246話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (7)
山間の村は夏でも気温が低く、夜になればぐっと冷え込む。
瀬名は村に入ってすぐのところにあった防寒着の店を思い出し、ショールを二重に着こみながら苦笑を禁じ得なかった。
(なるほどなぁ。……村人のおじさんと娘さんは大丈夫かな?)
この国の人々は瀬名よりも寒さに強い。あまり心配するほどのこともないか、と思い直し、護衛達を伴って夜の村へ繰り出した。
「別に、俺ら全員が一緒に喰わずとも……」
「いいじゃないかカシム、旅もあと少しなんだし、固いことは言うなって」
渋るカシムをカリムが説得し、はしゃぐ子供達を連れて屋台をめぐる。
鼻のきく大食漢が大勢住んでいる村だけあって、こぢんまりとした村は意外にも美味しい店が多く出ていた。
すれ違いざまにどこかの男が「ヒュウ」と口笛を吹くのに、カシムがぎろりと睨んで牽制。何故こんなところでこんな美女が食べ歩きをと囁かれながら、ミウが「せ、――奥様、これ絶対おいしいよ絶対!」と猛烈にすすめてくる食べ物に舌鼓を打つ。
瀬名の気分はリセットし、麗しの奥様ぶりっこが再び楽しくなってきていた。美味しい食べ物は偉大だ。
特に気に入ったのは、丸いパンを半分に切り、中に焼き魚とチーズを挟んだもの。この近辺で獲ったという川魚(魔魚)のワタを抜いてじっくり炭火焼きにすれば、皮と鱗をはいだ下から現われる身はとてもやわらかく、それを熱々のうちにチーズと一緒に挟む。
野菜成分皆無で栄養バランスがどうこうなどと、無粋な文句すら出なくなる。身の食感はホロリとしながらトロリとして、少し淡白な味わいが濃厚なチーズとの相性も抜群。涼しい夏の夜にハフハフしながら食べるのは、祭りめいた屋台通りの雰囲気も相まって、これがまた最高だった。
「あれっ? あんたら、なんでこんなとこに?」
「あら、あなた方は……」
商人の用心棒が数名、やはり夕食のために屋台通りを訪れていた。
「わたくしも、たまにはこの子達と一緒に食べてみたかったのよ。せっかくですし、あなた方もご一緒しませんこと?」
「いいのか?」
用心棒が尋ねた相手はカシムだった。護衛が駄目と言うなら駄目。彼らも目利きの商人に見出された良い用心棒なのだ。
カシムが渋面で「構わん」と許可を出した途端、彼らは競うように瀬名へオススメの店を紹介し始める。わずかな付き合いだが、彼らに対してさえ気さくに話しかけ、今も庶民が好むようなパンを「はむっ。もぐもぐ♪」と食べているご婦人の可愛らしいギャップに、ますます好感を抱いているのだった。
「奥様。次は是非俺と、しっとりした店で二人き――イタタタタタ! 痛い痛い痛いってカシム、耳、耳引っ張るのナシ! マジで痛いって!」
「て、め、え、なあぁ~……あいつら――旦那にバレたら、てめえの耳だけじゃすまねえんだぞ!? この阿呆がっ!!」
「わ、わかったわかった、わかったから放してくれってばっ!」
「…………旦那、生きてたんか」
「つうか、やっぱ怖え旦那がいたか……」
「兄ちゃんもけっこう苦労してんだな……いけすかねえツンケンした野郎とか思ってて悪かったぜ」
商人は知人の宿に泊まっており、夕食もその宿でとっている。ここで食べ歩きをしている最中にまさかの遭遇をしたことを、そのまま話していいかどうか悩む彼らだった。
いい主人なのだが、へそを曲げられると面倒なのはどこの主人も同じである。しつこく羨ましがられそうだ。
「あらあらカシムったら。カリムはお口がお上手なだけですから、お仕置きはそのぐらいで許してあげなさいな」
「奥様……!」
「奥様。こいつは甘やかしたらつけあがる典型なんで、キツイぐらいがちょうどなんです。加減はギリギリまで心得てますから、ご心配なさらず」
「ちょっ、酷いよ!?」
「うるせえ」
芝居がかった仕草で反発する弟に、ドスのきいた声ですごむ兄。
奥様は「あらあら、仲良しねえ」とコロコロ笑い、利発な子供達は複雑な表情でそれを眺めるのだった。
「せ、……奥様のあれ、本気で言ってるっぽいよね?」
「ありゃ本気だな。――おかしいな? 奥様、そんな鈍チャンじゃねえと思ってたんだけど。つかオメー、しょっちゅう言い間違えそーになってんぞ? 気ぃつけろよ」
「ゴメーン!」
