249話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (10)
ですから、処刑しておけば後腐れがないと申し上げましたのに――いつ誰に申し上げたかは知らないが、物騒な小鳥の呆れ声に誰も反論できなかった。
とうの昔に表舞台から退場したくせに、忘れた頃にトラブルの種になって舞い戻ってくるとは迷惑千万である。おまけに犯行動機は、皆に自分を認識してもらいたい、注目されたい、構ってちゃんのお子様レベルときた。
(あんたみたいなのがいるせいで、真面目に心を入れ替えようとしてる罪人の皆さんが迷惑するんだよ。わかってんのか?)
冤罪のおそれが拭い切れないならばともかく、罪状の明確な相手に、中途半端な恩情をかけるからこうなるのである。
自分が悪しき前例になってしまえば、真っ当に罪を償おうとしている人々への風当たりが強くなり、その人達が余計に生き辛くなるのだと――そう思い至れるぐらいなら、そもそもこんなところに居はしないか。
「せめてウォルドに申し訳ないとか思わないわけ? 絶っ対、責任感じまくって自分を責めるよ。ウォルドのせいじゃないってのに」
「……何を仰います? あなたが私から友を奪ったのでしょうに。彼は、あなたから私を守ってくれなかった。あなたの味方についた。最早、私の友などではありません!」
「ああそう」
言質は取った。
これで、知り合い割引の手加減は一切不要になった。
「さあ、下劣なおまえ達にも慈悲を与えましょう。私の役に立ち、己にもその程度の価値はあると示すのです!」
サフィークはいちいち芝居がかった動作で両手を挙げ、未だ地面に転がったままの数名に呼びかける。その指先からは極細の魔力の糸がすう、と伸びて、彼らの全身へ無数に絡みついていた。
これだけ延々と騒いでいるのに連中がまったく目覚めないのは、既にこの男の支配下にあったからだ。瀬名が駆けつけ、「やれやれ」と起き上がる直後あたりから、じわじわと地下を通じて、操り糸を仕込み始めていたのである。
(なんで、私がそれを感知できないと過信してんのかねえ?)
おまけにその糸は魔素ではなく、きちんと練られた魔力だった。瀬名に言わせれば透明で微かな蜘蛛の糸ではなく、真っ赤に染色された凧糸ぐらいの鮮明さである。
当然ながらシェルローヴェンにも、しっかりそれが視えていた。そもそも彼はその男が〝妙な力を手に入れたサフィークであると見抜けなかった〟だけであり、正体を現わしたサフィークが何らかの魔術を行使している分には、普通にその動きを感じ取れるのだ。
細くすればわかりにくくなるという次元の話ではない。細かろうが、自己主張の激しい魔力の気配は目立つ。そのあたり、どうもサフィークは理解できていなかった。実戦経験のろくにない素人の悲しさで、せっかく力を手に入れても、正しい使い方を知らない典型だと容易に想像がつく。
加えて精霊王子の三兄弟は、魔素の流れを読み解く練習を何度も繰り返していた。つい最近始めたばかりであっても、さすが魔術に長けた種族、彼らの呑み込みは非常に早い。操作できる段階に達した者はいないが、双方の区別はだいたいつけられるようになっていた。それと連動して、魔力の感知精度もかなり向上している。
出来の悪い即席マリオネットが、ゾンビめいた不自然な動きでウゴウゴ起き上がるのを眺めながら、瀬名は右手を水平に掲げた。
直後、手の平がパシン、と鳴り、内側に流麗な細工の剣がぴったりとおさまっていた。
シェルローヴェンの投げた愛剣の片割れだ。流れる動作で鞘から引き抜けば、聖銀の刃が淡い魔力を帯びて輝き、おや、と軽く目を瞠った。
――自分に魔力はないはずなのに。
すぐに、玲瓏と涼しげなその光が、本来の持ち主の魔力だと気付いた。長年愛用している武具類は使用者と馴染み、繋がりができることもあるらしい。きっとこれがそうなのだろう。
悪くない。聖銀の切れ味は魔力が通っていなくとも鋭いが、通っていればなお強く鋭くなる。
瀬名の口角がほんのわずか上がり、煌めくその切っ先を――
つまんだ己のドレスに、迷いなく突き立てた。
「!?」
「えっ!?」
男性陣が全員ぎょっとするのに構わず、太腿の付け根のやや下あたりから裾までを一気に裂き、深々とスリットを入れた。
「瀬名!?」
「ちょ、何やってんだあんた!?」
うるさい男どもである。瀬名はふんと鼻を鳴らした。
野郎は知らないのである。女性の衣装が、どれほど戦いにくい代物なのかを。セクハラ野郎に華麗なる足技をお見舞いできなかった最大の理由は、スカートの幅が足りなくて足をそこまで上げられなかったからだ。
幸いにして布は防御力を重視していない一般的な高級生地だったので、聖銀でなくともたやすく切り込みを入れられただろう。
