237話 魔女と三兄弟と巻き込まれる人々 (7)
「俺ホントこっちに来て良かった……!」
「俺、さっさと別んとこ逃げときゃ良かったぜ……」
感極まる、といった台詞はカリムが。
悲壮感の漂う台詞はカシムの口から漏れた。
席のあちら側は陽光を浴びて輝き、こちら側は陰でどんよりと暗い。
「何言うんだよ最高じゃないか! 別んとこなんて、今よりいいところなんてあるわけないだろ。あ~俺、生きてて良かった」
「そうかよ……」
風前の灯かもな、とは言わなかった。
こっそり小声で交わされる会話を、多分聞かれてはいないと思いたい。
もともと何をするにもだいたいセットで扱われてきたが、こちらへ来てカシムとカリムは、昔より行動をともにする機会がぐんと増えた。
気分的にはほとんど兄弟。それも、カシムが兄でカリムが弟という認識がだいたい定着してきている。
そして兄カシムは苦労性で心配性だと言われており、おおむね間違っていない。弟がはしゃいでいるせいで、兄は心臓に悪いことこの上なかった。
(早く、早く終わらせて帰りたい! 何ごともなく済んでくれ! 心から!!)
ゆっくり進む馬車に乗った〝護衛対象〟の姿を背後に意識しつつ、御者席に座るカシムは、すぐにでも全速力で魔馬を駆けさせたくなった。
「……やっぱ俺も後ろに座りたいなあ」
「で、意味もなくひたすらジロジロ眺めるってか? やめろ。てめえだけじゃなく俺の命が危うい」
「わかってるよ。ちぇ」
ちぇ、じゃねーだろ!!
カシムは今すぐ弟を蹴落としてやりたくなった。
◇
先日、国境から〈門番の村〉へ戻ったばかりの二人は、不吉な三兄弟に取り囲まれた。
一人だけならまだしも、精霊王子の三兄弟全員である。
何だろう。投獄でもされるのか。それとも私刑か。どんな罪状が自分達に?
二人は咄嗟に死を覚悟した。
「少しの間、瀬名の護衛を頼みたい」
「――は?」
「――え?」
素っ頓狂な声で訊き返していた。予想外どころではない。
(誰の護衛だって?)
つい二人で顔を見合わせてしまった。聞き間違いだろうか。
「瀬名の護衛、だ」
「正しくは護衛役、ですが」
「ああ……なるほど?」
「護衛役、ですか。ですよね」
自分達より遥かに強い、最強にして最凶の魔女の護衛など務まるものか。だが、そういう役柄を求められている、というのなら話は別だ。
三兄弟の長男が、冷徹な美貌に感情を乗せぬまま続ける。あまり長い付き合いではないが――どうもこれは、不機嫌そう、ではないか?
半獣族のほとんどは本能的に精霊族を恐れる。例に漏れず、カシムもカリムもこの精霊王子達を前にすると、恐怖ですくみそうになる。「ちょっとずつ慣れてきたぞ?」なんぞとほざいていた灰狼の族長の感覚はおかしいのだ。
普段でもそうなのに、機嫌が悪そうとなると、できるだけ平然と受け答えをするだけでも結構な気力を消耗するのだった。
「町と町を行き来する、普通の人々の旅路を経験してみたいのだそうだ」
「――なんだそりゃ」
「普通の旅路? なんでまた……」
「ほんの数日間だけだ。瀬名は一般人に扮し、ごく平凡な商人や旅人がどのように町から町へ移動するのか、それを体験してみたいと言っている。正体は明かさない。魔法使いが同行しているとなると、周りの者が自然に過ごすことができなくなるからな」
「それはそうだろうが……」
「で、我々はセナ様扮するどなたかの護衛役でついて行く、ということですね?」
「そうだ」
話がわかったようでわからない。人選的には確かにこの二人は向いている。人の自然な反応を期待しているというのなら、精霊族や灰狼の連中も目立ち過ぎて不向きだ。
しかしいきなりどうして、魔女はそんな不可解なことを言い出したのだろう。
(何者かを泳がせてて、調査を――いや、そんなまどろっこしい手は使うまでもないな。あの妙ちきりんな〝鳥〟に、こそっと見張らせりゃあ済む)
(てことは本当に、普通の人がやってるような旅路を経験してみたいってだけ?)
長男と次男は氷の無表情。ひしひしと感じるプレッシャーにカシムとカリムの頬がひくつく。話の流れから、この連中は自分が行きたいのに却下されて不機嫌なんだな、となんとなく理解できてしまった。
やってくれるな? ではなく、やれるだろ、やれ、という雰囲気である。
瀬名がここにいれば「圧迫面接?」と慄いたかもしれない。
三男の、ごめんなさいやってくれますか? と言いたげな、申し訳なさそうな笑顔が兄二人とは対照的だった。
だがカシムとカリムは騙されなかった。このお人好しそうな三男の本質が最も曲者なのだ。間違いなく罠を仕掛けにかかっている、そう嫌な予感を覚えざるを得ない笑顔だ。
ともあれ、二人にイエス以外の回答は存在しないのだった。
不可解だろうがなんだろうが、やる以外にない。
(世間知らずの箱入りお嬢さんみたいな要望だな……旅なんざ山脈国から帝国まで行ってきたんだろうが?)
