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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
旅と模索
242/316

241話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (3)


(はぁ~……)


 首を垂れ、眉の両端をしょぼんと下げて、男は陰鬱にふさぎ込んでいた。

 子爵領に生まれ育ち、小さな畑を耕しながら、妻と娘の三人で、細々と堅実に生きてきた。

 なのにどうして、こんなことになってしまったのだろう。


「休憩ぃ? 早くねえか?」

「なんか、商人の用心棒がここだっつって止めやがるんだよ。あの美女も倣うみてーだし、俺らだけ先行くわけにゃいかねえだろ」


 イライラ尖った男達の声が、気弱な農夫の神経を刺した。

 どんより己の中に閉じこもっていても、怖そうな人種が荒っぽい声をあげていれば、耳が勝手に飛び起きて懸命にその声を拾い始める。そうして、いつどんな風向きになっても逃げられるよう、身体が勝手に準備を始めるのだ。


「あんたら下りな」

「メシだってよ。――ったく、なんでこんな早く……」


 せっつかれ、娘を伴い慌てて馬車を出た。乱暴で苦手な若者達だが、彼らがいなければ故郷を離れることなど到底できなかったのだから、贅沢を言ってはいけない。

 村にあったのより上等だと思っていた討伐者ギルドの馬車は、商人の馬車やご婦人の馬車と比較すれば、薄汚れて見劣りがするものだった。

 なんだか俺みたいだな。とことん後ろ向きになっている男は、自嘲気味に思ってさらに落ち込む。

 古びた靴が草を踏んだ瞬間、よろけそうになってしまった。長時間乗り物に揺られ続けていたせいで、全身がカチコチになっている。

 前回の休憩時間は、昼の後に一回だけあった。旅慣れない身としては、もっと休憩の回数を増やしてくれてもいいぐらいだ。


「騎士団か……」

「いつもながら、頼もしいですね」


 同じ馬車に乗り合わせた、頭が良さそうで神経質そうな男と、従僕らしき男がほっと囁き合うのが聞こえた。

 つられてふと顔を上げれば、街道の向こうに、石造りの小さな建物が見える。小さいと言っても、男が妻子と住んでいた小屋よりも大きくて、とても頑丈そうだ。

 無骨な建物の石壁には、大きく紋章が掘られていた――無知な村人でも、それがどこかの偉い人のしるしだ、ということぐらいは知っている。


(剣と花……あれって、騎士団のしるしか? この土地の……)


 空き家ではなく、ちゃんとした設備だ。その証拠に、男がぼんやりしている間に、騎士らしき立派な風体の数名が出てきて、前の馬車の人々と何かを話し合っていた。いや、ちょうど話し終えたところだったようだ。

 近くに村や町があるようには見えない。どうしてこんなところに、こんな建物があるんだろう?

 どういうやりとりがあったかは訊けなかった。だが、討伐者のリーダーがこれから夕食をとると不満そうに告げるのに、大人しく従うだけだった。

 反発する理由はないし、理由があったとしても、そんな勇気はない。こんな乱暴そうな奴らに盾突くなんて、自分には無理だ……。


(はぁ~……)


 何度目かの溜め息をつく。騎士様の建物の横には広場がくっついていて、その広場はこれまた頑丈そうな石壁に囲まれていた。

 みな馬車をそこに停めて、夕餉の準備にとりかかった。

 とは言っても、凝った料理は作らないので、手間はそんなにかからない。いつもなら手頃な石で囲いを組み、休憩の合間に少しずつ拾い集めておいた木の枝を入れるのだが、ここには先客が使っていたのか、既に石が組まれていた。

 そしてここから火を熾すのに時間がかかるものなのだが、商人と異国風の奥様が火の魔石を持っていて、やはりこれも短時間で済んだ。

 魔石なんて、平凡な村人だった父娘(おやこ)は、今までお目にかかったためしがない。それを所持しているだけで、とても金持ちなのだとわかる。まあ、身なりの上等さや護衛が何人もいる時点で、一目瞭然なのだが。


(どうして、こんなに違うんだろうなあ……)


 不味い干し肉をかじるか、空腹を我慢するかのどちらかを覚悟していた。なのに、たまたま彼らが親切な人々だったおかげで、気前よく火を提供してもらえて、あたたかい食べ物にありつけている。

