203話 効率的な退治の方法
前半少しセーヴェル視点。
後半から主人公のターン。
次話以降はほぼ主人公の本領発揮回が続くと思います。
(槍――いや、杭か)
地面に対して垂直に静止し、煌々と輝くそれは、セーヴェルの目には触れればつるりと滑らかに見えた。
その勘違いは杭がゆっくり下降し、石材にじわりじわりと沈んでゆくのを目の当たりにして終わった。
触れるなど冗談ではない。接触した部分がバターのようにどろりととけている。
この神殿を建てる際に使われた石材には、融点の低い物質が比較的多く含まれているという。
瀬名の前に表示された複雑な光の図面は、この空中庭園付近の地下を描き出しており、輝く針が図面の上から徐々に下方へ移動して、杭がどのあたりまで沈んでいるかが見て取れた。
精霊王子が氷と風の魔術を併用している様子だったが、セーヴェル達には何をしているのやらまるでわからない。ただ、それが否応なしに凄まじい高温の何かであり、彼のおかげで自分達の周りの涼しさが保たれていることだけは理解できた。
やがて杭はふい、と文字通り拡散し、光る霧となって大気の中にとけた。
こぶし大の丸い穴だけが、夢幻ではなかった証拠として残っている。
「石や岩も熱でとけるものなんですね。存じませんでした…」
「ローグ爺さんの炉のほうが熱いんじゃないかなー? 爺さんが趣味でつくってる武器の材料は、この程度じゃ熔けないと思うよ」
そういうものなのか。
いや、この程度あの程度の話ではなく、どちらにせよ熱いものは熱いのでは。セーヴェルは内心で突っ込んだ。
セーヴェルは自分が変わり者の部類に入ると思っている。
これまでさんざん一般人には縁のないような経験をしてきたが、この魔女は間違いなく、己の人生最大の不思議だと彼女は確信を深めるのだった。
◇
市には魔獣の肉や魔魚が並び、遠近感がおかしくなりそうな巨体でのっしのっし歩く者もいる。
人族の国の通りを半獣族や妖猫族や鉱山族が行き交い、最近ではこっそり精霊族もいて、それ以外にも珍しい種族や先祖返りなどもいる。
ずんぐりむっくり体形でもノロマとは限らず、華奢に見えても非力とは限らない。
そうは言っても人族であれば一般的に魔力は低く、筋肉の付き具合や骨格その他から抱く全体的な印象は、だいたいが見た目の体格通りだ。
ノエ=ディ=セーヴェルは騎士になった。男性騎士と比較して体重が軽い分、身体を動かす筋肉が少なめで済むなどという単純な話にはならない。身体の大きな男性騎士達は、重い身体を素早く振り回せるだけの筋力を身につけ、装着可能な武具類の重量も違っていた。
けれどセーヴェルは騎士団長になった。音を上げずに日々厳しい訓練をこなし、一撃の軽さを補う素早さと技術を重点的に磨いてきた。ただしそれは他の小柄な騎士、あるいは騎士見習い達もやっていることである。
彼女を頭ひとつ抜けた存在にしたのは、視野の広さ、頭の良さ、決断力、それらを即座に活かせる戦闘センス。
加えて、彼女自身の精神力、それに大きく影響された魔力の質だった。
保有魔力の量自体は一般人と大差がない。到底魔術士になれるほどではなかった。
それを文字通り血の滲むような努力を重ね、徐々に制御できるようになっていってから、彼女はどんどん抜きん出て行った。
生来のものではなく、おそらく後天的に帯びた性質である。
名を付けるなら、破邪や退魔。魔物や死霊系には毒に等しい性質であった。
女性相手には攻撃をためらってしまう男性騎士が多く、戦闘訓練や試合では実力が評価されにくい。少なくとも外部の者が見れば、ただ守られ甘やかされ、弱くとも頭の良さだけを評価されて上に上がった人物のように見えてしまうだろう。
上の者が舐められたら終わりだ。いくら団員達がセーヴェルを認めてくれていても、身内贔屓と決めつけられればそれまで。ドーミア騎士団は必ずしも騎士団内だけですべてを片付けるのではなく、余所の騎士団と合同訓練を行うこともあるし、討伐者ギルドや外部の戦闘集団に協力を要請することもある。
