227話 素晴らしき会議 ~失われゆく逃げ場
騎士達の結束力は最高値を突破した。のちにいかなる誘惑や悲劇が降りかかろうと、この中から一時の気の迷いで背信行為に手を染める愚か者が出ることはないだろう。
望ましくない未来をひとつ封じたことなど露知らず、瀬名は完璧な手腕を披露したミラルカに、それでも「しばらくは身の周りを警戒しておいてね」とお願いしておくことだけは忘れなかった。
今回の件で大損が確定した輩以外にも、誰も注目していなかった場所で思わぬ連鎖が発生し、逆恨みを爆発させる者が出てくるかもしれない。
《はい、肝に銘じておりますわ》
ミラルカは神妙に頷いた。勝利が確定した直後の油断こそが、最も危険なのである。
そんなわけで、南班はミラルカの護衛として、しばらくパナケア王国に滞在することになった。パナケアの戦士も精鋭揃いと名高いが、ウォルドとミラルカの間には積もる話があり、北の商売人であるゼルシカも、増えた従業員を養うために南の商品を仕入れたいと希望していた。
アスファ組と灰狼と神官組は……せいぜい護衛の合間に観光など楽しめばよいのだ。
(ふん。別に南国リゾートホテル生活うらやまとか、全然これっぽっちも思ってないんですからね! ギリギリギリギリ……)
瀬名は心の中でハンカチを食いちぎり、表面上は悠然と足を組み変えた。
〈黎明の森〉の広場で、椅子に腰を落ち着けているのは瀬名と、コル・カ・ドゥエル行きに参加したメンバーのみ。あとは灰狼や精霊族が何名か、邪魔にならない距離を保ち周辺に立っている。
なんだって俺はまたもやこんな所にいるんだろうと顔に書いていたドニは、持ち前の恐るべき順応力を発揮し、ひたすらメモに余念がなかった。プロの書記官ですと名乗っても違和感のない見た目だが、残念ながらあの手帳の正体は単なるネタ帳である。うかつに「見せて」と強請ってはいけない。正確に切り取られた己の言動を突きつけられても、平然としていられる者でなければ……。
≪あの手帳、各国の諜報機関でオークションにかければ、良い値がつきそうですね≫
ひっそり小鳥の念話が聞こえた。
≪ふ、どうせ誰にも本物と思われず一笑に付されるのがオチさ。――絶対にやるな≫
≪もちろんです。出品により降りかかるであろうトラブルと得られる利益とを比較すれば、明らかに大損ですので≫
お得と判断したらどうする気だきさま。瀬名はテーブルに視線を落とし、こっそり息を深めに吸った。
大樹を輪切りにして表面に艶出し加工を施したテーブル、切り株の椅子やベンチ。根の隙間に可愛いキノコ発見。
メルヘンな空間に、殺伐方面へ傾きかけた心が少しほっこりした。
飲み物や軽食が欲しいところだが、デマルシェリエ班とウェルランディア班の人々はどこかの草原で立ったままなので、何となく気が引けた。
平気で優雅に飲み食いしている南の連中は、ひとまず意識から追いやることにする。……青い小鳥の追加報告が実に楽しみであった。
(さて。ついにこの時が来てしまったか……)
恐怖のつるし上げ。
もとい、コル・カ・ドゥエル班の総まとめ回である。
全員の目が瀬名に集中し続ける、地獄のひととき――。
が、悲しいかな、こういうパターンにも段々慣れてきてしまった。
コツも少しずつ掴めてきている。
いくら苦手だからといって、ぐずぐず長引かせるのは悪手なのだ。
さらっと淡白に簡潔に事務的に、勢いで終わらせるが吉。
「先に結論を言えば、魔王は同時存在型だった」
《同時存在型……?》
《それはどういうものだ?》
《心の臓を別の場所に隠すのとは違うのか?》
「うん、違う。魔王の身体が別々の場所に一体ずつあって、倒すためにはどちらか一方だけじゃなく、両方を同時に倒さなきゃいけない。そういうタイプだった」
《なんと――》
彼らにとって、初めて耳にするタイプの敵であった。
