194話 あれもこれも反則技
徒歩で一日半の距離、それは途中で休息を入れる前提での距離だ。
辺境騎士に最高位の討伐者に精霊族。非常時には二日ぐらいぶっ続けで働ける強者ばかりであったが、目的地に着く前に無用の消耗をさせたくはない。
最たる者が誰あろう瀬名自身である。睡眠不足で朦朧とした意識下において、いろいろ細かく考えるのが面倒になった挙句、出してはならないものを計画に大量に組み入れるという大失敗をしでかしている。
これ以上、失敗の上塗りをするわけにはいかない。きっとARK氏が止めてくれるだろうと期待するのも間違いのもとだった。
《フ~ンフフフ~ンフフ~ン♪》
いかにも不吉で不気味で重苦しい予感に支配されているコル・カ・ドゥエルの空の下。
雪ダルマもどきから流れてくる、若干調子はずれの鼻歌の違和感が酷い。
「あー、ベータつったか? 訊いてもいいか?」
《いいッスよ~♪ なんスか?》
「おまえさん、セナの魔道具なんか? それともやっぱ使い魔ってやつ?」
《秘密ッス!》
「そうかよ…」
グレンは半眼になりつつ口を閉ざした。
同じく半眼になりながら、無駄と知りつつライナスが尋ねた。
「これ……ベータ殿のこと、シェルロー殿はご存知だったのかな?」
「まあな……」
「失礼。愚問だったね」
「構わん」
そっけなく肩をすくめたシェルローヴェンに、ライナスもすぐに引き下がる。
セーヴェルとローランの二人は終始、大海のごとく広く厳しい心で沈黙を保っていた。
(我々は何も訊かない。知る必要はない。何故なら我々は騎士なのだから)
(野次馬根性は優れた騎士の敵だ。質問は若君にお任せし、自分達は職務を果たしていればいい)
そんな空気がちくちく己に突き刺さってくる気がするのは気のせいだ、と、瀬名は胸中で耳と感受性が鈍くなる呪文を唱えた。
◇
道幅は人ひとりが歩ける程度で、もし大荷物を抱えていればすれ違うのも難儀な場所だ。
秘密の出入口から続く道を上空から見下ろせば、きゅっと絞られた壺の口もとを連想する地形になっている。
その底を進みながら天を仰げば、目に映るのは相変わらず重たそうな灰色の雲――それでも空は空だ。身動きのとれない狭苦しい空洞をズリズリ這って進まなくていい分、遥かに解放感があっていい。
ややもしないうちに、視界がひらけた。が、あいにく道幅まで広がったわけではない。体温より少々ひんやりしているぐらいの岩肌が延々と続き、同じ色合いの石材でひとりぶんの足場がひたすら這って伸びていた。
しっかりとした設計で、多少のことでは崩れそうにない安心感のある道だ。ただし、狭い。
幸い岸壁の獲物を狙う妖鳥のたぐいはこの近辺にはいなかった。というより、生き物の気配自体がどこにもない。
タマゴ鳥達が上空を飛び回り、その情報を雪ダルマに逐一送ってきていたが、どこまで範囲を拡大しても発見できないらしい。
「私が一番後ろでもいいんだけど」
「あなたがベータから離れるのは得策ではない。私が先頭を行くから、ベータは必要に応じて後ろから指示してくれ。瀬名はその次だ」
《ハイヨ、了解ッス!》
「んじゃ次はライナス、セーヴェル、ローラン、最後尾は俺でいいだろ。こういう狭っこくて高い場所は俺強いからな」
妖猫族の説得力ある台詞で列の順番はすんなり決まった。
下は果てしない谷。谷底に水が流れているようには見えない。飛沫の音、急流の轟音がかすかに木霊す音を想像するも、現実にはそれらの音が耳に届くことはなかった。
乾いていないのに、乾いた世界。歩けば靴底のこすれる音が上がるのに、完全なる無音の世界。
