209話 【魔王】の戦場 (1)
誤字脱字報告ありがとうございます!
そんな所にもあったのか…!
今回短めです。
次話はもう少し長めになるかと思います。
それにしても、本当に遠くまで来てしまったものである。
初め、瀬名は魔物を恐れていた。
モンスターパニック映画やホラーゲームに登場する怪物の実物なんて、絶対に現実で出くわしたくなどない。
けれどARK・Ⅲの騙し討ちで〝なんちゃって魔法〟を扱えるようになってから、吃驚するほど容易に倒せるようになってしまった。
暴発やミスを防ぐため、毎日毎日しつこく練習したとはいえ、〈グリモア〉が刻まれてから実戦投入するまで、わずか数ヶ月しかなかったというのに。
苦戦を覚悟で魔の山方面をうろついてみれば、「あれ、こんなもんだったの?」と拍子抜けする展開となり。
「なーんだ怖がって損した」などとフラグを立てた直後に【大蛇】の口の中へご招待、本気でパニックになり、ぎゃーぎゃーみっともなく喚いたあの日の出来事が懐かしい。
人は調子に乗っちゃ駄目なんだと、骨身に沁みた出来事だった。
そして今。もう何年も暮らして住み慣れた〈黎明の森〉から遠く離れ、コル・カ・ドゥエル山脈国へ向かい、遥かイルハーナム神聖帝国の空の下にいる。
その遠大な距離といったら。山脈国への道のりは精霊族の秘密の道で短縮し、ここへは転移の罠を自主的に踏んで一瞬とかそんなことはさておき、地形その他を無視した直線距離だけでも相当ではないか。
地球から〈黎明の森〉までの距離や年月も入れたら大変なことになる。寝て起きたら別世界だった、これをカウントしていいものか議論の余地はありそうだが、こまごまと無粋なことは言わず、とりあえず今は溜め息をついてしまおう。
長い旅路だった、と。
――では、果たして現在の瀬名は、痛いのも苦しいのも平気な凶戦士と化しているのか?
そんなわけがなかろう。
嫌に決まっている。
戦ってもし怪我をすれば痛いだろう。ゆっくりとどめを刺すタイプに襲われ、もし負ければどんな悲惨なことになるか。
想像するだけで怖い。背筋がひやりとする。
瀬名は臆病なのだ。
先手必勝、奇襲上等。
確実に勝ちにかかる。
鷹揚に相手の攻撃を受け止める余裕などありはしない。
相手はどうか知らないが、瀬名にとって〝戦闘〟とは常に〝次はない〟ものだ。痛いのに平気な顔をして、「きさまはこの程度か? 次の攻撃はもっと全力で来い!」なんて、そんな格好いい台詞を傲岸に言い放てる貫禄などあろうはずがなかった。
(誰が何と言おうと私は弱いんだよ。平和ボケ世界から来た人生経験浅い小心者なんだよ!)
無様でみっともない小市民万歳。
底が浅くて地頭も弱いから、何事も全力で用心して丁度なのだ。
ましてや、前評判から既に強そう感ばかり漂う相手に、弱虫毛虫の自分が遠慮してどうする?
遭遇する前から勝利への算段を無数に用意し、中途半端な真似は御法度。全力をもって戦闘に挑む。
たとえ相手が皇子と呼ばれ。
そこが帝国と呼ばれる地のど真ん中であろうとも。
皇帝の血筋に対する礼儀、強い相手への礼儀、勝手に他国で大暴れしたら後で国同士の面子がどうなるか云々――そんな些末事で悩むのは平和な時にやればいい。
ただひたすらに、今を勝利する。
「【ふるえ、ふるえ、ふるえ、ゆらげ、ゆらげ、ゆらげ――】」
「きさま……!?」
青年が目を瞠った。その呪文が何なのか、彼には判ったのだ。
精神攻撃を得意とする、呪術士の言語。
「我が領域にて、〝精神攻撃〟とはな。よかろう、やってみるがいい」
万人が好印象を抱きそうな、知的な貴公子の表情に、警戒心よりも好奇心が強く瞬く。
そうして、彼は宣言どおり待ってしまった。
――「次の攻撃はもっと全力で来い」と、挑戦者の奮闘を微笑ましく見守り、面白がる。彼はそういうタイプだったのだ。
「【この世界は私が支配する】」
瀬名は言い終えた。ごく普通に。誰に邪魔をされることもなく。
それは呪文と呼ぶより、感情のこもらない朗読のようでもあり、単なる呟きのようでもあり。
「……それだけか?」
何も起こらず、皇子は首をかしげた。
魔力の発動する気配はなく、周囲にも何ら変化は起きていない。
当たり前だ。瀬名は呪術士ではないのだから。
相手の心に打撃を与えたいなら、呪いなどというまどろっこしい手段は使わない。
これは、相手の行動の傾向を読むための仕掛けだった。
おかげで瀬名は「ああやっぱり」と確信を抱けた。
(面白がっている。遊んでいる子供だ)
崇高な理想など彼自身にはない。
皇帝は己が野望の成就のために、ナヴィル=ウル=イル=ハーナムの肉体を差し出した。
〝それ〟はナヴィル皇子の魂を追い出し、契約に基づき、帝国の支配をさらなる強固なものへと変えていった。
皇帝の望みそうなことは想像がつく。だいたい外れてはいないだろう。
この世の支配と、宿敵の打倒。まずこの二つは確実に入っている。
〝それ〟は完璧に仕事をこなしていった。望みどおりに。契約どおりに。
皮肉にも、だからこそ皇帝は全権を奪われ、表舞台から退場させられる羽目になった。彼のやり方では上手くいかないと、彼自身がさんざん証明してしまっていたからだ。
そこに理想はなく、野望もなく、この世の財や権力に興味があるわけでもない。
人々に敵意を抱いているわけでも、種としての使命感に燃えているわけでもない。
ただ単純に忠実に約束事を守り、人族の国々の定石に従い、計画を立てて効率的に世界を食らい尽くそうとしている――
それが【ナヴィル皇子】だった。
(やっぱりこれ、もとが妖精族だからかね? あの坊やを閉じ込めてた繭のデカさからすると、妖精族の中でも強い個体だったんだろうけど)
そうでなければいくら契約とはいえ、人の身体を乗っ取るのは無理だ。
しかし、本来の肉体からはじき出された少年と。
その肉体で、より長い年月を【ナヴィル皇子】として過ごした者。
果たしてどちらを〝本物の皇子〟と呼ぶべきか。




