229話 夏の夜の密談 (前)
3話になることはありません。
ないと思います。
曇天が月明かりを遮り、少しばかり湿気の多い夜。
とある宰相の別邸、厳重な防音と遮音の結界で守られた一室に、その客人達は集っていた。
辺境伯カルロ=ヴァン=デマルシェリエ。
精霊族の女王の王配ハスイール。
グレンの息子にして女王の黒猫リドル。
ドーミアの討伐者ギルド長ユベール。
さらに二人。
光王国の王女フェリシタ。
そして、第一王妃である。
宰相手ずからそれぞれに盃を配り、今宵は非公式の集いであると前置いた上で、名前のみの簡潔な自己紹介を終えた。
今宵は身分の上下で罪に問われることはない、まずは第一王妃がそう宣言し、それぞれが話しやすい空気を作る。
この集まりの目的はひとつ――魔王討伐の一件について、一連の出来事や詳細を話し合うことだ。
「ご存知の方々もいらっしゃるでしょうけれど、あいにく陛下や王子達は先日、食中毒を起こしてしまわれまして……全員が臥せってしまいましたの。暑い季節にさしかかると、どうしても食材が傷みやすくなってしまうのだとか。心もとない女の身ではありますが、しばしの期間、わたくしが陛下の名代を務めてまいりますので、皆様もどうかお力添えをお願いいたします」
しとやかに「ほほほ」と笑う第一王妃の言葉に、男達は頷き返した。
――とうとう最終手段に出たか……。
賢明な彼らはもちろん口に出さない。
フェリシタは俯きたくなるのをこらえていた。王女たるもの、動揺をあからさまに出してはならない。どうせ経験値豊富な彼らにはバレているとしても、見苦しいふるまいを己に許すと、際限がなくなってしまう。
そんな王女の父王や兄王子達を献身的に看護しているのは、彼女の相談役として王女宮に招かれている精霊族、マイエノーラだった。
あのマイエノーラである。
ちなみに食中毒が全快したら、次は原因不明の体調不良でしばらく復帰できないかもしれないそうだ。
繊細な美貌の精霊族が気づかわしげに告げるのに、「なんてこと…」と心から悲しそうに目頭を押さえる母を目にして、王女は悟った。
(あ、お母様。激怒してらっしゃるのだわ)
その通りだった。第一王妃は自分が体調を悪くしている間に、夫が調子に乗って勝手放題していたと知り、密かに激怒していたのだ。
彼女は顔には出していないものの、今夜の集まりに小さくない意気込みがある。王によって最底辺まで落とされた信頼を、なんとか回復せねばと思っていた。
さらにマイエノーラが「王女殿下もご一緒なさるべきです」と進言し、宰相によって他の参加者の許可が取り付けられた。
(何のお役にも立てていないわたくしが、この場にいていいのかしら)
フェリシタは不安と緊張でぐらつきそうになる足もとを叱咤する。それでも、人格に難はあれど、その知識と勘だけは信頼に値するマイエノーラが助言してきたものについては、軽視してはいけないと学んでいた。
「……では、本当に、それは……魔法使いによって討伐されたと、そういうことなのですか」
「はい。間違いなく」
「なんてこと……」
――〈黎明の森の魔女〉が、魔王を討伐した。
あまりのことに第一王妃は呆然とし、念を押さずにいられなかった。
事前にざっと報告を受けていた宰相も、マイエノーラから軽く聞いていたフェリシタも、こうして改めて聞けば、じわりと驚愕がこみあげてくる。
大陸じゅうを破壊の嵐が吹き荒れることもなく。
各地で魔物の被害報告が激増することもなく。
その存在が囁かれ始めてたった数ヶ月――あくまで光王国内での話だ――本格的な調査が始まる以前に、気付けばもう終わっていた。
しかもそれは「ごめん違ってた」とはならず、やはり本物だったという。
次に宰相とフェリシタを襲った震えは、恐怖からくるものだった。脅威の情報を早い段階で与えられていながら、彼らは結局、国として何の手も打たなかった、その事実に打ちのめされたのである。
そもそも調査のための会議すら、王宮では一度たりと行われていない。当初、王は前向きに検討するようなことを言いながら、すぐに前言を撤回。宰相やその他の臣下が幾度となく進言しても、彼は耳を貸さなかった。――その情報の出どころがデマルシェリエと思っていたからだ。
『くだらぬ! たかが田舎者の思い込みではないか! 信憑性など、おとぎ話と変わらぬ。調査の必要性を説くならば、納得のいく証拠を提出してみせよ』
仰せの通りでございます! と取り巻きが囃し立て、無茶苦茶な王の言い分が正義となった。
魔王の調査をしたければ、魔王の証拠を提示せよというわけである。