遥か彼方まで尖った山々が連なり、これは天上に住まう神々が地上に設けた落とし穴の罠だろうかと、そんな愚にもつかない想像が胸をよぎる。
そしてどんなに目をこらしても、見渡す限り一滴の緑さえなかった。
岸壁を這う根のひとすじ、しなびた雑草の一本すらどこにも見当たらず、つい自分の手の平に視線を落として通う熱を確かめたくなるような、寒々しいモノクロの世界だった。
道に手すりはない。安全策など度外視、足をすべらせたら一巻の終わり。
風がないのは救いか。
何時間も休まず足を進めているうちに、どんどん暗くなっていった。太陽の姿がすっかり隠されている割に、ちゃんとどこかで陽は沈むらしく、夜の気配が濃厚になってゆく。
ちょうどそのタイミングで休憩地点に着いた。
ほぼ中間地点でぽっかりと開いた入り口は、一瞬例の秘密の道と見紛いそうになるが、何の変哲もないごく普通の出入口である。
扉はない。シェルローヴェンが内部にふうと息を吹きかければ、壁に設置された陽輝石が反応し、ほの明るく室内を満たす。
岩山をくりぬいて作られた祈りの間だった。純粋に休憩所として設けられたようで、広さは五メートル四方ほどか。
奥の壁には旅人の神のシンボルがかけられており、姿を模した神像のたぐいはない。
一行はそこで一泊することになった。
Betaに表示させた立体図で、あらためて現在地を確認する。だんだんこういうものに慣れてきたメンバーであった。
この道の先にあるのは、コル・カ・ドゥエル山脈国の中心、世界中の神殿の総本山、その中枢であったはずの最高神殿(仮)、その本殿の裏側である。
つまり彼らは、限られた者以外には厳重に秘されていたであろう裏口を、逆に辿って侵入しているのだった。
Betaがどこにあるかも不明な鼻と口から、相変わらず軽い調子で鼻歌らしきものを流している。周囲に危険がないときっちり調べた上でそうしているのだが、緊張感がないこと甚だしい。
荷物は全員、中身が瀬名とARK氏の提供になっているので、おそろしくコンパクトで軽かった。
その中には正体不明のものが多く入っている。
「では皆さん、この袋を取り出してください」
瀬名が手にしたもの、それはとある圧縮パックである。
おのおのが「何だろうこれ」と内心首をひねりつつ、ぺしゃんと潰れたしわくちゃの何かが入っている袋を取り出す。
「この袋からコレを取り出して、ここについてる器具をこう回せば蓋が開きます。それをBeta君に渡してください」
《ハイヨ~、ホリャ~》
Betaの手から細い管がにょいんと伸び、小さな器具の部分に差し込まれる。
ぱしゅう、と軽快な音がして、みるみるうちにしわくちゃの物体がふくらみはじめた。
薄く柔軟でありながら、画鋲が床にばらまかれていても刺さらない頑丈素材のそれ。
――エアーマットである。
「おお!」
「こ、これは……!」
硬い地面へ直に寝転がるか、壁に背を預けて座ったまま眠るか。
てっきりそうするとばかり思っていた面々が、その弾力を確かめてじわりと喜色を浮かべた。
「すげえ何だこれいいな! やばいぜ、すげえ欲しいぜ……!」
グレンはさっそくマットにじゃれつき、ゴロゴロ喉を鳴らしている。
瀬名はつとめてそちらを見ないようにした。「その毛並みを撫でたい、撫でさせてくれ!」と血迷わないための心の対策だ。
それに心なしか、もふもふに邪な感情が芽生えた瞬間、即座に隣の精霊族の視線が怖くなる気がする。
表情は変わっていないし、単なる思い過ごしだろうか……?
