20話 十六歳、はじまりの町で、その顛末 (後)
「存外いるのだよ、思い違いをする者がな。このぐらいなら大丈夫、自分が罰されることはないと」
思い込みで行動した結果、投獄される段階になって初めて理解するのだ。やってはならないことをしてしまったのだと。
グレンの言う通り、例の侍女は我慢せねばならなかった。彼女の過去には同情を覚えなくもないが、はっきり言って、彼女より遥かに悲惨な境遇の使用人はこの世に山ほどいる。
要するにあの侍女もまた、よくいる貴族の娘だったのだ。
「姫には有事の際の隠し通路をお教えしていたのだが、それが仇になった。他者に漏らしてはならぬ、緊急時以外に使ってはならぬと、あれほど言い含めておいたのだがな」
「……これでもし怠慢とか言われたら、護衛騎士が可哀相だろ……」
「当然だ。彼らに咎はない。――あの通路は既に潰した。万一にでも外部に漏れ、侵入に利用されでもしてはたまらぬ」
不快さを隠しもせず、深く息を吐いた。
ライナスは瞼を閉じ、額に手をあてている。彼の婚約者の話題なのだが、弁護する気も起きないようだ。
「大丈夫なのか? そんなの嫁にして」
デマルシェリエはただの貴族ではない。辺境伯家だ。
そこらの貴族の小娘と大差ない少女に、この家の妻など務まらないのではないか。
「姫にはご自身の愚行の結果を、きっちりすべてお伝えしたよ。侍女の話も包み隠さずね」
「お、おお。そうか…」
「衝撃を受けて泣いておられたよ。泣くだけでスッキリせずに、ちゃんと反省もしてくださればいいんだがね。もし何も学んでくださらないようであれば、とても困るどころじゃないな。可愛らしいだけで結婚はできないからね」
「とりわけ我が領は防衛の要だ。それを軽い遊び気分で、内側から揺るがしかねない者など、断じて我が家に迎えるわけにはいかん。姫に反省の様子がなく、今後も同様の騒動を引き起こしそうであれば、陛下にお伝えし、婚約をなかったことにして頂くつもりだ」
「まあ、そうだよなあ……」
他の貴族ならば不敬罪に問われかねないが、辺境伯ならば正当な主張として許されるだろう。
だいたいこの縁組は、王家がデマルシェリエに対する信頼を示し、同時にこの家を繋ぎとめておくために持ってきた話なのだ。
セナ=トーヤの出現は僥倖だった。
万が一にもこの洒落にならない誘拐劇が成功していれば、逆にデマルシェリエ辺境伯が責任を問われ、今後王家からの要求を、どんな理不尽なものでもすべて呑まなければならなくなっただろうから。
◆ ◆ ◆
呆れた顛末である。
いや、本当に呆れた。
「――で、結局は反省の色なしと?」
「まあねえ。三日三晩泣きはらしてスッキリしたあとに開口一番、『わたくしを助けてくださったあの方はどなたなのかしら?』だったからねえ」
「は? 私?」
「そう、おまえさん」
「しかも胸の前で両手を組み合わせ、夢見るような潤んだ上目遣いでおずおずと。この僕に対して」
「…………あー……」
通りすがりに危ないところを助けてくれた、正体不明な異国の少年。
ARK氏の手腕により、アイドル系に仕立て上げられた外見は、吊り橋効果も合わさって、喉元過ぎて熱さを忘れた恋に恋するお姫様の心をきゅんきゅんさせてしまったようだ。
たしか身長差も十センチほどあったように記憶している。
なるほど。懲りていない。
「学習能力ねえのか、アホが。俺を巻き込むなってんだ、迷惑な」
「同感だぜ。ここまで迷惑だといっそ見事だよなあ」
「同感だけど二人とも、一応相手は王の娘と忘れないでくれ、念のため。――ところでセナの口調、もしかしてそれが素?」
「わかってるって、やばい相手の耳があるとこじゃ言わねえよ。――つうか今の空耳じゃなかったんだな。うっかりサラッと流しちまったぜ。おまえさん案外、お育ちが俺と同類っぽい?」
「ハテ。ナンノコトデショウカ」
「いやいやいやいや」
「セナってそんな澄ました顔して、意外と裏面あったんだね……」
失礼な男である。表情筋が常に澄ましているのは某ドクターの陰謀であり、瀬名のせいではない。
それに裏面なんて、この男にだけは言われたくなかった。
美化した記憶の中の男が気になりますと、よりによって婚約者に対して宣言したも同然の小娘に、ライナスはにっこり微笑んでこう告げたそうだ。
――あなたの軽はずみな行動で危険に巻き込まれた少年には、我々が謝罪しておきましたので、お気になさる必要はありません。では、短い間でしたが、楽しかったですよ。残念ですが、もう二度とお会いすることはないでしょう。さようなら。
え、あの、と呆然とする姫君は、そのまま丁重に馬車に押し込まれ、王都へ強制送還されたらしい。
大切な方うんぬんと言っていた割に、この容赦なき氷点下な対応。
ライナス=ヴァン=デマルシェリエはとても性格のいい青年だと思っていたが、とてもいい性格の青年でもあったようだ。瀬名は心のメモの備考欄に補足した。
「余談だがあの時、他の侍女は一服盛られててな。粗悪な眠り薬だったらしくて、目覚めた後もしばらく気分悪そうにしてたんだが、それに対してお姫ちゃんからの気遣いは一切なし。つうか、自分が悪いっつー自覚をこれっぽっちも持ってねえ。ここまでくりゃもう駄目だろ」
