251話
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――【失敗したようだ】
――【計画性のない暴走 判り切っていたこと】
それは肉声による会話ではなく、高密度の〝意思〟の接触であり、凝縮された時間の中でやりとりされる高速の〝情報交換〟であった。
――【例の〝組織〟は関わりがない 知れば頭を抱えるに相違ない】
――【どう出るか 我らは敵と見做されるか?】
――【傍観を嫌悪し敵対行為と断じるならばおそらく】
敵意はない。けれど様子見を決め込んでいたと言われれば反論はできない。
敵か否か。害悪か否か。かつてあれが出現した当時、あまりにも判断材料が少なく、まずは判断材料を増やさねば結論も出しようがないと意見は一致した。
そしておよそ七年が経過。あれがいったい何者なのか、未だ彼らの中で結論は出ない。
◆ ◆ ◆
『滅びの波が押し寄せ、世界は一度混沌に還りかけた』
『神々は地の奥に逃れ息をひそめ、絶え間なき嵐をやり過ごす』
『やがて太陽の神々と月の神々が産み落とされ、狂った天と地の調律を行い、世に再び平穏をもたらした』
叡智ある種族の創生神話は、まずこの記述から始まる。それ以前の記録は、彼らのもとに形として遺ってはいない。
創生と呼ぶより、それは再生神話だった。神話の記述の一部は秘され、叡智ある種族の中でも一握りにのみ伝えられている。
『神々には二種類存在した。旧時代の神々と新時代の神々だ』
『この地に存在するあらゆる種族がその身に魔力を帯びており、神々の帯びる魔力は特別に〝神気〟と呼ばれる』
『旧時代の神々は、一切の魔力、すなわち神気を持っていなかった』
『この世が滅びの危機に瀕した際、前者はほぼ死滅し、生き残ったわずかな後者が、現代においては時に人々に加護を与え、神聖魔術の恩寵を与える存在となった』
人の世に継承された知識は、すべてこれ以降の歴史だ。しかし人ならざる者には、それ以前の世界を憶えている者がいる。
具体的には――当事者が。
◇
昔、天の彼方から偉大なる神々が降り立った。
神々はこの世界の大地を気に入り、膨大なる叡智と絶大なる力でもって、超大国を築き上げた。
神々のもといた世界は、過ぎた力と慢心によって滅び去っていた。その反省を生かし、次は同じ轍を踏まぬようにと、彼らはこの世界を大切に育てていった。
神々は彼らによく似せた姿形の〝ヒト族〟を創り、労働力とした。しかしヒト族は忠実で役に立つが、あまりに脆弱だったため、さまざまな獣とかけ合わせ、より強靭な〝半獣族〟を創った。
その他も役割に応じたさまざまな種族を創り出し、順調に彼らの理想が形になってゆく上で、ひとつ大きな問題があった。
――もともとこの地に住んでいる、先住種族の存在である。
尖った耳。精巧な彫像のごとき麗しい容姿。優れた頭脳。
彼らはこの世のすべて、森羅万象に満ちる力を〝聖霊〟と呼んで崇め、自らを眷属である〝聖霊族〟と称し、〝魔力〟と呼ばれる力を自在に操ることができた。
神々と聖霊族は反目し合った。世界の支配権をめぐって何度も戦が起こり、しかしなかなか決着はつかない。
神々の〝神気〟は凄まじく、強力な神器を振るい聖霊族を追い詰めたが、いかんせん彼らは数が少なかった。
一方、聖霊族は神々の神器ほどではないが強力な武具を扱い、神々に迫るほどの魔力を誇り、何よりもとからこの地に住まうだけあって、数が多く地の利もあった。
今日、多くの種族が――とりわけ半獣族が――精霊族を本能的に恐れるのは、この時の戦で最前線に駆り出され続けたため、その恐ろしさが血と魂に刻まれてしまったからだ。そして彼らが神聖魔術を扱えない理由は、強靭な肉体を持つ生き物にそれ以上の力を与えぬよう、そもそもそう創られていたからである。
どちらかが滅びるまで永遠に続くと思われたその戦いは、思わぬ形で唐突な幕切れを迎えた。
新たなる脅威とともに。
〝それ〟は天から降りてきた。
神々の誰かが言った。【まさか、追って来たのか】と。
〝それ〟は以前、彼らの世界を滅ぼしたのと同じものだった。
新天地に舞い上がり、神々は忘れていた。自分達がこの地へ降り立つことができたなら、後に続くものがいても何ら不思議ではないのだと。
何より、彼らの足跡を追って来たのなら、なおさらここへは辿り着きやすかったに違いない。
〝それ〟は異形だった。
身の毛のよだつおぞましい姿。
いくつもの眼球。いくつもの手足。無数の牙に無数の爪。
皮膚の表面に臓器が浮き出たかのような、ドロドロにとけかけた軟体生物のような。
そして、山のように巨大だった。
――混沌の神。
太古の力を手に入れんと欲した神々が、触れてはならぬ領域に踏み込み、招いてしまった神。
それが神々の故郷を滅ぼし、そして今また、新天地へ追ってきたのだ。
