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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
旅と模索
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239話 ありふれた人々の少しだけ特別な旅路 (1)


 寂れかけた宿場町を抜けて、デマルシェリエ領に入った。

 いつもこの瞬間、商人の男は緊張と同時に、不思議な安堵感に包まれる。

 国内でも有数の魔物生息域が集中し、不仲な隣国と接している不遇の土地だ。

 その一方、代々ずば抜けて秀でた領主、下っ端まで精鋭と呼ばれる騎士団に守られ、ここに住まう人々の幸福感や満足感の高さに、行く先々で驚かされる。

 それを知らない土地の人々の中には、彼らを野蛮な辺境の田舎と馬鹿にする者もいる。だが商人のように各地を渡り歩き、その土地土地の実情に通じる者からすれば、ここは決して田舎ではなかった。

 むしろ、無知な自覚がないまま他者を見下し悦に入っていた連中の土地より、こちらのほうが全体的に発展していると言っても過言ではない。


 腕に覚えのある高ランクの討伐者が、強い魔物を求めて集まる。

 稀少な魔物素材や鉱物、薬草類などを扱う優れた職人が育つ。

 そして、それらを求めて多くの商人が足を伸ばすのだ。

 それから……。


「旦那。今回はあんまり人が集まりやせんでしたね」


 御者席に座る主人に、中年に差しかかった用心棒の男が声をかける。今回はこの男を含め、数名の用心棒が連れて来られていた。

 討伐者ギルドにも質の良し悪しがあり、すぐにいい護衛が雇えるとは限らない。そういう土地とあらかじめわかっている時は、もともと専属で雇われている用心棒が同行する。

 メリットは人となりを知っていて、ぱっと思いついたらすぐに発つことが可能であること。

 デメリットは、対魔物の戦闘経験がどうしても少ないことだ。

 先ほどの町では、希望に合った討伐者を雇えなかった。――どことなく、低俗なゴロツキ討伐者が増えていたのだ。

 そういう連中はたいしてランクが高くない。そして他人の仕事を邪魔して、己の評価を上げようと腐心する傾向がある。


(デマルシェリエ領でそんなもんをゾロゾロ連れてたら、自殺行為だわい。守ってもらうどころか、いざって時にワシが囮にされかねんわ)


 商人の男は憮然として、半分以上白くなった口ひげを鼻息で揺らした。


「さっきの領は年々衰退しとるからなぁ。ギルドも粗悪な所ばっかりになりよるし」

「精彩欠いてる奴が、前より増えやがったなとは感じましたが」

「あれは領主がいかん。積極的に悪事は働かんが、それだけだ。領内のことを最低限も把握できとらんし、する意欲もない。それで自分だけ満足しとる。領民にとっちゃいい迷惑だろうよ」


 デマルシェリエ領へ向かうための通り道でもなければ、商売的に旨味のないあの土地に好んで行きたいとは思わなかった。


「……あっちの馬車の護衛、言っちゃあなんですけど、しょぼいですからね。もう少しマシな討伐者が雇われてたら、俺ら的にも心強かったんですがね……」


 二台目の馬車を眺め、用心棒はげんなりするのを隠さなかった。

 やつれた農民風の男がひとり。

 元気は良さそうだがまだ十代と思しき娘がひとり。

 痩せぎすの学者風の男がひとり。

 使用人風の男がひとり。

 御者席に座っているのは、先ほどから彼らがぼろくそに貶している町の討伐者だ。

 御者席にいるのも、馬車の両脇にいるのも、さほどの腕前には見えない――。

 全員ランクは(アイアン)のはずだが、中堅どころにすら見えなかった。どことなく貫禄が足りないのだ。ひょっとしたらつい先日までは青銅(ブロンズ)ランクだったのかもしれない。


 定期的にギルド間を行き来する馬車があり、運賃を支払えば乗せてもらうことができる。自前の馬車を持っていない商人や、足を持たない討伐者など、遠方の行き来に利用する人々は一定数いた。

 そして懐に余裕のある乗客が集まれば、護衛の討伐者のランクを上げてもらえることもあった。

 今回はそれがない。つまり懐の寂しい客しか集まらなかったわけだ。


「その代わり、あっちの馬車の護衛は上等だぞ?」


 商人はこっそり指で示した。

 三台目の馬車だ。


「……あの半獣族(ライカン)ですな。確かに、黒っぽい毛並みのほうは油断ならん感じがしますな。明るい毛並みのほうは、人好きのする雰囲気ですが……こっちも弱くはなさそうです」