《つまり、急所を分離させるものより遥かに厄介だったのではないか? 心の臓は自らの意思で反撃などせんであろうし》
《罠さえ注意しておけば良いしな》
《それに、急所を潰せば本体も死ぬ――いや、分離して隠すほうが本体になるのか。なのに、両方とも同時に、とは……》
《分身体のようなものか?》
瀬名は頭を横に振った。
「分身みたいにひとつの存在を二つに分けたんじゃなく、二つの存在をひとつの存在にしていたんだ」
《二つの存在を、ひとつの存在に……》
「うん。コル・カ・ドゥエルに向かった後、そこにいた【一体目】の前で私だけ転移の罠踏んじゃってね。着いた先は帝国で、そこに【対のもう一体】がいたから、細かい経緯は省くけど双方のタイミングを合わせて無事倒しました。そういうわけで脅威はなくなったから、これから起こり得る帝国関連の影響を――」
《おいコラ待て師匠! 一番大事なトコを省いてサラッと次に行くんじゃねえ!》
アスファ少年の突っ込みで阻止された。
この坊や、最近ますます鋭くていけない。
(ちっ、やはり駄目だったか……誤魔化しが通用しなくなってきたな、こいつ)
瀬名は再び口をひらこうとするも、先んじて声を発した者がいた。
辺境伯だ。
《ライナス?》
「はい、父上」
心得ました、と続け、至極当然のようにライナスが話し始めた。まるで最初から打ち合わせ済みだったかのように。
そこにグレンとセーヴェル、ローランの補足も時折加わる。よくまとまった息の合うなめらかな説明に、瀬名は悟った。
(おのれ!? もしやこの会議に向けて、密かに結託していたか……!?)
どうせこの女は都合の悪い部分をすっ飛ばし、さっさと進めようとするに違いない。そんな疑惑を持たれていたのは明白であった。
疑うなんてひどい!
瀬名はおののいた。
他言無用と釘を刺していた事柄〝だけ〟を綺麗に除き、重箱の隅までこまごまさらい尽くしたライナスの話に、お集まりの皆々様からどんどん表情が消えてゆく。
反比例してどんどん強さを増していく目力が凄い。彼らの視線を全部足せば、そこらの厄災種ごとき、一匹や二匹は瞬殺できるのではないか。
《なんと――妖精族が?》
《まさか……》
妖精族が魔王種と化していた。これも彼らにとっては初めて耳にするケースだったらしい。
小さく愛らしい外見で、イタズラ好きだがさほど害はない。人族の間ではそれが共通認識だった。一般人からすると魔物より遭遇率が低く、深刻な被害を受けた話を滅多に聞かないとなれば、自然、警戒心もゆるむ。
辺境騎士団の間では若干話が変わった。彼らは妖精族が、遊び感覚で旅人を惑わせたり死地に追いやることがあると少なからず知っていた。だから道中で見かけても、こちらから積極的に関わろうとしてはいけないと通達されている。
それでも、それらは単に善悪の区別がつけられないだけで、あくまでも魔物とは別種の存在だと定義されていたのだ。
それを「ふぅん魔王の正体コイツだったか~」で済ませられるのは瀬名ぐらいであった。
仮想空間RPGで、さんざん多種多様な怪物を相手取ってきたプレイヤーにとって、まさかコイツが!? は既に絶滅している。
ゲームの歴史を百年ほども遡れば新鮮な驚きもあったろうが、加速度的に進化する技術や羽ばたく妄想力のおかげで、ありとあらゆるパターンの敵が出尽くしてしまっていた。ネクタイをハチマキ代わりにしてくだを巻く千鳥足のサラリーマンや、定食屋の恰幅の良いおばちゃんや、地味っ娘眼鏡の文学少女がラスボスで登場しても、もう意外感がない。
ぶっちゃけ、瀬名は光王国の王家も全員ラスボス候補に入れていた。凡庸王はもちろん、王妃全員、王の愛人全員、ポンコツ王子全員、王女全員――フェリシタ王女も、しばらく前に遠い神殿へ退場した元王女もだ。
全員等しく、あらゆる職業・身分の貴賤にかかわらず、瀬名以外のすべてが平等に容疑者だった。