 感謝すると同時に、己の不甲斐なさを思い知らされて、いっそう情けなくなるのだった。





「はぁ~……」


 父親の口から何度目かも不明な溜め息が漏れて、娘は耳を塞ぎたくなった。

 わざとやっているのではなく、無意識なのだ、これでも。我慢して隠しているつもりでいる。

 けれど隣に座っている娘の耳には――いや、村の荷馬車よりずっと静かで揺れの少ない長距離馬車だ、娘に限らずほかの乗客にも、その陰鬱な音はしっかり届いているに違いない。

 その証拠に、対面にいる神経質そうな男が、呆れているのか腹を立てているのか、父親がひとつ息を吐くたびに眉をぴくりとさせている。

 今朝、いいや、昨日あたりからか。住み慣れた故郷からどんどん遠ざかるのを実感した頃だと思う。この、後ろ向きな溜め息の回数が増えたのは。娘としても、いちいち聞かされて気分の良いものではまったくない。


(もう、やめてよね父さん! いい加減にして!)


 そんなふうに注意したいのは山々だが――できなかった。


(だって……何もかも嫌になるの、無理ないもん。……どうして、こんなことになっちゃったのかしら……)


 村が、魔物に襲撃された。

 ぐるりと村を囲っていた柵は破壊され、たくさんの村人が殺された。その中に、彼女の母親も入っていた。

 怖かった。

 しばらくすると魔物はいなくなったが――考えたくないけれど、満腹になったんだろう――畑は滅茶苦茶になり、家にも住めなくなった。

 あいつがまた戻ってくるかもしれない。みんなは村近くの小神殿に駆け込もうとしたが、門はかたく閉ざされて、誰も入れてもらえなかった。

 領主様は助けてくれなかった。

 親子は、泣く泣く村を離れた。大勢の村人の血と臓物で汚れた土なんかで、もう作物を育てられはしない。

 何より、そんな怖いことのあった所で、呑気に畑を耕し続けられるわけがなかった。


 襲撃に怯えつつ、あてもなく歩いた先に辿り着いた宿場町で、辺境の話を聞いた。

 二人は自分達の住んでいる場所が、国の中のどのへんにあるのかをよく知らなかった。もっと端っこのほうにも、別の貴族様が治めている土地があると初めて知り、辺境という言葉から、漠然と「自分達の住んでたとこより田舎なのかな」と思い込んだ。

 そういうところなら、ひょっとしたら土地がたくさんあって、働き手が足りていないかもしれない。

 いっそ王都を見てみたいと憧れなくもなかったが、それよりも切実に、目の前の生活をどうにかしなければいけなかった。第一に、心優しいが気弱な父親は、「しっかり者の娘がいなければ早晩村の中でさえ行き倒れる」とご近所中で評判のお人好しだったので、都会などに行けば騙されそうだった。

 今だって、初対面の人々と一緒にあたたかいスープを飲み、カチカチのパンをかじりながら、殻に閉じこもって周りが見えていない。

 娘はもう少しばかり周りに関心を持っていた。


(……こんなキレーな人がいるのねぇ。あたしより年上かな? どこかの貴族様かしら?)


 まだ明るい中、小さくまとまった火を囲み、父親と娘と、商人と、神経質そうな男と使用人ぽい男、それから不思議な雰囲気のとても綺麗な女の人とで、一緒に夕食をとっている。

 馬車の中ではひたすら不安に耐えるしかないけれど、こうして休憩のたびに顔を合わせていると、村にいたら絶対に縁のなかった出会いに心がドキドキ弾んで、もうどうしようもないとばかり思っていた目の前を、少しばかり明るく照らしてくれるのだった。


 貴族様は平民なんかと一緒に食べたりはしないと噂で聞いたので、お金持ちの商人の奥様かもしれない。

 すらりと背が高くて、印象的な切れ長の目や、豊かな胸もと、少しかすれた声がゾクリとするような艶っぽさで、一緒に来ていたギルドの男達も彼女に夢中になっていた。

 娘はギルドの荒くれ者が苦手だった。そばかすの痩せっぽちと、ヒソヒソ嗤っているのが聞こえてしまったのだ。村にもそういう奴らがいたけれど、そいつらは怒鳴って追い払ったり、やり込めてすっきりすることができた。でもこいつらには、文句をぶつけたらどんな仕返しをされるかわからないので、我慢するしかない。

 そいつらはスープをかきこみながら、商人と奥様がお喋りを弾ませていたのに割り込んで、さりげなくあしらわれている。傍で見ていてもうんざりしているのがわかるのに、そいつらは気付く様子がなかった。どうしてあんなに自惚れることができるのだろうか?


