231話 魔女と三兄弟と巻き込まれる人々 (1)
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久しぶりの三日連続更新。
「……と、そのようなことがあったらしい」
「…………あんまり聞きたくありませんでした、エセルディウス殿下」
先日、父ハスイールが参加した曇天の夜の集い。
見送りの道を並んで歩きながら、父上から聞いた出来事をあらかた教えてやれば、辺境伯の息子は遠い目になった。
「わたしのことはエセルでいい。敬語もいらんぞ」
きょとんとされた。全員、目を丸くしている。
そんなに意外なことか?
ライナスと、ドーミア騎士団団長セーヴェル、副官のローラン。部下の騎士が数名。
彼らはドーミアの祭り騒ぎから逃れ、しばし〈門番の村〉に滞在していたが、そろそろ戻らねばならなくなった。
光王国の上層部は蚊帳の外でも、民は彼らの大活躍を知っている。討伐者や商人、行動範囲の広い連中によってせっせと情報が拡散され、ライナス達はどこへ行っても揉みくちゃにされた。
伯が息子に伝えていなかったのは、ある意味父よりも忙しくなってしまった息子を気遣い、馬鹿騒ぎがそこそこ落ち着くまで、余計な心労を与えたくなかったからだろう。
南方諸国では、数多の国々が戦力や物資を提供した流れから、魔王がイルハーナムの第二皇子に成り代わっており、無事討伐に至るまでの話が隅々まで浸透している。
海から上陸した怪物を多くの者が目撃し、真実味が増したのもあるだろう。
〈ガラシア都市同盟〉に巣食っていた膿を徹底的に処理したパナケアの女王や協力国は、どの階級の人々からも支持されていた。
対して光王国の社交界では、警告も諫言も一顧だにしない国王や取り巻きどもに倣い、ライナスやセーヴェル達がドーミアへ凱旋したその日も、豪華な茶会やら夜会やらが開かれていたという。呆れた話だ。
出入りの商人達に「情報難民が…」と哀れみのまなざしを向けられ、奴らは初めて焦ったらしい。
そして短期間に何名もの貴族が失脚、あるいは行方不明になっている異常事態が結びつき、ようやく事の重大性を悟った。その頃にはもうすべてが片付いていた。
鈍いというか危機感が薄いというか。こんなのが生きていられるぐらいなんだから、光王国は平和な国だったんだな(過去形)。
さらにこのたび、第一王妃が声明を出し、国としての不甲斐なさをきっぱり認めてしまった。
当然、猛反発が起きた。第一王妃はそれを笑顔で受け流し、まず、親族から内通者の出た第三王妃を投獄、その後僻地の神殿送りとした。
そして王が囲っていた妾を、一部を除いて全員追放。親族や後継人として大きな顔をしていた連中にも王宮の出入りを禁じた。
馬鹿王やポンコツ王子どもの病は〝原因不明の〟長引きを見せており、今、謁見の間で最高位の席についているのは、第一王妃と、第二王妃と、フェリシタ王女。
反発していた連中の声は、徐々に尻すぼみになったそうだ。
『多分、あの方々の頭にはこの単語がよぎったんでしょうねえ』
恐怖政治。
さて次の犠牲者はどなたでしょうか、などとクスクス嗤うマイエノーラは、心底性格の悪い女だと思う。
しかしこれだけのことが出来るなら、さっさとやっていればいいものを。
何故、こんなに切羽詰まった状況になるまでぐずぐずしていたんだ?