フェリシタ王女を含めたことにも罪悪感は一片たりとない。可愛らしくていい子だが、これはこれである。
さらに言うなら、精霊族ですら内通者の可能性を捨てていなかった。
もし精霊族の内部に本当に敵がいたならば、妖精族など比較にならないほど瀬名を苦しめる存在になったであろう。
(闇堕ち精霊族………………萌え)
想像してみた。
――なんたる強敵か。
肌の色は褐色だったりするのだろうか。
色気たっぷりで衣装はセクシー系だったりするのだろうか。
抑えきれない闇の衝動に夜ごと苦しんでいたりするのだろうか。
まずい。もし本当にそんなタイプだったなら、始末できる気がしない。
全力で洗の――いや説得を重ね、こちら側の陣営に引きずり込――いや迎え入れずにはいられない。
既に大勢を残虐非道な方法で殺めたサイコパスであった場合、過去の己の罪業を悔いながら自主的に善行を積んでくれる好人物への更生に、全身全霊でサポートさせてもらおう。
どうしても説得に耳を貸さずこちらへの攻撃を繰り返し、周囲の人々へ怪我を負わせたり毒を盛ったりするようであれば、捕獲して実験材料にする手も辞さない。
闇堕ち精霊族を正常化する方法の実験体である。ひょっとしたらいつか黎明の郷やウェルランディアの方々を助けることになるかもしれない、とても有意義な実験だ。
実験が趣味のARK君も、きっと嬉々として手伝いを申し出てくれるに違いない――。
そこかしこで何故か身じろいだり、肌をさすろうとして手をおろしたりを繰り返す人々がいたのだが、沼にどっぷり浸かった瀬名は気付かなかった。
◇
話を戻し。
コル・カ・ドゥエルの有様を知った神官二人は蒼白になり、セーヴェルの破邪の剣が【ナヴィル少年】の核を貫いた瞬間には「ほお」と感嘆の声があがった。
セーヴェル本人は同行者達の援護の素晴らしさを挙げて謙遜していたが、紛れもない魔王の片割れを落としたのだ。英雄に名を連ねるべき偉業であろう。
そして、瀬名が正気に戻らざるを得ない順番が巡ってきた。
《セナ……そなたにとって不都合なことを、我らが何も知らねば口裏を合わせようもない。気は進まぬかもしれんが、話してくれぬか?》
「…………」
誠実な視線が胸に痛い。
主と同じくひきこもるのが好きで、底のほうに沈殿していた良心を容赦なく掘り起こされてしまう。
辺境伯がここまで下手に出てくれているのに、それでも話さないとは何様のつもりか――そんなふうに罵倒する奴が出てこないかな、と少し待ってみたが、そんな気配はなかった。
正しいセナ=トーヤ対処法が行き渡り過ぎていて、ちょっぴり恐ろしいぐらいだった。知り合いがみんな優秀過ぎるとこういう時に心底困る。
(ん~……まあ、もし手の平返されたらその時はその時か。いざって時はドロンしちゃえばいいし…)
ここは観念するしかあるまい。
「仕方ない。私の口からは話しづらいし、ARKさん説明してくれる?」
観念すると言いながら、お日様のもとに晒されかけた良心に土をかぶせ、小鳥さんに丸投げしてみた。
その瞬間、皆の視線や雰囲気から察せられる警戒レベルが格段に跳ね上がった。とても正しい反応である。
《かしこまりました》
青い小鳥は人々の反応を余所に、淡々と話し始めた。
魔素の存在は明らかにせず、ついでに【ナヴィル皇子】には、皇宮に展開していた帝国兵へ大打撃を与えた犯人になってもらった。
全滅とは言わない。そのほうが自然で信じられやすいだろう。
瀬名が使うのは〝魔法〟に該当するものであること。
雷雲を呼び、雷によって【もう一体】を攻撃したこと。
それが【ナヴィル皇子】であり、享楽的な気質が祟って、せっかくの同時討伐要という困難な条件を、自ら解決してやる墓穴を掘っていたこと。
瀬名が強敵だと判明した途端、【ナヴィル皇子】が周囲への被害をまるで頓着せず攻撃を放ち始めたこと。
