22話 十六歳、違法奴隷 (1)
こんなはずではなかったのに。どうしてこんなことになってしまったんだ。
男は己の不運を嘆いた。
悪夢が突然一行を襲い、十数騎いた護衛は瞬く間に地面へ叩きつけられた。
男は恐慌状態になりながら、激しく魔馬を駆りたてる。
手綱を握りしめる手の平が、じっとり湿っていた。
王家の紋章の記された馬車が、まさかこんな明るい時間帯に、これほど堂々と襲われるなんて。
そして襲撃者は貴人専用の一番豪華な馬車を無視し、男が操るただの荷馬車をまっすぐに目指した。
見るからに、食料や必要物資しか積まない用途の馬車だ。なのに、金銀財宝をたっぷり載せているとでも勘違いされたのか?
それとも――ひょっとして、積荷が何なのかを知っているのか?
(終わりだ……捕まれば終わる!)
いつもうまくいっていた。
今回の仕事を終えれば、まとまったカネが入る。そろそろ潮時だと思っていた。
なのに、最後の最後で、こんな不運に見舞われるなんて。
破裂しそうな心臓にひいひい呻きながら、御者は無我夢中で馬車を走らせた。
激しく揺れ続ける車体の下部から、突然激しい音とともに、何かがバキリと砕ける振動が伝わる。
(あ。車輪が……)
勢いを抑えられず、方向転換もできず、馬車は木立に横っ腹から突っ込んだ。
男は自分の身体が冗談のようにポーンと飛ぶのを感じ、脳天から凄まじい衝撃が走った直後、真っ暗な闇の中に落ちていった。
◆ ◆ ◆
「……城に連絡頼む。『王家の使いを装った賊を回収に来てほしい』って伝えて」
《よろしいのですか? 今ならまだ証拠隠滅は可能です。何ひとつ関わらなかったことにできますが》
「とっても心惹かれる助言をありがとう。でもね、前回の今回でしょ。今これをスルーしても、また何かしらどっかで関わってきそうな気がするんだよね……」
どこか遠くを見やり、乾いた笑いをもらす悪夢。
その名を瀬名といった。
「多分こいつらが行方不明になったら、最後に通過した地点あたりに捜索の手が入るでしょ。その時、この連中が賊だとはっきりしていなきゃ、賊は私のほうだよ」
もちろん、証拠がなければ何の罪にも問えないだろうが、疑惑の目は付き纏うだろう。
《その可能性は否定できませんね。では行ってまいります》
「うん。そーして」
小鳥が羽ばたき、空に溶け込むのを見送ると、木立に半分埋もれた荷馬車に視線を戻した。
ドーミアを出て、いくらか北へ進んだところに、道の左右が森にはさまれている場所がある。
〈黎明の森〉の端に位置するが、切れ端のような広さの、ごく普通の森だ。
岩にさえ根を張るたくましい木々と、ごろごろ転がる巨岩の隙間をぬい、石畳で舗装された道がしばらく続く。普段から旅人や行商人が、ごく普通に利用しているメインルートだ。
そこを王家の紋章入りの馬車と、護衛騎士の団体が通りかかった。
ひときわ豪華な馬車に、これから外国へ向かう使者を示す旗が立っていた。
王家関連には見ぬふりを決めることにしていた瀬名は、そのまま立ち去る気満々だったのだが、小鳥が待ったをかけた。
荷馬車の内部に、有り得ないほど多くの生体反応があったためだ。
まずは進行方向を倒木で塞いだ。先日の嵐で、半分倒れかけながらも粘っていた木に、悪いが完全に折れてもらった。
突然前を塞いだ障害物に護衛騎士達は色めき立ち、その瞬間の反応や表情、咄嗟に漏らした台詞や口調などで確信した。
――全員黒だ。話は通じない。
そして動揺を突いて襲撃、現在に至るわけである。
緑豊かな六月。
丈高く茂った草と、低木の葉が衝撃をやわらげてくれたはずだが、積荷は大丈夫だろうか。
「そのまま動かなくていいよ。あんたには何もしないから」
こちらの様子を窺う魔馬に声をかけた。
御者の命令でとにかく逃げてはいたが、その命令を下す者もいなくなり、すっかりおとなしくなっている。
魔馬は軽く頷いた。――〝頷く〟動作が了承の合図と知っているのだ。
(うーん、ますます飼いたいな……せめてお城に引き取ってもらえないかな?)