わけがわからん。
「あまりの展開の速さに、ちょっとついて行けないんだけれど……」
「と言いつつ、案外ついて来るから瀬名に気に入られるんだ」
「全力で勘弁願いたいよ」
などと嫌がりつつ、ライナスからは気恥ずかしさ、周りの騎士からは誇らしさが伝わってきた。それらはとても快いものだった。
瀬名の恐怖伝説を語る割に、彼らは瀬名のことが好きだ。良いことだと思う。
少々ぎこちないながらも、すんなり言葉遣いを変えているところも好印象だ。
それはともかく、これだけは言っておかねばならない。
「我らからすれば、むしろ遅いぐらいだぞ。無意味な血統なんぞにこだわって、無能にいつまでも権力を握らせておく感覚がわからん。瀬名も言っていたが、帝国うんぬんは関係なく、あれを放置していたら早晩、この国は滅びていたろうな」
「み、耳が痛い」
「おまえ達は大義と前例を気にし過ぎなんだ。未来の奸臣の所業ばかり気にして、今この国が崩壊したら元も子もないという事実に向き合うのが遅い。おまえ達は正しい臣下だ。だが時と場合によって、正しさは鎖であり毒だ。その危うさにいい加減気付くべき――いや、認めるべきだな」
「……返す言葉もない」
忠義という美徳で己を縛り、こんなきっかけでもなければ決定的な行動を起こせなかった。それはこの連中の数少ない、そして致命的な過ちだった。
我々が力を貸したから、一連の出来事が可能になったんじゃない。我々がいなくとも、手間や年月がかかっても、やりようによっては出来たのに、踏み切れなかっただけだ。
「最悪を想定すれば、滅びる前に我々が光王国を征服するという手段もある。可能不可能で言えば、可能だ」
「……うんまあ、そうだろう。知ってる……」
「ただし、少なからず血は流れる。無血は有り得ない。瀬名は『窮鼠猫を噛む』という面白い表現を使っていたが、我々もそうなるだろうと思っている。人族の中には自棄になり、身内を巻き込んで自害する奴も出るだろう。だから積極的にやりたくはない。人族の国の面倒を背負い込むのも嫌だし、一部の連中と仲良くするのが一番いい」
ライナスや騎士達から反論は出なかった。むしろ納得と哀愁を漂わせていた。
ちなみに光王国は、女性に相続権や王位継承権がないという。だから第一王妃はずっと王妃のまま。
そのせいで馬鹿王の首は落とせず、ポンコツ王子ども全員の継承権をすっきり剥奪するわけにもいかない。王家の血を引く有象無象の男どもが、玉座に色気を出してしまう。
かといってポンコツ王太子を次期王に、とはならない。それだけはない。
改めて後継者問題を真剣に考え直し――随分遅いが、まあまだ間に合うだろう――幸い、解決策がいくつか見つかったようだ。
だから、できるんなら早くやっておけというのだ。人族の王妃も忠臣も、こういうところで頭が固いのはいただけない。
というか、さっさと法でもなんでも変えて、フェリシタ王女を次期女王にしてしまえば解決ではないか?
ライナスとの結婚? そんなもの、通い婚でいいじゃないか。何が問題だ。
しかし、そういうのをグチグチ問題視する輩が多いらしい。伝統派とか保守派とかそういう奴らだ。
悪事に手を染めているわけでもなく、本人は善意と思って苦言を呈していることも少なくないので、排除できないのだとか。
面倒くさいものだな、本当に。
「それでは、ここで。見送りありがとう」
「ああ」
ゆるやかな階段を下り、〈門番の村〉の出口に着いた。
そうそう、これも言っておかなければな。
「わたし達もおまえを気に入っているぞ?」
「えっ?」
「不快にさせただの、いい加減に自分達は愛想を尽かされただろうな、とか感じていないか?」
「そ、れは……」
「フェリシタがお忍びで来た時も、似たような様子だったらしいな。見当違いなことで心配するんだな、おまえ達は」
「…………」
ライナスは唖然とし。
目が据わった。
「あの。殿下がお忍び、とは?」
あ、しまった。これは内緒だったのか?
