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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
旅と模索
246/316

245話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (6)


《すべての会話録音を最初からお聴きになりますか?》

「――や、いい。もう充分」


 瀬名は瞼を閉じ、前髪をくしゃりと掴んだ。

 聴き終えて初めに訪れたのは、好奇心や知識欲を満たせた満足感。

 その直後、満足感はすうと消え去り、渋みのような後味の悪さ、ばつの悪さがじわりと残った。


 美人でウフンな奥様を演じるのはかなり快感だ。

 一部のセクハラ野郎を除外し、「うわスゲエ美人がいる!」という反応がなかなか愉快である。

 「注目されているのは私ではない。謎のご婦人なんだ!」と不思議なフィルターがかかり、この姿なら視線を集めても平気なのは大発見であった。

 初日は文句なし、全力で面白がった。

 ところが二日、三日と重ねると――


(――窮屈!! 不便!! 女の人の旅ってきつい……!!)


 言わずもがな、化けの皮の維持にだんだん肩が凝ってきた。

 お上品に箱の中で守られながら、決められた安全な街道を運ばれるのではなく、愛馬(ヤナ)に乗って自由にどこへでも駆けていきたかった。

 魔馬によって進む馬車はそれなりに速い。けれど、いくらパワーがあるとはいえ、乗客や荷を積んだ馬車を長距離に渡って動かしていく魔馬や雪足鳥にかかる負担は、自らに置き換えれば想像を絶するものがある。カーブや凹凸など道の状態もあり、無意味にずっと最高速度で走らせ続けるのは、潰れろと言っているも同じだ。

 せいぜい、人族(ヒュム)の成人男性が全速力で走る速度。場所によってはもっと遅くなることもある。長い長い道のりを、そのぐらいのペースでゆるゆると進んでいくのだ。窓の外の景色は「流れる」という表現にそぐわず、えんえんと平原の続いている場所もあり、休憩を挟むと、容易にそこから抜け出せなかった。


 優雅に景色を楽しむ方向へシフトするにも、そういった景色は、既に瀬名の中で日常に落とし込まれていた。

 枯れた草木、乾燥した大地、目につくものすべてが灰色や黄土色の不毛の地、あるいは小数点以下まで計算され尽くした人工物の世界――もしもそういうところで生活をしていたならば、ここは日常から掛け離れた楽園のごとき美しい異世界に映っただろう。

 そう、日常から掛け離れてこそ、より強い感動を覚えるのだ。

 瀬名はもう、こういう景色に囲まれて何年も暮らしてきた。

 風景を楽しむ観光旅行には、このルートはもう不向きになってしまったのだ。


(しかも、ミウ達と思ったより喋れないのが痛いわ。これが一番、計算違いだったかも)


 元気で明るい子供達とキャッキャウフフと戯れる。そんな旅を思い描いてこの人選にしたようなものだ。

 ところが想像以上の真面目さと思慮深さを発揮した子供達は、必要がなければ滅多に話しかけてこなかった。喋るほどボロが出やすくなるからである。

 彼らが話しかけるのはもっぱらカシムとカリムであり、質問攻めに遭うカシム先生の青空教室は楽しかった。

 しかし麗しの奥様が「せんせー、質問です!」と交ざることは許されなかった。

 馬車が違えばなおさらだ。知り合ったばかりの同行者が盗賊に早変わりすることもあり、警戒心を初っ端から剥き出しにする者もいる。瀬名の扮する謎めいた奥様がすんなり受け入れてもらえたのは、しとやかな〝女性〟であり、成人男性の戦力がカシムとカリムの二名だけであり、そしてトール・レスト・ミウを伴っていたからだ。

 一方、態度もお喋りもチンピラ臭を漂わせているあの連中は、とりわけ売り物を積んでいる商人の一行に不信感を植え付けていた。


 瀬名としては、シモンをいじめていた幼馴染みの少年達を連想する。

 「ぶっきらぼうでワイルドな俺カッコイイぜ」を、矯正される機会のないまま大人になってしまった、そんな印象を受けた。

 そしてああいう、自分も周りもろくに見えない勘違い男は、決して少なくはない。


「女の人って、大変なんだなあ」


 カシムとカリムがもしこの場で聞いていたら、もの凄く何とも言えない気分で沈黙していただろう。


《そうですね。女性でも、身分の上下で大変の度合いが大幅に変わりますが》

「だね。女の一人旅が異常だって言われるわけだわ」


 思い浮かぶのは、農村出身のそばかすの少女だ。

 やせっぽっちで、垢ぬけていない、けれど笑顔になったらお日様のように可愛い。

 父親がネガティブの沼に嵌まりこみ、頼りにならないので、自分がなんとかしなきゃと気合いを入れているしっかり者の少女。

 野営の際、瀬名が優雅に天幕の中で横になっている間、彼女は布にくるまって、父親と肩を寄せ合い、外で寝ていた。

 最初に目にした時、瀬名は「嘘だろ?」と目を疑った。

 父娘だけではない。天幕を使っているのは、瀬名と商人だけだった。天気の良い夏の夜なら、外のほうが涼しく、スペースを気にせずに済んでいいのだと。

 すぐそこの建物に騎士がいて、壁で囲まれた広場は、村や町に入り損ねてやむなく行う野宿と比較すれば、安心感が段違いなのだと。


《女性は危険視されにくいメリットがあります。代わりに、守ってくれる者がいなければ、ありとあらゆる最悪な展開に巻き込まれる恐れしかありません》

「うん。腕に覚えのある女性戦士でも、眠ってる間とかどうしても無防備になるしね。もしあの娘さんがひとりきりだったらって、ちょっと想像もしたくないわ」


 不意に瀬名は思った。


(もしも私が、以前の〝私〟のままだったら、どうなってたんだろう)


