247話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (8)
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多めに書き直しました。2020.8.5
へたり込んでいた少女の肩にショールをかけてやり、トールとレストに宿まで送り届けてあげるように言った。
「ミウは服を調達してくれる? 村の入り口あたりに店があったはずだから。ほかに必要そうなものがあれば買い足していいよ」
「了解」
「わかりました」
「任せて!」
村の服の相場がわからないので、ミウには銀貨数枚の入った小袋を渡した。
「あ、あの……?」
「貸してあげるから、部屋まで着ていなさい」
「えっ、で、でも、こんなきれいな」
「立てる?」
「は、はい……」
少しふらついているものの、足は問題ないようだった。幸い怪我をしている様子もない。
濃い色合いの大きな布は、少女の腰の下までふわりと隠している。昼間ならまだしも、夜なのでそれほど目立ちはしないだろう。
成長期前のトール達は背が低いので、無用に恐怖感を煽ることもないと思われる。二人が単なる付き添いではなく、道中自分を守るよう主人に言いつけられた〝護衛〟なのだと、おそらく彼女はよくわかっていない。
チラチラこちらを気にしながら、細い身体は木立の向こうへ消えてゆく。そんな少女の背を眺めていた瀬名の中に、不意に〝長靴を履いた猫〟の一場面が閃いた。
シニカルでダンディな討伐者の猫氏ではなく、大昔に読んだ童話のほうの猫だ。子供の頃に触れたきりの物語なので、細部はかなりあやしくなっているが、読みながら子供心においおいと突っ込んでいた記憶がある。
長靴を履いた猫は、自分の飼い主を出世させるために策を練った。
その方法は、どこかの土地の農民達に、もし誰かに訊かれたら「ここは〇〇様の領地です」と答えさせるというもの。
農民達はあっさり猫の言うことを聞き、通りすがりの王様に「ここは誰の領地か」と尋ねられた時、その通りに答えた。
そうしていろいろあり、猫の飼い主はまんまと領主になって、王様に気に入られてお姫様と結婚した――
だいたいそんな話だったはず。
皆が皆、言われるがままにそんな大嘘をつくなんて有り得ないし、一国の王がこんな嘘にすんなり騙されるなんてあるものか。第一、ぽっと出の領主が国王のお気に入りになったら、臣下や取り巻きの貴族が「こやつ何者?」と徹底的に調べ上げたりするだろう。
突っ込みどころ満載な印象ばかり強いお話だったが、農民の反応は案外、当時の実態に即していたのかもしれない。
うろ覚えだが、この物語は民話がもとになっていたはず。つまり、あくまで民衆の想像で語られる王様や貴族様の像は実態とかけ離れていても、登場する民の人物設定は、案外そのままだったのかもしれなかった。
もちろん、これも想像に過ぎないのだが。
「あ~、ってことはひょっとしてまさか……」
気付いて額に手を当てた瀬名に、シェルローヴェンが「どうした?」と尋ねた。
「いやさ。あのお嬢さんが特別に騙されやすいんじゃなく、田舎の村人って、もしやあれが標準だったりする?」
「そうだな。この手合いの屑のやり口なぞ、知らんのが普通だと思うぞ」
「うああやっぱりか…」
瀬名は反省した。あの少女の迂闊さにばかり呆れていたが、それこそがある意味、自分の認識不足からくる思い込みだったのだから。
(知らなければ防ぎようがないし、上手なあしらい方だってわからないのが当たり前。ちょっと嫌な感じはしても、まさか本当に、そんな目に遭わされるなんて想像すらしたこともなかったんだ)
そんな情報が、どこにでも転がっている環境ではなかったから。
トール達が妙な顔をしていたのも、それはそれで当然だった。各地から商人が、職人が、力自慢が集い、多種多様の人々が大勢住んでいるドーミアは、辺境にありながら物も情報もとても豊かなのだ。
侮られやすい孤児という立場からも、子供達は身を守るため独自のネットワークを築いて頻繁に情報交換を行い、そこらの大人より世の事情に通じている子供が出来あがる。あの子らがギルドで「将来性のある優秀な新人」と呼ばれているのは、なるべくしてそうなったのだった。
だとすれば、あの父娘以外の村の生き残りが今頃どうなっているか――そちらのほうは、もっとろくなことになっていない気がする。
そもそも、所領の村が魔物の襲撃を受けながら放置する領主はおかしいし、人々を助けようとしなかった神殿もおかしい。あの父娘はただ自分達の不幸を嘆き、領主や神殿の仕打ちがあんまりだと嘆いてはいたが、それらが明らかにおかしいということ自体には気付いていなかった。
(これ、調べたほうがいい案件っぽいな)
子爵領の領主は、少なくとも悪党ではない、はずだ。
