252話 ある意味で最強の敵
岩山と緑と平原の融合する雄大な景色の向こう、長大な壁に囲まれたイシドールの町の威容が明らかになった。
少し前に小雨が降ったばかりの空。厚めの雲と晴れ間と垂れさがる陽光のカーテンが、見る者の敬虔な気持ちを促す宗教画の世界そのものだった。
かなり手前からでも、濡れて煌めくその町の規模は相当なものとわかる。ドーミアの町周辺がホームになっている瀬名だったが、やはりこちらがこの領のメインだったんだなと、今さらながら実感してしまう。
ドーミアよりも大きい。そして大きいものは、それだけで迫力が違う。それを建設した歴史について思いを馳せずにいられないし、維持管理だけでも人やコストや技術その他もろもろ、地力の大きさが伝わってくる。
この世界の土地建物をだいぶ見慣れたつもりだったけれど、改めて感動を呼び起こされずにいられなかった。
「何であれが町なわけ? 都市でいいしょ、立派な城塞都市。釈然としないなぁ」
「単純な話、土地面積あたりの人口密度が都市の基準に満たないからだろう。港町のように余所から稼ぎに来た者が多く、一見すれば人がひしめいていても、住民権を持つ領民は見た目の印象よりも少ない」
窓から馬車の行く先を見つめ、つい漏れたぼやきに、対面に腰を落ち着けている青年から現実的な回答があった。
どうやら瀬名がそれを知らないと誤解したようだ。彼らにとって意外な場面で無知なところをたびたび見せているので、早とちりとは言えない。
「すまん、これは知っていたか」
「うん。単に、気分的に納得できないだけ」
「そうか。――先ほどのように言ったが、わたし個人としても、その理由の半分は建前に過ぎんと思っている。辺境は国にとって要所でありながら、そこを治める者は中央から田舎者と蔑視されやすい。加えて、不利な条件下でありながら土地を栄えさせた統治者は、民衆からは慕われるが、他の統治者からは妬心を抱かれる」
「妬心ねえ。適度なら競争力の向上になっていいんだろうけど」
「過ぎれば醜い足の引っ張り合いしか生まんな。実際、我々から見てもイシドールは都市と呼ぶに相応しい。一定の土地を占める領民の数だけではなく、所得や貧民層の少なさ、集まる人やモノの量と質も含めて考えれば、余裕でそれに値するのだ。なのに町という評価に甘んじてきたのは、辺境に過ぎた栄誉を与えたくない中央の連中から、いらぬ敵意を買わぬためだろう。まあ、今ならその心配が減っているとはいえ、あの辺境伯のことだ。わざわざ改めさせたいなどと望みはせんだろうな」
「うん、名にこだわらずに実を取る人だしね。それにしても、前々から思ってたけど、あんたらって人嫌いで基本は排他的な割に、人の社会に詳しいよね?」
人という種族に詳しいからこそ、嫌いになった。相容れないと確信するだけのことがあった。
それはそれとして、現在になっても随分と詳しい情報を集めているではないか。
「嫌いなものをいちいち知りたくなんてない、って思ったりしないわけ?」
「知らなければ対処できなくなるではないか」
竹を割ったような明快な答えが返ってきた。
「それに、理解し難いことは多々あれど、万事理解できんわけではないぞ? ――わたしも嫉妬ぐらいするのだからな」
と思ったら、しなる竹が予想外の方向から直撃した。
(統治とか種族とか国家レベルの話題から、いきなりそこに繋げるか!?)
瀬名は必死で窓の向こうに意識を集中した。
もし、ここで「へえ、そうなんだぁ、意外~」などと、ぽやぽやな反応ができる小娘だったなら――。
(この年齢まで生存できてなかった気がするな……)
いや、そうとしても、この状況下に限定すれば、何も知らず安穏と過ごせていたろうに、と夢想してしまう。
己の横顔にじ、と視線を向けられているのを感じた。見なくともわかる。きっとつまらなそうな腹立たしそうな、どこか苛ついた気配を漂わせ、涼しげな無表情の面には、翠の双眸が燃え立っている。
(お…………落ち着かないよぅ!!)
合流してからこっち、てっきり雪足鳥でつかず離れずの距離を保ってついて来るとばかり思っていたシェルローヴェンは、普通の人間の美青年のふりをして、瀬名の馬車に乗り込んでしまった。
耳が隠れる範囲をターバンのように布で巻いている。精霊族の装いと合わせ、それがいっそう異国情緒を醸し出し、異国風の奥方様に化けた瀬名と並べば絵のようにしっくりくるのだが、当人達はそれを狙ってやっているわけではない。
感情を窺わせない無表情同士で、内心まるで穏やかではないのだった。
「『誰に』とは訊かないのだな?」
「…………」
お願い突っ込まないで! あたしのライフポイントはもうゼロよ、マイナスよ! と瀬名は叫びたくなる。
(あはは…………私が仲良くしてる相手、全員、ですよねー?)
細かく言えば、一定以上の信頼を置き、頼る相手。とりわけ可愛がっている相手。気兼ねなく冗談を言い合える相手。心を傾けている相手。
トール、レスト、ミウは幼いから排除には至らないものの、そろそろ〝子供〟と呼ぶ基準から外れ始めている。二~三年後はわからない。ただし、精霊族は子供を大切にする種族なので、現在は彼も基本的に可愛がるスタンスだ。
本格的に気に入らないのは――彼が今、苛立っている最大の原因は――カシムとカリムだ。
遊び半分、真面目半分、個人的な模索の旅の道連れに瀬名がこの二人を選んだのは、誰がどの角度から見ても護衛として不自然ではないという理由からだ。
それは彼だって百も承知だろうが、いつもと違う装いの瀬名に特別に同行を許された、それだけで気に入らないのである。
カシムとカリムに妙な野心はない。この二人は瀬名に害をなさない。時と場合に応じた適切な人選である。重々承知しているが、理屈ではないのだ。
理性的に見えて、その実は感情型。今はかなり激情型へ片寄っている。
感情的になっていても、理性を優先できる瀬名とは真逆なのだった。
まさか私相手にそんな、といくら否定しようにも、「ここにいるのが自分でないと仮定すれば、これはどういう状況なのか」と、他人に置き換えれば明白になってしまう。
自分以外の男が、瀬名と親密さを漂わせるのが気に入らない。その瞬間、纏う空気がひんやり涼しくなり、視線に至っては氷点下。――これを気のせいと言い張れる回数はとうに過ぎた。
そしてこの男が、瀬名の察しているであろう内容を正確に感じ取りながら、まったく否定しないのが決定打だった。
(うぅ、気がつまる、息がつまるよぅ。こーゆー時って、どうすりゃいいんだぁ!?)
経験不足なら経験不足らしく、無知で鈍くて気付けないパターンだったらよかったのに――瀬名の頭を占めるのは、解決に何ら寄与しないタラレバばかり。
何より救いがないのは、混迷を極めてグルグルしている中身が、間違いなく相手に筒抜けになっている事実だった。
≪あぁ~くさぁあ~ん!! かむばーっく!!≫
≪現在、上空より索敵中です。緊急事態でなければ後日にしてください≫
≪いや緊急事態だから!? とっても助けに来て欲しいんだけど!?≫
≪私が戻ったところで解決するとは思われません。私、ただの小鳥ですので≫
嘘つけーッ!! と心の中で絶叫するも、「忠実な」のあとにハテナマークが百個ほど付随する無情な小鳥は、淡々と告げるだけだった。
≪外野が無用に割り込んでも事態は悪化するだけです。ですので、ご自身で何とかしてください≫