その神には善も悪もなく、慈悲も無慈悲も、滅ぼす気も救う気もなかった。
ただ、何者より明白な、論じるまでもない絶対者としての存在感があった。
数多の目はあらゆる天を、あらゆる地を見通し、数多の腕と数多の足はこの世の至る場所に伸びた。
〝それ〟は進むたびに地獄を産み落としながら、神々も聖霊族もその他種族も構わず、一切を呑み込み平らげていった。
その混沌の神々こそが旧時代の神、〈ディーヴァ〉であった。
〈ディーヴァ〉には、魔力も神気もまるでなかった。生き物のように蠢いているのに、生命力はあるはずなのに、どうしてか在ってしかるべき〝力〟がない。
にもかかわらず、目の当たりにした瞬間に死を覚悟せずにいられないほど、圧倒的な存在力だけがあった。
それは、この世界の理の外から訪れたものである何よりの証左だった。
異形の神々に生半可な攻撃は通じない。もはや神と聖霊同士で争っている場合ではなかった。あるいは彼らの衝突が、無為に死と破壊と血の臭いを撒き散らし、遠くで微睡む異形の神の関心を引いてしまったのか。いずれにせよ、もはや手段を選んではいられなかった。
混沌に支配された時代は長く続き、その間に天からは太陽と月の光が失われてしまった。どうやってか、あれらが喰らってしまったのだ。
神々と聖霊族とその眷属、しもべ達は霊山の地下に逃れた。大地を流れる途方もない〝力〟に満ちた聖域の中で、神々の一部は自らの肉体を脱ぎ捨てる決意をした。それだけの叡智と技術と〝力〟があり、聖霊族の助力も得て、それは無事成功した。
――永遠にも近い時間と、無限のような精神世界の広がりを得て、初めて理解した。
あの混沌の神々は、この世の調停者なのだ。
「無為に死と破壊と血の臭いを撒き散らし……」――奇しくもそれは当たらずとも遠からずだった。世界中で戦を引き起こし、とてつもない力同士がぶつかり合い、数多の命を消滅させ、混乱と歪みを招いた時に〈ディーヴァ〉はその場所へ現われる。そうして、正も負も関係なく、そこにある〝力〟の一切を喰らい尽くし、腹の中に蓄えたあとは、地下深くに潜り込んで眠るのだ。ただ何もせず、ひたすらに。そういう存在だったのだ。
理解して初めて、神々と聖霊族はそれらの封じ込めに成功した。むろん容易ではなく、長い年月を必要とし、犠牲も出たが、恐るべき神々は眠りについたのだ――この星の遥かなる最奥で。
新たなる太陽と月を創造し、彼らは再び地上に出た。
無数の大陸は海に沈み、無事に残っている大陸もさんざんな有様で、到底住めるような環境ではなかった。
それでも希望は思いのほか多く、生き残った者達の共存できる唯一の大陸が〈アトモスフェル大陸〉だった。
肉体を脱ぎ捨てた神々は〝新時代の神〟として、人々の信仰の対象で在り続けた。
血と肉を持った神々はヒトや他の種族とも交わりつつ、その子孫は〝半神〟として伝説に記される存在となる。
聖霊族は聖霊とともに生きる民として一線を引き、増長を己に禁じる意味で種族名を〝精霊族〟と読み替えるようになった。
悪しき遺産もある。この世界にはもとから〝魔物〟が存在したが、その一部は撒き散らされた地獄の影響で、よりいっそう凶悪になっていた。
それでも大抵の苦難は乗り越えることが可能な段階になっているだけ、随分ましになったと言える。
やがて大陸は息を吹き返し、生命が増え、各地に国が興り、いつしか十万年ほど時が流れていた。
◆ ◆ ◆
〝それ〟は天から降りてきた。
その存在は新時代の神々よりも、今は眠る〈混沌の神々〉を想起させた。
神々は〝それ〟に対し畏怖を覚えた。彼らは自分達の今いるここが、星々の中のひとつだと知っている。
彼らは魔力や神気、聖霊、そういった共通の理を持つ、同じ星域にある別の世界からやって来て、この地の神になったことを憶えていた。
しかしあれはもっと遥か彼方、途方もない深淵の闇、理の異なる〝外〟からやって来たものに相違なかった。
外見は不思議とヒト族にそっくりなのに、その在りようは混沌の神々のほうによく似ている。
魔力はなく、なのに強大な力を振るう。生半可な攻撃は通用せず、善も悪もなく、正も負も一緒くたに喰らい尽くし、圧倒的な存在力を内包しながら、ただ微睡むのを好む。
――【あれはいったい何者なのか】
未だ彼らの中で結論は出せないでいる。
ただ明確なのは、敵対行為が最大の愚行であるということ。平穏を乱さねば、とりたてて〝それ〟は何もしない。
ヒト族の帝国がひとつ、あれの手によってあっさりと崩壊した。だが被害に遭ったのはその国だけであり、ほぼ自業自得な上、ほとんどの国に余波は生じていない。
――【だが愚者は禁域にあえて突き進む 今後も注視すべき】
――【度を越すようであれば介入を 加護を与えし者にも警告を発そう】
揺り起こしてはならない。
何者かは不明でも、それだけははっきりとしているのだから。