ゆえに少女の話も、どうにもならない現状への八つ当たりから、必要以上に悪く言ってしまっている部分もあるかもしれないと、なんとなく話半分に聞いてしまっていた。
「ARK、いる?」
《ここに》
音も立てずに小鳥が羽ばたき、どこかの枝から瀬名の肩へと移動した。
カシムとカリムは「げ」と顔をしかめ、シェルローヴェンは心底嫌そうに眉をひそめている。
「あの娘の村の件だけど」
《既に調査を開始しております》
「仕事が早いね。じゃあ、先にこいつらを締め上げるとするか」
《それなのですが、この者達、不審な点があります》
不吉な青い小鳥が告げた。
《いずれも鉄ランク、名前・年齢ともに判明しております。ですが一名だけ、子爵領の討伐者ギルド以前の足取りが辿れません。おまけにその一名だけパーティメンバーではなく、行動をともにし始めたのは、この旅が始まってからです。すなわちそれ以前に、この連中とつるんでいた事実がありません》
「――へえ?」
シェルローヴェンが警戒を強めた。この男が不審者の存在に気付けないなど、つまり相手はそれだけ油断ならないということだ。
カシムとカリムも静かに臨戦態勢に入るのを確認し、瀬名は未だにのびているゴロツキの小山に向けて声をかけた。
「というわけなので、寝たふりしてるそこのお兄さん。そろそろ起きてくれないかな?」
ちなみに、この時点ではどれがあやしい人物なのか、瀬名には判断がついていなかった。カマをかけただけである。
格好つけて声をかけたのに、実は本気で意識がなかったりしたらちょっぴり恥ずかしいな、と心配したが、天は瀬名に微笑んだらしい。
「……やれやれ、仕方ありませんね。バレてしまいましたか」
果たして、チンピラな印象とは真逆の声が答えた。
そこに含まれたわずかな嘲笑を感じ取り、男達の間にピリ、と電流めいた気配が漂う。
「いやぁ、『やれやれ』って言われてもね? いつになったら声かけてくれるのかなードキドキって、役者が揃うのをひたすら待ち構えてたわけでしょ? 本音では嬉しいの丸わかりだから、格好つけなさんなって」
完全に自分を棚上げしている台詞だが、自己申告しなければバレない。
起き上がりかけた怪しい男は中途半端にぴたりと固まり、張りつめかけた空気が霧散した。
代わりに何とも言えない空気が漂う。
「あ、ごめんごめん。気にしないで起きていいよ、ほらほら」
「…………相変わらず本当に、ふざけた方ですね、あなたは……」
「ん? どこかで会ったっけ?」
「ええ、お会いしましたとも」
陰湿な微笑を浮かべ、芝居がかった仕草でその男は立ち上がる。
「ああ失礼、この姿ではおわかりにならないでしょうね――」
「ということはつまり、君は今、いつもの自分と全然違う別人に大変身してるわけだね? でもって、それらしく演じてみたらついつい楽しくなっちゃったわけだね? うんうん、よくわかるよ!」
男が雰囲気を出しかけた瞬間、再び瀬名の邪魔が入る。
「あれ、違った? もしかして、自分と正反対のならず者を選んで憑依してるだけ? それとも、精神支配で遠隔操作してる? まさか、カッコよく変身しようと全身整形にチャレンジしたら大失敗したとかいう悲劇的な結末じゃないよね? で、要するにあんた誰? このパターンだと、真の姿のほうが美形と見た!」
ずびし!
片手を腰に当てつつ、もう一方の人差し指を音がしそうな勢いで突きつける。
締まらない空気の中、沈黙が降りた。
「――――」
「――……」
「こら、シェルロー君? キミ、何を笑ってるのかね? 失礼じゃあないか、このお兄さんがせっかくこれから自己紹介してくれようと言うのに。台無しにしたら可哀想だろう!」
「いやそれ、あんたのせい……」
「……お、奥様、さすがです……たまらん……っっ」
「って、おまえもかよ……」
「――いい加減にしてくれませんか?」
男の声のトーンが変わった。笑顔はもうない。その面にはナンパ男には不似合いな、積年の恨みを凝縮したかのような憎々しげな形相が刻まれていた。
「久しぶりにお会いできたのですから、ゆっくりご挨拶をしたいと思っていたのですが……」
「ごめんねぇ。無駄に長い口上は苦手なんだよ」
「ええ、そうですね。あなたは以前もそう仰っておいでだった」
以前も。
「そのお姿、とてもお美しいですよ? まるで男を堕落に導く妖艶な毒婦だ。なのに残念です、やはり中身がお変わりないようでは、せっかくの美も薄れてしまうというもの」
「あら、毒婦が堕落に導く相手は殿方だけとは限りませんでしょう? 世の中には愛らしい女の子や美しい女性もたくさんいるのですから、限定してはつまらないというものですわ。をほほほ……」
「…………」
「瀬名……」
「洒落にならねぇ……」
「奥様、一生ついていきま――痛てっ! だから耳はやめろって!」
男の殺気がどんどん強まり、他の男達はこの魔女の性質を思い出した。
