244話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (5)
感想、評価、ブックマーク等ありがとうございます。
気付けば一年以上続いてました。自分でびっくりしています。
読み返すと、あれもこれも直したい、なんであそこを飛ばしたんだと思う箇所が大量に…。
完結したらまるごと一気に手直ししたいです。細かい修正を今から始めてしまうと、完結できなくなると思いますので。
勢いでこの先も突っ走りますが(大汗)お付き合いいただければ幸いです。
青い影に怯えながら馬車の中で沈黙し、静かに揺られることしばらく。
前方に関所の村が見えてきた。
天然の大岩に囲まれ、岩の内部をくりぬいて住居にしている集落だ。ここに着けば、イシドールはあと少しである。
住民の大半は鉱山族、半獣族、討伐者、そして騎士。初めて訪れる者には、良く言えば刺激的、悪く言えば異様な場所だ。
(ううーん、やっぱり実物は迫力あるなあ。あの娘さんも、今頃目を白黒させてそうだ)
彼女の出身地の話を聞くだに、この集落より遥かに素朴で、ささやかな村だったと想像できる。
そんな村が魔物の襲撃を受け、母親も、近所の人々も喪われてしまった話は衝撃的だった。十四、五歳ほどの少女が、感情をこめず淡々と語る口調が、余計にリアルな悲惨さを感じさせ、胸に迫る。
大泣きする時期はもう過ぎてしまい、現実を見て行動しなければならなくなったのだろう。瀬名はどう声をかけていいかわからず、ただ阿保のように黙って聞くしかなかったが、そんな役立たず相手に「聞いてもらえてすっきりした」と笑ってくれた。笑顔が可愛らしい少女だった。
ただ、言葉の端々に、辺境イコール田舎という侮りが滲んでいた。田舎で人出が足りないのなら、自分達の仕事もすぐに見つかるだろう、と。
(まあ、どこへ行っても働き手は引く手あまたに違いないけどね。ニュアンスが違うっつーか)
だが今日にでも、少女の先入観は粉々になる。
新たなる現実に対面し、奮起するか、萎縮するかは彼女次第――いいや、彼女達、父娘次第だ。
平民と貴族の出入口は分かれており、瀬名と他の馬車はここで一旦お別れ。一泊ののち、明日の朝に合流して、一緒にここを出る約束をしていた。
いかにも堅牢な門前に馬車をつけ、関所の兵に身分証を呈示する。変に騒がれたら困るなと心配していたが杞憂だった。精霊族と辺境伯の紋章が刻まれている白銀のプレートを検める間、いぶし銀のような兵はぴくりとも動揺せず、クールに「確認いたしました。お通りください」と軽く頭を下げるのみ。
今回の計画を打ち明けていた面々からは、「身分証の偽造はしないほうがいい」とアドバイスを受けていた。そんなことをせずとも各関所は普通に通過できるので、変なリスクに手を出す必要はない、明らかに変装していれば必ず察してくれるからと。
従って正解である。村長のもてなしを希望するか訊かれたが、もちろん断った。
すると上質の宿の場所だけを教えてくれて、仰々しい引き止めにも遭わなかった。
「えっ、俺達も一緒のお宿に泊まっていいの!?」
「もちろん。護衛は近くにいたほうがいいからね。――よろしいでしょう? 奥様」
カリムが相棒の数十倍ぐらい愛想たっぷりで尋ね、「ええ、もちろんですよ」と頷いた。青年の人好きのする笑顔に、さらなる笑顔が上乗せされ、傾きかけた陽射しの下で輝いている。
馬車を下りる際、差し出されたカリムの手に手を乗せたら、きゅっと握られ、そのまま宿に連れて行かれそうになった。
(あれ? ここって、握るのがマナーだったっけ?)
そんな話は聞いたことがないが……。
「……いつまでも手を握るな。いい加減放せ」
「え~……」
「えー、じゃない」
カシムの厳しい駄目出しが来た。やはりおかしかったようだ。
意外とカリムのほうが、こういうマナーは不得手なんだな、と瀬名は思った。
値段も質も村で一番と評判の高級宿をとり――というより大半が安宿で、一定レベル以上の宿は高級宿の一件しかなかった――自分にあてがわれた部屋に入ると、ぐるりと室内を見回す。
こぢんまりとしているが、趣があって悪くない。どこか〈門番の村〉の灰狼が住む家と似通っていて、とても落ち着く。良い部屋だと感じた。
小さな窓の隙間を開け、寝台にどっかりと腰を下ろした。
念のため、空気の層を動かして室内の音を外部から遮断した。
「ARKさんや」
《はい》
窓辺に、青い小鳥がとまった。
◇
小鳥は一瞬だけ窓枠にとまり、すぐにツイ、と飛んで瀬名の膝に着地した。
「言いたいことが大量にあり過ぎて何から言えばいいのかわかんないんだけど、とりあえず。あんた留守番してねっつったでしょうが? まさか三兄弟とか灰狼とかも来てないだろうね?」
《彼らは来ていません。私のみです》
「えっ。――え、マジで来てないの? あんただけ?」
《はい。正しくは、来たがっていましたが、私が止めました》
久々に小鳥の口調を耳にする心地で、瀬名は思った。
あの娘さん、こいつと比べたら万倍、感情豊かだったな、と。
「よく止められたね? いや、それでいいんだけどさ……」
《我を通せばマスターに不利益をもたらすと説得し、納得いただきました》
「不利益ってね。留守番指示をぶっちぎりに破ってる、あんたを棚に上げるんじゃありませんよ」
《私の待機指示は、〝何事もなければ〟と付け加えられていたと記憶しております》
