253話 別れと合流
いつも来てくださる方、初めて来られた方もありがとうございます。
※更新した直後に大幅に修正しました。といっても中身の順を変えただけですが。
誤字脱字とかも何故か更新した後で「あっ」と見つけたりします。何度も確認してるはずなのに…。
先触れを出していたおかげか、長蛇の最後尾に並ぶまでもなく、イシドールの兵がやってきて瀬名の馬車を貴人専用門へ誘導した。いつもなら「そんな特別扱いしなくていいんだけど……」と気まずく感じる場面だが、今日に限っては大歓迎である。
そろそろ気力精神力が底を尽きそうになっていたのだ。ほっとしている瀬名の様子を敏感に察知し、対面の男がもの言いたげにしているが、気付かないフリを決め込んだ。もちろん後が怖い。怖いが、怖いことは後で考えよう。
大荷物を積んでいるギルドの馬車と、ついでに商人の馬車の一行もそちらへ通してもらった。外門をくぐり抜けてすぐの広場で、一応の別れの挨拶となる。
身分差をわきまえている商人は、自分達も同じ門を利用させてもらえると思っていなかったようで、しきりに恐縮していた。
おまけに周囲をイシドールの騎士がさりげなく固め、なんだなんだと行き交う人々が遠巻きに眺めている。この〝奥様〟が相当に危ない御仁であると勘付いているであろうに、商人の笑顔に曇りはなかった。
「短い間でしたが、楽しい旅でございました! お名残惜しゅうございますが、いつかまた出会う機会があれば、たくさんお話ししてやってくださいませ!」
「こちらこそ、その時は仲良くしてくださいね」
騎士に見られているのが落ち着かないのか、用心棒の連中は大人しかったが、それでも残念そうに頭を下げて別れを惜しんでくれていた。
そして、「あなたは何者か」とも「どんな用事があるのか」とも、彼らはとうとう一度も尋ねることなく、大勢の人々の賑わう通りへ消えてゆく。
(あの人、実は名の知れた商人だったりするのかな? 商人ギルドってあんましお世話になったことないけど、今度チェックしとこう)
さて、と次はギルドの馬車に乗っていた面々に向き直る。
この場で積荷を乗せ換えるわけにはいかないので、乗客達にはここで降りてもらうことになった。
「ごめんなさいね、あなた方にはここから歩いてもらうことになってしまいますが……」
「いや、別にいい。我々の目的地はそう遠くないので、この父娘の道案内がてらゆっくり向かうとする」
「知人の経営してる宿がすぐ近くにあるんですよ」
聞けば、彼らの知人はこのイシドールに果樹園を所有しており、二人を雇い入れるよう口利きをしてくれるとのことだった。
「ほ、本当にいいんですか? よかった……!」
「あ、ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえます……!」
職探しという最大の難問が早々に片付き、父娘は涙も流さんばかりに喜んでいた。ひたすら顔色の暗かった父親も嬉しそうに拝んでいる。
拝まれたほうは苦虫を噛み潰したような顔で嫌がっていたが、従僕の青年は肩を震わせていた。これはどうやら、いつものことなのではなかろうか。
「やっぱ、あのおじさん良い人だなぁ」
「だねぇ」
微笑ましそうに見守っていたトール達は、カシムとカリムに引率され、討伐者ギルドのイシドール支部へ向かうことになった。彼らは瀬名の護衛依頼を請け負ってここに来ているので、任務完了の報告が必要なのである。帰りは同じくカシムとカリムに同行を頼み、いわゆる観光を兼ねた社会勉強をしながら、のんびりドーミアへ戻る予定なのだ。
例の馬車と数名の討伐者が到着しない点については、騎士団側から話を通すことになるだろう。
「この子達ってしっかりしてるから、別に俺らの引率なんて要らないんじゃあ……」
「つべこべ言うな。行くぞ」
「いてっ。……カシム、おまえここのとこ、なんか俺に対して厳しくない?」
「あ? んなもん当たり前だろうが。自分の言動をよーく振り返ってみやがれ」
「ええ~?」
方向が同じということで、主従と父娘の四人も途中までトール達と一緒に歩くことになった。無邪気に喜ぶ少女の笑い声に、子供達の快活な笑い声が重なる。