(バッカじゃないの? こいつら)


 そう、無視してやりたいけれど、こいつらも一緒に食べていた。

 目当ての女にまるで相手にされていないのを見て留飲を下げながら、娘は同時に、こいつらが護衛をしている馬車に乗っていて、この先大丈夫なんだろうかと心配になってきた。

 だって、商人の用心棒や、奥様の用心棒、それに奥様の雇ったらしい討伐者は――誰も一緒に食事をとっていないのだ。

 ただの村娘に、目利きの才能などない。それでも、なんとなく質の違いを感じている。奥様の雇った(ストーン)ランクの討伐者のほうが、どうしてかもっと堂々として見えるのだ。


(さっき、男の子二人が何か食べてたわ。今は別の二人で食べてる。あたし達と違うものを食べてるのかな?)


 それに、必ず時間をずらして食べている。思えば朝食の時も、その前もそうだった。

 商人の用心棒も似たようなことをしている。つまりこういう時は、この偉そうなギルドの男達も、本当ならそうしなければいけないのではないか?

 

(ああでも、あたしらって運賃払って乗せてもらってるだけだから、こいつらを自分の護衛で雇ったわけじゃないのよね。だからなのかな?)


 それに、ほかにも気になることがある。


「――おい。てめえ、何さっきからこの方をジロジロ見てやがる?」

「えっ? ……え、ええと」

「怪しいな」

「なんかよからぬことでも企んでんじゃねえか?」

「ええっ!? あ、あ、あの、ああたし、そんなつもりじゃっ」


 ぎょっと顔を上げた父親が娘を凝視し、娘は余計にどもってしまった。違うのに、焦って上手く弁解できない。

 どうしよう――。


「お待ちなさい。あなた方は、わたくしの護衛ではないでしょう?」

「そりゃあ、そうだけどよ。心配すんのは男として当たり前だろ?」

「そうだぜ。あんたみてーにキレイな女、やっかみで何かしてやろうって女多いだろうからな。その耳飾りとか、物欲しそーにヨダレ垂らして見てやがったんだぜ? ()る気なんじゃねえか?」

「ちっ、違、ちがうっ!! あたしそんなことしないっ!!」

「ええ、わかっていますよ」


 意外にも、美女は温かみのあるまなざしを向けてきて、「ご安心なさい」と声をかけてくれた。

 もっと冷たい性格の女を想像していた娘は、己の失礼な勘違いを胸中で詫び、感動で目尻に涙を滲ませる。


「ああ、可哀想に、怖かったでしょう。気にしてはいけませんよ。――あなた方も、女性への言動を学び直しなさい。そもそも、このお嬢さんがわたくしにとって真に危険な存在であれば、わたくしの護衛が遠ざけています。何の咎もないお嬢さんを言いがかりで糾弾する、あなた方のほうがよほど危険です」

「いや、でもよお……」

「あんたの護衛って、あっち行ったりこっち行ったりウロウロしてんじゃねえか。役に立つのか?」

「――わからん奴らだのおまえら、さっきから聞くに堪えんぞ。素人か?」

「んだと!?」

「ざけんなよ、成金デブ親父が……!」


 男達が腰を浮かせて、剣に手をかけた。


(ええええッ!? ちょ、ちょっと、嘘ッ!? まさか!?)


 こんなところで殺し合いを!?

 そんな、せっかく逃げてきたのに!

 親子は咄嗟に身を寄せ合い、蒼白になって息を呑む。喉がごきゅりと嫌な音を立てた。

 しかし、黒髪の美女の静かな声が場を支配した。


「大丈夫ですよ、お嬢さん。すぐそこに騎士の詰め所があるのですから、本気で抜くような愚か者はおりません。ただのポーズですよ」

「へっ?」

「え、あ……」


 ぽかんとする父と娘をよそに、男達は全員、ばつが悪そうに浮きかけた腰を落とした。本当のことだったようだ。


(び、び、び、びっくりしたぁぁっ……)


 はぁ~っ、と同時に大きく息を吐いた二人。命がいくらか縮んだかもしれない。

 そして食事は再開されたが、以降、(アイアン)ランク討伐者の男達は、とりわけ商人の用心棒から要注意人物として警戒され始めた。その危険人物の動かす馬車に乗っている身として、親子はますます小さくなるしかなかった。

 やけに早過ぎる夕食を終え、器を片付けた。

 火は消さず、商人の用心棒が、何故かその上に板のような道具を設置している。


(何かしら、あれ?)


