197話 騎士達の過去、重量級
いくつかの部屋を回りながら、ローランが不意に呟いた。
「……本当に、ここにはどなたかが住んでいたんでしょうか?」
独白のつもりで答えなど期待していなかったが、セーヴェルがすぐに答えた。
「住んではいたんだろうよ。あれなどは洗濯用の籠ではないか?」
「え? ……ああ、そうですね。衣類が入っている……だいぶ古くなっているみたいですが」
「何かから慌てて逃げる最中、放り出されてそのままになったか……?」
一切の人の気配がない。その代わり、誰かが住んでいた痕跡だけはかろうじて残っていた。
「こんだけ広い建物の割にゃあ少ねえよな。実際、何人ぐらいがいたんだ?」
「せいぜい十数名ほどだろう。あれに名が書かれている」
シェルローヴェンが文字の刻まれた柱を指で示した。
神官の間で利用される古代語に目を走らせ、セーヴェルが眉をひそめる。
「これには二名分しか書かれていませんが?」
「それぞれに世話係が複数名ついていたようだ。性別と人数のみ記載がある。労働奴隷だな」
「納得です。身の回りの世話、それにこれだけ広いのですから清掃係も……」
「――ちょっと待ってくれ! 神殿は奴隷を禁じているだろう? この時代は違ったのか?」
「違っておりませんよ、若君。禁じてもやる輩はおります」
「そうですね。私などは昔、神殿に労働力として買われた奴隷でしたから」
全員の視線がローランに集中した。
「まあ、今なら言ってしまえるというやつですが」
至って普通な本人の口調と表情からは、深刻さがまるで窺えない。
「両親ともに平凡な茶髪だったのに、生まれた子は紫がかった黒髪。忌み子、魔族の子などと呼ばれて閉じ込められ、何歳ぐらいの頃だったか……人買いに売られまして、そこから神殿に。彼らは私に暗殺などの汚れ仕事をさせたかったようです」
「暗殺て。おめーが?」
「暗殺ってあの暗殺のこと? 待ってくれローラン、君がそんな仕事してるの想像つかないんだが」
「黙ってりゃ見た目だけは向いてそーだけどな。向いてそーに見えるって逆に駄目だろ」
「私だって勘弁ですよ。――その神殿の高位神官は皆、表向きは神職者として振る舞いつつ、裏では賄賂に密売に違法薬物の使用など相当いろいろやっていまして。ところが誰かがヘマをしたらしく、ある日大勢の神兵がなだれ込んできたのです。連中は捕縛、私や他の子供達は保護されました」
「おお。そこんとこはラッキー、つっていいんか?」
「ラッキーでしたよ。あのまま大人になっていたら、それこそ人生終わっていたでしょう」
ただ、変わった髪色の少年は助けられた先でも忌避され、持て余され、最終的に厄介者を押し付けられた不幸な人物が、ローランという家名の引退した元騎士であった。
彼は少年を養子にし、数年間みっちりしごいた後、知己のいるデマルシェリエ騎士団に送り込み、老衰でこの世を去った。
セルジュ=ディ=ローランはそこで最良の主君と仲間を得た。まだ相手には伝えられていないが想い人も出来た。ろくでもない不幸から始まりつつ、人生最大の幸福も得られたのだから、少しばかり不運に巻き込まれやすい体質であっても、総合的に悪くないと彼自身は思っている。
厳しい頑固爺であった養父にも、感謝しかなかった。そういう経緯が、多少の不運にも動じない、順応性の高い青年をつくりあげたのだった。
「要するに、禁じていても抜け道はありますし、平気で破る人種もいるのです」
「そうだな。私が押し込められていた孤児院の神官もそうだった」
セーヴェルが相槌を打ちつつ言った。
「私の父は貴族だが、領地経営は先代の頃から火の車だったらしい。手っ取り早く大商人の家から娘を娶ったが、〝ほかに妻を迎えないこと〟という条件が出されていた。それを軽く考え、愛人の貴族令嬢に生ませたのが私だ」
妻は嫉妬深く、その実家には頭が上がらない。愛人は責任を取れと迫ってくる。
父親はほんの軽い気持ちの不始末を隠すつもりで、神官の運営する孤児院に預けた。愛人も、己の世間体のためにすんなり同意したという。
「その神官が悪党と呼ぶのも生易しい下種だった。幼い子らに満足に食事を与えず、日常的に暴力を振るい、裕福な変態相手に春を売らせ、その金で自分はでっぷり肥え太っていた」
「屑野郎が……」
「屑だね……」
「もちろん神聖魔術など使えはしない。奴はいわゆる、出世街道を外れて僻地に左遷された元選ばれし者だった。挫折から立ち直れず自棄になったくだりを、酒を浴びては耳が痛くなるほどの大音声で垂れ流していたものだ。そんな輩でも、神官服を身につけていれば、田舎者は尊敬のまなざしを向けてくる――」
生臭神官は己の纏う衣こそ無敵の力を秘めていると気付き、暴走に歯止めがかからなくなったようだ。
