったのだ、と不愉快に感じただけだった。


 ただし祈りの間で、時折ふと、それは違うと空耳がしたような、そんな気がすることもあった。


 【他者の声に耳を澄まし 目を向けよ】

 【己が行い 百のうち百すべて正しいなど 有り得ぬ】


 ラゴルスを諭そうとしたり、夢の中で何者かが語りかけてくるような、そんなことがなくもなかった。

 けれど、いちいちそれに意識を傾けたりはしない。

 人々の話はいつだって真摯に耳を傾けているし、ラゴルスは視野の広い切れ者と高い評価を得ていた。

 迷いは打ち勝つための試練。いちいち惑わされはしない。

 己は過ちなど犯さないのだから。そう心を強く保っているからこそ、優れた神官たり得るのだ。

 敬虔な信徒として、日々己を磨き続けている姿を、神々もご照覧くださっているであろう、と。


 それにしても最近、何故か、神聖魔術の効きがあまりよくない。





 何故、あれほどに仕えてきた自分から資格を奪っただけでなく、このような試練を与えるのか。

 牢の中で、ジリジリと不穏な毒が臓腑を少しずつ蝕んでゆく。

 そんなある日、囚人達が散歩のために檻から出された時のことだった。

 どこかでつんざくような悲鳴があがり、破砕音が響き渡った。

 呆然としているうちに、音と悲鳴はどんどん近くに迫ってくる。それは潮騒のようにも、乾いた岩場の空洞を通り抜ける風の音にも聴こえた。


 周辺にいる看守や兵士が吹き飛んだ。頭からすっぽりとローブで隠した何者かがなだれ込み、囚人達は慌てて散り散りになった。

 そのうちの一人が、ラゴルスの腕をつかんだ。


「お久しぶりです、ラゴルス様」

「な、――なにもの、だ?」

「以前、あなたと学びを同じくした者ですよ」


 ローブをちらりと持ち上げ、その男は顔を見せた。

 頬骨の形がはっきりとした、痩せぎすの男。ラゴルスはその男に見覚えはなかったが、相手は人好きのする笑顔を浮かべていた。


「お迎えにあがりました。真なる神はあなたの苦境をお見捨てにはなりません」


 どうか我が教団で、しかるべき地位に就いていただきたい。

 そしてともに、真なる神にお仕えいたしましょう。


「…………」


 その言葉の意味を呑み込み、ようやく、ラゴルスは笑んだ。

 やつれた顔を、その笑みは「にやり」と歪める。

 そうだ、それでこそだ。私はこのようなところに居ていい者ではない。

 

 静かに狂喜するラゴルスは、気付かなかった。

 随分経ったとはいえ、面影は少しだけ残っていたにもかかわらず。

 その男はラゴルスがそういう人物だと知っていたので、ただにこやかに笑んでいた。


 それはかつて、傲慢な人々の都合に振り回され、絶望の中に消えていった側仕えの少年だった。




◆  ◆  ◆




 ――なんてことがあったとかなかったとか。


 小鳥氏の報告を受けながら、瀬名は無言でテーブルの隅を見つめていた。

 これはあれである。詐欺の手口だ。予告なしに情報を与え問答無用で巻き込むやつだ。


(何故誰もかれもが、その危険を甘く見るんだ……気軽に闇の扉(ダークサイド)の封印に触れてはならぬとあれほど!)


 瀬名はちょっと、小鳥さんの羽根をむしりたい衝動にかられた。

 報復が恐怖なのでもちろんやらない。思うだけである。


 ちなみに小鳥氏は今回、言葉のみの説明にとどめた。今さらというなかれ、この世界の人々を上映会に馴染ませてしまうのはよくない。

 便利さが広まってしまえば、瀬名が無用に引っ張りだこになってしまう。同様のものを作れと要求されても面倒だ。

 帝国の時は映像のインパクトで、瀬名が主導権を手にした。そのおかげでさまざまなことをスムーズに進められた。

 今回はそんな爆弾を用意せずとも、最初から皆が協力的で反応も早い。瀬名や小鳥氏の主導で進めれば、凄まじい勢いでもろもろが片付いていくと前例ができたからだ。

 余談であるが、某ラゴルス氏が「ニヤリ」とした頃、ちょうどその真横あたりに、保護色で周囲に同化したタマゴが堂々と撮影を行っていたらしい。

 二人の目鼻立ちから表情から、しっかり綺麗に映っているそうだ。いっそ哀れである。


「その男はおそらく、〝ナナシ〟だろう」

「――ななし?」

「邪神を祀る組織、現在は〝至光神による救済の使徒〟と名乗っているらしいが。そこの幹部だ」


 グラヴィス騎士団長が言った。

 そんなカルト教団、瀬名は小鳥氏に聞いた記憶がまるでないのだが。


「聞き覚えがなくとも無理はない。その教団は過去、何度も名称を変えている。首長や幹部が頻繁に交代し、そのたびに一新しているのだが、実態は同じものだ」


 いわく、輝ける至光神の翼。

 いわく、比類なき至光神の御手。

 いわく、全能にして慈悲深きなんたらかんたら以下略。

 騎士団長の渋い重低音が事務的に紡ぐ、きらきらネームが右手から左手の指に移るあたりで、瀬名は悟った。


(もしやその連中って、ちゅう…………いや、まさかな……)


 ちなみに教団名の由来は、いつの時代だかの教祖が「真なる闇は真なる光に通ずる」という真理に到達したからだそうな。


(やはり、ちゅう…………いや、よそう)


 すっきり略して至光神教。もうこれが正式名称でいいと思われる。

 構成員は、神々の恩寵を失った元神官。神殿から破門された人々。総じて被害者意識が強く、「私が見放されたのではない、私こそが偽神を見限ったのだ!」と主張している。

 活動内容は、町角で多少過激な説法を披露するだけの時代もあれば、物理的に過激な手段に訴える時代もある。これはその時のトップが平和主義かそうでないかで、組織全体の性質ががらりと変わるのだ。

 少し前、某所の牢獄が牢破りに遭い、襲撃者の手引きで元神官の囚人が行方不明になった。囚人の名はラゴルス。

 時を同じくして、某所の神殿から見習いが行方不明になった。「真実の神にお仕えする」と書き置きを残して消えた見習いの名はサフィーク。

 一匹は既に捕獲している。


 それはさておき。

 現在は過激派。テロの世代だ。




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