238話 魔女と三兄弟と巻き込まれる人々 (8)
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エスタローザ光王国の富裕層の女性のドレスは、資料にあった十四世紀頃のヨーロッパ衣装に似ているかもしれない。
気絶するために極限まで細く絞られたウエスト、狙った貴公子の退路を塞ぐために膨張したドレスが流行る、もっと前の時代の衣装だ。
ラインが自然で、禁欲的でシンプルなデザイン。袖口は肘の少し下あたりから漏斗のように広くなる。
ウエストのやや下、腰骨の上あたりに、幅広の装飾ベルトをゆるく巻いて垂らす。
身分が高くなるほど、刺繍やレースや飾りなどの豪華度が増した。
村娘や町娘、平凡な奥様方の服はシンプルもシンプルだ。農村の子は服が汚れやすいために色や模様がシンプルの極みで、商人の子はもう少し凝ったいい服を着ている。
男性の衣装はいつ頃風とはっきり言えない。中世風の衣装もあれば、近代に近いデザインもある。
身も蓋もない言い方をすれば、ヨーロッパ要素が強いファンタジーの衣装だ。それもゲーム世界の衣装ではなく、映画俳優の衣装。
こんなのどうやって着替えるんだとか、こんなヒラヒラなのにどうして物を引っかけたりドアに挟まれたりしないんだ等々、ツッコミどころ満載な奇抜さはなく、当然ながら普通に着て普通に動けるよう考えられている。
最も服装が多様なのは討伐者だった。商人に負けず劣らず各地を渡り歩き、人種も種族もさまざま。登録したての草ランクなら、農民がどれも同じような防具に着られている印象が強いけれど、ランクが上がるほど服も防具も上等な一品ものになる。
保守的な身分の女性は衣服であまり冒険ができず、基本の型からほとんど外れない。その代わり、色や飾り、刺繍その他で工夫をするのだ。
人物設定:富裕層のご婦人
経緯:知人に会うためイシドールの町へ
ARK氏が用意したのは、シルクの光沢を放つ濃紺の衣装だった。
肩は出さず、レースはない。ただし襟元と袖、すそ部分に、幾何学模様に唐草を組み合わせた金糸の刺繍が施されている。
黒地の装飾ベルトにも、デザインを統一した金色の模様があり、抑えた中にも豪華さと気品を醸し出していた。
身分が高くなればレースを増やしたり、宝石やガラスの飾りを縫いつけたり、じゃらじゃらと袖やベルト部分から垂らしたりする。今回はそこまでの身分はないので光り物はつけない、という設定だ。
加えて、腰のあたりまで波打つ漆黒のウィッグ。
雫型の底に金粉を沈めた、青硝子の耳飾り。
桜貝のように艶やかな付け爪。
さらに。
「素晴らしい。実に素晴らしいよ」
《おそれいります》
そのサイズ、Cほどはあるだろうか。
適度にして最適な大きさ、そして形。
何より――ぷにん、ぽにょん、と素晴らしい弾力である。
皮膚の上に吸着し、ほとんど違和感がない。力を入れて無理に引っ張りでもしない限り剥がれ落ちず、医療用の専用薬剤を使えば自然に取れる。
本来の皮膚と完全に同じ色合いで作られており、目をこらしてもなかなか境目がわからない。
おまけに夏仕様なのか、わずかにひんやりと心地良いのだ。
――科学の発達とは、かくも恐ろしいものだったのか……。
動きを阻害しない柔軟なコルセット(黒)を身に着け、ドレスを着こめば、これっぽっちもニセモノとわからない。
だんだん興が乗ってきた。
昔は羞恥心が先に立ち、普段の自分のイメージとかけ離れたファッションには手が出せなかった。
しかしこれは〝変装〟なのである。どんな攻めた格好でも可能になる、無敵にして究極の魔法の言葉だ。
「やっておしまいなさい、Alphaさん」
《アイアイマ~ム♪》
ARK氏のデータベースにあった〝ナチュラル詐欺メイク・大人美女シリーズ〟を参考に、以前の自分ならば避けたであろう、少しきつめな印象のメイクにチャレンジした。
ほんわか若奥様風などもあったが、瀬名の長身には知的ビジネスウーマン風のキリリとしたメイクのほうが合うと思ったのだ。
もちろん、メイクアップアーティストAlpha氏にお願いした。瀬名もメイクはできないこともないが、信頼できるプロにお願いしたほうがいいに決まっている。
