217話 【魔王】の戦場 (9)
誤字脱字報告ありがとうございます。
直後に読み返しても気付かないんですよね…。
今回はBeta君がこそっと何をしているかの回です。
魔物と化した元皇子が他の客人達にかかりきりになっている間、Betaはすすすす、と移動し、ARK・Ⅲから与えられた任務を果たすべく動いていた。
時折こぼれた蔦や根が飛んでくるものの、アームの先から「にょいーん」と伸びた射出口から極細の熱線が格子状に広がり、飛来物はサイコロ型になってバラバラと転がり落ちる。
Betaは目的の場所に悠々と到着した。広間の入り口からほど近い壁、ちょうど大きな石柱が目隠しになり、【囚われの皇子】からも死角になっている場所だ。
EGGSが浮遊しながら壁のスキャンを行う。地上から地下の様子を確認した際に発見したのだが、壁に施された彫刻に紛れ、大きな隠し扉があった。幻術も使っているようだが、BetaやEGGSにそんなものは意味をなさない。
網のように細かい蔦を熱線で落とせば、扉の鍵が現われる。魔術によって動く仕組みだが、開錠そのものに魔力は必要がなかった。
鍵は古風な錠前ではなくダイヤル式だ。ぱっと見、風水羅盤に似た何重もの円を回転させ、正しい数字あるいは記号の位置で固定する。
――マスターの得意分野っスね、これ。
立体で展開するパズルや、乱雑に散らばる情報から直感的に正解を見抜くのが瀬名は得意だ。ここにBetaがおらず、瀬名ひとりで取りかかっていたとしても、彼女は自力でこれを解けていたに違いない。
扉全体に描かれた紋様を精査し、Betaは結論づけた。瀬名に答えを知られたくなければ、彼女にヒントを与えてはいけない。だがあいにく、こういう神秘的な建造物の設計を任された者は、得てして謎解きの醍醐味を遺したがる傾向にあった。
例に漏れずこの扉にも、至る箇所に開錠のヒントがそれらしく散りばめられている。遺跡専門の冒険家であれば、さぞ胸躍る光景だったろう――だだし瀬名ならば、浪漫の欠片もなく「不用心な」と切り捨てただろうが。
そしてARK・ⅢやBetaも彼女の意見に賛同する。こんなザルなセキュリティ意識では、せっかくの高度な魔術式があまりにも勿体ない。ハッカー対策に高額をはたいた情報端末のパスワードに、利用者が自分の誕生日を設定するのと同じぐらい無意味だ。しかも入力画面の近くに「ヒント・あなたの誕生日」と添えてくれている親切ぶり。
――俺っちはお仕事ラクでいいっスけどね~。
アームの先がにょいん、ういんと分裂し、すべての円盤の溝に先端を埋め込む。同時にそれぞれを時計回り、あるいは反時計回りにかち、かち、かち……と正しい位置に回転させていった。
最後にがこん、とくぐもった音を立て、扉の中央に水平方向の隙間が生じた。そして、それぞれが天井と床の内側にスライドして消える。残ったのは風水羅盤に似た鍵の部分のみ、どことなく近代的な入退室管理システムを思わせる風情でそこに立っていた。
悠々と厳重な鍵の横を通り抜け、Betaは室内の様子を探る。目的のものは探すまでもなく、すぐに発見できた。広い隠し部屋の奥にはいかにも意味ありげな設置型魔術装置、その中央に嵌めこまれ、黒ずんで輝く人の握りこぶし大の赤い結晶。
往々にしてこういう装置の周りにも罠が配置されているものだが、これをここに置いた人物はそこまで深く考えなかったらしい。何もなかった。
この奇妙な聖域自体が滅多に人の立ち入れる場所ではなく、さらにあの【囚われの皇子】や小さな兵隊達の目を盗み、隠し部屋の謎を解いて開けられるほどの者など、そうそう居はしないのだから当然と言えなくもない。
それはともかく、罠の有無を確認するために空間を精査したら、とんでもないものを発見してしまった。
邪神教団の隠し財産なのか、ありがちな金銀財宝が積まれている。それではない。
間近に来て初めて見つかるものがあるからこそ、地道な採集や探索を行うBetaの存在意義があるのだった。近接距離における調査能力や分析においては、EGGSよりもBetaのほうが上なのだ。
より広い範囲を網羅できるのがEGGS、範囲は狭い代わりにより深く調べられるのがBeta、という具合に。
隠し部屋の壁には、一面に美しい壁画が描かれていた。数多の神々による加護と、奇跡を授かる神官の物語。