「そっちで何かあったの?」
《これから〝ある〟と推測しております。マスターのほうに》
「…………は?」
靴を脱ぎ、ドレスの裾をたくしあげ、寝台の上であぐらをかく。布地に小鳥が埋もれそうになるが構うものか。
「ああスッキリした。超くつろぐ……」
美女の唇から、しとやかな奥様にあるまじき呟きが漏れた。
ごくたまにぬりぬり手直しをするだけで、SFXメイクは今日も完璧に保たれている。
《失敗した、と、そろそろお考えなのではありませんか?》
「どういう意味かね?」
《おわかりのはず。道中、マスターは商人の馬車、そしてギルドの馬車と同行しておりましたが、彼らの会話が耳に入る環境ではありませんでした。乗り物は完全に別、顔を合わせるのは短い休憩時間のみです》
「……別にいいけど? 私、ヒキコモリ屋さんだし。始終他人と顔突き合わせてる環境、ストレス溜まるし」
《ですが気になっていたのではありませんか? いわゆる貴人の〝ひとり旅〟は問題なく体験できたのでしょう。しかし、マスターの目的はごくひと握り、ひとつまみの人種を知ることではなかったはず。私は他の馬車内の会話を録音しておりますが、お聞きになりますか?》
「…………」
しばし迷い、
「…………お願いします」
断じて負けたわけではない。と、思いたい瀬名だった。
そして抑えたボリュームで再生される会話に、ああそうか、とうなった。
確かに、わかってはいた。どうにかして、彼らと同じ馬車に乗れないかと頭をよぎったのだ。けれどこのドレスでは無理。お上品な横座りで数時間、最早そんなのは不可能である。
過去の記憶を引っ張り出し、短期決戦で完璧な奥様ぶりっこができても、今の瀬名は人生の大半を快適な男装で過ごしている。バレにくさを優先し、なおかつ不要なトラブル防止の護衛を連れていて違和感のない、そして演じて楽しそうな人物設定を選んだつもりが、とんだ落とし穴であった。
(カシム以外の全員、めっちゃ喜んでくれてるみたいだし。皆へのサービスになってるって意味では、まあこれでいいかなと思わなくもないけどさ)
人付き合いは苦手でも、喜んでもらえたら嬉しい、元ぼっちに染みついた悲しい性である。
最初に鳥が再生したのは、関所の村に着く少し前からの会話だ。
商人と用心棒が気安そうに声を交わしている。良い主従関係を築けているようだ。声の調子だけで伝わってくる。
『あのご婦人と酒飲みてぇぜ……』
『あほ、あんな御方が俺らみてーなのと同じ酒場使うかよ』
『ん~、ワシも無理そうだの~。せめて酒を扱っておったら、一番いい瓶を開けて乾杯でも誘えるんだったが』
『なんか底知れねえ美女だけど、意外とスジ通す方だよな。お近付きになりてぇわ』
『無理無理! あの護衛見ろよ、ただ者じゃねえって。ガキどもにしても、無邪気そうに見せて、ありゃ結構なやり手だぞ』
『ご主人、なんか女性の好みそうなやつとか載せてねえんで?』
『今回は載せとらんのよ。しまったわ。布だけは積んどるが、防具用だからなあ……。そうでなきゃ、もうちぃと話題のキッカケ掴めたんだが』
『にしても、何者なんでしょうかね?』
『さあの。知らんでいいわ、そんなのは』
『ですな』
まるで全員が同年代の悪友のようだ。ノリのいい、それでいて世の中に通じている男同士の会話に耳を傾けていると、つい微笑みが浮かんでくる。
この連中の中に交ざれたら、さぞかし楽しいだろう。そんな雰囲気が感じられた。
討伐者ギルドの馬車は、反対に空気が悪そうだ。車輪の音と乗り物が揺れる音、そして時折、どう控えめに言っても下品としか言えないゴロツキ同士の会話。
それなりに賑やかだったのだが、楽しくはなさそうだ。
そんな中、好奇心旺盛な少女が父親にひっそりと声をかけた。
『ねえ父さん。あの旗って、何なのかしら? たまに見かけるよね』
『…………え? 何?』
『もう! だから、旗だってば!』
父親は明らかにきょとんとしている。顔が見えなくともわかる。
父親がそんなふうなので、自然と少女の声が大きくなってしまった。
『あれは、この地域で使われている警告だ』
インテリ風の男の声。気難しそうな顔つきをしているが、意外にも困っている者を見かけたら世話を焼きたくなるタイプだった。
あの旗の意味は、近日、そのあたりで血が流れる戦闘があったという意味だ。あの印は、このあたりは飛翔タイプの魔物が縄張りにしているから注意せよという意味だ――脅しではなく、この地では知っておいたほうがいい、役に立つ知識を勿体ぶらずに教えてやっている。
父娘が息を呑む音。
『はッ、びびってんなよ』
『大丈夫だぜ、嬢ちゃんよ。俺らが守ってやるからさぁ』
討伐者、否、ゴロツキの声。前者はインテリ風青年を鼻で嗤い、後者は不気味な猫撫で声。
妙に少女に優しそうな声色が、逆に不気味だった。
少女は押し黙り、再び馬車は静かになる。
そしてしばらくして。
『……あれが、イシドールの町? すごい、おっきな門……』
一拍あけて、ゴロツキどもが爆笑。んなわきゃねえだろ、かわいいねえお嬢ちゃん――。
少女がどんな顔をしているか、なんとなく想像がついた。
インテリ風青年が、まったく変化のない口調で、あれは関所の村だと教えてやっていた。イシドールは、あれとは比較にならない大きさだと。
小さく鼻をすする音が混じった。
――あの野郎どもは、後でシメよう。瀬名の秘密のリストに名前が増えた。