そんな時、不当に下に見られ、協力を拒まれたり足を引っ張られたりする原因になどなりたくはない。そんな自分を許すなと、セーヴェルは常に己へ言い聞かせ続けてきた。
二十代の半ばを過ぎる頃にはそこそこ落ち着き、振り返れば思春期の潔癖さが全面に出ていたなと、少々気恥ずかしくなることもある。
強くあらねばならない。そうあるべきだ。
そんな強迫観念に突き動かされ、彼女が誰の目にも明らかな証明として選んだのが魔物の討伐だった。魔物は女・子供を襲うのに躊躇も手加減もしない。セーヴェルの討伐数は群を抜いて多く、そして数が増えるごとに破邪の性質はより研ぎ澄まされていった。
彼女がどうして神官騎士の道を歩まなかったのか、よく知らない者は首を傾げる。
けれど前提が異なり、デマルシェリエ騎士団に入ったからこそ、彼女の能力は腐らずに磨かれてきたのだった。
今やノエ=ディ=セーヴェルは、誰もが認める騎士団長だ。
ただし本人は、そんな自分の欠点をきちんと理解している。
臨機応変で話がわかるとよく言われるが、実際はかなり常識にとらわれやすく、頭が固いほうだ。自覚しているからこそ、そうならないように気を付けているだけであり、案外彼女は「普通はこうだ」「常識的に考えればこうだ」という発想になりやすい。
逆に、補佐であるセルジュ=ディ=ローランは生真面目で頭が固そうな人物に見えて、かなり柔軟だった。セーヴェルに対する敬愛が「わんこの域」と揶揄されるほどであっても、妄信はせず、意見があればきっちりと伝える。それが対立意見であったとしても。
(私の足りない部分を補ってくれる。とてもありがたい存在だ。ローランがいなければ、私はもっと気難しい人物だと敬遠されていたかもしれない)
セーヴェルからそんなふうに思われていると知ったなら、セルジュ=ディ=ローランはしばらく使い物にならなくなるだろう。彼女が己の気持ちを素直に伝えるのが苦手な女性だったおかげで、ほんのり不幸なローランは、今も優れた補佐として万人から認められている。
ともあれ、セナ=トーヤに初めて会った日、十二~三歳程度の少年に見え、十五歳だと訂正されて驚いたのがもはや懐かしい。この人物が関わってきた途端、大概何かに驚かされている気がする。
初めから女性だと知っていれば、自分達はどのような関係を築いていたのだろう。想像し、かつてなく奇妙で不思議な出来事に巻き込まれるのは変わりそうにないかなと、セーヴェルは呆れと可笑しさを同時に覚えた。
(若君は公子の立場にあぐらをかく御方ではない。お強いのは知っていた。けれど実戦でご一緒するのは、考えてみればこれが初めてだな)
グレンも強い。最高ランクの討伐者は有名で、ライナスと親しいことも前々から知っていたけれど、やはり戦いの場でちゃんと肩を並べるのは初めてだった。
なのにライナスもグレンもローランも、無駄な言葉は要らず、自然に呼吸を合わせられる。なんと頼もしい連中かと、密かに感動を覚えるほどだ。
そして精霊王子シェルローヴェン。彼の魔術による結界や、背後を守られている安心感。不意打ちを受けても即座に対応でき、足元を踏み外すことへの不安もない。この点は大きい。
(私は――私達は今、滅多にない経験をしている。閉ざされた山脈国の現状にしても、セナ=トーヤと知り合わなければ、我が目に映す日など来なかったろう)
高揚する心を抑えるため、セーヴェルは深く息を吸った。
まるで自分が幼い子供に戻ったような気分だった。
◆ ◆ ◆
大人のこぶし大の穴の中に、魔女のしもべが指先ほどの丸い物体をぽいぽいぽいと投下し、板を置いてぴったり蓋をしている。
「なんだそりゃ?」
「ここって益蟲いないよね」
「益蟲ぅ? そりゃ、凶悪種の魔物にそんなもんいないだろ」
「愛嬌あって可愛い種類とか小さい種類とかもいないし。人よりでかくて凶暴なゾロゾロうぞうぞなんて、駆除したっていいと思うんだ」
