206話 元凶の樹
邪悪な魔女にそそのかされ、最下層の守護者は全滅した。
落とし穴に落ちかけ、必死でしがみつく者の指を荊や針で【え~い、ちくっ♪】【ちくちくっ♪】と刺したり。
魔物がこちらに気付かず通り過ぎてくれるよう、物陰で息を殺しながらじりじり待つ者の背後で【わぁっ♪】と大きな声をあげたり。
そんな悪質にして小さな守護者達は、せっかく久々に訪れた侵入者の前で何ひとつ活躍することなく、一匹もいなくなっていた。
そして仲間達の進む方向に、入り口が見えてきた。扉はない。
入り口ではなく〝出口〟なのだろうか。そう錯覚するほど奥のほうが明るかった。
接近するにつれ、入り口から根や蔦が這って拡がり、やわらかそうな苔や木の芽の緑色がほっと目を休ませる。
ここが閉ざされていた地下の最深部で、それが異常な光景であると思い出すまでは。
(おい、待て。まさかマジで到着か?)
(ひょっとして、さっきのあれが最後の難関だったのか?)
(確かに、小さいものが大量に湧いて攻撃してくると非常に厄介なのだが)
(え、本当にあれだけで終わり…?)
いや、考えてみれば有害種の魔蟲に屍死鬼に邪霊屍鬼、凶悪な罠や妨害術式の数々が待ち構えていたはずなのだ。まともに順路を辿っていれば、かなりの困難が予測されていただろう。
さらに、こちらがボロボロになって休もうとした瞬間、どこからともなくあれらが湧いて出て、【きゃっきゃ♪】【うふふ♪】【やっちゃえ~♪】とばかりに無邪気に攻撃してくるとなると――相当に気力を消耗させられたのではなかろうか。
そして本来ならば、地図もない。あったとしても入手困難。
なるほど、ひとつひとつ丁寧に並べてみれば、とても攻略の難しい凶悪な地下迷宮だったようだ。
単に誰もその難しさを味わうことなく到達してしまっただけで。
おかげさまで皆の体調は万全。気力・体力・魔力も充分。
そして、地上で呑んだ回復薬の効果時間はまだたっぷり残っている。
四羽の小鳥が辺りを警戒しつつ音もなく浮遊し、おそらく死角はない。
ほかにも隠しワザを持っているであろう万能使い魔Betaは、状況を正しく読み、音を立てずに進んでいた。どんな素材でできているのか、〝彼〟の関節部や脚の裏側は、地面に接する瞬間の摩擦音さえ立てない。
(まぁいいか。どうせ、これからが本番なんだしよ)
(本命へ突入する前に、一切消耗せずに済んだのだから素直に感謝しないとね)
(敵の巣穴では、いかにして余力を残しておくかがいつも最大の難問だったのだ。ありがたい)
(そういえばちゃんと確かめてないけれど、この先には本当に〝大物〟がいるんだろうか? 若君が仰ってたように、ただの宝物庫だったなんてことは……まあ、それはないか。いるんだろうな。俺がいると何故か必ずと言っていいほどアタリを引くしな……)
仲間達はそれぞれ内心で呟き――ほんのりフラグ体質な誰かは不吉な予言をこぼしていたものの――地下神殿の終着地点に向け、生じかけていた油断を己から締め出した。
そして精霊族の王子は。
(……何を考えている?)
横目で瀬名を疑っていた。
◇
(やばい、勘付かれたかも。頼む、何にも訊かないでよ~……)
当の瀬名は内心で冷や汗を垂らしていた。
ずっと気を付けていたのに、ここへきて気が緩んでしまった。
この鋭い生き物と行動しながらずっとバレなかったのだ、むしろ自分を褒めるべきだろうか。
(やばい……こいつ、怒るよな……)
あの奥は〝本命〟に通じている。それは間違いない。
間違いないけれど、最後にひとつだけ、複雑にして単純な要素が残っているのだ。
瀬名はそれをシェルローヴェンには話していなかった。瀬名が何をやるつもりなのか、話せば止められると想像がついたからだ。
さらに瀬名は今後の流れをつい想像してしまう。
多分この男は怒るだろう。
凄く怒られそうだ。
もの凄く怒る。
確実に怒る。
本気で怒る。
(どうしよう、激怒される未来しか思い浮かばない!?)
極寒の怒りを想像し、増した冷や汗でじっとり肌が湿ってきた。
もう少し建設的な未来予想図はないのか。模索してみる。
無かった。
怒りを回避する方法は?
無かった。
なんとかして逸らす方法は?
少しでもなだめられる適切にして素敵な言い訳はないか?