神秘的で、この壁そのものが高価な芸術品だった。時代がもっと移り変わり、瀬名の世界と似たような〝近世〟が訪れれば、いずれこの部屋の金銀財宝をすべて合わせたのより遥かに、この壁画のほうにこそ凄まじい価値が生じるはずだった。
だがBetaが「オ?」と思ったのは、この神話の絵に対してではない。
この絵の下に隠された、もうひとつの絵のほうだ。
もとの絵が、別の絵で塗り隠されている。
新しいほうの絵の具の年代は数百年前のもの。
下の絵の年代は――測定できない。最低でも数千年前という結果が出た。
黒い衣を纏った黒髪の人物が、荒れ狂う嵐の中に立っている。
男とも女ともつかないその人物は、暗雲を呼び、風雨を従え、雷光を次々と地上へ落とし、数多の屍に囲まれた絢爛たる都を破壊していた。
その都の中央に巣くう何やら奇妙な怪物を、地にはりつかせている。
獣は咆哮をあげ、鋭い牙や爪で黒髪の人物を裂こうとするも、それが一本たりと届いている描写はない。
暗く不吉で、この世の終焉を示唆する構図のような、見る者に畏怖と絶望の予感を与えるであろう絵だった。
――これはあれっスね。何百年か前の神官あたりガ、なんか怖気づいてキラキラしい神話で塗り潰し、隠蔽しよーとしたってやつスね。
塗り潰したところで下の絵は残ったままなのに。雪ダルマもどきは首をかしげる仕草をした。
人間のこういう心理は、彼らにはよく理解できない。恐ろしければ消すなり破壊なりすればよかろうに。手段を選ばなければ、方法はいくらでもあったはず。
しかし、奇妙に現在の状況と符号している絵だ。むろん単なる偶然の一致かもしれない。ただ、当時どんな意図があって描かれたかはともかく、連想されるのはつまるところ〝予言〟や〝未来予知〟といったもの。
その実在を肯定するのには幾千の言葉を使用できるが、否定のためには「そんなものは存在しない」以外にこれといって気のきいた言葉がない。
が、瀬名はそれらを否定しないまでも、好きではないとBetaは知っていた。
怪物が結局どうなるか、この物語の結末は描かれていない。つまりいくら一致点が多かろうと、瀬名の行動次第で結末が決まるのに変わりはない、そういうことなのだろうが。
BetaはARK・Ⅲにお伺いを立てた。真偽のほどは不明としても、彼らのマスターはきっと「気に入らないものは気に入らない」と腹を立てるだろう。
知らない誰かに己の行動を決められるのが彼女は嫌いだ。そう感じさせられるものもきっと嫌う。
ならば、途方もない歴史的価値のある秘された絵画を、どう扱うべきか。
ARK・Ⅲの返答はすぐに来た。
マスターの未来には不要物、保存の必要なし。
のちに下の絵が発見された際、彼女自身が終焉の怪物の召喚者との冤罪を誘発する可能性あり。
破壊せよ。
了解。
まず先にBetaはアームの先端を切り替え、装置の赤黒い結晶を慎重に取り外した。
これが何かというと、自爆装置である。結晶が発動のためのエネルギーを蓄えており、これがなければ装置は動かせない。
警報も鳴らなければ出入口が勝手に閉じることもなかった。詰めの甘い装置である。これを設置したのは【ナヴィル皇子】に違いなかった。万一の最終手段として準備しただけで、あまり細かく手をかける気にはならなかったのだろう。
彼の興味は自爆装置などに長く留まらなかったはずだ。もっと面白いものはこの世にたくさんあるのだから。
設置者の興味が薄れても、威力だけは申し分ない。発動すればこの山どころか、コル・カ・ドゥエルの都までを含む範囲が吹き飛ぶ。この結晶は相当に強力な魔石の一種であり、どうやら竜脈のエネルギーを何年も少しづつ溜め込んできたらしい。
爆破の凄まじさにここの大樹が巻き込まれても、あちらの【ナヴィル皇子】が無事でさえあれば、また蘇るのだ。こんな隠し玉をせっかく用意しておきながら、敵を侮り過ぎたがために、活用の機会は永遠に失われてしまった。
Betaは装置を無力化させたあと、再びアームをうぃんと切り替え、左右両方から複数の射出口を壁画へ向けた。
摂氏数千度の熱線が格子状に放たれ、徐々に移動しながら、壁の表面を焼き尽くしていく。
壁画は呆気なく削り取られていき、下の絵ごとこの世から葬り去られていった。
太古の遺産、途方もない価値の見込める壁画をわが手で消す行為に、良心の呵責や恐怖など覚えるはずもない。
Betaは迷いなく任務を遂行する。彼らに躊躇など存在しないのだから。