《イルハーナムの皇宮建物はほぼ全壊しました。この大半は【ナヴィル皇子】自身の放った攻撃によるものです。後宮は吹き飛び、軟禁に近い状態であった皇帝、妃や側室達、第一皇子も絶命を確認しております。これにより、皇族と認められていない庶子等を除き、イルハーナム皇族の血統は途絶えました》
《――――》
《……信じられん》
《あ奴らが……》
グレンが「マジかよ」と呟いていた。
帝国との小競り合いで、彼も駆り出されたことがあるのだ。
《皇帝が大樹の魔物に求めたのは、己が血を引く皇子の手でこの大陸をイルハーナム帝国の支配下におさめること。【ナヴィル皇子】ひとりが生きていれば契約違反には該当しません。当時皇宮にいたのは皇帝一家と、腐敗した上位の帝国貴族、自我を奪われた奴隷です。強固な壁により内部の破壊はほとんど外へ伝わらず、一般市民に直接的な被害は及んでおりません》
《それは……幸いというか、なんとも皮肉な話だな……》
《なお、皇宮につめていた兵士もすべて貴族、あるいは豪商の息子等で占められておりました。職務を果たさず我先に逃げようとする者もいれば、そこに留まろうとする気概のある者もいましたが、平等に【皇子】によって吹き飛ばされております》
《事実か? いくらなんでも……いや、そなたが言うならば事実なのだろうが》
《奴らは好かんが、さすがにあんまりだな……》
《【ナヴィル皇子】の中身は魔王種であり、人の子の忠誠など価値はなかったのでしょう。契約を果たすために周囲を動かし、臣下のことは駒と捉えている様子が言動から多々見受けられました》
《そうなのか……》
《…………》
長年争い続けた敵ではあっても、そんな最期を迎えれば、いろいろ思う所がある。
騎士達の間で重苦しい沈黙が流れた。臣下を駒扱いし、自身の目的のためだけにあっさり吹き飛ばす――光王国の王や王子なら、絶対そんなことはしないと言えないのが余計につらい。
他人事ではなかった。
(うん、やっぱり私がやったアレとかコレとかは言わなくて正解だったネ。これからも内緒にしとこうっと)
ほんの一日で国のトップがすべて失われた帝国が、今後どうなっていくのか。それについては後回しにし、ARK氏は今回存在が確認された魔物についての情報共有を優先した。
《現在どの討伐者ギルドにも情報があまり出回っていない、あるいは完全にない魔物をタマゴドリにより観察、分析等を行いました》
そして、ずらりと表示された魔物情報は、瀬名にとって懐かしくも見慣れたものであった。
(をい)
とてもわかりやすい。馴染み深い。この表示形式とても好き。
なのだが、この手のものをこの面子の前で披露するのはどうかと――いや、もうやめよう。
早い話が、攻略サイトのモンスター情報である。
完璧に再現したモンスターの3D映像がゆっくり回転し、その脇にはずらりと特徴や身体能力等が表示されていた。
どうやって調べたのか、体力、魔力、素早さその他、もろもろの項目ごとに数値も書かれてある。
比較対象として小鬼や剣山鼠なども表示されていた。
《時と場合によって総合力は変化しますので、数値については参考程度にお考えください》
朱い猿。海洋の悪夢。南の総戦力で倒した名もなき魔王のしもべ。群れる妖精族。廃神殿の妖樹と融合した少年に、そしてもちろん成り代わった帝国の皇子。
攻撃パターンや弱点、耐性に至るまで、丸裸の総なめにされていた。
成長による脅威度の予測、同様の魔物が出現した場合の討伐方法の提案。
唯一そこに詳細情報が載っていないのは、妖花【イグニフェル】のみ。なんとARK氏は、成体となった【イグニフェル】の花畑を魔王以上の脅威と判定したのだ。
《次の機会のためにお役立てください》
役立つ日なんてこなきゃいい、と瀬名は思った。
会議はあと1話になると思います。
 