無かった。
精霊族は瀬名に優しい。とりわけ三兄弟はそうだ。
その三兄弟の中でも、シェルローヴェンは長男気質が強い。己はもちろん、弟二人を保護した相手への恩義を最も強く感じているのか、瀬名に対して一番甘いのは彼だった。
それでもさすがに、今回ばかりは、「もー、仕方ないな~」で許してもらえる範囲を逸脱している。
今振り向いたら百パーセントの確率で視線が合いそうである。
最大の脅威は進行方向ではなく、真横にいた。
◇
透かし彫りの天井から陽光が降りそそいでいる。そこは外よりも明るく美しい世界だった。
仲間達があんぐり口を開けるのを見て、瀬名は「違うよ」と告げた。
「あれは太陽の光じゃない」
その後は続けなかった。この説明の後を彼らに聞かせるとすれば、瀬名の生活圏の平穏を脅かす可能性を綺麗に駆逐し、〈黎明の森〉に戻ってからである。
(ここはもう〈祭壇〉だ)
巨大な魔導陣と説明したけれど、それも正確な表現ではない。
――人々を外敵から守るための防衛システム。かつて瀬名の故郷よりも高度に栄えた魔導科学文明の遺産。
魔導式は平面上に描かれるとは限らず、一面だけとも限らない。
床と壁、天井に描かれた円陣が相互に影響を及ぼすことも可能だと、精霊族ならば知っている。およそ十万年の歴史まで遡れる彼らは、魔術士として最高峰の十二階位に到達する者が何人もおり、瀬名の見たところ、十二階位以上の魔術式は円陣を一部重ね合わせたり、立体で展開するものもあった。
それでも、これだけの規模の魔導システムを読み解くことはもちろん、再現どころか応用さえ叶わないだろう。
ARK氏が魔改造を施したフラヴィエルダの腕は、徹底して力のコントロールに重きをおいているために、魔力を収束させる方面で〝多重円陣〟の展開を可能とさせた。つまり小さくまとめた分、一点集中の威力を高めることに成功したわけであり、彼女自身の容量を超えて大きく広げることはできなかった。
瀬名はしばらく「うぃーんとか言いながら変なギミックが出てきたらどうしよう…!?」とこっそり怯えていたけれど、幸いそんな大事件にも発展しなかった。
ともあれ。
これは人の身でどうとでもなる代物ではなかった。
――ARK・Ⅲよりも高度な知識で造られたものなんて、人類にどうこうできるわけがなかろう。
(ARKさんのプログラムも、確か平面じゃなく立体なんだよね……私の〈グリモア〉だって多面体のイメージで、内部にも膨大な情報行き交ってるし。〈グリモア〉がARKさんより高度なんてそんなわけないしな)
この〈祭壇〉も、肉眼で確認できない場所に膨大な魔導理論が組み込まれている。
はっきり言ってお手上げ。破壊も利用もできない、見事としか言いようのないものだったのだ。
管理権限を持ついずれかの神々だけが、停止などという力業を実行できる。
(ただし。エネルギーの湧いてた場所に造った装置を無力化させただけであって、エネルギー源を消せるわけじゃないってのがね……。強引に塞ごうとしたら、別の場所から漏れて暴発しかねないし、無理もないけどさ)
あの光こそが、〝竜脈〟のエネルギーだった。
太陽と見紛う、あたたかで力強い光。こんな状況なのに、心地良さでため息が漏れそうだ。
その光のふりそそぐ下、ぐにゃりと歪んだ形の、けれど立派で美しい大樹がある。
生命力に満ち溢れる豊かな葉。クッションのように触れ心地のよさそうな苔。根の隙間にキノコが生え、小さな花弁の可愛らしい花さえも咲いている。
荘厳な空間。涼やかな空気。幻想的で、そのまま絵本に出てきそうな光景。
その大樹の枝や、根もとに繁る草花のそこここに、握りこぶし大の光る繭がある。
繭は輝きを放ちながら透き通り、内部には翅の生えた小さな子供が身体をまるめて眠っていた。
〈妖精族〉だ。
ここであの守護者達が量産され続けている。
まだ育ちかけで輪郭がぼやけており、繭が破れるにはかなり時間を要するだろう。
〈妖精族〉は魔物ではない。
だいたいが森の中で見かける。
生まれ方もさまざまだ。花の蕾の中から生まれる者もいれば、木の実の中から生まれる者、種が芽吹いた瞬間に生まれる者もいる。
森の魔力が形となって表れた、言うなれば精神生命体のような種族であり、森があるからといって必ずしも妖精がいるわけではない。
悪戯は厄介だが、笑って許せる程度のものだって多い。
旅人を迷わせて遊ぶ悪質な子もいれば、逆に正しい道を教えて助けてあげる親切な子もいる。人の子がそうであるように、彼らにも個体差があるのだ。
けれど、ここにいる者達は。
いとけない笑顔で、棘を刺す。
生まれ方も不自然だ。これほど大量に、同時期に、同じ場所で妖精の繭が発生することなど通常はない。
どう見てもあの大樹が犯人だった。
どう見ても〝竜脈〟のエネルギーを利用して兵隊を量産しているの図である。
そして歪んだ幹の中、ひときわ大きな光の繭を抱え込んでいた。
そろそろやって参りました。
元凶よりシェルローさんの怒りのほうが怖い主人公。




