240話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (2)
いつも来てくださる方、初めて来られる方もありがとうございます。
旅の始まりには、あえて余所の領地を出発地点に選んだ。
この世界における普通の人々が、どうやって遠くの土地から遠くの土地までを行き来しているのか、彼らの間近でそれを体験してみたかったのだ。
危険な旅路というものを、本当の意味で瀬名は実感したことがない。昼だろうが夜だろうが、最初から単独で〈黎明の森〉からドーミアまでを平然と行き来できていた。
ここに住む人々が何を恐れ、どんな日々に基づいて暮らしや未来を語るのか。瀬名の中で「未来」という言葉は不自然に浮いて、口にしてみると現実味がない。
魔素を自在に操り、大抵の魔物は脅威ではなくなり、生活上の不安もほとんどなくなった今、平凡な人々との精神的な乖離は開いていく一方な気がした。理想的な日々を手に入れつつあるはずなのに、己の足が地に着いていないような、漠然とした焦りに苛まれる。
違和感を放置したままでも、未来はいつか容赦なく訪れる。
その未来で自分は何と呼ばれ、どう思われているのか――それが気になる程度には、この世界に愛着が湧いているのだった。
ちなみに、何故〝旅〟という手段を選んだのか、理由は簡単だ。
仮に、ありふれた平民の生活にチャレンジしようと、一軒家を借りて独り暮らしを始めたとする。
――日曜大工で家の内部を魔改造しまくり、便利アイテムを次々と量産して、快適スローライフを楽しみだす展開しか見えない。
そうではないのだ。求めている普通の人の生活とはソレではないのだ。
仮に誰かの家にホームステイさせてもらったとしても、やはり我慢できずに時短アイテムを次々と披露し、市井の皆々様の生活に大革命をもたらしてしまいかねない。
要するに、常に移動していれば、そうそう爆発的な変革などを投下する危険性はないと考えたのである。
例によって精霊族の秘密の道を通り、地図上ではデマルシェリエのすぐ北に位置する、とある子爵領から南下する。
秘密の道を通過する間、トール、レスト、ミウには目隠しをさせてもらった。たくましい子供達は、「この布ちょいゆるいよ?」「外れないようにもっとしっかり結んで~」と非常に協力的だった。
好奇心に引きずられず、避けられる危険は必ず避ける。幼いながらも頼もしい新人討伐者達である。
(それに比べて、ここはなんていうか…………やる気のなさが滲み出てる土地って感じ?)
デマルシェリエの北部に連なる高山を迂回し、山の切れ目に通された街道を抜ければ、その子爵領に入る。
農地にするなり、魔馬や雪足鳥の放牧地にするなり、有効活用できそうな場所がしばらく広範囲に渡っているのだが、魔物を恐れてほとんど手つかずになっていた。
(魔物が怖いって、カルロさんとこに比べたらぐっと少ないじゃんよ?)
いや、かの非凡な辺境伯家を比較対象にしてはいけないと、わかってはいるのだ。それに、子爵領は光王国内において辺境にほど近く、危険性の高い不遇の土地に分類されている。
が、それを除いても、全体的に覇気がないと言わざるを得ない。
デマルシェリエではどこへ行っても当たり前のようにあった生命力が、この領地の人々からはあまり感じられなかった。
「相変わらず放置されてるよねえ、ここって」
「領主が小心者だからな。野心がない代わりに向上心もない」
カリムが呆れて呟くのに、カシムが相槌を打った。
領主が領地経営に興味を持てず、結果として徐々に廃れていく。勤勉に悪事に手を染める領主よりマシだが、有事の際にはさぞかし困った事態に陥るだろう。
「魔物怖いんなら、よけーに魔物対策しなきゃだめじゃん? なんか、なんにもしてなそーに見えるぞ?」
「してなそーよね。ひょっとして、討伐者ギルドにポイッて丸投げしときゃいいじゃん、みたいなカンジなの?」