「もうすぐ終わりだから、気がゆるんじゃってるのかもね。なんだかんだで、今回だけは危険がないって油断があるのかも。でも護衛依頼の経験積みにすごく助かったから、ちゃんと最後まできっちりやろうよ?」
「ン、わかった。反省……。ねえねえところで、なんでかなアレ?」
「立ち直り早ぇな! 知らねえよ!」
「ん~、多分、『奥様だから』じゃない? カリムさんが口説いてるのは奥様相手であって自分じゃない、つまり本気じゃない、っていう?」
「ああ、なるほどな。エライ女の人に対するただの礼儀って思ってんだ?」
「大人ってむつかしーねぇ」
第三者の耳に入っても問題のない程度で、鋭いところを突きまくる。
彼らの読みは的を射ているのだった。
屋台めぐりにすっかり満足した後は、当然のように大人同士の飲みに誘われる流れとなる。
が、明日も早いことを理由にやんわり断れば、相手もそれを承知の上で誘ってきていたのか、すんなり「そうか、しゃーねえな」となった。
宿の方向へ歩きながら、瀬名は既に何杯か引っかけた後のように、ほくほくふわふわと快い気分で夜空を見上げた。
今夜は月がない。純粋な暗黒には煌めきを遮る汚れがなく、無数の星々の瞬きが広がっている。
何に喩えればいいのか、上手く形容する言葉が見つからない。ただ、綺麗だった。
その広大さに息を呑み、声を忘れ、眺めていれば日常のつまらないことなど薄れてしまう。もっと気のきいた言い回しがないかと思うのに、出てくるのはそんな陳腐な表現ばかり。
人より前向きでいつまでもグズグズ悩み続けない、そんな瀬名を悩ませるこの世で最大と言っていい要因が、こうして同時に胸の内側のくすぶりを晴らしてしまう。皮肉で、釈然とせず、そして――どうにもやはり、空を嫌うことはできそうにない。
(いや、嫌う必要なんてそもそもないんだけどね)
秘密は何もかも打ち明けるべきだ、などと言わないし思いもしない。ただ、誰にも吐き出せずにいると、徐々に溜まっていくものがある。
小鳥に指摘され、カシム、カリム、トール、レスト、ミウ、ついでに通りすがりに知り合った用心棒と楽しくわいわい食べ歩きをして、瀬名は唐突に自覚せざるを得なかった。
どうやら、この期に及んで、どうにもならないあれこれを、誰かに吐き出したくてたまらなくなっていたようだ。
知り合った全員でなくてもいい。
ただ、いいかげん重苦しくなってきたので、端のほうでもいいから、誰かに一緒に持ってもらいたいのだ。
けれど、できない。
たとえ一部でも、相手にもそれを抱え込ませることになる。
そして打ち明ける行為は博打であり、瀬名は勝率にかかわらず、負けた時の損害が大きい博打には手を出さない主義だった。
九十九パーセント勝てると見込まれても、勝率を読み違えているかもしれないし、ほんの一パーセントに転ぶことだってある。
勝った時に何を得て、負けた時に何を失うか――。
(得られたら、多分、かなり大きい。でももし失ったら)
つまり、負けが怖い小心者なのだ。それに尽きる。
足を止め、一旦瞼を閉じた。そうして再び開けてみれば、変わらぬ広大な夜空があった。
「奥様?」
「ごめんなさい。少しね……」
怪訝そうなカリム達の声に、さてどう言い訳をしようかと思案しかけ。
≪マスター≫
青い小鳥が念話で緊急事態を告げてきた。
◇
村の外れに、小さな神殿がある。神官はおらず、中には旅の神のこれまた小さな像が祀られており、建物の周りはこんもりと森になっていた。
村の防壁の内側にあり、盗人のたぐいが隠れ住めるほどの広さはない。だが、若い村人同士の逢引には格好のスポットになっている。
到着した時、そこに張られている結界を目にして、瀬名は半眼になっていた。
「…………で。これはいったい、どういう状況なのかしらね?」
「げ。嘘だろ……」
「だから用心しろって言ったんだ……」
「こんばんは」
「こんばんは~」
「こんばんは、お久しぶりです」
青ざめるカシムとカリムについては一瞥だけをくれ、そつのない子供らには「ああ」と頷き返してやり、青年――シェルローヴェンが不愉快そうに答えた。
「あなたの〝しもべ〟に呼ばれたのだ。来てみたらその屑どもが、そこの娘に無体を働こうとしていた」
俺イケてるぜと勘違いしたゴロツキくずれのチンピラどもが数名、叩きのめされて地面に転がっていた。
近くにはあの少女がしゃがみこみ、無惨に破れた服の前をつかんで合わせながら、陶然と青年を見上げている。
(どんな状況だコレ。いや一目瞭然なんだけどさ?)