「ほんと、いいねこれ、運ぶ時は軽いし全然邪魔にならないし。うちの職人にも作れるかどうか訊いてみようかな?」
「使う時にふくらませる方法を考える必要がありそうですね。息を吹き込むだけでは相当時間がかかりそうです」
セーヴェルがBetaの不思議な手に視線をやりつつ、冷静に問題点を指摘した。
「風の魔石でも難しいでしょうね。こんな微調整はできません」
「刃先で引っかけたり、下に突起物を敷き込んでも破れない素材が必要になりますね。――セナ殿、これの素材が何なのかお尋ねしても?」
「ゴメンネ……こんなの使ったよーと喋るのも駄目でお願いします。ここで見聞きしたあらゆることは他言無用、この場だけということで、何とぞ……」
「あ、そうですか……」
「チッ、殺生だぜ。こんないいモンをよ」
彼らは顔に「やっぱりな」と書き、一様に肩を落とした。
残念そうにしつつ、それでも了承してくれる、よき友人達である。
(はは……鉱山族、連れて来なくて正解だったわ)
ふいごのような道具はあれど、基本的に袋状のものを空気でふくらませて使う発想がこの世界にはなく、製作できる職人もいないのだが、製法が確立すれば利用方法は多岐に渡るだろう。
ちなみにこのエアーマットは多少のことでは切れず、破れず、空気漏れを起こさず、熱にも氷にも強い。単純な構造に見えて、丸太を並べてくっつけた〝いかだ〟のような形は、実際にはたやすく真似できないものだ。少なくともこの世界の現在の技術では無理だ。
が。そんなものを鉱山族に見せて興味を引こうものなら、執念で作り上げてしまうかもしれない。
ひょうきんな言動と裏腹に口は堅く、強烈な酒をがぶ飲みしても酒に呑まれる心配がなく、山にも強い、そんな鉱山族のバルテスローグ爺さんを連れて来なかったのは、それが理由なのだった。
エアーマットに腰をおろして夕食をとる。
精霊族とBetaが揃っておきながら、不味い食事が出てくるはずもない。
料理については天才エセルばかり目立っているけれど、長男も立派に料理上手だった。携帯食という表現に疑問符がつきそうな美味で腹を満たし、不穏な土地での旅路とは思えぬほどに和やかに話が弾む。
いや、正しく携帯食なのだ。ただ、グレン達の頭にあるそれと瀬名の頭にあるそれは根本的に次元が違っており、精霊族はこと食に関しては瀬名の感覚に近かった、それだけである。
「セナぁ~、これも他言無用なのかよ!? キツイぜ……!!」
「せめてこの、野菜と卵と塩をかためたやつ、お湯をかけたらパッとひらいてスープになるの、これだけでも作り方教えてもらえないかなぁ? 駄目?」
「いや、これは教えても作れそうにないんじゃないかなーと……売るにしても値段いくらになるんだか。これ以外のやつで、作れそうなレシピいろいろギルドの食堂に流しておくから、それで我慢してくれたまえ」
「うう……仕方ねえな」
「値段か……安価で提供できなかったら、もし作れてもあんまり意味ないか……」
現地で何をするかは出発前にだいたい打ち合わせ済みなので、予定変更でもなければ改めて話すこともない。自然に訪れる眠気のまま、明日に備えて全員が早めに横になる。
女性二人がまざっていても、同じ部屋で仕切りがなくとも、誰も気にしない。せいぜい、女性二人と男四人の場所が心持ち離れているぐらいだ。
狭いので、遮音の結界でも張らなければ互いの声や物音が丸聞こえ。外にはうろつけるほどの道幅などはなく、少し風にあたりながら散歩しつつ夜空の下で内緒話でも、とはならない。
それ以前に、月や星の明かりもない真っ暗闇、無音でそよ風すらない不気味な場所で真夜中の散歩など、ただの罰ゲームだろう。
せっかくセーヴェルと並んでいる瀬名からすれば、久々にいろいろ話してみたかったのだが、断念せざるを得なかった。
向かう先、本殿の裏は結構な広さがあり、そこでゼルシカやウォルド達と一旦連絡を取る予定になっている。
彼らを待つ間に何泊かするかもしれないので、ここよりも多少はゆっくりお喋りができるかもしれなかった。
《俺っちとタマゴドリが見張ってヤスんで、皆サン寝ちゃって大丈夫スよ~》
睡眠不要のBetaとタマゴドリ四羽が夜通し警戒にあたってくれるので、細切れ睡眠の心配も無用。
明日以降のことを考えれば頭が冴えて眠れない――そんな繊細な人物はいなかったのか、はたまたエアーマットの寝心地が想像以上だったのか、翌朝、目の下にクマを浮かべている人物は誰もいなかった。
Betaは基本的に採集、調査、工作などを担当してますが、万能なので最低限の調理も可能。
瀬名が自力で作るより美味しくできあがります。