場違いに呑気な計画を立てながら、視界の端で、頭から岩場に落下した御者がぴくりとも動かないのを確認し、豪華な荷馬車の幌に手をかけた。
剥ぎ取れば、その下からは頑丈そうな扉が現われる。扉は鎖と錠前によって、外側からがっちり閉ざされていた。
人を閉じ込める道具に、美しく繊細な紋様を施した忌々しいそれらを睨みつけ、刀を抜いて鎖ごとぶった切る。
刃紋が陽光を受けてきらめき、すっぱり半分に割れた錠前は、役割を果たさなくなった鎖と一緒に、草の中に落ちて埋もれた。
「…………」
ざっと内部を見渡し、十五名の子供を確認。事前に小鳥が割り出した人数と一致する。
年齢はおよそ十歳未満。全員が痩せ細り、皮膚が骨にはりついている有様だった。
馬車の内部は床も壁も、すべて厚手の布地が内側に貼られている。乗り心地をよくするためではなく、内部の音が漏れにくい防音仕様にしているのだ。
布地のあちこちに香木が縫いつけられており、かなりいい香りがするけれど――これも、嗅覚の強い種族の鼻を誤魔化すためのもの。
現在休戦状態にあるはずの、イルハーナム神聖帝国。
かの国へ向かおうとしていた王家の使者が、必要物資の代わりに用意した積荷がこれ。
王家の紋章入りの馬車も、護衛騎士達の身につけている衣装も、ARK氏の鑑定眼によれば本物だった。
中身だけがすべて偽者。
魔道具の身分証はとても優秀だ。途中で本物を殺害して入れ替わるにはリスクが高い。
この仮装行列において、乗り物と衣装を誰がどのような目的で提供したのか、さぞかし問題になることだろう。
どこか遠くでやっているなら、いちいち出向くような手間はかけなかった。瀬名は偽善者でも正義の味方でもなく、自分に何か偉大なことができるとも自惚れていない。
ただ、平穏無事に、まったり日々を過ごしたいだけなのである。
(――こんなものを、うちの近所に持ち込むから悪い)
組織ぐるみで幼児虐待。
しかもその幼児に値札をつけて稼ぐようなゲスは全世界の敵だ。滅びればいい。
「おいで」
「…………」
詰め込まれた子供達を、手前から順に一人ずつ抱きあげ、草地におろしていく。
恐ろしく軽い。
頬がこけて、生気の失せた表情は、まるで不気味な蝋人形を髣髴とさせる。
この子らが〝商品〟に選ばれた理由は一目瞭然だった。
力なく垂れた獣の耳に尻尾――半獣族である。
首にはめこまれた金属の輪は〈隷属の首輪〉。瀬名自身に魔法は使えないが、魔女の弟子を装う際に必須という名目で、調合の知識と合わせ、判明している限りの魔術に関する知識もインストール学習済みだった。
悪趣味な首輪に刻み込まれた魔術文字がばっちり読めるので、こんな知識が活躍する機会なんぞ本当に訪れるのか疑っていた身としては、ARK氏の隙のない先見性に、おののきひれ伏すばかりである。
首輪にはメーカーのロゴが刻印されておらず、正規品ではなかった。すなわち、この子達は親元から攫われたか、悪質な孤児院で売られたか――いずれにせよ確実に、違法な手段で連れて来られたのだ。
他人の自由を縛り付け、ときに操ることも可能な代物だ。製作については厳しい規制がある。
この国では隷属系の製品を認可なく製造・販売・使用した者には、奴隷落ちの刑が課されるようになっている。
だから悪質な奴隷商のたぐいは、密かにこの国で仕入れた〝商品〟を、比較的自由に捌ける他国へ売りにいくのだ。
半獣族の子なら、それでも莫大な利益が見込めるから。
(こんなもん作る奴も、作らせる奴も神経疑うわ……)
魔道具は一般的に、一つの道具につき一つの効果しか持たせられない。多くて二~三効果ぐらいだが、複数効果の付与はよほど上手くやらなければ失敗し、結果的にかなり高価くなる。
裏技として、何らかの〝対価〟を設定することで複数効果を付与しやすくなるが、その代わり簡単には扱えない、呪いの装備的な何かになりやすい。
隷属系魔道具の嫌らしいところは、〝破れば装着者にペナルティを与える〟という対価を設定すれば、〝禁止する〟という効果をひっくるめて一つと設定できるところだ。
影響を与える範囲が装着者のみに限定され、たとえば〝飛んでくる矢を弾く結界〟といった〝装着者以外にも影響を与える〟魔道具より、遥かに作りやすいらしい。
自害、不服従、敵対行動、逃亡、発声、魔術発動、隷属具破壊の禁止。この首輪ひとつで、これだけの禁止事項。それを破ったり、定められた手順を無視して強引に取り外そうとした場合、何らかの耐え難い苦痛に襲われる。
これは〝岩で圧し潰されるがごとき頭の痛み〟を与えるタイプだった。外し方はわかるけれど、安全に外すには時間がかかりそうだ。
(つか、こんなちっこい幼児にこんなもんつけるんじゃねーよ!)