 横から見たら板が二重になっており、四脚の椅子に見えなくもない。かまど代わりの石には隙間があって、ちろちろ舐めるような炎がそこから周囲の地面を朱く照らしている。

 首をかしげていると、不意に陽が陰ってきた。


(え? まさか雨?)


 見上げるが、空に雨雲はない。

 理由はすぐにわかった。向こうの高山に、太陽の端がかかっている。

 そうか、だからなのか。どうしてこんなに早くと不思議だったけれど。

 片付けを終え、手早く野営の準備を終えた頃には、もうすっかり暗くなっていた。

 この辺りは、夜の訪れがとても早いのだ。





「わからん奴らだのおまえら、さっきから聞くに堪えんぞ。素人か?」


 神経質そうな男は、商人の男が放った呆れ声に、内心激しく同意していた。


 あまり視力がよくないせいで、じっと眉根を寄せて見る癖がつき、人には神経質そうと言われやすいが、とんだ風評被害だと本人は思っている。

 多少、人よりも几帳面で、考える努力が苦手ではないだけだ。

 職業は、お役所勤めの小役人。同行している男は、護衛兼従僕だ。金を騙し取られて借金を抱え、路頭に迷いかけていた男を気まぐれで助けてやった結果、雇用関係が生まれた。そんな間柄である。

 今回の旅の目的は、そんな従僕の幼馴染みが辺境に移住しており、どうやら結婚するらしいというので、たまたまこちら方面での仕事が入った主人も一緒について来たのだ。二人が辺境に向かうのはこれが初めてではない。

 加えて、今、王国中でひそやかに語られている噂話にも興味があった。

 〈黎明の森の魔女〉――闇の体現者のような黒髪・黒瞳・黒衣の魔女は背が高く、髪は短く、十代後半の凛々しい美少年の姿をとっているらしい。そして、青い小鳥の使い魔を常に侍らせ、忠誠を誓った精霊族(エルフ)や灰狼族を従えているそうだ。

 精霊族(エルフ)と聞いた時点で、以前はくだらない与太話だと一蹴したものだが、その噂は現在、自然消滅するどころか信憑性を増して光王国に浸透している。

 二人はその魔女に会ったことはない。いつも滞在先はイシドールの町であり、魔女の活動域とされるのは別の町だからだ。

 だがいつか、そちらにも足を伸ばしてみたいと思っている。会えるか会えないかは別として、純然たる好奇心で。


(魔女といえば、この女もそれらしい雰囲気だな)


 役人の男は、旅の同行者となった異国風の女に少なからず興味を抱いていた。

 美しさの虜になったのではない。これは虜になったら身ぐるみ剥がされる手合いの女だ。防衛本能の警鐘に従い、最初から心の防御壁は強固に保っている。

 そうではなく、女に対する騎士達の反応が気になったのだ。


 商人が言ったように、この自称(アイアン)ランクの若造どもは、まるで素人レベルだった。そこらへんのチンピラと変わらない。

 農夫らしい父と娘が気付けないのは当たり前だ。彼らは辺境の事情に無知で、明らかに旅慣れていないのだから。


(村も町もない、山間の街道にいきなり騎士の詰め所がある。子爵領にこんなもんはどこにもないから、あの親子が首を傾げてんのはわかる。だが討伐者ギルドで多少なりと長い連中なら、想像つくはずだろう?)