賑やかな一行の背中が遠ざかるのを見守り、ギルドの馬車の御者席に騎士が座っているのを確認してから、瀬名は再び馬車に乗り込んだ。
「っはぁ~、やばい。緊張してきた……」
気分は、これから怒られに行く子供の心境である。あんなトラブルさえなければ、到着後は騎士団の手をわずらわせることなく、フェードアウトする予定だったのに。
瀬名に呆れた視線を寄越し、対面の青年が肩をすくめた。
「瀬名よりもあちらのほうが緊張しているぞ」
「え、そうかなあ? 全然そんな感じしないけど? 今回は四度見五度見もされなかったし」
「……ここの連中はよく訓練されている。たいしたものだ……平然としているようにしか見えない」
「?」
首をかしげる瀬名と、微妙な表情の青年を乗せて、馬車は真っすぐイシドールの城へ向かった。
◇
山の頂に建設された神殿のやや下を、重厚な騎士の城と城壁が囲い込み、山裾に向けて様々な建物や道が連なって、街中にも幾重かの防壁がある。基本はドーミアと同じようなつくりの町だが、さすが本家、規模と貫録が桁違いだった。
水が豊富で、揚水装置だけでなく、山の何ヶ所からか湧き水があり、それが全体を潤している。透明で綺麗な水は、飲用水と洗い物その他の水場をきっちり分けられ、飲めば口当たりなめらかで、微かに甘味を感じる。
癖や苦味がなく軟水のようだが、強いて分類すれば硬水だろうか。ただし含まれる成分も異なれば、分類の基準もこちらでは定められていない。水は水だ。
ただ、この土地の水は酒造りに適しているらしく、デマルシェリエで最も有名な特産品は豊富な種類の酒である。そのための果樹園があり、ほかにも階段状の茶畑などもあった。
(水が身体に合うのって、よく考えずとも幸運だったよね)
水を問題なく飲めるのは最大の幸運のひとつだった。ゴミもなく、水底まではっきり見える水路の流れを目にするたび、瀬名は何度も思う。
空気も同じことが言えた。本来、大気の組成がほんの数パーセント変わっただけで命にかかわるのだ。この世界に来た直後、しばらくの間ARK氏が瀬名を〈スフィア〉から出さなかったのは、未知の病原菌の存在はもちろん、そもそもここの空気で呼吸できるかどうかさえ怪しかったからだ。
深呼吸ができて、水を美味しく飲める。今まで幸いだと感じたことはいくつもあるけれど、この二点については常々幸運を噛みしめていた。そうでなければ今も〈スフィア〉から一歩も出られなかったはずなのだから。
もしもそうなっていれば――瀬名は長期間籠もっていてもストレスなど溜まらないヒキコモリ人種を自認しているが、イケメンな猫や無骨で口下手な神官騎士、ひょほほと笑い方が愉快な爺さん、凛々しい騎士達やガサツだが気の良い討伐者達、成長が楽しみな子供達やたまにモフモフフカフカな尾を触らせてくれる灰狼、顔でこちらの目を潰しにかかってくる耳長の種族――その誰一人、一切の関わりを得られなかったのだと想像すると、別にあのままでも良かったんじゃんとは、今はもう言えない。
実際、あのままでも本当に困らなかったのだろうか?
数年間は間違いなく平気でいられた自信がある。けれど十数年後、数十年後は果たしてどうだったろう。
既に他者との関わりを持ってしまった現在となっては、もうわからない。
◇
城へ着くなり、馬車は止められることなくそのまま城門へ吸い込まれてゆく。
騎士に先導されて奥まった場所へ進み、訓練棟と思しき建物の手前の広場で停まった。
街中ではないので隠れる必要がないと判断したか、先にシェルローヴェンが扉をあけて降り、さりげなく手を差し伸べる。
少し緊張を覚えつつ、瀬名はしとやかに手を乗せて、ドレスの裾を引っかけないよう優雅な足取りで段差を踏んだ。
着替えてSFXメイクを完全に落とすまでが、なんちゃって奥様の旅なのである。こんなに念入りに化ける機会はどうせもうないのだから、せっかくだし、きっちり最後までやりとげるのだ。
と思っていたら、思いがけない面子と再会した。
「グレン!? それにウォルド、ローグ爺さんまで!?」
「…………はッ!? そ、その口調、やっぱおまえ、セナか!?」