淡い金髪に、夜でも瞳がぼんやり翡翠色に輝くのがわかる、幻惑的な美貌の青年だ。純朴な少女の頬は、ほんのりと紅い。
ショックを受ける以前に、別の強烈な要素に心を持って行かれている。これは良かったと言っていいのか、別種の災難にご愁傷様なのか。
「ちなみに、うちのに呼ばれたって、いつ頃?」
「正確には三日前、イシドール周辺の調査に。町には入っていない。理由は、今ここでは話せん」
――事情があるようだ。瀬名の旅とは別件で、確信が持てないために、報告には至らなかった何かが。
そして調査結果がはっきりすれば、改めて報告する予定だったのかもしれない。あの小鳥は拡大解釈が得意で悪どいが、瀬名の不利益に繋がる真似はしないし、本当に嘘はつかない。
「その後、こちらに来たほうがいいかもしれんと言われ、少し前に着いたばかりだ」
「ふむ。あんた以外には?」
「いない。わたしだけだ」
そういうことならば、瀬名も約束破りと怒れない。
(どっかで何かが急展開したか? ま、聞いてみなきゃわかんないか。先にこっちを片付けるとしよう)
瀬名は少女が呆けている今のうちに、事情聴取を試みることにした。時間が経つごとに実感が湧いて、ろくに話せなくなるかもしれない。
このゴロツキどもは全員、当て身を食らってのびているだけだ。罪人として突き出すには、少女の被害を把握しておいたほうがいいだろう。
思った通り、一時的な混乱と魅了状態にある少女は、瀬名の質問に誘導されてサクサク答えてくれた。内容自体は実に単純明快で、複雑な部分が一切なかったからでもあるだろうが。
聞き終えて、瀬名はいろいろ突っ込みたくてたまらなくなった。
まとめれば、要するに。
・このチンピラっぽい男どもは、とても嫌な奴だった
・でもこの領地のことに詳しくて、イシドールの町にも知り合いがたくさんいるんだって
・「おまえらみたいな無知な田舎者、あそこじゃ到底仕事なんざ見つけられねえぜ?」
・「だが安心しろ、俺らなら口をきいてやれる」
・「知りたきゃあ教えてやるよ。今晩、メシ終わったらついて来な」
・「親父にゃ内緒でな。心配させたかねえんだろ?」
そしてのこのこついて来たらしい。ご丁寧に言われた通り、疲れ果てた父親がぐっすり寝入るのを確認した上で、である。
「………………」
開いた口が塞がらないとはこのことか。
(ま、じ、で~? え、ちょっと待って、正気? 実はお酒で酔ってるとかない? なんでそんな胡散臭さプンプン漂う流れで、みすみす従っちゃうのかな!?)
そして一人が見張りに立ち、ほかの全員に押さえられて服を剥かれそうになったらしい。そこに颯爽と現われ、暴漢を鮮やかになぎ倒してくれたのが、この世のものとも思えぬ美貌の王子様だったと。
顔に目が行き過ぎて、耳の形状に気付いていない点は幸いなのか。
(や、可哀想なんだけど。大変な目に遭ったねって慰めたいんだけど。それにしてもさ?)
瀬名は詰問口調になりそうなのをすんでのところで堪え、なるべく優しい口調で尋ねた。
「あのね、お嬢さん……怪しいな、とは、感じなかったのかしら?」
少女は悲しそうに、悔しそうに、こくりと頷いた
「その、ちょっとだけ、嫌な感じだなって。でも、まさか、こんなことされるなんて……」
「…………」
そこはちょっとどころか怪しさ全開だよね!? と叫びたい瀬名だった。
ひょっとして自分がおかしいのだろうか。つい周囲に目をやれば、全員突っ込みたそうな表情をしている。
(あ、よかった。私の認識がおかしいんじゃないのね?)
瀬名はほっと胸を撫で下ろした。
そして思った。
この娘さんの将来、大丈夫なんだろうか? と。
この娘さんはこの世界の田舎の、標準的な庶民のお嬢さんです。
素朴な農村だと悪人の常套手段とかあんまり広まってません。なので都会に出たらあっという間にカモにされてしまうんですね…。
 