そういえば、嫌いなタイプの敵はとことんおちょくる主義だったな、と。
「ふ……。あなたを過大評価していたようです。もう少し、話の出来る方だと思っていたのですがね……」
男はようやく、真の姿を見せる気になったようだ。
(めんどくさいなー。最初からさっさと見せなさいよ、まどろっこしい)
瀬名は必要以上に勿体ぶるタイプが嫌いだった。ゆえにさんざん混ぜ返した自覚はあるが、後悔はしていない。
そして男の肉体は変身を開始した。肉が盛り上がり、骨があらぬ方向へ曲がりと、視覚的にあまりよろしくないタイプの変身方法だった。
カシムとカリムは、驚愕と気持ち悪さに、一瞬息を止めてその光景に見入っている。長く生きているシェルローヴェンにとっても、あまり何度もお目にかかるものではなく、禍々しい変化の過程から視線を逸らせないでいた。
一方で、瀬名は平然と眺めている。
(ゲームでも出てきたなあ、こういうの。SFとかホラーとか、突然変異系のクリーチャーに多かったよね~)
娯楽をとことん極めた文化は、げに恐ろしきものである。体感型RPGにも、こういう敵がわんさと出てきたのだ。
せっかくの美形ボスが、生々しい異音を立てながら異形の怪物に変わった時などは、「何故そんな造形にした!? ちょっとは美形要素を残しとけよッ!!」と開発チームへの憤りを禁じ得なかったものである。
(っと、いかん。すぐにゲームを引き合いに出すの、私の悪い癖だな)
これは現実だ、混同してはいけない。そのつもりはなくとも、無意識にゲームを現実に重ねて錯覚してしまうと、いつか手痛いしっぺ返しを食らいそうなので、何とかせねばと気にしてはいるのだが。
≪これ、どうにかならんもんかな……?≫
思わず念話で小鳥に相談してしまう。
しかし、返ってきたのは予想外の回答だった。
≪問題ありません。あなたが経験した無数の異世界の疑似体験は、すなわち〝この世界に適応する訓練〟になっていると言えます≫
≪ええええ~? さ、さすがにそれは暴論じゃない?≫
≪そうでもありません。疑似世界体感システムは、もともと軍のパイロットや宇宙飛行士、技術者、医療従事者などのシミュレータに採用され、その後民間にも広まったものです。シミュレーションにさまざまな要素を加え、興味を抱きやすく面白くしたのが、要するにあなたの遊んでいたゲームなのですよ。たとえば、もしあなたのご両親が躾に厳しく、我が子に娯楽の一切を許さない環境であったと仮定して。あなたは魔馬に初見で乗ることが出来たと思いますか?≫
≪あ≫
言われてみれば、確かに。捕獲した魔物を乗り回す感覚で、騎士からも「初めてとは思えない」と褒められるほど、愛馬のヤナにもすんなり騎乗できたのだった。
目から鱗であった。
≪むろん、ゲームはゲーム、現実は現実。鼓膜を震わせる音の感じ方、皮膚を撫でる気配、空気の密度の変化、臭いなど、いくつもの違いがあるでしょう。その違いを認識した上で、現実に上手く落とし込むのが肝要であり、私が忠告するまでもなく、マスターには最初から出来ておりました≫
≪そっか……≫
欠点としか思っていなかったところを肯定されてしまった。否定的な見解ばかりを想定していたので、却ってどう反応すればいいかわからなくなる。
(つまり、飛べもしない空を飛ぼうとして高所からジャンプしたり、カッとなって人を刺した挙句「どうせ教会で祈れば生き返るでしょ?」なんて本気で言い出すようならアウト。そうじゃないからセーフ、ってことでいいのかな?)
瀬名は佳境に入りかけた変身に意識を戻した。小鳥と頭の中で内緒話をしていた間に、一分は過ぎたろうか。
今すぐに攻撃しても普通に倒せそうだが、そうしたら正体不明のままで終わってしまいそうだ。
異常な速さで肉の変形してゆく光景や生々しい音については、よく考えずとも現実で体験済みなのだった。ぶっちゃけ、帝国で【ナヴィル皇子】を痛めつけていた時のほうが、よっぽど凄惨でグログロしかった。
(いや、うん。あれはね、仕方なかったんだよ)
誰にともなく胸中で弁解する。
あれに比べれば、この男の変身風景はまだ大人しく、落ち着いた心持ちで眺めていられる瀬名であった。
やがて奇妙な肉の塊は、再び人の形をとった。瀬名が堂々と推理したように、チンピラの面影がかけらもない、整った顔立ちの青年がそこに立っている。
まっすぐな長い亜麻色の髪。はしばみ色の瞳。
暗い憎しみと屈辱に染め抜いていなければ、優しげな気品のある顔立ちと言えよう。
すらりとした細身で、平均的な背丈だが、荒くれ者の中に紛れ込めば、いっそう華奢に見える。身体の全体的なサイズは変わっていないが、討伐者仕様の服装がまるで似合っていない。
この男は――
「……サフィーク」
シェルローヴェンが低く呟いた。
(…………)
…………。
………………。
「ごめん、誰だっけ?」