 この領地では、次の町や村までの間隔が一定以上、たとえば行商人の馬車の速度で野宿が必須になりそうな場合、必ずこのような騎士の詰め所や小砦がある。

 そこには最低でも数名以上の騎士がおり、野営用の広場を設け、その広場はかなり頑丈な壁で守られている。こういうものが、この領地には至るところにあった。

 ここで一泊しなければ、この向こうに安全に夜を越せる場所はない。次の地点へ行き着く前に、一瞬で闇が下りてしまう。心得ている商人は、だからここで止まれと言ったのに、あの若造どもは最初、素通りしようとした。


 女の護衛が数名を近くに残し、数名が姿を消しているのは、周辺に危険がないかを見回りに行っているからだ。騎士がいるからといって、彼らにすべてを押しつけ、ここが完璧な場所だと過信してはならない。

 さらに言えば、護衛依頼を請け負った者は、護衛対象と同じものを同じ時間には食べない。必ずそれぞれ、時間をずらして食べる。毒薬、食中毒、あらゆる可能性を想定し、全滅を防ぐために。

 

(商人もそうだが、あのご婦人も肝が据わっている。彼女の連れてる連中もなかなか場慣れしてそうだ。他人の護衛をあてにするのはアレなんだが、正直、もしギルドの奴らしかいないと、どうすればいいんだって途方に暮れるところだった)


 この若造どもが討伐者なのは間違いない。長距離馬車は、討伐者ギルドから出たのだから。

 ただ、前回利用した時と違って、程度が低過ぎる。

 灯りの上に覆いをした時、連中はさして不思議そうにはしなかった。あれは網目状の金属板が二重になっていて、熱や煙は通過するが、上から見下ろした時に火が見えない仕組みになっている。

 上空を飛翔するタイプの魔物から、地上の灯りを発見されないための道具だ。

 広場の隅には魔物の忌避剤が撒かれ、そうそう近寄ってくるものはいないはずだが、夜行性の妖鳥には、光るものに惹かれて襲ってくる種類が多い。その場合、忌避剤が意味を成さないケースがほとんどらしいと聞く。光を直視して、軽く酩酊状態になっているのでは、と言われているが、専門に研究しているわけではないので、聞きかじりの知識だ。

 結界石は効果範囲が広いほど高価になり、商人が持っているとしても、せいぜい自分と隣の一人二人を守る程度の範囲しかないだろう。


 対策も警戒も、しておくに越したことはない。その正しい対処法をある程度は知っているようだが、この若造どもには、しっかり身についていない頼りなさを感じた。

 ここはもう辺境の玄関先。適当に薄め過ぎて味の落ちたスープのごとき子爵領とは訳が違う。

 あちらと同じゆるい気構えでいたら、次の町まで辿り着けない。


(……どこかのギルド長が、査定を甘くしたか? 絶対にこれは(アイアン)ランクじゃあないだろ。向こうに着いたら、イシドールのギルドに調査依頼をかけんとな)


 それは着いてから考えるとして、ともかく、あの謎めいた美女のことだ。

 建物の前にいる辺境騎士に、商人と女の護衛と、役人の男が代表で広場の使用許可を取った。許可と言っても、「この面子で泊まりますので使わせてください」「いいですよ」程度の口頭確認だけだ。若造どもに任せなかったのは、むろんあの連中が信用できないからである。

 その時、どうやら辺境騎士が、女の護衛の顔に見覚えがあったらしい。声には出さなかったが、「なんでこんなところに?」と目で言っていた。

 そして、背後にいる女に視線を移した。騎士は訝しそうに女を見つめた後、護衛の男に視線を戻し――そして、何かに気付いたのか、再び女に視線を向けて、また護衛に視線を戻し、再度護衛の男に視線を向け、また女を――何度やるんだと思った頃。


『――――ッッ!?』

 

 辺境騎士は目を剥いた。今にも叫びそうな形相で。

 下っ端まで多少のことでは動じないと評判の精兵が。


『っっ!? っっっ、ッッ!?』

 

 女が苦笑し、あの若造どもを黙らせた時のように、小首をかしげて微笑みつつ、唇に人差し指を当てた。

 辺境騎士は、真っ赤に…………なるのではなく、真っ青に、それは見事に青ざめた。

 そして瞬時に表情を取り繕い、「どうぞ皆さん、自由にお使いください」と紳士的な笑顔で広場の使用を許可してくれた。

 くどいようだが蒼白なままで。


(…………何者だ、この女?)


 無言のやりとりを間近で見ていたはずの商人は、完璧に何ひとつ見なかったふりを決め込んだ。

 こちらはこちらで、只者ではなかった。




不運にも映像に映っていたカシム君を見る機会があり、なおかつ憶えていたようです。

憶えていなければきっと平和だった……。

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