 昔の自分と何も変わらず、背丈は百六十センチ程度にとどまり、髪を伸ばして、毎日当たり前にスカートを穿いて。

 剣を振るうことも、魔素を操ることも知らず、体力も腕力も脚力も一般女性並みで。

 そんな、本当にごく平凡な、かつての自分のままだったら。

 

 辺境伯は。ライナスは。騎士達は。

 グレンは。ウォルドは。バルテスローグは。

 あんなに親しくなれたろうか。そもそも、関わりを持てたろうか。

 ゼルシカには出会えたかもしれない。単なる客の一人として。

 アスファ達はどうだったろう。

 灰狼は。

 精霊族(エルフ)は。


 出会えただろうか。会えたと仮定して、親しくなれたろうか。

 もしも彼らの前にいるのが、以前のままの東谷瀬名だったら。

 無力で無知で小心者で、容姿は十人並みのオタク成分多め。趣味はゲーム。

 シャツ一枚であぐらをかいて、キンキンに冷えたビール、塩気が絶妙な枝豆をつまみつつ「サイコー!」。

 もし自分の女性的なアピールポイントは何かと問われたら、小一時間考え込む。


 こんな艶っぽい美女ではなく、万人が通り過ぎて意識すらしない、かつての東谷瀬名(じぶん)だったら。

 彼らは。

 あいつは――。




《マスター》

「……何かね?」

《現在のマスターの心理を、オリジナル〈東谷瀬名〉の記憶情報も含め分析してみました》

「んなもん分析してみるんじゃありませんよ! ――で?」

《現在のあなたの心理状態は、かつてオリジナル〈東谷瀬名〉がブラック企業から解放され、再就職先が決まるまでの空白期間と酷似しているものと思われます》

「ぶッ!! よりによってなんつー例を!? ………………で?」

《激務に追われ生ける屍になっている時や、生き延びるのに必死な時は、他の事柄に頭が回りません。ひたすら目の前の仕事を片付け、ひたすら生きるだけです。しかし何者にも脅かされる心配がなく、平和でゆとりのある日々を送っていれば、人は次第に優先順位の低いことまで考え始めます。考える時間と余裕があるからです》

「……うん」

《当時のオリジナルと、現在のあなたの不安は共通しているものと思われます。『このままでいいのか』と、自問しておられませんか?》

「…………」

《結論として、このままでいいでしょう。その自問、熟考の価値なしと愚考いたします》

「おい」


 究極の結論が来た。


《心身ともに十全な状態であり、目と鼻の先に迫る脅威もないのに、不安を覚えて仕方がない。今のあなたは、何もすることがない退屈で平和な日々そのものへの不安に囚われていると推察いたしますが、違いますでしょうか》

「――――違わない、かも。つうか、退屈なんてしてる自分何様だって感じだよ。落ち着かないっつーか」

《仕事をサボってのんびりしたいのに、いざ本当にサボってのんびりしていると、罪悪感が湧いて働きたくなる貧乏性ですね》

「いいかARK(アーク)よ、おまえはな、おまえは今すぐにでもこの単語をその頭脳に記憶するんだ、〝オブラートに包む〟を!!」

《コマンドの実行に失敗しました。その単語は既に登録済です》


 突っ伏した。

 幽鬼のように広がる黒髪の隙間から、「登録できてるくせに何で反映されてないんだ、どこがバグってるんだ…」とぶつぶつ不気味な呪文が漏れる。

 しばらく呪詛が垂れ流しになるのを無言で放置した後、頃合いを見計らい、青い小鳥は主に尋ねた。


《あなたはあなたであり、別のものには成り得ません、マスター。その事実に何か不都合でもおありですか?》

「それも分析?」

《客観的事実です。もっと違うものになりたかった、元の自分に戻りたい、そのような望みは持たれていないように見受けられますが》

「そうだよ。当然でしょ。私は私だ」


 瀬名はごろりと仰向けになった。

 この麗しの奥様にしても、〝自分ではないもの〟を演じているから楽しいのだ。

 自分以外の何かになりたかったわけではない。かつての東谷瀬名に今さら戻れるとも思わないし、とりたてて戻りたくもない。

 ただ、そうなっていればどうだったか、と考えてしまうだけだ。

 目標も目的もない、ただ漫然と生きている自分にふと気付き、不意に未来というものへの現実味の無さが迫って、居ても立ってもいられなくなった。

 何をすればいいかを見つけるために、何かをしなければという、強迫観念めいたものに突き動かされた感は否めない。


ARK(アーク)

《はい》

「この世界の人間として、この世界の人々にごく自然にとけこむ必要があったんなら、私の記憶は無いほうが都合良かったんじゃないの? 真っさらな状態で、一からこの世界で育てる方法もあったんじゃない?」

《いいえ、ありません。私には〈管理者(マスター)〉の存在が必要不可欠です。そしてあなたの再生を希望したのは倉沢博士でした》

「――――」


 瀬名は舌打ちした。

 そうだった。

 奴が「瀬名さんを蘇らせてくれ」とARK(アーク)(スリー)に命じ、瀬名が生まれた。

 記憶情報の移植は決定事項だった。

 せっかく忘却の彼方に追放していた名を、自ら蒸し返した間抜けぶりにほぞを噛む。


《マスター》

「はいよ。何かね?」


 自棄まじりの低い凶暴な声音になってしまったが、むろん小鳥はこゆるぎもしない。


《トール・レスト・ミウを伴い、外へ繰り出して食事をしつつ気分転換することを推奨いたします》

「採用。そうしよう。いいねそれ」

《それからもうひとつ》

「はいよ。何かね?」

《あなたはあなたのままで良いのでは、と愚考いたします》

「…………そうかよ」




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