221話 戦の後 (3)
(……やはり、これはあれだな……)
(あれですねえ……)
これみよがしにベタベタくっつきながら、長兄と自分達との明確な違いを確信し、弟達は内心でくすりと笑んだ。
しかし彼らは引き際もちゃんと心得ている。長兄の限度と瀬名の許容量のギリギリで手を放し、仕上げとばかりに黒髪へ軽い口づけを投下した。
「――――~ッッ!?」
「では、先に戻っている」
「お二人とも、早く帰ってきてくださいね♪」
ではまた次回、とばかりに、爽やかに鮮やかに去ってゆく二人。
硬直した瀬名を残して。
◆ ◆ ◆
そしてどうしてこうなった。
こういう時の様式美というか決まり文句というか、それ以外にもはや言葉が存在しない究極の帰結「どうしてこうなった」。
唱えても何ひとつ解決しないのに、何度でも唱えたくなるという特徴がある。
エセルディウスやノクティスウェルらの謎行動――やたら物理的に絡んだ挙句の去り際に「ちゅ」――によって、何故か完全に表情の消えたシェルローヴェンとともに取り残され、瀬名は「あ、終わったな」と悟った。
短いような長いような謎な人生だった。
せめて精神的苦痛を最小限に抑え、一撃で葬ってくれればいいのだが。
――そんな覚悟を嘲笑うかのように、人生最大級の「どうしてこうなった」が瀬名を襲った。
(うぎゃおぉおおぉおうぉおう!?)
色気? そんなものはない。
ないはずだ。
何故だろう。抱きしめられている。
イタい錯覚や勘違いではない。
背中にがっちり回された腕の配置や力加減は絶妙で、〝はりつく〟とか〝じゃれつく〟などといった無邪気な表現にすり換えて逃げる余地もなかった。
さらに。頭上から低い美声で「せめてひとこと言っておいてくれ」「心配しないと思ったのか」などなど、優しく甘くやわらかく、鼓膜へ直接吹き込むように切々と訴えかけられては……。
(ひいいぃぃぃいいぃ!?)
これは何だ。新手の攻撃か。
もしや【世界はわたしのもの】的ななんちゃって呪詛を口にしたせいで、全世界から呪い返しを受けているのか!?
全身の毛が逆立ち、本気で気絶しそうになった。
ここは魔の山近くの森である。しかもこの辺りには結界を張っていない。
こんなに無防備な獲物がたった二人きりでいるのに、どうして今日に限って平和なのだろう。
(襲撃カモン!! どこかに気合の入った魔物はいないのか!? なんならどこぞの暗殺部隊でもいい!! 今が狙いどきだ、さあいくらでもドンと来たまえ!!)
さらさらと小川のせせらぎしか聴こえなかった。とても長閑である。
目の前に己のライフポイントゲージがぴこんと表示され、「ガシッ!!」「ザクッ!!」「ドハッ!!」という効果音とともに残量が激減してゆくのを瀬名は幻視した。
しかも敵の攻撃はその他ステータスにも及んでいる。
シェルローのこうげき 「あまいささやき」 が クリティカルヒット!!
せなの ぼうぎょ を かんつう!!
せなの きりょく は 1 になった!!
せなの ちせい は 1 になった!!
せなの こんじょう は 1 になった!!
せなの にげあし は 1 になった!!
ひっさつわざ 「マシンガン罵倒」 は ふういんされている!! つかえない!!
ひっさつわざ 「精神一撃滅殺突き」 は ふういんされている!! つかえない!!
あらゆる 「状態異常無効化」 が むこうかされた!!
…………
……
恐ろしい戦いであった。
頭ごなしに叱りつける説教の嵐であれば、スキル〝聞き流し〟によって適当に相槌を打ちつつ右から左へダメージを流す戦法もあった。
むろん相手はそのような小手先の抵抗など許さない。半分程度にしか聞いていないのをするどく察知し、攻撃の威力を強めるであろう。
それはそれでつらく長い戦いになったはずだ。決して反撃してはならず、防戦一方の状態を強いられるのだから。
しかし、精神を補強し耐え抜くことは不可能ではなかった。
これは違う。脳髄へじわりと浸透し、聞き流しも精神補強も通じない。
鍛えあげた全ステータスが1と化し、骨の芯から強度を奪われ軟体生物に変えられる恐ろしい攻撃であった。
普通の説教のほうがなんぼかマシだと瀬名は本気で思った。
しかも先ほどまで戦闘の真っ只中にいたのは相手も同じはずなのに、頑丈な胸板からふわりと香る体臭がレモングラスか森林のような爽やか系とは卑怯の極みである。
日頃から「可愛い彼女欲しい!」と騒いでいる討伐者のムキムキ野郎どもに、今度体臭エチケットのなんたるかを叩き込んでやるべきであろう。混濁し薄れつつある意識の中で瀬名は思った。
おそらく一時間ほどはその状況が続き、ようやく敵がすっきりした頃には、瀬名の足腰はすっかり砕けて立たなくなっていた。
少しばかり前、彼女は魔王の大元を鮮やかに討伐した……はずだった。
されど、さほど労せずして手に入れた天下は長く続かぬもののようだ。
当たり前のように横抱きにされ、所在なさげに立っていた漆黒の魔馬まで運ばれた。――瀬名の愛馬、ヤナの視線がどことなく生ぬるかったのは気のせいだろうか。
