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208話 比類なき【皇子】


 イルハーナム帝国の宮殿は未曽有の混乱に陥った。

 雷霆が地上から天を貫いたのだ。


 初めは誰もが状況を理解できず、しばらくぽかんと顔を見合わせるだけだった。

 やがて帝国語で口々に叫びながら、ある者は職務に忠実に、ある者は興味本位で轟音の中心部へ向かい。

 ますます現状を理解できなくなった。


 ひとつの都のように広大な宮殿は、最奥に皇帝一族の住まいがある。

 いや、あった。

 何故過去形になるのか。



 半分以上が更地になっていた。




◆  ◆  ◆




 第二皇子ナヴィルは、少々困惑していた。

 今回の客人が幾重もの警備をものともせず、己の宮を訪問できた方法を彼は知っている。

 かの地にある転移の円陣を踏み、ここまで飛ばされてきたのだ。

 少し前から聖なる大樹へ接近する気配を感じ取り、小さな下僕達(フェアリス)の囁き声も耳に届いていた。

 もうそろそろこちらに訪れるだろう。彼は慎重でいて、大帝国の皇子に相応しく気前が良い。そこまで辿り着いた勇気ある客人に敬意を表し、歓迎し、素晴らしいもてなしを披露するつもりだった。


 皇子宮のさらに奥、隷属の呪印で魂を縛った女官や宦官、戦闘奴隷の兵士達をずらりと並べ、贅を極めた宮の中で待ち。

 労りの言葉をかけてやり、美酒と美食を用意し、名を尋ね、憶えておいてやろうと――そんなふうに続ける予定だった。


 なのに。

 

(? ……おかしい。我が話しかければ、恐縮するか嬉しそうに頬を赤らめて擦り寄ってくるか、そのどちらかになるはずなのだが)


 何故いきなり無言・無表情で攻撃を仕掛けてくるのだろう。ナヴィル皇子は冷静に首を傾げていた。

 しかも結構な威力である。成長途上でありながら、既に超越した存在であるナヴィルにとって、人族(ヒュム)の攻撃などそよ風に等しい児戯のはずであったが、この客人は違っていた。

 結界の中で鷹揚に待つのではなく、咄嗟の反転攻撃に出てしまった。そうでなくば危険だと己の勘が告げた。

 おかげで、せっかくの宮と使い慣れたしもべが、だいぶ吹き飛んでしまった。


(まあよい。駒はまだたくさんある)


 これからもどんどん増やせば良い。

 そしてもう一度、前より強度のある巣を作り直させればいいだけだ。


「ずいぶんと無作法な――」


 ずどん、と頭上から極大の氷柱が落下し、皇子の周辺の地面をえぐりながら突き刺さった。

 しかし皇子自身にはかすり傷ひとつなく、優雅にすいと手を払っただけで、そのすべてがかき消された。


「我の言葉を聞――」


 どごん、と背後の瓦礫が吹き飛んだ。極大の土人形が皇子めがけて突進し、彼がすいと手を払うだけでそれは砕け、無数の破片が勢いのまま背後に飛び散ったのだ。

 帝国語でいくつもの悲鳴があがった。余興を見物に来た連中に当たったのだろう、鳥の群れのようで面白い鳴き声だった。次にまたあれが来たら、もう一度奴らの方向に受け流そう。

 

 動揺はない。目の前の相手が興味深く、面白いと皇子は感じた。

 久々に面白そうな玩具だ。すぐ壊してしまってはつまらない。


 ただ、少しだけ妙だとも感じた。

 彼がこの世に誕生した瞬間、こんな奇妙な生き物は、世界中のどこにもいないはずだったのだ。

 どこかで強い〝卵〟が、自分とほぼ同時期に生まれ落ちている――その存在力の産声は感じ取っていたけれど、目の前の相手はそれとは別の存在だった。

 予測では、こんな強者が現われるにしても、あと数年はかかる見通しだった。それまでには充分、帝国の版図は拡がっており、その頃にはナヴィル皇子に手を出せる者など誰もいなくなっている。


 何度かはそれなりに強い者が遊びに来ることも想定していた。その日が楽しみでさえあった。契約は順調に遂行されている。その時々に面白そうなことがあれば、たっぷり楽しんで何ら支障はない。

 しかし彼の叡智と経験に照らし合わせても、いくら過去まで遡っても、〝これ〟に類似した存在の記憶を見い出せないのが少々、どうしてか気にかかった。


「そなたは何――」


 ごしゃぁ!