迂闊だった。
「では、またな」
「ちょ、っと待ってくれ!! 詳しい説明を希望する!!」
くるりと踵を返して、さっさとその場を離れることにした。
「エセル殿ッ!?」
「わ、若君!」
「そ、そのうち教えてくださいますよ! きっと、おそらく……」
あとで瀬名に謝らねばな。ごめんバラしちゃった、と。
その前に、ノクトを迎えに行くとしよう。
あいつは確か、鉱山族の区画に行くと言っていたな。
◆ ◆ ◆
「そうか……やっぱ、そうなっとったんか……」
沈痛な気持ちと、どこかすっきりした感情が伝わってきた。
ヒゲモジャで表情はまったくわからないけれど、なんとなく覚悟をしていたんだろう。
武器の手入れでたまたま居合わせたカシムが、言葉を探しあぐね、結局は黙り込んだ。こういう時にかけるべき言葉に悩むなんて、随分変わったものだな。以前はそもそも他人の感情なんて気にもとめなかったろうに。
まあ、自覚はないようだけれど。カリムは気付いているはずだし、今度一緒にからかってみようかな。
駄目かな。
意外とカリム、あっけらかんとしているようで警戒心強いし。間者をしていたから、そういうのは身に染みついている。それにやっぱり、他の半獣族と同じく、わたし達のことが苦手だ。
初っ端から平気なのは鉱山族と、瀬名ぐらいだろうな。灰狼はだいぶわたし達の存在に慣れてきたけれど、まだ一緒に遊べるほどじゃない。
そんな肝の太い鉱山族のバルテスローグは、あまり彼らしくない溜め息をついた。
でも、こればかりは仕方がない。なんたって……。
「ホンマはワシも、コル・カ・ドゥエルに行く予定だったんよ。山に強いからちぅて」
「ええ、そう聞いていました」
「それが直前で『やっぱなし、ごめん!』てなったんよ」
「ええ、それも聞いています。その場にいましたからね」
バルテスローグのいないところで、瀬名は理由を教えてくれた。
『ローグ爺さんに見せたらやばい道具、いっぱい持ってくことになったからだよ。だって爺さん達、気合と根性で近いもの作りかねないんだもん!』
それは嘘じゃなかった。確かに本当のことだったんだろう。
でも彼女は――わたし達を騙すのが上手い。
帰還したシェルロー兄様はとても不機嫌だった。わたしとエセル兄様は廃神殿での一件、シェルロー兄様にとって不覚としか言いようのない出来事を聞き出し、わたし達は皆、瀬名の油断ならないところを再認識した。
堂々と本音を言いながら、別の本音を隠す。
わたし達でさえ察知できないほど自然に、巧みにやってのける。
彼女はわたし達を信じてくれている。
そして彼女は、わたし達を信じていない。
出会った頃から一貫してそれは変わらなかった。その原因はきっと、彼女の名前――あの日、教えてもらった彼女の名前こそが、その答えなんだろう。
どこにもない文字。
どこにもない言葉。
わたしとエセル兄様は、それを触れるべきではないものとした。傷には触れず、ただ傍にいて、たとえ彼女がわたし達を信じていない時でも、わたし達は彼女の味方であり、守護者であり続けることを決めた。
シェルロー兄様は――さて、どうする気なんだろうか。
「あの御山な。ワシのご先祖さんの国があったらしいんよ」
カシムは息を呑んだ。彼は知らなかったようだ。
コル・カ・ドゥエルの都のさらに向こう側に、鉱山族の王国がある、と。
「大っきいお国でな。神輝鋼を加工できる凄腕いっぱいおったんじゃと。それが、なんかちぃと妙な感じがしてきて、家族みんなでコッチに移住したらしいわ。ワシの爺様が言うとった」
ウェルランディアの書に、その王国の記述があった。
けれど頻繁にやりとりのある国ではなく、コル・カ・ドゥエルが鎖国状態になった頃から、交流は自然に途絶えた。
自然だったから、誰もあまり気にかけなかった。
このあいだ瀬名に尋ねたら、やはり彼女は直前になってそれを知ったらしい。
『生命反応がなかった。――その国も滅びてる』
それ以上は教えてくれなかった。
「ま。コッチにおる親戚が美味い酒造りに成功したのん聞いて、がぜん移住に乗り気になった、ちぅのが婆様いわくの真相じゃがの! ご先祖さんの英断に感謝感謝~♪」
さっきまでしんみりしていたバルテスローグが「ひょほっ」と言い放ち、カシムがガクッ。
なんだろう、これ、どこかで見たような聞いたような……。
あ、瀬名が言ってたんだ。
「カシムの苦労性指数がどんどん上がってゆく……」って、確か彼が灰狼の族長ガルセスにいじられてる時だったっけ?
なるほど、これかぁ。
よし、カリムじゃなく、ガルセス殿を誘おう――「カシム達と一緒に飲みませんか?」って。副族長のラザック殿もいれば抑え役は完璧だね。
するとカシムがぞわっと毛を逆立てて、わたしを軽く睨んだ。
うん、さすが半獣族。勘がいい。
ほんのり不幸なローラン君と仲良くなれるかもしれないような。