歯ぎしりしたい気分だったが、小さい子の見ている前なので我慢した。
深く息を吸って、吐き、なんとか少しでも心を落ち着ける。
ところで、半獣族は人族よりたくましく頑丈で、アクロバット的な動きが得意な種族だ。それは子供でも同様らしく、あれほど揺れる馬車の中にいながら、誰も乗り物酔いを起こしている様子はない。
もっとも、たとえ酔っていたとしても、吐き出せるものは何もなかったろう。頑丈さと生命力の強さが災いし、ぎりぎりまで食事を抜かれていたのだろうから。
しかし、王家の発行する身分証は偽造できないとなると、使者だけは中身も含めて本物の可能性が高い。もし瀬名が――というよりARK氏が彼らを見咎めていなければ、ドーミアで身分証を検められるのは使者の男だけで、そこで問題なしとなれば、騎士もどき達は素通りできてしまっただろう。
王宮の騎士服の紋章も偽造できない代物であり、ニセモノと疑いを向けること自体が不敬とされてしまう。
使者だけは生かしておいて正解だったかもしれない。
騎士もどきの連中は、裏家業特有の人間のにおいを感じ取れたが、使者の男だけは微妙だったので、即効性の睡眠薬の粉末を風に乗せて吸い込ませておいた。試作品が一回分だけあり、作ってみたはいいが使う機会もなく、しばらくバッグの底で眠っていたものだ。
今ごろ一人だけ気持ちよく夢の中だろう。
それとも悪夢だろうか。
暴れる気力もないのか、瀬名が彼らを閉じ込めていた側の人間ではないと理解しているのか、ほとんどの子が抵抗せず大人しく腕におさまり、残るは三人だけとなった。
この三人が難敵だった。他の子達よりいっそう幼いが、意志の力だけは強いのか、弱々しい力で最後まで拒み、警戒をゆるめなかった。
そしてこの三人の瞳だけ、あきらめの色が浮かんでいない。
醸し出す空気がどことなく似ていた。ゆるく波打つ淡い金髪と翡翠の目の子を中央に、右側には少しくせの強い白金の髪と青玉の目の子、左側にはくせのない銀髪と紫水晶の目の子がくっついている。
そして、耳は頭の上ではなく顔の横にあり、つるりとして――
(……ん?)
気のせいかな?
瀬名は目をぱちぱちさせた。
「…………」
次に、軽く目をこしこし擦ってみた。
「…………」
………………。
(――ええええぇえ~!? ま、ま、ま、まさかああぁぁ!?)
顔の両脇にある耳。獣の毛は生えておらず、つるりとして、細長く尖っている。
尾も見あたらない。
(――えええエ、ル、フ、だぁあぁーっっ!? エルフのお子様だよ……っっ!?)
薄汚れて生気がなく、がりがりにやせ細っているけれど、もとの顔立ちはかなり整っているだろう。
いとけない小動物のごとき半獣族のちびっこ達に加え、いつか遠目に眺めてみたかった精霊族――この世界版エルフのちびっこ達までかどわかすとは。
……犯人は誰だ。
よほどこの世から駆逐されたいらしい。
しかしこれで、この三人だけ妙にかたくなな理由が判明した。
この世界版エルフはみな、微弱な精神感応力を持っているらしい。テレパシーほど強力ではないが、相手の感情を正確に感じ取る能力が備わっているのだそうだ。
すなわち現在、瀬名がどれほど表向き無感動を装っていようとも、実は内心で「ファックユー!」と「キルユー!」が吹き荒れている危険な精神状態が、この子達には筒抜けになっていたわけで。
要するに怖がられていた。
なんて恥ずかしい。もっと落ち着いた大人にならなければ。
そしてそれは当たりだったようで、心境が変化した途端、エルフの子供達が「?」と目をしばたたかせた。可愛い。
彼らは多少戸惑いつつも、今度は抱きあげる手を拒まなかった。
読んでいただいてありがとうございます。
主人公の魔物回避力が高すぎて相手が人間の悪党ばっかりになりがちですが、この章で徐々にそうはいかない感じになっていきます。