ぽかーんと口を開けて目を丸くしていた三名が――若干一名、ヒゲモジャに隠れて顔半分が見えないものの――弾かれたように反応した。
「三人とも、なんでここに!?」
「いや、おまえさんがここに来るっつーから、先に来て待ってたんだけどよ!? ひえええマジかおまえ、すげえなそれ!? 滅茶苦茶いい女にしか見えねえぞ!?」
「ほ、本当にセナなのか? ……驚いたな……」
「ほひょ~、えらいことだの~! なんぞそのオチチは? 本物にしか見えんぞい! 卑怯ちぅか残酷ちぅか、騙された男の涙で大河ができそうだの~!」
「はっはっは、じゃない。……ほほほほ、そうでしょう? なかなかの出来栄えでしょう? 大変だったのですよ、この姿で旅をするというのも。ですが、わたくしもまだまだ無知で未熟と学ぶことが多々ありましたので、有意義と言ってよい旅でした。それにしても、ここで皆さんにお会いできるとは思っておりませんでしたので、とても驚きましたわ」
「――う、上手いな。違和感が全然ないぞ……」
「こんな特技まであったんじゃの~……」
「やべぇ、むしろ違和感ねえのが怖ぇ。王子サンと並んでる絵面とか、どこぞの妖婦と愛人にしか……」
「失礼ですわね!」
聞き捨てならない感想に文句を言いかけたところで、咳払いが割って入った。
イシドール騎士団団長、マクシム=ディ=グラヴィスだ。
その両脇に立つのは――顔だけはつまらなそうに見えるエセルディウス、そして遠目では美女と見紛いそうなノクティスウェル。
この二人まで来ていたのか。瀬名は少々本気で驚いた。
「あなた達も来ていたのですか」
「アークに呼ばれてな。兄上に少し遅れてここに着いたばかりだ」
「そうですか……」
「にしても、それ、本当に上手いな、瀬名」
「何度見てもびっくりします。装いだけじゃなく、口調も振る舞いも完璧ですよ」
「そうですか? ありがとう」
ふふ、と微笑む瀬名に、きらきら瞳を輝かせる兄弟二人。一方で、討伐者の三名はぞぞ……と悪寒を覚えていた。
完璧過ぎて恐ろしい。中身を知らなければ、確実に騙されていたであろう。
(うお……こいつ、このカッコだとマジで魔女だわ……)
(実はこちらのほうが本来の姿……ということはないか。うむ、ないな。それはない)
(今度このカッコのセナと、祖父さんのフリして一緒に酒場行くっちぅのはどうじゃろ? 阿呆な男がオゴりまくってくれそうだわい。そうなりゃ飲み放題、食い放題……)
瀬名のこれは、二次元文化に慣れ親しんでいるがゆえの一発芸に等しく、長期間保つものではないのだが、知らない者は色々想像して素直に驚嘆するしかない。
グラヴィス騎士団長が困った顔をしているのを見て取り、瀬名はお喋りをさっさと切り上げることにした。貴婦人への美辞麗句は騎士のマナーのひとつ、という文化は中央のほうにはあるが、辺境にはあまりない。ゆえにそういうものを苦手としている人種が多く、この騎士団長もそのひとりだった。
女性への態度や気遣いは細やかで丁寧に。それは基本中の基本という認識だが、洒落た賛美を雨あられと口にするスキルは別物なのだ。
「例の積荷、ここで確認していただいていいのでしょうか?」
「構わん」
重々しく騎士団長が頷くのに、他の騎士達が目線で瀬名に許可を取り、ギルドの馬車から氷の塊をすべて転がり落とした。構造が荷馬車だったので、内部がそこそこ広い上に、金具を外せば簡単に中身を出せるのが幸いだった。
ちょうど足もとに転がってきた氷内部の顔面を見おろし、瀬名はふふ、と笑んだ。――狂乱のまま凍りついて、時が止まったサフィークだ。
瀬名は優美に片足をあげ、ゲシッ! と氷を踏んだ。踏んだのは氷であって顔面ではないのである。
「騎士団長様。お伝えしたかと思いますが、これらが例の、いたいけな少女に乱暴狼藉を働こうとしたゲスどもですわ」
「そ、そうか。実に許し難い者どもだ」
氷を足蹴にしながらふんわりと微笑む麗しい魔女に、騎士団長はかろうじてそう答えた。
カシムとカリムはスパイをやっていた過去があるので、なんとなく騎士の城には苦手意識があります。潜入する所であって招かれる所ではないというか…。
さりげにセクハラ発言しても、サラッと許されるローグ爺さんが実は一番得な立場でしょうか?