この発言によって、光王国は完全な戦力外となった。辺境伯が何をしても、それは彼が勝手にしたことであり、国が彼の功績を称えることもなければ、損失が出ても補償することはない。
つまり、守りたければ勝手に守れ、俺は知らんぞと言い放ったに等しいのだ。王の発言はデマルシェリエだけでなく、国境や魔物の生息域に近いすべての領主を震撼させた。
ゆえに賢妃と名高い第一王妃は、事態のまずさを深刻に受け止め、禁じ手の最終手段に踏み切ったのである。
唯一残念な点を挙げるなら、王妃の視点はあくまでも王妃としてのものであり、「貴族からの信頼を取り戻し、王家からの離反を食い止めねば」という部分に重点を置かれていた。王妃としては正しいが、その正しさがどこでも通用するわけではない。
そしてこの集まりは、通用しない場だった。
「信じ難いのですが……かの帝国の第二皇子とやら、真実、魔王そのものだったのですか? 疑うつもりではありませんが、魔王と契約を交わし、魔族化によって大きな力を得ていただけという可能性は?」
「あー、王妃陛下? そういう疑問、あんま口にしねえほうが身の御為だぜ?」
ぞんざいな口調で呆れたように忠告したのはリドルだ。
はじめに罪に問わないと約束したのは王妃なので、少々不愉快に感じつつ文句は言えない。
「どういう意味ですかしら?」
「そりゃ、あんたらみたいな王侯貴族サマの常套手段だからさ」
「常套手段?」
「苦労して凶悪な魔物退治した英雄を、最初はさんざ持ち上げるんだよ。でも頃合いになったら『疑ってるわけじゃないけど』とか言いつつ、『倒したのは事実か? それは本物だったのか?』ってしつこく何度も聞こえよがしに疑い出すんだよな。んで、周りにもその疑惑を広めやがるんだ。まるでそいつがとんでもねえ詐欺師みてえにな。そうして、褒美を出し渋るんだよ」
「……わたくしがそのような恥知らずだと、そう仰りたいんですの?」
「お、お母様!」
目尻を釣り上げた王妃を、フェリシタが慌てて止めた。自分が何故ここに必要だったのか、早くもわかってきた。
王女の聡明さ、賢さは間違いなくこの母譲りである。しかし第一王妃は、ここにいる人々全員の人となりを把握できているわけではない。
ゆえに、先ほどのリドルの発言を、己に対する侮辱とそのまま受け止めたのだ。
「お母様。もしお父様やお兄様であったなら、リドル様の危惧は現実のものになったかと思いますわ」
「フェリシタ?」
「仮にもし、お父様が魔王討伐を命じられたとして。どのような褒美でも望みのままと仰っておきながら、いざ任務を果たした者達の希望が己に不都合なものであった場合、その者達に濡れ衣を着せ、最悪、投獄してしまわれたかもしれません。約束を守れない王だと言われないためだけに、です」
「…………」
王妃は静かに娘の目を見つめ返す。
確かに。やりかねない。
否定できる要素がひとつもなかった。
「私からもちょっといいですか?」
軽く挙手したのはユベールだ。
「日頃からギルドをまとめている者として言わせていただきたいのですが。常に危険の中に身を置いて魔物退治してる奴らからすれば、王妃陛下の先ほどのご質問、かなり神経を逆撫でされる内容ですよ」
「ユベール……」
「いや、これは大事なことだよ、カルロ殿。討伐数ごまかしてランク上げ狙うケチな小物じゃあるまいし、今回のこれは〈黎明の森〉とデマルシェリエと精霊族の方々の合同でやった、紛れもない大討伐なんだからね。このわずかな期間だけで何百匹が討伐されたと思ってるんだい、それも普段よりやたら強く元気になってるのをさ。そこを、結局なんにもしなかった方々に、後になって『ホントに大変だったのか?』なんて疑われたら、大抵の奴はぶち切れるよ」
「だよな~。王侯貴族ってのぁ口先だけは気前いいけど、難癖つけて報酬出し渋るケチが多いって親父も言ってたしな」
「事実だよ、それ。気前がよくて約束をきちんと守るのはだいたい商人。王侯貴族の依頼人はほとんどが鬼門だ。無茶な依頼を断らせてくれない上に、羽振りよく見えて借金持ちだったりするし。ゴロツキ風情には前金だけで充分だろって嘲笑しながら、報酬半額踏み倒しとかさ……で、訴えようとしたら不敬罪だなんだって、身分持ち出してくるんだよね」
ここぞとばかりに日頃の鬱憤をぶちまけるギルド長。面倒なお偉いさんの対処はすべて彼のもとにやってくるので、言いたいことが山ほどあるのだ。これでも我慢して削ったほうである。
辺境伯は視線をうろつかせ、結局は盃に口をつけた。友の勢いを止めねばと思う一方、リドルやユベールの言葉は、すなわち大多数の民の声だ。王族にこそ聞いてもらいたいとも思う。
宰相もやや気まずそうに瞼を伏せながら、辺境伯と同じ結論に達しているようだ。
