250話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (11)
誤字脱字報告師様、ありがとうございます!
時は少し遡り。
ものすげえイイ女が来た、と最初に騒ぎ始めたのは半獣族だった。
それを耳にするともなく耳にして、関所の村の騎士は「とうとう来たか?」と身構えていた。
その後も「俺んちの前を歩いて行ったぜ!」だの「俺の店の串肉、うまそうに喰ってくれたんだぜ!」だの、浮かれた連中が何度も詰め所に訪れては、自慢げに詳細な情報を寄越して行ってくれた。
正直言って、騎士達にも興味はあった。だが彼らはこの時点ではまだ、自分達には関わりのないまま通り過ぎて行くとばかり思っていた。
だからその夜、騎士の詰め所に現われた怪しい魔女の姿に、ぶったまげるなんてものではなかった。
(嘘だろ、ほんとに来た!? 本物!?)
(え……あれ!? 少年じゃなかったのか……!?)
(た、確かに、化けているという噂だったが……し、しかし、このお姿は……実に……うむ……)
(いかん、落ち着け、失礼があってはならん! それにしても良いおみ足だ、けしからん……いや待て落ち着けっ)
しかし、夢魔の罠に嵌まったようなひとときが過ぎ去ってみれば、一瞬で終わったような虚脱感と、奇妙な酩酊感と高揚感が残った。
思い返せば相手の話を全肯定しかしていないな、と後に気付いたものの、何故か彼らの中に悔いはない。
「しかし、あんなに半獣族が騒いでた割には、周りが静かだな? 遠巻きにしている感じがするというか、奴ららしくない」
「あれのせいではないか? ほら、魔女殿の……」
「ああ、身分証か」
討伐者ギルドのそれに似せて作ったと思しき首飾り。薄い白銀の板には魔法使いの名とともに、デマルシェリエの紋章と、その隣にもうひとつの紋章が刻まれている。
「まさかあの紋章を目にする日が来るとは思わなかった。聞いてはいたが、本当だったんだな」
聖狼と耳の尖った女王の紋章――精霊族の紋章だ。少し前に上の方々は魔女や精霊族と協力し合い、結構な大捕り物をしていたと聞いているけれど、彼らは参加できるほどの立場や実力がなかった。
小さな村に常駐する下っ端騎士にとって、それらはまだ伝説の領域であり、どこか遠くの、手の届かない世界の物語だったのである。
「奴らは本能的に危険を嗅ぎ取ったんだろうな。羨ましい特技だ」
美女の正体を知らずとも、あの紋章の存在が彼らの本能にそこはかとなく訴えかけ、遠ざけていると思うのはあながち的外れでもないだろう。
騎士達に心残りがあるとすれば、ひとつだけ。――もっと話を長引かせれば良かった。
事情聴取をすんなり終わらせてしまい、重罪人の移送を一任すると言質も与えてしまった。
冷静に考えれば罪人側がすべて氷漬けで、ひとことの弁明もさせてやっていないのに、それらが罪人であると鵜呑みにしてしまった公正さの欠如も問題である。
いくらあの刺激的な衣装、惜しげもなく晒されたすんなりと長い脚に、全意識を奪われていたからといって――。
彼らはイシドールへ二羽の伝書鳥を飛ばした。一羽は上への緊急報告。そしてもう一羽の書筒には、仲間へ向けて今夜の出来事を、それはもう熱を入れて書き連ねたものを仕込んだ。
無事相手の手に渡ったそれは、イシドールの騎士達の間で密かに、それでいて凄まじい熱気と勢いで回し読みが行われたのち、さりげなく厨房のかまどへ葬られた。
◆ ◆ ◆
早朝。
前夜の内に宿で頼んでいた朝食を味わい、商人の馬車は用心棒を連れてイシドール方面の門から出た。
商人の父もまた旅商人だった。早くに母を亡くした息子を連れて、方々の土地を歩き回る父に、どうしてそんな危険なことを、と善意から尋ねる者は少なくなかった。
ひとつ所におさまって暮らすのと、さまざまな土地を渡り歩くのとでは、圧倒的に後者のほうが危険だ。そんな時、大抵父の返す言葉は決まっており、長じて旅商人になった息子も、その言葉を己自身の言葉として胸に刻んでいる。
そこそこ危険でつまらない平凡な旅路を何度も繰り返していると、ごくまれに、とても面白いことがあるからだ、と。
こちらから不躾に探そうとしてはいけない。偶然ささやかな出会いがあれば素直に喜び、その特別な出会いを大切に胸に仕舞って、さりげなく通り過ぎるのが肝要なのだ、と。
今回の旅も、いつもと変わり映えのない退屈な旅路になるとばかり思っていた。
ところが蓋を開けてみれば、ちょっとないぐらい特別な旅となった。
ゴロツキまがいの討伐者どもが、一夜明けてどうして氷の塊になっているのだろう。
唐突に旅に加わった、頭に布を巻いているあの尋常でない美貌の青年はいったい何者なのだろうか。
