205話 無邪気にして邪悪な者達
気まぐれに月輝石が仄青い燐光を発し、水底のような地下通路を歩む。
古典的な罠や魔術を用いた複雑なからくり、隠し扉、その他、順路の至る箇所に配置されていた時間を食う要素はすべて最初の一撃で省略し、あとは目的の最深部までほぼ一本道である。
繊細な仲間達が深呼吸を終えたので、気を取り直して話の続きだ。
ほぼ秘境と呼べる場所に建てられた最高神殿(仮)。
神職者として徳を積み、神々の御許に最も相応しい者が向かうとされていたが、いつしか悪徳神官が増えて力を握り、彼らにとって都合の悪い者が送り込まれる牢獄と化した。
瀬名からすれば別段、意外性の欠片もないよくある話。
ただしこの世界でとなると、少々事情が違ってくる。
・すべての悪徳神官は〝資格〟を失い神聖魔術の一切を使えなくなった
これだ。神々の恩寵が明確に存在し、約束ごとを守らねば取り上げられる点。
神殿を私物化して神官の掟を破りまくり、もしそれでも使えていたら何の神を崇めているんだという話になる。
・でも困らなかった
コネ、胡麻すり、多額の寄付などで高位神官に取り立てられた連中は、もとより神聖魔術の習得は不可能と自覚した上で神殿に入ったようだ。
奇跡の行使が必要になれば、真面目な下位神官や見習いに働かせればいい。無知で純朴な民は簡単に騙されてくれる。
・王侯貴族のごとき絢爛な日々に欲望は際限なく膨張
・富と権力をこの先もずっと永遠に手にしていたいと望み
・とうとう神々以外のものを利用して力を得ようとした
「愚か者の極みだ」
精霊王子が吐き捨て、全員が深く頷いた。
「その口ぶりだと、聖霊でもないのですよね? 絶対ろくなことにならないでしょうに」
「その通りだよセルジュ君。神職者ってのは外面だけ整えりゃいい職業じゃない。お察しのよーに、最悪な形で神罰が下ったらしい。日記によれば何度も警告を発したけど、生臭神官がまともな聞く耳持ってるわけがなくて、そいつらが〝新たな神〟を迎え入れてしばらくしてから、〈祭壇〉の守護が完全に消え去ったんだとさ」
「なっ……」
「〈祭壇〉が!?」
「そんなこと起こり得るのか?」
――瀬名は最近、〈祭壇〉に関して大きな勘違いをしているのに気付いた。
この世界の人々は、瀬名の想像以上に、それに対する理解が浅かったのである。
だいたい、太古に栄えた魔導科学文明の遺産などという結論は、瀬名やARK氏だからこそ出せたのであって、この世界の人々には知りようがなかった。
詳細な記録がどこにも残っていないのだから。
(現地民のほうが詳しいって、何となく思い込んでたよ……)
例えるなら、和趣味の外国人のほうが時に日本文化や歴史に詳しかったアレだ。
――この世界には、大地をうねって流れるエネルギーの奔流がある。それを仮に〝竜脈〟と呼ぶが、稀に表層から溢れ出るエネルギーがあり、それを利用して〈祭壇〉が築かれた。
その〝竜脈〟という呼び方。この世界の専門用語ではない。
そもそもARK氏が近い概念の言葉を〝仮に〟当てはめただけだった。
世界中に流れている〝竜脈〟の存在を、誰も知らない……!
(シェルロー達でさえ知らないって嘘かと思ったよ!! 盲点どころじゃないっての!! みんな知ってる常識だと思ってたとかアホか私は……!!)