「あの小心王のやりそうなことだな」
平気でとどめを担うのはハスイールだ。
彼は以前、〈黎明の森〉を光王国から購入し、治外法権をもぎとって事実上〝光王国の中の外国〟にしてのけた。その際、国王とも顔を合わせている。
「人族の国において、貴族というものは民から嫌われやすいものだ。だが、自国の王家については好意的であったり、少なからず誇りを抱いている場合が多い。――この国の王族は、嫌われている。それも、かなりな。帝国よりマシという程度だ」
「――それ、は……」
ハスイールは容赦がない。フェリシタの胸に、以前お忍びで〈黎明の森〉を訪問した日の出来事が蘇った。
(あの洗礼を、お母様もまた受けているのだわ……)
自分が追及されているようで身が竦み、母を庇いたいが、余計な口出しをしたらもっとまずいことになる。
母の肩を持つために遮ってしまったら、おそらく次の機会はない。彼らの話をちゃんと聞けるようでなければ、この先、第一王妃もまた蚊帳の外にされてしまう。
(少なくとも、この集いへ呼ばれるに足る人物とは見做されているのよね)
第一王妃は、見込みがあると高く評価されているのだ。そうでなければ、他の大多数の王族のように、無視されて終わるだけ。
重要なのは、今後もその資格があるかどうか。
すなわち彼らは面接官なのだ。
「ウェルランディアの名において、〈黎明の森〉を主軸として魔王討伐が成されたことを宣言する。【ナヴィル皇子】と呼ばれたものは紛うことなき魔王であり、大陸のこちら側で万の死者が出なかったのも、滅びる国が出なかったのも、そ奴が本格的な被害を出す前に、あの魔法使いが始末したからだ」
王妃と宰相は息を呑んだ。改めて宣言され、ずっしりと重みを感じたのだ。
実のところ、EGGSはすべての戦闘現場を撮影していた。南班の戦闘も、コル・カ・ドゥエルの戦闘も、帝国の戦闘も映像データがしっかり残っている。
根拠を示せだの証拠を出せだの難癖をつけられても、一発で黙らせられるブツが大量にあるのだった。
しかしARK・Ⅲはそれらを秘匿し、言葉と文字のみの事務的な説明にとどめた。動画は臨場感があり過ぎて、瀬名のあれこれを適当に濁せなくなってしまう。
魔女セナ=トーヤに対する彼らの印象を、真面目な恐怖心で塗り替えてはならない。
「大陸で一、二を争う大国でありながら、光王国はごく一部の領主を除き、我々の警告を完全に無視した。後から何をどう言ってこようと、その事実は覆らん。ゆえに無関係のおまえ達に真偽を問う資格などはなく、こちらにも証明の義務はない」
「…………」
ハスイールは冷淡そのものだった。
己の無知と無力を突きつけられたようで、王妃の頬に朱がのぼる。気配を抑えていても、外見の造作だけで他者を圧倒する精霊族の雰囲気に呑まれ、言葉が出ない。
(我が王家は、わたくしの想像以上に、まずい事態になっているのかもしれない……)
だいたいは彼女が動けなかった時に王が勝手をやらかしたせいなのだが、責任逃れは王妃としての矜持が許さない。王族は一蓮托生なのだ。
第一王妃として国王陛下を支え、王子達を支える。己の意見をひらひらと片手で払いのけられ、口惜しい思いをした経験は幾度となくあるが、どこかで仕方ないとあきらめていた。それこそが自分の危機感のなさの現われだったのかもしれない、そう王妃は思った。
はらはらする娘と宰相の前で、王妃は思案した。無関係と言い放たれても、脅威を退けた功労者に何らかの誠意と見返りを約束せねば、王家として示しがつかないのではないか。なおかつ、内側から揺らぐ王家を立て直すにはどうすればいいか……。
「魔法使いは、若い女性とお聞きしております」
全員の胸を嫌な予感が貫いた。
「我が国の王太子のきさ」
「おっっお母様ぁあああ――ッ!!」
「っっぎゃああああ――ッ!!」
「ひいいいいいい!!」
「それだけは駄目だああああッ!!」
「きゃあぁっ!?」
「王妃陛下っ、その先を決して口にしてはなりませんッ!!」
「それだけは駄目ですいけません、国が滅びますッッ!!」
「断じて、断じていけませんぞッッ!!」
「え、あ、あの?」
「…………」
王妃はきょどきょど視線を走らせた。
フェリシタはマイエノーラに心から感謝する。
(お母様、本気でわかってらっしゃらないのね!? わたくし、ついて来てよかったわ……!!)
そうか。これこそが自分の使命だったのだ。
フェリシタは人目も憚らず、この場で神々へ祈りを捧げそうになった。
「お母様」
「な、なあに? ど、どうなさったの? 目が据わって……」
「真、剣、に、お聞きくださいませ」