「ここって商人さんも通る街道なんでしょ? 道の状態がぜんぜんちがうよ……人とか馬車の通った痕跡あるみたいだけど、これじゃ何年もぜんぜん手が入ってないみたいだ。強盗団とか棲みついちゃっても怖いのに、見回りとか誰もしてないの? 定期巡回の騎士は?」
「鋭いガキどもだな……もし家人がそれを説いても、『まだ何も起きていないのに、おまえは何を大袈裟に力説しているんだ』となる。そういう奴らしい」
「えーっ!?」
「なにそれ、へんなやつ!」
「起きたら困るから、それに備えていろいろやっとくんじゃないの?」
はいはいはーい、と元気に挙手して意見を述べる子供達に困惑しつつ、意外と律義にカシムは答える。
「そういう、まともな理屈が通じねえんだよ。無理に対策を施し、何も起こらなければ無駄金を捨てた責任はどうやって取る、とな。――悪意ではなく、単純に凡庸なんだ。賭博と投資の区別がつかず、両方に等しく尻込みしている。――どこにでもいる、権力欲のない善良な、普通の男だ」
「うえぇ……あたし、辺境育ちでよかった……」
「僕も。初めて余所に来て思ったけど、デマルシェリエって良い所だよね」
「俺も。もしここの孤児院にいたらやばかったかもな。やべー時になんもできなくなってそーだ」
「あっははは、さすがだな~君ら!」
「辺境の申し子かよ……普通は逆だぞ」
こんな過酷な環境にずっと縛られたままなんて嫌だ! もっと安全なところで楽に生きたい! と叫んで飛び出すというのが、よくあるパターンなのである。
「ギルドの先輩がさ、余所から来た人に『うちの領主様はすげーんだぞ!』って自慢してるの聞くけどさ。俺らも領主様好きだから大賛成だけど、カシムさん達から見てもそうなの?」
「そうだな。あの一族は傑物揃いだ。くれぐれも今後別の土地へ行く時は、おまえらの領主を基準にするんじゃねえぞ。ここの領主なんぞ、あれと比較したら霞むだろうが、実際は可もなく不可もなく、結構どこにでもいる一般的な田舎領主なんだからな」
「カシムの言う通りだよ。もっと酷いところなんかは、賄賂が横行したり、騎士団が盗賊団と区別つかなかったりするからね。まあこの間の〝大掃除〟で、その手合いはだいぶ減ったみたいだけどさ」
「へえ~」
「そうなんか……」
「すぐに余所行きたいって思わないけど、いつか行くかもしれないし、いろいろ教わっといたほうがよさそうだね」
へえー、ふむふむ、なるほどー、そうなのかー……にわかに始まったカシムと子供達の青空教室に聞き耳を立て、自分もこっそりお勉強させてもらう瀬名だった。
音が静かで振動の伝わりにくい箱型の馬車は、窓を開けていれば外の会話がよく聞こえる。この世界の馬車は頑丈で静かで、そこそこの速度に耐えられる設計になっていた。
引いているのは愛馬のヤナである。嫌なら無理しなくていいよ? と、おそるおそるお伺いを立ててみたら、過去に馬車用の馬として働いていた彼女は、さして抵抗なく引き受けてくれた。
以前、壁も屋根もない荷馬車に乗ったが、それに比べればちゃんとした座席がある分、座り心地も格段に良い。
自分ひとりだけ馬車の中で寂しいな、なんてことはない。
青い小鳥は、残念ながら今回もお留守番。
魔女は小鳥とワンセット。かなりの範囲までその認識が広まっているらしく、いつものように小鳥がいると、せっかくの変装が一発で無駄になりかねなかった。
というのは建前で、小鳥さんという知恵袋がすぐ近くにいると、裏技やら反則技やらを耳元でさえずり始め、ごく平凡な旅路が秒で崩壊するのではと危惧したからである。
現場での知識の補足やすり合わせには、放っておいても子供達がカシム先生を質問攻めにしてくれた。先生も、それにいちいち答えてあげている。
ドニ先生の同僚の方でしょうか、なんてお尋ねしたら怒られるだろうか。
◇
小さな宿場町のあたりで、ほかの旅人一行と合流することができた。
数名の用心棒を連れた初老の小太りな商人の馬車と、討伐者ギルドが定期的に出している長距離馬車である。
行き先は同じく、デマルシェリエ最北の大きな町、イシドールだ。
(これこれ、これだよ、ふつーの人! 私はコレを求めていたんだよ……!)