(旅って呼んじゃいけない何かだったらしいけどさ……ああでもひょっとして、真面目に知らないってこともあるのかな? 最初からあんなに強いんだし、〈祭壇〉の結界外を単独であちこち行き来できてたんだから、むしろ普通なのを本気で知らないのかも)
そこまで考え、二人は違和感を覚えて首をかしげた。
初めて会った時から、あの魔女は圧倒的に強かった。彼らは強い魔女しか知らないのだ。
だが、灰狼達との話の中に、かつて彼らがセナ=トーヤと共闘して倒した、厄災の魔物の話題が出てきた。騒ぎになるのを防ぎ、監視者に注目されぬよう討伐の事実を隠していたが、その必要はもうなくなったからと。
まるで神話の怪物との闘いのような情景が語られ、カシムとカリムは目を遠くに泳がせたり、息を呑んで胸を弾ませたりしながら聞いたのだが。
(そうだ……共闘しなきゃ倒せなかったんだ、よな?)
魔王を単独で倒せたのに?
厄災種は通常の魔物と比較すれば悪夢に等しいが、魔王討伐と比較すればずっと容易な相手のはず。
(つまりその時点では、そこまでの強さじゃなかった……いいや、強くはあったけれど、経験が足りなかった?)
力はあるのに、自分がどこまで力を持っているのかを知らなかった?
膨大な知識を蓄えているはずなのに、世間知らずの箱入りという表現が突然しっくりときて、二人はますます困惑する。
まるで長い間ずっとどこかに潜っていて、ごく最近、俗世に出てきたばかりのような。
しかしもちろん、この三兄弟に根掘り葉掘り訊けるはずもなかった。
そうして、出発前日の朝。
カシムとカリム以外に、新人討伐者の子供三名との顔合わせが行われた。
人族の少年二人と、半獣族の少女がひとり――トール、レスト、ミウの三名である。この三名はトールとレストが夏の誕生月と同時に十三歳になり、討伐者になれたばかりらしい。孤児なので実年齢はハッキリしないが、歪まずにたくましく育った有望株なのだとか。
その日はセナ=トーヤを含むそれぞれの役割と、役に応じた装いその他の細かい打ち合わせのために集まっていた。基本的に短い旅の準備は、護衛役のカシムとカリム、そして旅のサポート係として雇われた新人討伐者三名にすべて任せられ、セナ=トーヤは一切口を出さない。
おまけに非戦闘員として加わるつもりのようだ。
「いいとこの坊ちゃんにでも化けるつもりか?」
「うーん。でもそれだとバレやすいんじゃないかなあ? だってセナ様、今でもじゅーぶんお上品だぜ?」
カシムの呟きに、すかさずトールが突っ込んだ。
「食べ方とか丁寧できれいだもんね、セナ様」
「食べ方だけじゃなくキレイ好きだよね。すっごく清潔なのが好きだし」
「…………」
確かに。今でも、黙っていればどこぞのお坊ちゃまで通じる外見をしている。
服装は一見すれば討伐者の少年風だが、仕立ては上等。姿勢もすっと芯が通って綺麗だ。
貴族階級の騎士家の御子息と言われれば、すんなり納得できる雰囲気なのである。だからむしろ討伐者より、辺境伯の息子ライナスと並ぶと全く違和感がない。
(平凡なガキの装いなんぞ無理そうだな……どんな格好で行く気だ?)
――その答えは、やがて驚愕とともに判明した。
「…………ッッ!?」
「わーっ、すっげーっ!?」
「ひゃぁ~!」
「きゃ~ん!? すごいすごいすごい、セナ様すてき~っっ!!」
カシムは絶句し、まじまじと凝視してしまった。
(お、おいおいおいお、い、……こいつは…………)
無邪気な少年少女の歓声の中、即座に凄まじい危機感を覚えたカシムは、隣の弟の様子を勢いよく見やった。
(――――やっ、ぱりかあああぁッッ!!)
見開かれた目はうっとりと潤み、ぽーっと赤く染まる頬……。
そして三兄弟の視線が怖い。あらゆる意味で怖さ激増である。
彼らもまた、愕然と目を見開いていた。つまりあの魔女は、彼らにさえあの姿を、今この瞬間まで見せていなかったというわけで。
そしてカリムのこの反応は、例えるなら足もとを見ずに崖へ向かって全力疾走。気付けば谷底だ。
(あんた、あんたなあ、俺らを殺す気かよッ!? つうかカリムのアホ、てめえその性癖どうにかしてくれッ……!!)
カシムは内心で絶叫した。
そのうち誰かと誰かで苦労性同盟とかできそうな……。




