1話 星々の中の闇
読んでいただいてありがとうございます。
2019.7.22、序章の話の順番と構成を変更しました。
読みやすくなっていればいいなと思います。
――椅子に座る自分の膝に、一人の男が縋りついている。
これはいったいどういう状況なのだろう。
正直言って、引く。仲良し兄妹や恋人や夫婦といった親密な関係ならまだしも、自分達は断じてそんな関係ではなかったはずだ。
戸惑いつつ、記憶にあるより白いものの多く混じった後頭部を眺め、次いでその向こう、壁一面を占める巨大なワイドスクリーンを見やって呆然となった。
恐ろしいほどに広大な星空が目の前にある。
余分な物が何も置かれていない白い空間は病室を彷彿とさせ、今は照明を落として暗く、目の前の星雲がいっそう鮮やかな輝きをもって迫る。
観客が他に誰もいないシネマ――金に糸目をつけないセレブのホームシアター。
何だって自分はそんなところにいるのだろうか。
「答えてくれ、ARK・Ⅲ――これは本当に、瀬名さんなのか……?」
眉をひそめた。
父親と苗字が同じなので、名前のほうを呼んで区別をつけてもらうことにした。ただそれだけのことだったはずなのに、縋る男の声音にそれ以上の含みを感じ、背筋が凍りつくような心地を覚える。
はっきり言って、きもい。
だいたい自分は東谷瀬名に決まっているだろう。何をわかりきったことを……
《いいえ。別人です》
はい?
なんだって?
「約束が違うぞARK!! 復活するんじゃなかったのか、そういう話だったはずだ!!」
《いいえ。その件についてあなたが約束を交わされた相手は私ではなく、あなたの雇用主です》
「なんだと……!?」
《そもそも複製体の脳に記憶を移植したところで、それは東谷瀬名の記憶を持った別の存在に過ぎず、脳そのものをまるごと移植でもしない限り、正しい意味での復活にはなり得ません。あなた方の前任者達は騙されなかったため放逐され、あなた方は騙されたため後釜に選ばれた。それだけの話です》
「だま、され……?」
《誰もが新天地で復活できるという触れ込みでしたが、実際に行ったことは細胞と記憶情報の保存のみ。これはすなわち、たとえオリジナルが生きていても、複製体を作成しその人物の記憶情報を移植することが可能ということです。つまり一見すれば倉沢博士を同時刻に二人以上存在させることが可能であり、さらにそれぞれの自我は独立しているため、復活と呼ぶべき現象とは完全な別物になります》
「そ、それは……」
《出資者の方々が自己記憶情報のみの保存ではなく、自身の肉体の完全な保存を選択している点からもおのずと解答は出るはずですが、〝本当は気付いているけれど気付かない振りで目を逸らす〟という行動をあなた方はよく取ります。あなたは他人が完成させた研究・開発をまるごと引き継いで冷凍睡眠の恩恵に与る幸運を得ましたが、しかしそれ以外の人々は――》
「黙れ!! 黙れ黙れだまれだまれだまれ……ッ!!」
弾かれたように男は立ち上がり、髪をかきむしり、飢えた獣のごとき血走った目でうろつき始めた。
息を殺して見つめる前で、男はおもむろに銃を取り出し、こめかみに銃口を押し当て――
ドン。
はじけた。
赤黒い液体が頭部の反対側から噴き出し、男はあっけなく床に倒れて動かなくなった。
(……何やってんだコイツは)
本物の銃なんて初めて見た。麻痺した思考のまま、やがて己の身体に視線を落とす。
ゆったりした白いワンピース――いや、どうもこれはシャツだ。かなりサイズが大きいのでワンピースのように見えるけれど、肩幅や袖の部分が合わないのでわかる。
ところどころリボンやレースをあしらった乙女趣味な可愛らしいデザインは、あいにく彼女の好みからは大いに外れていた。
多分、そこでのびている男の趣味なのだろう。吐き気がする。
しかしそれよりもっと大きな問題があった。
(手が……)
自分の手が、とても小さくなっていた。
記憶にあるものより半分以上は小さく、ぷにぷにする。まるでマシュマロのような驚異のなめらかさ。
足も細くて短い。桜貝のように愛らしい爪先。
シャツのサイズが大きいのではない。
自分の身体が明らかに小さくなっているのだ。
そう気付いた瞬間、背筋をぞぞ、と悪寒が這いのぼった。
《倉沢基成の死亡を確認。現時点をもって当船の最高管理権限を東谷瀬名に移行します。――はじめましてマスター。私は自律思考型人工知能、ARK・Ⅲと申します。これからよろしくお願い致します》
女性とも男性ともつかない声で、どこからともなくARK・Ⅲとやらはクールに告げた。
「え……待って、管理権限って…………なんで? ほかに、人は……」
《倉沢博士含め当船の乗員は十名おりましたが、全員が死亡いたしました。あなたが現時点で確認し得る地球人類最後の生存者です》
「…………」
――人類最後?
何がなんだかわからない。
冗談きついぞ。
全員死亡って、何故。何が起きてそうなった。
わけがわからないが、ひとつだけ理解した。
じわじわ広がる赤黒い液体に浸かっていく男は、勝手に何かに絶望した挙句、さっさと現実から逃亡したのだ。
ここにいる自分を置き去りにして。
何の説明もせず、何の責任も取らずに。
「……ふざけんな。クソ野郎」
唇からこぼれた怨嗟は、可愛らしい子どもの声だった。