人前で治癒を一切行わず、羽振りの良すぎる神官に不審を抱く者が出ても、裏で繋がった連中に庇ってもらえる。
子供達はどんなにつらく苦しい日々を送っていても、そこ以外に行くあてがない。もし飛び出したところで、つらく苦しい生活場所が路上に変わるだけか、別の悪い大人に攫われるかのどちらかでしかなかったろう。
聖衣を着た魔物の支配は永遠に続くかと思われた。
妻が事故で亡くなり、愛人を後妻に迎えた男が、孤児院に人をやって娘を引き取ろうとするまでは。
セーヴェルの父はそこで初めて孤児院の内実を知り、怒り狂った。前妻の顔色を気にしてろくに気にかけてこなかったのだから、娘の存在を知る一部の者は、みな彼が娘を捨てたものと思っていた。神官も、その男が自分のもとに不要なものを寄越して処分したのだとばかり思い込んでいた。
まさか、ほとぼりが冷めた頃に引き取るつもりだったとは思いもしなかったのだ。
「父の手の者が奴を痛めつけ、その後の行方は知れない」
「ざまぁ見ろですね」
「土に埋まるなり湖に沈むなりしていればいいね」
「そこまでは親父さんよくやった、つーところか?」
「そこまではな。私を引き取ってからが駄目だ。仲良しこよしの親子関係など築けるはずもなし、もはやまともな令嬢教育など不可能。母とやらの反応はもっとあからさまだった。彼女は父と違い、本気で私を処分したつもりだったのだから」
今さら戻って来られても困るという本音を一瞬浮かべ、慌てて隠した。そして娘を酷い目に遭わされた哀れな妻を瞬時に装った。
この連中とはやっていけない。致命的に合わない。娘は早々に悟り、茶番でしかない令嬢生活を一年ほど耐え、死に物狂いで学べるだけ学んだ。そして本気で騎士になるべく、書き置きを残して家を出た。
あの孤児院にいた子らがどうなったのか、ずっと気にはなっていた。けれど変に行方を調べれば、新しい生活の中にいるであろう彼らに、嫌な過去を蘇らせて邪魔をしてしまうかもしれない。
その判断が間違いではなかった者もいるし、中には後悔した者もいる。
「ここだけの話。私は単に悪い一例に当たってしまっただけで、大半はまともな方々だとわかっている。だが正直、神職者であればすべてが許容されるかのような振る舞いや、他者にも敬虔さを強要する姿勢をわずかでも覗かせた者には、懐疑的にならざるを得ない」
「同感ですね。位階が上がれば途端に勿体ぶって、何かにつけ祈りだけで完結させるようになる方々も多いですし。かつてこの地にいた方々にしても――」
ローランは明確な言葉にするのは避けた。どうにもできない厄災に見舞われたであろう人々を鞭打つ発言は慎むべきだった。
それに、ここは腐っても神域の総本山であった場所。ひょっとしたらいずれかの〝神〟が、どこかで耳をそばだてているかもしれない。
「そうか……!」
「なんだ坊ちゃんよ、いきなり」
「いやすまない、わかった。どうしてかっていうの、わかった気がするよ、グレン」
「ほう、よーやくか?」
「うん、ようやく。……ああそういうことだったのか。つまりここにいるのって全員……」
ライナスも明言を避けた。けれど、言いたいことは全員に通じていた。
(神域がこんな有様になっていても、さほどショックを受けず、引きずらない。行動に影響がない面子だ)
加えて、第三者の思惑で瀬名の行動を制限しようとする可能性が皆無。その中で都合のついた者、だ。
(精霊族は……そう、女王ラヴィーシュカがいる。シェルロー殿下達は間違いなくどんな時でもセナの側に立つだろうけれど、ほかの精霊族が土壇場で女王とセナ、どちらの意思を優先するか確信できないんだ)
ライナスは精霊王子に目で問いかけた。
彼の同胞は、自分達が瀬名の味方だと宣言し、その証である白銀の首飾りを贈っている。
「母上も父上達も瀬名と敵対する気はない。他の郷の者達からも同意を得ている。嘘偽りなくその方針は貫かれるはずだ」
無視されるかとも思ったが、存外あっさり答えてくれた。
「ただ、瀬名は母上に会ったことがない。全面的に信頼できないのも無理はないだろう……むしろ会えば余計に疑いを深められそうな方だと、息子のわたしでも思う。ゆえに、会ってみればわかると自信を持って言えんのが苦しいところだ」
「…………」
どこか微妙な表情で母親を語る王子に、ライナスも微妙な表情になった。
腕力も体力も確実にこちらが上なのに、何故かどうしても勝てる気のしなかった亡き母を思い出し、つい共感してしまうのだった。
◇
しばらく別人のように大人しく静かにしていた瀬名が、精霊王子の背中から剥がれて室内をうろつき始めた。
この部屋には何かあるのか――他のメンバーは息を呑んでその行動を注意深く見守る。が。
(言えない。そんなド暗い過去、実は興味本位でARKさんに調べてもらってとっくに全部知ってましたなんて言えない……!)