「そのせいで侍女達も、彼女への忠誠心や同情といったものは綺麗さっぱり失せたみたいだ。本当にただの眠り薬だったから良かったようなものの、毒を盛られてた可能性もあったわけだから」
「ああ……身内にそんなの、使っていいもんじゃありませんよね。ただでさえ粗悪品は、何が混入してるかわかったもんじゃないし」
「そういうこと。十五歳を目前にして、しかも王族として教育を受けてきたはずの姫君がやっていいことじゃないし、己の行動の結果を何ひとつ考えないなんて以ての外だ」
今回は、いち侍女の私怨に基づく誘拐未遂劇だった。これはこれでとんでもない大事件だが、もしこの侍女に背後が存在していたならば、隠し通路を利用し、間者を招き入れる事態も考えられたのだ。
通路内に設置した罠や妨害魔術式などには解除方法があり、王女はそれすら侍女にまるっとバラしていたというのだから、とことん始末に負えない。
他に漏洩した相手はいないか、尋問と調査を行った後、元侍女は王都にて裁かれ、死罪となった。
そして反省の色皆無の王女は、王族の身分を剥奪の上、僻地の神殿に送られることになったらしい。
「醜聞を表に出すか否かでちょい揉めたみたいだが、今後の戒めとして公表することになったらしいぜ。野心を持った連中が、『元王女をうちの嫁に』って言い出すのを防ぐ意味合いもあるな」
「そうなんですか……」
まだたった十四歳――今はもう十五歳か。
しかしこちらの世界の十四~五歳は、多分瀬名の故郷での十四~五歳とは違う。王族であればなおさらだ。
光王国の法において、外患罪はたとえ王族でさえ死刑。かつて兄を蹴落とすために他国と通じ、内乱を招いた十三歳の貴族の少年の前例が存在するために、この法に年齢の下限は設けられていない。
あの元王女様の処分は、これでもかなり甘いのだそうだ。
防衛の要たるデマルシェリエ領。国境が目と鼻の先にあるドーミアで、誰にも見咎められず出入りできる極秘の通路を、危機的状況下でもないのに、重要人物ではないただの侍女に教えた。
もし侍女に他国の息がかかっていたとしたら、「知らなかった」が減刑の理由になりはしない。
辺境伯親子は、そもそもあの王女に嫌な予感を覚えていたものの、角を立てずに縁組をお断りできるほどの理由が当初はなかった。
そして王女だからこそ、有事の際の脱出路は教えておかねばならなかった。
第一ライナスは、己の付き添いによる祭り見物の予定をちゃんと組んでいたのだ。
なのにどうして彼女がお忍び見物に乗り気になったのかといえば、「侍女や護衛に囲まれず羽を伸ばしてみたかったの」という、どこかの物語のヒロインの台詞をそのまま持ってきたような理由だった。
それは責任感が強く、努力を怠らない王女が口にしてこそ重く響く台詞なのであって、常日頃甘やかされているお嬢さんが口にしていいものではない。
「母君である第二王妃陛下は『厳し過ぎる』と反発されたんだが、却って彼女自身の問題点をも露呈する形になってね。第一王女をきちんと教育しようとする教師に腹を立てて、『女は愛嬌があればどうにでもなる』と言い放って解雇したりね。彼女は第三王妃に格下げになった」
「もともとの第三王妃は第二王妃に?」
「そう。強い後ろ盾も野心もない方だったのに、いきなり格上げになって戸惑っていらした。でも王妃に相応しい、責任感のある方という印象だったよ。あの方がお産みになったのは、御年五歳になる第四王女のみだから、継承問題にも絡んでこないしね」
「んで、デマルシェリエとの縁談をどうするかって話になって、名乗りをあげたのが今年十四になる第二王女殿下。母親が公爵家出身の第一王妃だから、侯爵家出身の元第二王妃の娘と比較して、実は王女としての格はこっちのがちょい上だったりする」
「へえ。それで、母親の反発は?」
「なかった。むしろ第一王妃陛下は、我が家との縁談にもともとご自分の娘を推しておられたんだよね。第一王女がかなりご自由にお育ちだとご存知だったのもあって、きっと問題が起きると陛下にも意見されていたらしいし」
ところが国王は、第二王女については他国との縁組を考えていたため、第一王妃の進言を聞き流した。
王女の教育にあまり関心がなかったせいでもある。第一王女のやらかしたあれこれを知って頭を抱え、第一王妃にこってり絞られ、猛省したそうだ。
というか、ややこしい。
第一王妃の第二王女だの、元第二王妃の第一王女だの、現第二王妃の第四王女だの、他にも王子が複数いるらしいし、家系図がダンジョンマップ並みの迷宮状態だ。
うんざりしてきた。これ別に憶えなくていいよね?
≪必要ありません≫
よかった。遠慮なく忘れよう。
「しかしお次は、現在十三歳の婚約者ですか……年齢差がどんどん開いていくような気がするのは気のせいだろうか」
「ちょ、待ってくれ、これ以上開く予定はないからね!? 変態を刺すような視線はやめてくれないかな!?」
「わははは! これで第四王女が第二夫人て話になったら完璧だな!」
「ふざけるなグレン、五歳児と婚約する趣味なんてないぞ! そもそも第二夫人などいらないと言ってるだろう!」
本気で慌てる青年に、不良ハンターの笑い声が重なる。
のんびりと平和な初春の昼下がりだった。
読んでいただいてありがとうございます。
修正中に来られた方は混乱させてしまってすいませんm(_ _)m
次の章から序章に出ていたキャラが徐々に出てくる予定です。




