216話 【魔王】の戦場 (8)
(ここにいたのか!)
淡い金髪、翡翠の双眸、尖った耳の男の姿。
ウェルランディアの女王の息子。最初の王子だ。
(ここもか……っ)
廃れた神殿の地下、世界の力に満ち溢れた彼らだけの聖域。その最深部まで侵入者が接近する気配を感じ取りながら、所詮とるに足りぬ存在であろうと見くびっていた。
それが大きな間違いだったのだ。
数多の苦難を乗り越え、辿り着いた者達の苦労と精神力は、正当に評価してやるべきだ。そんなふうに上から目線で、歓待してやらねばと嘯きながら、意地の悪い転移の罠を仕掛けた。複数名いたとしても何名かに分断され、疲弊した彼らはさらなる戦力減に苦しめられることになる。
そうして飛んで来たのが、よりによってこの襲撃者。
たった一人。確かに一人きりだ。強い魔力の気配もない。
その一人が、まさか単独で万に匹敵する怪物などと、誰が思うものか。
(もしや、あの罠を置いたのがそもそも、致命的な失敗だったのでは……)
その通りである。
彼はあちらとこちら、同時攻略しなければ倒せない厄介な不死性を得た魔物だった。片方だけであれば、いくら攻撃されようとも決して滅ぼすことはできない。
なのにわざわざ、同時攻略しやすい環境を自ら作ってやったに等しいのである。
相手を敵と認めず、とことん見下しきった挙句の自業自得な大失敗であった。
彼は己より強いものに遭遇したことがなかった。
唯一張り合える存在があるとすれば、同時期に誕生したもうひとつの稀有な存在力。
人の血の中に生まれる半神。だがそれも、己と同じく成長に年数のかかるものであり、今日明日の脅威にはなり得なかった。
弱いうちに探し出して始末しようかとも考えたが、やめた。成長した半神を、圧倒的な力と権力、増やした手駒、それらを見せつけてひねり潰すほうが面白そうだと、本能からくる遊び心が囁いたからだ。そしてその者をしばらく生かしておくことは、彼の目的に反することではない。
契約を完了し、この世のすべてを平らげたら、その者と遊ぼう。彼はその日が来るのを楽しみにすらしていたのだ。
まさか、弱いうちに滅ぼされるのが自分のほうなどと――。
◆ ◆ ◆
本日、ここに来るまで一度も戦っていない彼らは、疲弊どころかパワーがあり余っていた。
【くそぉぉ、ちょこまかするなあああっ!!】
「そー言われてほいほい止まってやるかっての。ほらよっ!」
グレンは襲い来る触手をひょいひょい躱し、ひねりを入れて切っ先に勢いをつけた。
妖猫族の柔軟な身体はどんな角度の攻撃も受け流し、どんな角度からの攻撃も可能にする。
死角から繰り出す予測のつかない一撃に、彼の速さがハマればほぼ無敵だった。
「前にやったあれと比べりゃショボいモンだぜ。棘はねぇし、柔らけぇし、斬りやすくてラクだわ。微妙に遅ぇしよ。何度も遭いたかねぇが、やっぱ強敵は経験しとくもんだな」
【くっそぉぉお~、くそっ、くそっ、くそっ、下等な猫ごときがあああぁッ!!】
金切り声を吐き散らし、ろくに狙いを定めずあちこち攻撃しまくる少年――もはや大樹と同化している【囚われの皇子】に、女騎士が「下品な」と顔をしかめた。
「これで皇子を名乗っていたのか? 品性の欠片もないな」
セーヴェルは破邪の燐光を帯びた聖銀の剣をひらめかせ、絡みつこうとする蔦を手早く落とした。彼女の落とした蔦は床に落ちて腐り、傷口は回復する様子がない。
聖銀はもとより破邪の性質を持つものだが、彼女自身の魔力の質と合わさり、効果が数倍にも高まっている。それを見て取った面々は、自らも攻撃しつつ、できるだけセーヴェルの攻撃が届くよう援護する方向に切り替えた。
「はっ!!」
「おりゃっ!!」
【ぎゃぁあッ!! こ、この、この、このおおッ!!】
半透明の繭の中から奇妙に歪んだ形相でわめき、少年は己を苦しめる生意気な下等生物をねめつけた。
ある一点に目をとめ、不意にニヤリと口角を持ち上げる。
怜悧な美貌の騎士。その外見の印象に反し、魔獣のごとき荒々しさで力業を駆使して、より硬そうな根や蔦を選んで落としていた。
見た目以上の膂力や体力。その髪色は紫がかっており、虹彩も不吉に輝く青紫。
そして全身にぼんやり滲む魔力の色もまた、紫に金が混じったような色合いだった。
(忌み子か!)