「そりゃそうだがよ……?」
グレンが引き気味で相槌を打った。
「それにグロくて臭くて、倒しても倒しても起き上がってくる連中なんてまともに相手したくないよね」
「そりゃ――おい待て、まさか」
「もちろんおります。光の射さないとっても暗い場所にいっぱい」
「げ、やっぱりかよ! つくづく神官組を連れてこなくてよかったな。聖域にそんなもんがいるって知ったら、あいつら立ち直れなくなっちまうぞ」
「そっちのほうがずっと凶悪じゃないか! 狭い地下だと炎を使うのも難しいし。って、つまりベータは何をしたんだい?」
《ARKとマスターが独自開発しまシタ、その名も【魔蟲コロリン】、【屍死鬼ジェット】、【邪霊屍鬼キエ~ル】でっス♪》
「…………」
「…………なんだそれは?」
《有効成分が煙状になっテ勢いヨク噴出し、薄紙一枚通す隙間サエあれバ隅々マデ浸透、あっとゆーまに屍死鬼一匹徘徊できナイ綺麗清潔空間に! ……ナルのはいいんスけどネ~。もし散布中の薬剤を皆サンが吸い込んじゃっタラ、皆サンの中身まで綺麗サッパリになっちゃうカモしれないんスよネ~》
自分の中身が綺麗さっぱりに。
つい想像し、ぞおお、と悪寒に肌をさする面々であった。
「なんでそんなヤベーもん作った!?」
「いや~。きっかけというか、カシムとカリムに仕込まれてた毒薬で思いついてさ」
魂を破壊する猛毒があると聞いて、瀬名は最初「なんだそりゃ!?」と思った。
そして考えた。屍死鬼や邪霊屍鬼、悪霊のたぐいはどういう環境で発生するのかを。
魔力の豊富な場所に、苦痛や絶望、悪意など、負の力を帯びた魂と亡骸。
それらに対抗するには、炎や神聖魔術が有効とされるのが常識だった。
繰り返すが常識だった。
どこにでも出回っているわけではない稀少な〝猛毒〟の成分を、まさか〝駆除剤〟に応用するなど誰ひとり思いつきはしなかった。
そもそも屍死鬼を害虫の感覚で駆除しようという発想自体が存在しなかった。
「それに魂破壊やら魔術回路破壊やらの性質が強力過ぎて、魔術で保管された情報なんかも綺麗サッパリになっちゃうんだよ。だからひととおり探索するまでは封印しとくしかなかった……」
「えっ!? いいのかいそれ!?」
「おいおいおい、貴重な情報がまだどっかにあったらどうすんだ? そのベータの地図、後回しにしてた地下の深層じゃねえの?」
「大丈夫、私の欲しかった情報はもう全部集まったから」
「そうは言うけどさ、未来を知り得る特別な魔道具やら、強大な魔を屠る神々の武具なんかが、もし人知れず隠されてたらどうする?」
「はっはっはライナス君。あの空の素敵な花畑を十秒ぐらい見つめてから、もう一度言ってみたまえ」
「ごめん。あっても役に立たないねそんなの」
ライナスはあっさり撤回した。まあそうなるだろう。
――ギェガアァアア……
――ぎいいぎぁああ……ヒィィィ……
咆哮とも悲鳴ともつかぬ何かが、地下深くから賑やかに響いてきた。
聞こえぬふりをしたくとも、空耳と言い張るには無理がある。
やがて一刻が経つか経たないか。辺りにはしんと無音が戻っていた。
「そろそろいいかな。シェルロー、みんなの防御結界お願い」
「ああ。いつでもいいぞ」
杭とは比較にならない魔力が凄まじい勢いで上空に集まり、実にあっさりと撃ちおろされた。
轟音とともに広範囲の床が陥没し、崩落した床はさらに下の階層まで突き抜け、これまで何百年と秘されていたであろう地下世界は、残虐非道な魔女の破壊行為によって無残な大口を晒していた。
ほぼ密閉空間のうちに猛毒の煙を行き渡らせ、邪魔者をことごとく始末していたおかげか、瓦礫の影で蠢く気配は微塵も感じられなかった。
「すっきり! じゃ行こうか」
「――……セナって」
「言うな」
「…………」
こんな退治の方法で良いのだろうか。
(いや、いいんだ。きっと)
自分達の脅威が激減したのだから、よしとすべきであろう。