ごめんなさいすいません出来心だったんです。瀬名は心の中で繰り返した。
(ん? ……もしや、既に彼らの背景を調べて――いたのだろうな、アークがいることだし。平然と話題にされて、反応に困っている、というところか?)
シェルローヴェンが片眉を上げるも、特に突っ込みは入れなかった。
「……ここじゃないね。次に行っていい?」
「ああ、わかったぜ」
「行こうか」
やはり何かを探しているようだ。しかしこの部屋ではなかったのか――グレン、ライナス、セーヴェル、ローランは気を引き締めた。
瀬名はますます「何やってんの自分」と己を追い詰める結果になった。人様の背中の陰からぐるりと見渡し、この部屋にはなさそうだなあと思っていたくせに、言語化できない己のモヤモヤを解消するためにそれっぽく歩いて探すふりをするとは、馬鹿にもほどがある。
(ああああシェルローの視線が痛い! 絶対バレてる、呆れてるうう!)
皆が戦っている時に、安全そうな広い背中がそこにあったからとりあえず隠れようなんて、どこのお姫様なのか。到着して以降、案山子以下の、囮にすらなれない役立たずではないか。
(しかしコメントしづらいっつーか。私があれこれ知ったような顔で意見とか感想とか語っていい内容じゃないよね……)
セーヴェルやローランの過去は、瀬名には想像すら困難なものだった。
彼らは何でもないことのように口にしているけれど、何でもないで済むはずがない。
(私は〝親〟に恵まれてたからなあ……記憶情報だけであって、私が体験したわけじゃないって言われても実感ないし。女力高くてサバサバして子供大好きだった母さんは、仲いい友達みたいな感覚で。こつこつ真面目に仕事してゆっくり出世するテンプレートな会社員だった父さんも、さりげに子供大事な人で)
たとえばもし、家族が揃っている時に何らかの災厄に見舞われたとしたら――二人とも娘に覆いかぶさり、全力で守ろうとしてくれただろう。
もし大雪の中に放り込まれ、視界が真っ白に染まり右も左も見失ったら、ただずっと抱きしめて、己のぬくもりを分け与えようとしてくれただろう。
絶対にそうしてくれる。微塵の疑いもなく、そう確信させてくれる両親だった。
(…………)
…………。
………………。
「――瀬名?」
「っ、……なに?」
「…………いや」
腕を掴まれ、瀬名は我に返った。
咄嗟に振り払ってしまった。声が妙な響きに聴こえなかったろうか?
「あーと、ごめん……?」
「…………」
まさかの無表情、無反応。
(ちょ、ごめんて!? 怖い!? なんか反応プリーズ!?)
瀬名は焦った。
「どーした?」
「な、何でもないよ~?」
「?」
訝しげに振り返ったグレン達に、手をひらりと振って誤魔化した。
不自然な沈黙に誰も気付かない素振りで、壁の彫刻が美しくも物悲しい廊下を進み、次の扉の前に立つ。
扉は開いており、内部は奇妙に綺麗だった。隅に浄化の魔道具と結界石が設置されており、埃ひとつなく、まるでついさっき清掃したばかりに見える。
「いかにも、何かありそう、かな?」
「何かありそうに見えて何にもねえ、ってつまんねーオチもあるけどな。でもな~んかありそーだよな」
ライナスとグレンの軽口を聞きながら、瀬名は入り口から部屋全体を視界におさめた瞬間、しばし立ち止まった。
「ここだ」
次話あたりで南の合流班と通信できるかと思います。
静かにしててねと言われて忠実に守ってるBeta君も活躍するかな?