(……まさかARKさん、そこまで読んで普通の生地を――いや、まさか。さすがにこれはARK氏といえど予定にはなかったはずだ。うん)
外野の動揺を気にせず裾をたくしあげ、邪魔にならないよう鞘を巻き込んでぎゅっと縛る。偶然にも綺麗に出来たドレープが、さながら色街で流行りそうなデザインのドレスに仕立て上げ、この世界には存在しないワインレッドのガータベルトやストッキングと相まって、異様なほど怪しげな色気を醸し出す代物になっていた。
女性が生足を見せず、ミニ丈のドレスなど存在しない文化圏。自分の格好が周囲にとってどれだけ強烈で刺激的に映るのか、瀬名は微妙にわかっていなかった。
無言のまま急激に熱気の上がった周囲の動揺に気付かず、瀬名は草原で身を隠しながら獲物を狙う獣のように重心を低く落とし、足いっぱいを使って駆けた。
地のすれすれを這う黒い風となって回転し、動きの鈍い即席マリオネットの足もとを斬りつけていく。
どさ、どさり、と次々地面に響く鈍い音で、ようやく男どもは我に返った。
「え!? え!?」
「…………」
肉壁をあっさり突破し、数歩先で悠然と歩き始めた魔女の姿に、サフィークは壊れた人形のように繰り返した。
赤い凧糸は未だに健在だ。瀬名は駄目もとでそれらを斬れないか試してみるも、適当に振り下ろした剣身からはぐにゃり、と手応えのない手応えが返ってきた。
ゴムとはまた違う。一部の蛭系の魔物は柔軟性があり過ぎて、どうしても刃が通らないものがあるけれど、それに似ていると感じた。
熱で焼き切れないかを試してみるも、熱や炎はその糸を素通りする。
「ふ、ふは……はは、あははは! 無駄、無駄です!」
糸を切断できないのだと気付いたサフィークは、困惑から一転、喜悦を満面に浮かべた。
「くっ、こいつら!?」
「足が治ってる……!?」
背後でカシム達の声が上がった。倒れ伏していた傀儡が、再び起き上がりだしたのだ。
うじゅうじゅと奇怪な音を立てながら、赤い糸が肉の内側から血管のように引き寄せ合い、みるみるうちに傷口を塞いでゆく。それは〝治癒〟とも言い難い、異常な回復の光景だった。
ゾンビまがいの動きで手に武器を取り、カシムとカリムを取り囲む。
「ははははは! ご覧なさい、これが私の、いえ、あの方の御力です! さあ穢れた人形ども、我が敵に無力さを知らしめて……」
「きさま自身も戦場にいる自覚はあるのか? ――【凍土の枷】」
「うッ!?」
前方に立ち塞がろうとした操り人形の一体をあっさり斬り伏せ、精霊族の略詠唱がサフィークを襲った。
「な、何ッ!?」
サフィークのふくらはぎの下あたりから、泥まじりの氷が両足を捕縛し、地に食い込む形で固定している。
あれって結構硬いんだよな、と思いつつ、瀬名はニマアァ……とほくそ笑んだ。
シェルローヴェンが攻撃ではなく拘束を選んだのは、魔女に生贄を捧げ――いや、瀬名が安全にとどめを刺しやすくしてあげようという、紳士的な配慮である。
さあどうぞ、と。
(わ・か・っ・て・る・ね・え、キミぃ……!!)
美女の紅く色づいた唇から、クククク……と笑みがこぼれた。
それはまさに、獲物を地獄界へ引きずり落とさんとする、暗黒の魔女の舌なめずりだった。
「え……あの……ま、待ってください……話を……」
獲物の懇願は届かなかった。
瀬名は身体を捻り、軽く跳躍しながら全身に回転を加え、溜まりに溜まった鬱憤のすべてを、八つ当たりも大量にこめてサフィークの横面へ叩きつけた。
「うごぁああッ!?」
ドゴォ!! ――良い感じにヒット。多分そこそこ頑丈になっているだろうなと当たりをつけ、遠慮なく二撃目をお見舞いする。
「ゴブぅッ!?」
首よもげろ、ぐらいの威力で蹴りつけた。
が、やはり肉体や骨格の耐久性がアップしていたようだ。首はもげなかった。
しかし充分にダメージを与えられている。不愉快な陶酔顔は、今や血と涙で壮絶な有様になっていた。
同情心は湧かない。性犯罪者に情けは無用。聞けば、あの少女を複数名で襲うよう、お仲間を焚きつけたのはこの男というではないか。
個人的な嫌がらせのためだけに、トール達と同年代の無関係な娘をケダモノの餌食にしようとしたのだ。未遂だったとか、自分は発案者であって実行犯ではないとか、そんな言い逃れは通用しないのである。
「う、ご……ぉ……」
「ふ、決まったな。我が旋風脚よ……」
「剣を貸したのに、何故あえて足技を使う……?」
「ん? スッキリするからだがね?」
何故かシェルローヴェンが片手で目の辺りを押さえ、少し顔をそらしていた。
何故だろう。ほんのり耳の先が朱くなっているような。桃の色にそっくりでちょっと可愛いのだが、触らせてと言ったら怒られるだろうか。