 また大岩が飛んできた。

 飛礫(つぶて)を浴びた野次馬どもの鳴き声がまたあがる。愉快であったが、少しぐらい会話に興じてくれてもよかろうに。

 せめて、「何者だ」ぐらいは言い終えたいのだが。





 ナヴィル=ウル=イル=ハーナムは人格者である。理知的で言動には落ち着きがあり、声を荒げることなど一切ない。

 幼い頃は〝やんちゃ〟な性格で周囲を青ざめさせていたものだが、今はもうすっかり大人だ。母親似の容貌は美しい少年期からそのまま損なわれることなく熟成し、思慮深い学者のようでも、神殿に描かれた神話の御使いのようでもある。第一皇子は父親に似て軍部の過激派からの人気はそこそこあったが、それ以外の臣民の人気は圧倒的に弟のほうが高かった。

 代替わりによってその流れは加速し、今やほとんどがナヴィルのほうに心酔している。くだらない馬鹿騒ぎはせず、色ごとに溺れない禁欲的な性格も人気に繋がった。あまり表情が変わらず、どこか浮世離れしているが、鋭い政治感覚で絶妙なバランスをとり、頭の固い古株連中まで唸らせ続けている。

 不思議な魅力のある皇子。

 ただし、どこにでも細かい欠点を声高にあげつらう連中はいるものだ。


『殿下の唯一にして最大の困った点は』

『皇帝陛下の悲願を叶えるのが先だと仰られ、未だに妃をお迎えになってくださらないところだ』

『それさえなくばなあ』

『うむうむ、まことに困ったものよ』


 あらゆる面で優れていても、一部の連中にとっては、その一点だけで充分に攻撃できる要素となった。

 少なくとも彼らはそう信じていた。


 皇帝陛下の悲願――この帝国をより大きく、より広く、世界すべてを呑み込むまで育てあげ、いずれは宿敵の光王国を……デマルシェリエを徹底的に蹂躙し尽くすこと。


 ナヴィル皇子が己の利発さを、臣民への残虐行為よりそちらへそそぐようになってから、彼はみるみるうちに成果をあげていった。他国の愚か者どもが気付かぬうちに、皇子の無数の手は彼らの首に届くほどの場所まで伸び、あとわずか指を折るだけで、勝利の狼煙が世界中にあがることだろう。

 つまり皇子は瑕ひとつない完璧な存在であり、文句などつけようのない素晴らしい皇子なのだが、だからこそ、隅をほじくってでも文句をつけたがる輩はどこにでも湧く。

 強引に粗を見つけ出し、それを正すだの補うだのと口実をつけ、己の都合のいいように持って行こうとする。


 が。

 勝手に気を利かせた者が何人もの娘を用意し、適当に見繕えと宴の場を設けた時――皇子は眉ひとつ動かさず、臣下に命じて彼女らを連れてきた者ごと、宴席を朱に染めた。

 凄惨な出来事にかつての残虐な小鬼皇子を想起し、根は変わっておらぬのだと震えあがった者もいる。

 最近のしあがってきた者達からすれば、古参連中の怯えっぷりには鼻で嗤わずにいられなかった。不要と断じているのに、忠臣ぶって主君を侮り、その言を軽んじた輩が悪い。

 それに皇子は「遅くともあと数年」とも言っているのだ。その頃には競争率がさぞ激化しているに違いなく、その前に己の娘なり縁戚の娘なりを妃の座にと、明らかに気が逸った結果の自業自得だった。


 皇子の苛烈な対処は、真に忠実な臣下らにとっては大いに歓迎すべきものだった。気弱で軟弱な学者風情が何故皇宮にいるのかと、見当違いも甚だしい陰口を叩ける者など、もう永遠に現われるまい。彼らはこの皇子が、成長とともに爪と牙の仕舞い方を憶えた獣だと思い出したのだ。


 気品とカリスマで周囲を牽引しながら、無意味に尊大なところがない。

 相手の身分にかかわらず雰囲気は穏やかで冷静、常に泰然とし、ことさらに見下す言動もない。

 何ごとも興味深げに耳を傾ける様子は、なるほど学者のようでもある。

 数多の帝国民にとって、理想的な〝次期皇帝〟だった。

 毎度顔を真っ赤にして、難癖をつけては手痛い反撃を食らう、無様な第一皇子など誰の眼中にもない。


 それがナヴィル=ウル=イル=ハーナムだった。


 そのはずなのだが。





 なのに。


 このナヴィル皇子が「よくぞ来たな」「歓迎しよう」と健闘を称えてやっているのに、この侵入者はまるで聞く様子がない。

 彼は今、生まれて初めての例外に直面している。



 罠を踏んで飛ばされて来た侵入者からすれば、獲物の予定だの都合など知ったことではなかった。




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