「むろんあの二人もそうだが、討伐者の子らもなかなかではないか?」

「あのガキどもですかい? 雪足鳥の戦闘力と足は頼りになりそうですがね。ひとりは半獣族(ライカン)だが、いかんせん幼いでしょう」

「賢そうだぞ? 目端が利きそうだ。ワシの勘では、あっちの馬車の奴らより、あの子らのほうがいざって時にゃ頼りになりそうだが」

「そうですかい? 旦那の勘を疑うわけじゃありませんがね。あいつら、まだ(ストーン)ランクになったばかりって聞きましたぜ?」

「ワシも聞いとる。だがな――あ奴らの雇い主は、あのご婦人だぞ?」

「…………」


 声をひそめる主人に、用心棒はつられてごくりと息をのんだ。

 そうだ。あの、謎めいたご婦人……。


 少しでも遠方へ向かう者は、他人同士でも、同じ行き先の者同士でなるべく集まることが多い。

 少人数では危険だし、大勢いれば護衛を雇いやすい。

 今回集まったのは、商人の男を含め、三台の馬車。これは一概に多いとも少ないとも言えない。

 強いて言えば、ごくありきたりな平凡な人々が寄り集まり、危険度の高い土地を平凡に恐れつつ、そこに踏み入った。そういうありがちな出来事だった。


 けれど今日は、商人の男や用心棒にとって、普段とは大いに異なる点がある。

 それこそが、宿場町を出てすぐに合流した、あの馬車のご婦人だった。

 彼らと同じく、イシドールの町へ向かう途中なのだという。

 向こう見ずな若い討伐者の男が、勇気を振り絞って尋ねたところ、知人に会う予定なのだそうだ。


 その知人が誰なのか、ご婦人が何者なのか、その討伐者はとうとう聞き出せなかった。

 ご婦人がうっすらと目を細め、艶やかな唇の前に人差し指を立ててこう言ったからだ。


『秘密です』


 そのたった一言で若者は真っ赤になり、「あー」だの「うー」だの間抜け面をさらしながら呻る生き物と化した。

 そして誰も彼を馬鹿にしなかった。


「……何者なんでしょうかね? あんな上等そうな半獣族(ライカン)を二人も従えて、あんなガキどもに気前よく雪足鳥を全員分用意できるなんざ……」

「……くれぐれも踏み込むなよ? ありゃあ、ここって線を越えたが最後、それまでの稼ぎ全部ごっそり持ってかれる手合いの女だぞ?」

「わかってますよ。俺の下のモンにもきつく言っときまさぁ、アレはやべぇからやめろってね。ま、半獣族(ライカン)のガキが懐いてるみてぇだし、寝首掻っ切られるほどの悪女ってこたぁないと思いますが――こっちが変にちょっかいかけない限りは、ね」


 波打つ漆黒の髪。

 長身だが、引き締まった体型と姿勢の美しさであまり気にならない。

 切れ長の瞳は色気と知性を兼ね備え、ややかすれた低めの声色で囁かれれば、背筋をゾクリと撫でられる心地になる。

 濃紺の衣装は明らかに高品質、かといって貴族ほど華美ではない。

 立ち居ふるまい、言葉遣いも美しく洗練されており、どこかの富裕層の奥方であることは間違いなかった――討伐者の少年少女達は、彼女を「奥様」と呼んでいた。

 ただし、つい、なんとなく……「夫は生きているんだろうか」と、胸の内に疑惑が芽生えてしまう。

 妖艶で、隙を見せた瞬間に魂を攫われそうな……どこか危険な香りを漂わせる、美しい女だった。


「……旦那。なんか嬉しそうですな?」

「おまえもだろ?」


 男どもはにんまり頷き合った。

 要は、礼儀正しく接すれば問題のない美女がいるのだ。

 華やかな旅の彩りは、彼らにとって歓迎すべきものだった。




◆  ◆  ◆




 美貌とほんのり不幸で名高い騎士が、同情めいたまなざしを浮かべ、そ、と胃薬を差し出してくる……。

 そんな幻影を振り払いつつ、カシムは隣の弟を蹴飛ばしたくなった。


 カリムの困った性癖。


 ……強い女が好きなのだ。


 以前はさして問題にはならなかったそれが、ここへ来て猛烈に、カシムの胃を直撃している。


 彼らの生きてきた世界は過酷だった。弱い女はすぐに死んでしまう。だから女は強いほうがいい。

 それは嘘ではないが、それだけではなかった。とりわけ、己の弱さを言い訳にし、周りに流されて安易に裏切る女がカリムは嫌いだった。そういう女に関わり、酷い目に遭わされた苦い経験が、好みを歪ませる原因になったのは間違いない。

 そう。歪んでいるのだ。一見すればカシムのほうが人付き合いの悪い人物に見えて、実際はカリムのほうが歪んでいた。

 ほぼ裏社会に潜伏していたカシムとは逆に、カリムは表社会での活動がおもな仕事だった。平穏な生活を送る人々の中で、害のない好人物として情報を集めつつ、時に邪魔者の暗殺も行う。両極端な性質を常に腹の中に抱えながら、カリムは平凡な日々を送る人々への羨望を育て続けていた。

 不可能だと重々思い知りながら、自分もあの中に仲間入りしたいと、愚かな望みを捨てきれなかった。


 弱いから仕方なかったの、だって私はあなたみたいに強くないの、何もできないのよ――。


 涙ながらに訴えつつ、強くなろうともしなかった女は、その女を助けようとしたカリムを売り、惚れた女との未来を夢見た男に現実を教えた。

 女を囲っている家の者に大勢で襲われ、反撃し、女も始末した。多感な十代半ばでそんな経験をしたのが致命的だった。


『清らかな聖花なんて興味ないよ。そんなもの、虫唾が走るね。俺は血を吸っていそうな毒花のほうが好きだ』


『言い訳なんて一切せずに、自らの意思で裏切る女のほうがずっと好ましいね』


 仕事でそういう女を始末する時、カリムがとても残念そうにしているのをカシムは知っていた。


(極端に突っ走りやがって……!! なんで女の好みだけ、ほどほどってモンを憶えらんねーんだてめえは!!)


 弱い女はもうこりごりだ。

 心身ともに強いほうがずっといい。

 もっと言えば、たやすく殺られはしない、したたかで妖艶な悪女なら最高――。


 しかも今回、中身があの魔女だと知っている。最強も最強の女だ。

 見た目と雰囲気が好みで、中身も好み。

 むしろこちらのほうこそが、いかにもな〝魔女〟ではないか?

 カリムは終始うきうきと浮かれ、反比例してカシム周辺の空気は澱んでいく。


(絶対、どっかから監視されてるだろこれ……あの精霊王子どもが監視しないわけがあるかッ!! 頼むから妙なちょっかいだけはかけるんじゃねえぞ……!!)



 

絶対にどこかで監視されています。

ほんのり不幸同盟の結成は近い…。

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