精霊族の知覚できる範囲より深い場所を流れており、気配で察することもなく。
ウォルドやゼルシカに加護を与えた神々も、知らずにいても支障のない知識と判断してなのか、あえて教えることもなかった。
「詳細は省くけど、〈祭壇〉は付け外し可能な魔道具みたいなもんじゃなくてね。地中の深~い所にある、とびきり高度でとびきりでっかい魔導陣なんだよ」
地下世界に逃れた神々の防衛機構のひとつだったのではないかと推察するも、話がややこしくなるのでそのあたりも省く。
「神殿の最深部そのものが、まるごと〈祭壇〉になってると思えばわかりやすいかな。その上に増築していって地上に出てきたのが今の神殿の建物。で、〈祭壇〉の守護結界は基本的に自動発動型だけど、実は停止させることが可能でね」
「停止……」
「〝新たな神〟ってやつの仕業か……?」
「いんや。多分、正統な神様の誰か」
「マジかよ」
「か、神が何故そんなことを? ひょっとしなくてもこの国が滅びたのは、そのせいっていうことにならないか……?」
「だから、神罰なんだって。――考えてもみなよ。使用人が自分家に強盗を招き入れて、まんまと家を乗っ取られたら? 防犯用の魔道具とか全部無力化してやれってならない?」
「……なるな」
「……なるね。平凡に生きてた民にとっては、とんだ大迷惑だろうけど……」
「まったくだよ」
そうしてこの地は神々に見放された。自業自得は一部の連中だけである。
「瀬名。その〝新たな神〟とは、いったい何者だ?」
「〈妖精族〉」
「――何?」
シェルローヴェンが嫌そうに眉をひそめた。ほかの仲間達は一瞬何を言われたのか理解できなかったようで、一様に「へ?」と顔に書いている。
【きゃっ、バレちゃった~】
【わぁ~、しゃべっちゃだめだよう】
【しぃ~っ】
「…………!!」
精霊王子の瞳に剣呑な光が宿った。
仲間達も皆、さっと顔をこわばらせている。可愛らしい子供の声など、場所が場所だから不吉この上ない。
(……よーやく出てきたか。いつ出てくるかと思ってたよ)
瀬名は「どうどう」と言いながら、殺気立つ青年の腕をぽんぽん叩く。
「瀬名?」
「いやぁー、キミタチかわいい声だねー、どこから聴こえてくるのかなー?」
「?」
【な・い・しょ~!】
【教えてあげないんだもん~♪】
「残念だな~、きっとすんごく可愛いんだろうにな~。一緒に遊びたいのに~。きっと楽しいのにな~」
【あそぶ?】
【たのしい?】
「楽しいよお~? みんなと遊べばすっっごく楽しいよお~?」
「…………」
何を言ってるんだろう、セナは。
いまいち状況が呑み込めないものの、仲間達は黙って成り行きを見守ることにした。
シェルローヴェンが口もとを「なるほど」と動かす。声には出さない。
「面白い遊び方があるのに~、教えてあげられないなんて残念だな~。遊びたいのにな~。というわけで、私と遊びたい子はみんな集まれー!」
【はぁーい!】
【あそぶー!】
【わーい!】
きゃっきゃ、くすくす……
数匹の〈妖精族〉が姿を現わした。
大人の握りこぶしほどの大きさ。光の粒を撒きながら飛び、そのまま挿絵になりそうな姿かたちは実に愛らしく、微笑みを誘われずにはいられない。
――くどいようだが、場所が場所でなければ。
【なにしてあそぶー?】
【たのしいってどんなのー?】
【どんなのどんなの?】
「うーん、もっとたくさんいたほうが楽しいんだよね。君ら、ほかに仲間達はいないの? それとも――それっぽっちしかいないの? それっぽっちか~」
【む。そんなことないもん!】
【もっといっぱいいるよ!】
【呼んでくるー!】
…………。
わら。
わらわら。わらわらわらわら……
「お、おい……」
「ひぇ……」
通路いっぱいを塞ぐ勢いで、大量の〈妖精族〉が集まってきた。ここまで大量にいたら、場所が明るい森の中でも鳥肌が立ちそうである。
【みんなきたよー!】
【どうだー! いっぱいいるでしょー!】
「わぁすごいねー! つうわけでシェルロー、やれ」
「ふ」
シェルローヴェンが懐から小瓶を取り出し、栓をあけた。
途端、床から天井までもさもさ埋め尽くした〈妖精族〉が、凄まじい勢いで吸引されてゆく。
【うきゅ~!?】
【ぷも~!?】
最後の一匹が【いや~ん!】とじたばたしながらキュポンと頭まで吸い込まれ、シェルローヴェンは再び栓をぎゅ、と閉める。
ものの数分も経たず、辺りはすっかりもとの静けさを取り戻していた。
「これを持ってくるように言われた時は、どこで使う気なのかと思ったが……【滅せよ】」
うごうご小瓶の中で蠢いていた何かは、一瞬で【ぎゅぼぉっ!!】と圧縮され、呆気なく消えた。
「まぁざっとこんなもんか」
瀬名があっさりと言った。
「王子サンよ……その瓶はなんだ?」
「手に負えなくなった〈妖精族〉を効率よく始末する、そのためだけに作られた魔道具だ」
個々は弱く、さほど害もない。悪戯だって小さなものだ。しかし数が多くなると凶悪さが増すのは魔物と変わらない。
無邪気だから罪悪感もない。成長もしない永遠の子供。上位種族である精霊族の命令には絶対服従のはずだが、言うことを聞かなくなれば危険信号だ。そしてシェルローヴェンはここにいる〈妖精族〉は、己の命令を無視するであろうと想像がついた。
小さくすばしっこい彼らは、こまめに一匹一匹を潰そうとしてもきりがない。ちょろちょろ隠れながら飛んで逃げるのを追うのは一苦労だ。そして逃がせば、仲間を連れて【やったな~♪】【しかえし~!】と言いながら、きゃっきゃと洒落にならない仕返しをしに来るのである。
そうなれば、邪魔のひとことでは片付かない。
「一定範囲にいる者どもをすべて吸い込み、閉じ込める。上手く隠れている者もすべてだ。この近辺にいた奴らは全滅だな」
「そゆこと。てなわけで先へ進みましょう」
「はぁ……」
「なんっつー……」
彼らはなんとも言い難い表情で溜め息をつき、やがて悟った。
気にするだけ無駄か。
数を増すほど残酷さを増す。可愛いけど凶悪な種族です。