そして主以外を決して背に乗せようとしなかった誇り高きヤナは、長いものに巻かれろとばかりにすんなりシェルローヴェンを乗せた。その場の誰が強者なのか、きちんと見極めをつけられるとても賢い魔馬である。
二人乗りの間、瀬名の心臓に悪い横抱きは継続。腰をしっかり片腕で捕獲され、抜群の安定感で落とされる心配もなければ、逃亡の隙さえ微塵もなかった。
そういえば、彼らを待ってくれているのはヤナだけだった――何故ほかに魔馬や雪足鳥が一頭もいなかったのだろう。人数がはっきりしているのに手配できなかったなんて、今までそんなことは一度もなかったのに。
どうしてか、エセルディウスとノクティスウェルの顔がちらついた。顔だけなら傲慢な直情型のプリンス様に見えるエセルディウス、そして顔だけなら善良無垢な美女と見紛うノクティスウェル……いったい彼らは何を考え、何を企んでいるのか。
だがさすがに、それをシェルローヴェンに尋ねる愚は犯さない。あの弟達のじゃれつき攻撃あたりから、長兄の様子がますますおかしくなったことぐらいは、かろうじて気付いている瀬名だった。
「ええ~と…………重くないでしょーか? 図体でかいし、邪魔だし」
「まったく」
「…………」
せめてもの抵抗とばかりに言ってみたら、さらりと返され、二の句が継げなくなった。
魔馬は一頭。どのみち片方が下りて走れなどと言えるわけもなし、二人乗りは合理的なのだが。
(……私そんなに、軽くないはずなんだけどな……)
この国の女性の一般的な身長は百六十センチ前後。職業や身分によって体格にばらつきはあれど、瀬名の百七十三センチは結構な長身に入る。半獣族の女性と比較してもそこそこ高いほうに分類され、骨格や筋肉は戦士系でがっしりしており、体重もそれなりにあった。
騎士や討伐者、流れの戦士などがそこらを闊歩している環境で、十代半ばの少年を自称しても違和感を覚えられない体格と外見をしているのだ。そうなるよう狙って鍛えたのだから当然である。
こんな重くてごつい生物、男が好んで持ち上げたり抱え込んだりしたがるとは思えないので、瀬名はシェルローヴェンの行動が謎で仕方がない。
つい「エルフのくせに」と言いたくなってしまう高身長、騎士並みの体躯の持ち主に、こんなの重くて持てないんじゃないのと訊いても無意味な気もするが。
とりあえず、行き先は〈黎明の森〉に違いないのだから、さっさと帰りつかないだろうか。
ヤナは何ゆえ、こんなにまったりのんびり歩いているのだろう。
ここは主のために空気を読み、スピードを上げるところではないのか?
確かに徒歩よりも早いが、論点はそこではない。とにかく瀬名はこの心臓に悪い、落ち着かない状況からさっさと抜け出したかった。
(……あんなに、ちっこかったのに)
ちまちまちま、とてててて、と駆け寄ってくる、ふわふわ淡い金色の毛玉。
全身を使ってきゅう、と抱きついてきたあの子の頭部は、瀬名の膝より少し高いところにあった。
おててを繋ぐ時は指二本ぐらいで足りた。撫でてやれば、頭頂がすっぽり手の平におさまるぐらい小さかった。
あれが、どうして、こうなった。
実は本人ではなく、親戚の子だったり、なんなら隠し子だったと言われたほうがまだ自然ではないか。
――などと、思いにふけるあまり、余計なことまで考えてしまったのがまずかった。
「……瀬名?」
「ははいっ? なな何かねシェルロー君っ?」
「今、何やら失礼なことを考えていなかったか?」
「――き、気のせいだと思うよ、うん?」
あ、やばい。
青年の面に、いかにも慈愛に満ちた美しい微笑みが浮かび、瀬名は失言を悟った。
会議。そうだ、会議をせねばならない。
とても大切なことではないか。
各所で待機している皆様をお待たせし過ぎてはならない。多忙な方々も多くいるのだから、一刻も早く会議をしなければ。
今さらそんなの面倒? ただの報告会なんだから、そんなの自分が参加しなくてもいいんじゃないの?
誰だろう、そんな寝言を口走ったのは。
自分で言った記憶が瀬名の頭にうっすら残っていなくもないが、人は過去より未来へ目を向けて歩むべきなのである。
――この瞬間、エセルディウスとノクティスウェルは、各所で待機中の皆様に、「瀬名は兄上の機嫌を取るのに忙しいので一日遅れる」旨を堂々と伝えていた。
瀬名がそれを知って崩れ落ちるまで、あと少し――いや、もうしばらく。
その間、瀬名は失言の中身を追及されなかった代わりに、別方向からの攻撃を食らっていた。
すなわち、帰還後の膝枕を要求されたのである。
これも議論の余地なく瀬名が悪い。以前シモン少年を地下迷宮から救出し、神モドキを倒した際に〝ギューと膝枕とブラッシング〟を確約しながら、今の今までひとつも遂行せずころっと忘れ果てていたのだから。
《マスター、勢いでそんな約束をなさるからですよ……》
青い小鳥の幻聴にとどめを刺されつつ、膨れあがっていそうな利子の予感におののく瀬名であった。