仕上がりは言うまでもないだろう。
「おお、素晴らしい! さすがだAlpha、キミに任せて正解だったよ!」
《ワーイ、おそれいりマ~ス♪ うふふ~褒められちゃっタ~♪》
以前はあまり好きではなかった種類のアイラインを引き、切れ長で理知的な印象に。
ファンデーションは微細なラメ入りで、やり過ぎず、皮膚の内側から輝く精霊族の美肌がイメージされていた。
眉の形や目もとの陰影など、全体的にシャープな印象を強調しているにもかかわらず、唇に乗せたオレンジと赤の中間色の保湿リップクリームが、ぷるんとアンバランスな色気を醸し出している。
(前は化粧品にお金かけなかったからな~、こんなにしっかりメイクするのって初めてかも……)
やり手なビジネスウーマンだった母親は、化粧品にもファッションにもお金をかける女性的な女性だった。対して東谷瀬名は、化粧品や服や小物を揃えるよりまずゲーム。
己を飾るより、アバターの装備を充実させるほうに熱意をそそぐタイプだった。
出勤前のメイク時間は、レンジがチンと鳴るぐらいの………………いや、そこまで適当ではなかった、はずだ。ゲームのし過ぎで寝不足になり、眉をうっかり描き忘れて出勤とか、なくもなかったけれど。
それはともかく。科学の発展は、化粧品の質の向上にも直結していた。
《専用のクレンジング剤を用いなければ、洗顔や入浴を行っても五日ほどは落ちません》
「えっ。ああの、ARKさん? そんな超強力メイク、お肌ダメージとかは……?」
《まる五日落とさなかった場合のダメージは、通常の化粧品類と同程度です。なお、落とした後にローション等でケアを行えば、二日ほどで回復するでしょう》
「さ、さすがARKさん……ドクターとお呼びしていいですか……?」
既にもう呼んでいるけれど。心の中で。おもにマッドな時に。
つまり、ダメージなどほぼないも同然と聞こえるのだが、そこまで楽観視してはいけないだろう。思わぬ落とし穴に嵌まってからでは遅い。
特殊メイクはたまにやるから面白いのであって、毎日やるものではないのだ。
そういうものなのだ。
(さて、それはさておき。これは三兄弟にもギリギリまで内緒にしておこう。――ふっふっふ、びっくりさせてやろうじゃないか!)
◇
お披露目の瞬間、目論見がまんまと成功したのを悟って、瀬名はとても愉快爽快な気分になった。
精霊族の三兄弟と半獣族の二兄弟、揃いも揃って有能な男どもが間抜けっぽくポカーンとする様は、はっきり言って見ものである。
イタズラが大成功した子供の気分で、ニンマリ浮かぶ会心の笑みを止められない。
「ふはははは、どうだ? 上手く化けただろう?」
「うんうんうん、すっげえ!! セナ様すっげぇ!!」
「めちゃくちゃ美人だよセナ様!!」
「すてき~、すてき~♪ きゃーきゃーきゃー♪」
愉悦をたっぷり含んだ瀬名の第一声に、大人そっちのけで子供達が大はしゃぎ。
「すげぇよセナ様、マジすんげぇ!! なんかタイハイ的な奥様ってカンジする!!」
「た、たいはいてき?」
「引きずり込まれそうっていうか、引きずり落とされそうっていうか、宵闇の女王様みたいだよ!! 黙ってたら!!」
「いや黙ってたらって――つうかそれ、いろんな男が貢ぎまくるっつー、お子様向け童話にあるまじきキャラ設定の……」
「うんうん、パトロンの五、六人は破滅させてそーだよね!? きっとだんなさんは財産目当てでだまされたんだよ……!!」
「とんでもない言いがかりはおやめなさい!? 未婚の乙女になんてことほざくのかしらこの小娘は!?」
「みこんのおとめ……!!」
「違和感が、どうしよう違和感が……!?」
「やっぱりだまされたんだ……!!」
「…………」
人物設定:富裕層のご婦人(護衛を連れ、どこか謎めいている彼女は、未亡人と思われる…)
経緯:知人に会うためイシドールの町へ(真の目的、会う予定の人物など、決して知ろうとしてはならない…深く踏み込めば、その先に待つものは…)
とりあえず〝変装〟は、成功のようである。
これならば誰にもセナ=トーヤとはわかるまい。
……それでいいのだ。
お子様の批評って、容赦なく正直ですよね。