こちらは女子供の比率が高いのもあり、さして警戒心を抱かれず、すんなり同行させてもらえることになった。
「いや、このようにお美しい方とご一緒できるとは! いつもなら味も素っ気もない旅路が華やぎそうで、実に嬉しいものですな!」
「まあ……お上手ですこと」
ほほ、と笑んでみせれば、商人の男が「はぁ~」と壺や生地を眺める視線で溜め息をつき、背後でこちらに注目している用心棒が皆、目に見えて狼狽した。楽しい。
ギルドの馬車から下りてきた討伐者は、明らかにがさつで、貴人への対応がなっていなかった。血の気の多さと若さを押し出し、名前は誰だの、どこから来ただの、どこへ行って何をするんだだの、しつこくグイグイ突っ込んでくる。
これは相手が貴人ではなく、普通のお嬢さんであっても、鬱陶しさに顔をしかめそうだ。
(やってる当人は、嫌われるタイプのナンパ野郎っていう自覚がないんだろうな~)
昔は絶対にやらなかった小悪魔っぽい仕草を意識しつつ、「秘密です」と封印の呪文を唱えた。意訳:うるせえそれ以上訊くんじゃねえ。
ナンパ野郎は絶句し、耳まで真っ赤になった。楽しい。
簡単に挨拶を済ませて馬車に戻る際、護衛として一歩後ろに付き従っていたカリムが、ぼそりと一言。
「お見事です」
カシムが前で牽制していたので、必要以上に距離を詰められる心配はなかったはずだが、しつこさが度を過ぎるようであれば、それなりに対処するつもりだったのだ。
「ふふ、あの程度、たいしたことではありませんよ。それにしてもあの坊やはいけませんね、即物的で。あのように周りが見えず、自分本位な迫り方ばかりしていれば、相手が引いてしまうというのに、それに気付けないのですから」
「あの坊や……坊やですか……坊やですね、ええ、まさに。仰る通りです」
「奥様、かっこいい♪」
何故か至福の笑顔を満面に浮かべたカリムと、ぽーっと頬を染めて両手を組み、奥様への賛美を惜しまないミウ。
ついミウの頭を撫でてやれば、懐っこく自分から頭を手の平にこすりつけてきた……可愛いが炸裂であった。ゴロゴロゴロ、と喉が鳴っているような気がするのは幻聴だろうか。
何故かカリムが羨ましそうにしていたので、同じように撫でてあげようとしたら、カシムが間に割り込んできた。「俺ら、護衛ですので」――ごもっともである。ミウならばともかく、カリムを子供扱いしては、あちらの馬車の連中に舐められてしまう。
トールとレストは、さっきまでいかにも腕白小僧な顔に「わくわく♪」と書いていたが、今は微妙な表情でカリムを見上げている。どうしたのだろう。
馬車に乗り込む際、貴婦人に対するマナーとして、さりげなく手を差し伸べてくれたカシムの顔面だけが、一貫して無であった。
「あら、ありがとう」
「いえ……」
ぼそりと一言。それだけ。
社交辞令の一片も口にしない。
相変わらず仕事第一の、寡黙で硬派な男だった。が、これはこれで良し。
瀬名にとって不愛想は欠点ではない。過労は駄目だが、仕事の出来る男はいいものだ。
ただ、レディ扱いには内心辟易させられるというか、微妙に罪悪感を伴う。それに、貴婦人用の手袋の文化がないので、手からもろに伝わる皮膚感覚に未だ慣れず、反射的にドキリとしそうになる。
回数をこなせばそのうち慣れるだろうか。
(それにしても、をーっほっほ! ですわね。さすがAlphaさん、皆さま見事に騙されてらしてよ!)
万能お手伝いさんによるナチュラル系SFXメイクもそうだが、もちろん衣装も素晴らしい。
濃紺の生地に金糸の刺繍が、控えめな華やかさと高貴な雰囲気を醸し出すドレス。中位以下の貴族、もしくは貴族と繋がりの深い平民の富裕層といったところか。デザインも着心地も文句なしである。
唯一、瀬名にとって不安の種だったのは、上腕の筋肉だ。
これみよがしに隆起した筋肉ではなく、なめらかなラインにギュッと凝縮されている。とはいえ、肩から肘までの布がぴったり肌に沿うデザインだったので、妙なたくましさが悪目立ちするのではないか?
『大丈夫だと思うよ~?』
『俺はあんまし気になんないかなぁ?』
『布が黒っぽいと細く見えるっていうし、セナ様って背が高くて手足も長いから、全体的にすんなりして見えるよ?』
ミウ、トール、レストからは異口同音のオーケーが出た。
が、常に離れた位置ならともかく、何かの拍子に間近で観察される機会があるかもしれない。瀬名は人前に姿を現わす時用に、ARK氏へショールを追加注文した。
馬車から出る際、昼間なら日よけとして頭からかぶり、胸の前あたりでブローチでとめる。ドレスと合わせた紺色の薄布は、腰近くまでふんわりと覆い、夏の陽射しを遮って意外と涼しい。
南方諸国の女性がよくやるそうで、黒髪や肌色もあいまって、なおいっそう異国風の謎めいたご婦人に見える。
夜の場合は頭からではなく、肩から羽織るなり、腕に巻いて垂らすなり、その時々に応じて変えればいい。
それは早くも功を奏したようだ。言うまでもなく、例の無遠慮な若造である。
凄腕の気配を漂わせるカシムに睨まれてもめげずに――というか、実力差に欠片も気付いていないのか――強引に距離を縮めてこようとするのだが、まったく不審に思われていない様子だった。
「奥様、休憩地点に着きましたぁ! お食事を用意しますので、お外にどうぞ!」
ミウが窓の外から声をかけてきた。
――もうそんな時間なのか。