瀬名が首を傾げていると、後ろから咳払いとともに、「こっちも終わったぜ」と声がかかった。
「早かったね?」
「まあな。動きは鈍いし、なんでか途中から回復しなくなったしよ」
カシムが指で示した先には、まさしく糸の切れたマリオネットという風情で、血まみれの男が何人も転がっていた。
諜報専門といっても、カシムとカリムの戦闘経験は豊富で、かなり強い。灰狼の族長にはあっさり敗北を喫していたが、あの男を比較対象にしてはいけないと誰もが知っているので、〈黎明の森〉でカシム達を侮る者はいなかった。
「厄介な技を隠してないか、慎重に観察しながら倒したんですけど、結局何もありませんでしたし」
「うん。私が見ても、何にもなさげな感じだね」
「そ、そんな……馬鹿な……こんな……」
「ところでセナ様、さっきのあれ、もう一回見せてくれません? あの大胆で素敵な悩殺蹴りをもっぺん見た――痛てッ!!」
「だ~か~ら、思っててもそういうこと言うんじゃねえよてめえはッ!!」
兄弟喧嘩が勃発し、瀬名が「仲いいな~」とほんわかしていると、ショックを受けて青ざめているサフィークの身体がグラリ、と傾いだ。
――固定されているせいで、あらぬ方向へゆっくり曲がった足が、バキャリ、と嫌な音を立てた。
「っっっぎゃああぁああッッ!?」
「おやん?」
「うわっ、痛そう」
カリムがつい漏らした感想に、全員が眉をひそめて同意した。
「首はあんだけやっても無事だったのになぁ。首より足の耐久力のほうが弱かったのかな?」
「いや。これはどうも、カシムが言ったように回復力が弱まっているのが原因だな」
「うわあああああッ、ああああ~ッッ!!」
「てことは、〝力〟を行使するために必要な魔力量の下限を切った、てことかな?」
「あるいは、〝力〟自体にそもそも時間制限があったのかもしれん……【冥夢の氷牢】」
悲鳴をあげながらのたうつ男の全身が、一瞬にしてガキン、と透明な氷に閉じ込められた。水晶のように透き通った氷の中、サフィークの時間は完全に止まっている。
「うおっ……」
「って、殺しちゃったんですか? こいつの情報が……」
「殺してはいない。捕えただけだ」
シェルローヴェンの言う通りだった。氷の中のサフィークは死んでいなかった。
すかさず分析した青い小鳥が言った。
《完璧な冷凍保存状態ですね。そのような魔術があると存じてはいましたが、実例を前にするのは初めてです》
「あまり多用する術でもないからな」
《見事です。素晴らしい》
「……そうか?」
淡々と誉め言葉を連発されて気味が悪いのか、どことなく嫌そうな表情で小鳥を見やる青年だった。
しかし瀬名には、小鳥の絶賛の意味を誰よりも理解できた。
たった一言の詠唱だけで、一瞬にして完璧な冷凍睡眠状態を作り上げたのだ。むろん自分自身には使えないし、何年も保たないはずだが、そんな真似が可能という事実だけで、瀬名を驚嘆させるには充分だった。
「瀬名?」
「なんでこれを、あんたが『そんなに凄いとは思わない』のか不思議だよ……」
「そんなものか?」
彼にとってこの術は、敵を生け捕りにしたり、食料を一時的に保存するには便利な魔術。その程度の認識でしかなかった。
けれど小鳥と瀬名が揃って言うからには、違うのかもしれない。
ただ殺すより、生かしたまま捕えるほうが困難という単純な意味でもない感じがするので、このことは記憶にとどめておこうとシェルローヴェンは思った。
◇
その後、カリムが討伐者ギルドの馬車をすぐ近くにつけ、サフィークその他数名の氷漬けを中に放り込んだ。
一応は村に常駐している騎士に相談し、この村で手に負えない大罪人はどの道イシドールに移送されるため、魔女の一行で運んだほうが安全で確実だろうという話になった。
厄介な案件については一切合切イシドールにぶん投げてやれ、などと彼らが思ったかどうかは不明である。
《騎士が伝書鳥を飛ばしたようですが、私もタマゴドリを先触れとしてイシドールの城に向かわせております。予定通り、明朝の出発でよろしいかと》
「そーだね。到着まであと一日だし、詳しい状況説明はそれからでいいかな。シェルローはどうする?」
「念のために今夜は近辺を見回っておく。明日あなたに同行してイシドールへ向かおうと思うが、構わないか?」
「ん~。まあ、最終日だからいいかな? うん、いいよ。何かほかに報告とか、気を付けて欲しいこととかある?」
「――頼むから、着替えてくれ」
豪快なケリでストレス発散の巻。次話、旅のラストです。
余談:
サフィークの反応→な、んと破廉恥な、汚らわしい……。
シェルローさんの反応→この世界で一般的な紳士の反応。
カリムさんの反応→綺麗なお姉さんに夢中な少年のキラキラなまなざし。
カシムさんの反応→やべぇ、胃が……。