魔族や死霊術士、呪術士を連想させる不吉な色の組み合わせ。
こいつらの弱点を見つけた、と少年は有頂天になった。
【くっくっく……きさま、その髪色、その瞳の色、忌み――】
「忌み子とさんざん呼ばれていたな。上司も部下も同僚も近所の皆様も知っているが何か?」
【えっ】
「幼少期は腹立たしいこともあったが、今は気にならないし誰もいちいち気にしていない。日頃の人間関係はこの上なく良好、気心の知れた友人もたくさんいるし、見た目の割に俺けっこう恵まれてる奴だな、と真面目に自慢したくなるぐらいなんだが何か?」
【えっ? えと…………ううっ、ぐ……く、くそ……】
その容姿ではさぞや虐げられているであろう云々、周りの者どもが憎らしくはないか云々と、陰湿な台詞で結束にひびを入れてやろうとほくそ笑んでいた少年は、目論みを速攻で潰されて何も言えなくなった。
離間の計は知恵ある敵の常套手段であり、ローランがこの手の悪意を向けられるのは今に始まったことではない。もし敵が仲間にこういうことを言ってきたらこう返せと、騎士団ではマニュアル化されているほどだったので、あまりに定番な坊やの攻撃は、彼らにとって精神攻撃の内にも入らない。
裏切りをそそのかせそうに見えて、実は一番つけ入る心の隙が皆無という、敵からすれば非常に紛らわしい外見詐欺師なのであった。
「ローランよ……おめー、言動がセナに似てきてねぇか?」
「――なっ!?」
「いやマジで。ちぃとばかし気ぃつけといたほうがいいぜ……」
「そ、そんな馬鹿な!?」
何故か仲間の突っ込みのほうにショックを受けている。
【うううぅ~っ、くそッ、このおおッ!! 我を、我を誰と心得るッ!! 許さん、絶対に許さんからなああ、馬鹿にしおってええぇッ!!】
「まったく、そこらのゴロツキと何ら変わらないなぁ……」
先ほどから単調な物理攻撃しかない。ライナスは真剣でいながらどことなく余裕の漂う戦場で、妖猫族の剣士と二人の騎士の戦いぶりをしっかり見学させてもらっていた。
全員強者で、全員戦闘スタイルが異なっており、とても参考になる。
むろんぼんやり眺めるだけではなく、彼らの討ち漏らした小物を丁寧に落とすのも忘れない。小さなものと侮って見逃すのは厳禁、これを放置していれば肝心な時に足をすくわれることがある。
彼は華々しさを求めて前に出たがるタイプではなかった。適材適所を心がけ、力量に応じた役割を素直に果たす。この面子では、彼は前衛ではなく中間に適していた。下がることを恥じない的確な判断力は、同年代の貴族の若君と比較し、ライナスを頭ひとつ、ふたつぶん抜きんでた存在に押し上げている。
(毒霧に幻惑香、吸血性の棘その他、時間経過とともにダメージを増やす攻撃も警戒して備えてきたのに、まったくないとはね。癇癪を起こした子供の力任せな攻撃ばかりだ。ありがたいけどさ……)
この坊やは致命的に経験が足りていない。せっかく力があっても、有効に使う方法を知らない。
ちょっと強い武器を手に入れただけで無敵気分になり、ぶんぶん振り回す子供でしかなかった。
性格の歪んだ状態で固定され、何年もここにいたであろう【囚われの皇子】は、その長い時の間、己に何ができて何ができないか、まともに知ろうとしたことすら、おそらくはない。
感情を制御できない悪童が、今よりも強い力を手に入れ、多様な攻撃方法を学んでいた後だったなら、さぞ脅威だったろう。
(けれど、そうなる前にセナがおまえ達の居所を突き止めてしまった。おまえ達はもっと、その事実を深刻に受け止めるべきだったんだよ……教えてあげないけどね)
そんなことよりも。
怖いのは前面の敵ではなく、背後にいる。
ライナスのこめかみをつつう、と汗が伝った。
セナ=トーヤが消えて以降、ひとことも発さぬまま、仲間全員の後衛に徹している青年。
魔術であったり剣であったり、ここぞという時に絶妙で完璧な助けが入り、正直もの凄く頼もしい。
あの大樹の周囲に育ちつつあった妖精族の繭の群れは、彼がさっさとすべて焼き払うと同時に氷漬けにしてしまった。両極端な属性攻撃を一瞬で放ち、味方には損害を与えない制御能力は見事のひとことに尽きる。
しかし。
一瞬だけ、うっかり、ちらりと見てしまった。
ひょっとしたら自分だけじゃないかもしれないな、と彼は思った。その証拠に、誰も彼に話しかけない。
(セナ、どうするんだよこれ……知らないよ僕は!?)
どうかくれぐれも、巻き込まないでくれよ。
この場に集った猛者達の、心からの願いであった。