今はあの奥方の馬車に乗っていて姿は見えないが、どう考えても犯人はあの青年である。
もちろん、探ってみようなどとは思わなかった。ろくなことにはならないと火を見るより明らかだったからだ。
見ないふり、気付かぬふりは先達から伝わる長生きの秘訣であり、父から教わった旅を楽しむための香辛料だ。
謎めいた奥方。謎めいた青年。謎めいた一行――。
「ん~、これだから旅はやめられんわ」
「なんすか、いきなり」
聞き咎めた用心棒がすかさず突っ込んできた。主人によっては、下の者の口のききかたをガチガチに厳しく躾ける者がいるけれど、この商人はあまり気にしない主義だった。舐められているのではなく、好意からくる言動の気安さだと、互いに承知しているからだ。
どうせ旅の道連れならば、仲の良い家族、気の置けない悪友のほうがいいに決まっている。それに大事な客人と話している時は、ちゃんとわきまえて静かにしてくれているのだから何の問題があろうか。
さて、そんな悪友どもだが、主人を差し置いてあの奥方と一緒に美味しく屋台巡りをしていたことを、まだ知られていないと思っているようだ。
朝食の席で料理人から昨夜の噂を聞いた瞬間、何それ羨ましいギリギリギリと骨付き肉を噛みしめたのはまだ内緒にしている。
とりあえず向こうに着いてから追及するとして、どんな嫌がらせを添えてやろうか。
楽しみだ。
◆ ◆ ◆
馬車の中に、でかい氷の塊がゴロゴロゴロ。
いや、実際は縄で固定されているので、転がりはしない。単に邪魔なのと、衝撃的を通り越して現実味がない状況なのと、氷の中の目と微妙に視線が合いそうなのであっち向けと思うぐらいだ。
それ以外は、たいして支障がない。夏の盛り、大量の氷で半分以上が埋まった馬車の内部は非常に涼しくて快適だった。いっそ寒いぐらいかもしれない。外に出た時に丁度いいだろう。
神経質と誤解されやすい男は、案外大雑把だった。そこが時に他者からは寛容さであったり、勇敢さに見えたりする。
とんだ誤解だ、と彼は思っていた。彼は凡人であり、己の器の普通さをよく知っている。
従僕と二人で何度か利用したギルドの馬車。ありふれた、ごく平凡な旅になるはずだった。それがどうしてこんな事態になっているのだろう。
(あの奥方と、いきなり現われたあの男が何者か……って、あっちよりこの男だな)
向こう側で足を抱え、蒼白になって小さくガタガタ震えている男。異常事態に直面し、恐怖している典型である。凍えているせいで余計に止まらないのもありそうだ。
平凡な商人と用心棒と、中堅ランクの討伐者と、余所の土地から流れてきた村人の父娘。別段、特別でも珍しくもない人々だ。旅によってはひとことも他人と声を交わさずに終える場合もあるし、反対に終始とても和やかな空気になることもある。
変わったことや事件なんて滅多にないし必要ない。平凡で何事もなく、退屈でつまらない程度が旅は一番。
そう考えると、これは少々、明らかに平凡ではなかった。なので、この後は平凡に平穏に何事もなく、いつも通りの旅のまま終わればいい、と彼は思った。
そんな主と同感なのか、従僕の青年の村人を見る視線は厳しい。この氷並みに冷ややかだった。
何故なら村人の男は、氷漬けの出来あがった経緯を知るなり、娘に対して言い放ったのだ――「なんて、とんでもないことをしてくれたんだ……!」と。
悪党にそそのかされ、疑問もなくついて行った娘の行動も確かに問題だが、襲われかけた十代前半の娘にぶつけていい言葉ではない。
だいたい、ひたすら俯いて溜め息をついてばかりで、娘をまったく見ていなかったからこうなったのではないか。
一見すれば冷ややかなインテリ主人が真っ先にキレた。
『おまえの娘にいったいどんなことが可能だったって? まさか自分の娘の年頃や体格を知らんのか? 文句を言うからには世に溢れた危険その他もろもろ、日頃からさぞ詳しくきっちり教え込んでたんだろうな? それとも誰が教えずとも、勝手に学んで勝手に憶える天才娘なのか? で、この娘は、お父さんに心配をかけたくなかったと言っているんだが、それについて言うことはないのか?』
ありとあらゆる語彙を駆使し、父親の失言をねじふせて叩きのめした。たまにこういうところのある人物なので、これが雇い人でよかったな、と従僕の青年は思うのだった。
ところで村人の男の失言だが、これは世間的に見て、とりたてて異常な台詞ではない。何か大変なことが起こり、それに身内が関わったと知れば、こんな反応をする者は多い。人の出入りが活発ではない土地で生まれ育ち、狭い村の中の近所付き合いがすべてで、この男を擁護できる点があるとすれば、彼もまた世間知らずだったという点だ。
もっとも、彼ら父娘は、とうにその狭い場所から出てしまっている。この先、ちゃんとそれを受け止めて、新しい場所、新しい環境へ順応できるか否か――。
(とりあえず、娘のほうは乗り越えて行けそうかな)
あまり質の良くない馬車は、ガタゴトと揺れも大きい。それに交じって、御者席のほうから聞こえてくる軽やかな笑い声に、少しばかり良い未来を感じていた。
◆ ◆ ◆
「あのおっちゃんも意外だったよね~! キツそーだけど良い人じゃん! て思ったぜ」
「うん……そうだね」
今、ギルドの馬車を操っているのはトールという少年だった。
少女がずっと気にしていたそばかすを、あの神経質そうなおじさんは「健康そうでいいじゃないか」と言い、この少年は「愛嬌があっていいじゃん」と言ってくれた。それだけであまり気にならなくなったのだから、現金なものだな、と少女は思った。
商人のおじさんはお菓子をくれて、用心棒のおじさんが「悪い大人のやり口だ、騙されるんじゃねえぞ!」と冗談を言ってポカリと殴られ、ひとしきり笑い声があがり、少女もつられて笑みを浮かべていた。
奥様は頭を撫でてくれて、いい匂いがした。みんな素敵な人達だな、と思った。
『少なくとも、イシドールへ着く前に予行演習ができたのだと思えばいい』
眉間に深々とシワを刻みつつ、父親を叱ったおじさんは気難しそうな顔で言った。顔だけを見ればきつい叱責が出てきそうなのに、実際にその口から出てきたのは、少女への気遣いに溢れた、前向きさを促す言葉だった。
「なんとなく、ずっと、話しかけづらいなあって思ってたの。声かけたら、怒られそうだなって。でも、全然そんなんじゃなかったのね」
「だな。つうか、ああいうおじさんみたいな人って案外いるもんだぜ? 顔とか口調はキビシーけど、言ってることよくよく聞いてみたら優しいんでやんの、って人。逆に優しそーだけど目が全然笑ってない人とか一番怖いんだぜー、特に奥様と一緒に馬車乗った綺麗なお兄さんなんか、頻繁にそういう顔すっから要注意だ! あれは怒らせちゃなんねえ人種だ」
「あの、あたしを助けてくれた、とっても格好よくて素敵な人?」
「…………格好よくて素敵なのか。そうか。フツーそうなるんか……」
ポ、と頬を染めた少女に、「これがウワサの吊り橋効果ってやつか?」とトールは遠い目になった。遠い目になっても手綱を取り落としたりはしない、よくできた子である。
(不思議な男の人だったなぁ……王子様って、ああいう人のことを言うのかな? なんて訊いたら、また無知な奴って笑われちゃうかな?)
トールの横顔をちらりと見て、ううん、そんなことはないかな、と少女は笑みを浮かべた。
きっと、この男の子は、あんなふうに嫌な感じに笑ったりしない。
(あの王子様……王子様でいいよね、あたしが勝手に思うだけなら。……あの素敵な奥様と、どういう関係なのかな? 騎士様なのかな?)
少女らしく、想像してドキドキする。彼女は「男の身ぐるみ剥がして地獄へ落としそうな女」という世間一般の評価を知らないので、綺麗な大人の女の人は、純粋に綺麗な人という印象しか受けない。
おまけに女性同士なので、どうしたって知らない男性相手より話しやすい。
「そういえば、奥様も最初、とっても綺麗だけどちょっと怖そうだなって思ってたの。でも、あたしみたいなのに気さくに話しかけてくれたし、なんだか優しい人よね」
「そうそう! あの方はああ見えて子供好きなんだよなー。だから俺らにも結構優しいんだぜ! 悪者には容赦しねえけどな、あの容赦のなさっぷりがまたカッケーんだよ!」
「へえ~」
少女は、あの男達を倒したのは美貌の王子様だと思っていた。それは正しいが、その後の出来事を知らないので、「そうなんだぁ」と呑気なものだった。
「とぉ~るぅ~、そろそろあたしにも代わってよぉう! あたしも御者やってみたーい!」
「ダホ、てめーがぶんまわしたら、乗ってる人みんな酔っちゃうだろ!」
「あ、僕はぶんまわさないから交代していいよね?」
「おう、夜んなったら代わってもいいぜ!」
「それだともう町に着いてるじゃないか!」
「ずるーい!」
知らず、少女はくすくすと笑っていた。
なんとなくわかっていた。彼らは自分を気遣ってくれている。それはとても嬉しくて、幸せで、少女は少し泣きそうになった。
困ったことがあれば相談しなよ、と彼らは言ってくれた。父親に叱られてへこまされたが、きっとなんとかなると思えた。
(今までいろいろあったし。父さんも凄く大変な思いしてたし。あのおじさんがガンガン怒ってくれたし)
町へ着いたら、二人でまた頑張ろう。きっと大丈夫。
無理矢理ではなく、自然にそう思えるのだった。




