192話 冥府の国への入り口
瀬名のターン再開です。
「――……森がない」
硬い岩を踏みしめながら、傍らから低い声が漏れた。
眉根を寄せ、聞こえるか聞こえないかの声で――シェルローヴェンだ。
「森の中に設けるようにしていたのか、作った場所に森が生まれるのかはわからんが……どの〝道〟でも、必ず森の中に通じる。そのはずだったのだがな……」
「へえ。にしちゃ、真っ裸だぜ。草一本もねえ」
鼻をひくつかせると同時に、ヒゲを揺らしながらグレンが辺りに視線をめぐらす。
「……乾いて枯れた、っつーんでもねえな。嫌な感じだぜ……」
上空をもったり覆う分厚い雲を仰ぎ、不快げに目を細める。暗い青みがかった灰色の雲が天の端から端まで続き、いつ土砂降りになってもおかしくはなかった。
白っぽい岩、黒っぽい岩、中間色の岩……見渡す限り、岩だらけの世界。
それから、ギザギザの尖った山。ひとつそこを通り抜ければ、向こう側に地獄があると言われても納得しそうな雰囲気である。
グレンが言ったように、大気はさほど乾燥してはいない。気温は光王国より少し低いぐらいだ。
日照りで枯れたようには見えず、砂漠に呑まれたわけでもなく、なのに雑草の一本も見当たらなかった。
風もない。静か過ぎて耳鳴りがしそうなほど。
「会話をしていないと、耳栓をしたかと勘違いしそうだね…」
「水の中に潜って無音になった時と似ている気がします」
ライナスが顔をしかめ、頷きながらセーヴェルも言う。ローランは無言で相槌を打っていた。
(辛気臭い場所だあね……あんまり長期滞在すると気が滅入りそうだわ)
背後では遺跡の扉がとうに閉じていた。認識阻害の結界も防御結界もなく、森すらない、通りすがりの只人でさえ、ここにあるとまるわかりの出入口。
何故こんなものが今まで放置されていたのか?
――理由は簡単。精霊族の皆さんさえ、ここに通じている〝道〟の存在を知らなかったのだ。
これを発見したのは例のごとく、ARK氏の手下の白くて丸いタマゴ鳥さん達である。精霊族の遠距離短縮方法を聞いてから、ARK氏はこの近辺にも出入口がないかを抜け目なく尋ねていた。
返答はノー。この辺りにはひとつもないはずだと。だから彼らもこの場所へは容易に接近できず、現在どうなっているのか詳細を知る者はなかった。
ところがどうだろう。白い小鳥さんが上空から撮影し、人工物の形状をした部分をピックアップしてみれば、岩山に囲まれて壺状になっている部分に、なんだか見覚えのある造形物がポツンとあるではないか。
遺跡の周辺に並ぶオベリスクに似た像にびっしり彫られた古代語を分析し、〝駅名〟も判明した。
そしてこのたび、西の遠征班は、長らく鎖国状態であったとされる場所に、何十年だか何百年ぶりだかの侵入に成功したのである。
――コル・カ・ドゥエル山脈国。
あるいは滅びの国。
向かう先はこの国の中心、神殿の総本山であった場所。
精霊族の王子シェルローヴェン。
聖銀ランクの討伐者グレン。
辺境伯の息子ライナス。
ドーミア騎士団長のセーヴェル。
セーヴェルの右腕のローラン。
彼らが今回、瀬名とともにこの西の地へ向かうメンバーだった。
瀬名はずっとドーミアにしか行ったことがなく、ほかの町には馴染みがない。
デマルシェリエにはイシドールという町があり、ドーミアより規模が大きく、名実ともにその町がデマルシェリエ地方のメインらしい。
辺境伯とイシドール騎士団長グラヴィスには、領内の見回りを強化してもらっている。ギルドや灰狼の連中とも協力し、魔物の行動その他を調査するよう頼んでいた。
本格的に活発になる前に、怪しいところを早めに押さえておいてもらう狙いもある。
別行動をしたほうが範囲も広くなって効率が良いのではないかという意見もあったが、もし何かがあった場合、緊急報告が互いへ届くまでにどうしてもタイムラグが生じる。ゆえに瀬名はあの二人に、なるべく一緒での行動をお願いしていた。辺境伯やグラヴィス騎士団長のいない場所は灰狼達が見回ってくれるので、実質二手に分かれて調査しているようなものだと、彼らもすぐに承諾してくれた。
『――そうか。我らだけでなく、共闘してくれる者が大勢いるのだったな。ありがたいことだ』
どこか安堵しながら呟いた辺境伯の台詞がすべてだろう。あの土地の、ひいては光王国の平和は、辺境騎士団の肩にかかる比重が大きかったけれど、この件については頼もしい連中が大勢参加しているのだ。
しかも、精霊族までが動いてくれている。〈黎明の森〉への移住者のみならず、どうやら叡智の森ウェルランディアをはじめ、他のいくつかの郷からも戦力を提供してくれているようだ。
ただし彼らは表に姿を現わしてはいない。何をしているかと言えば、辺境伯や半獣族が魔物の動向を見張っている一方で、彼らが見張っているのは人の皮を被った魔物の動向である。エスタローザ光王国以外にも、既に多くの人族の国々へもぐりこみ、魔王や魔族に利する存在を探ってくれているとのことだ。
……ついでにそれ以外の情報も、さぞたっぷり集めているだろう。
魔王には関係なかったけどコイツこんなことしてるようわー、なんて、きっとどこにでもたくさん溢れている。
くれぐれもそんなものでリストを作成していないと瀬名は信じたい。
諸外国の皆々様の弱み・黒歴史がたっぷりつまった暗黒手帳をみんなが持っているなんて、どんな恐怖種族だ。
服の下にかけているドッグタグ型のネックレスを意識する。辺境伯家の紋章と精霊族の紋章を刻まれたそれには、隠しカメラやら盗聴機能やら位置情報追跡装置めいたものは一切ない。ARK氏に調べてもらっていた。調べてもらっただけである。決して他意はない。
(いやいや、怖がっちゃいけません、勝つまでは。信じろ、信じるんだ。その手帳の中に私のアレとかコレとかは書かれていないと……!)
こんな忙しかったり疲れたり怖くなったりするのは今だけだ、と瀬名は心の中で唱えた。
己の平穏な生活圏の安泰のためには、ここで弱気になって手を抜いてはいけないのである。
ちょっとばかり寝不足やストレスで注意力散漫になった時に、青い小鳥さんとハイになった精神状態のまま突っ走り、途中どこかへ自重を落っことしたのに気付かぬまま今後の方針をいっぱい決めてしまって今ここな気もするが、深く考えて気にしたら負けである。
(つうか、なんでこの連中が世界を支配してないんだろう?)
シェルローヴェンを横目で盗み見ながら、胸の内に疑問が湧いた。
が、答えはすぐに出た。
この連中は世界征服になど興味ないからだ。それ以外にない。
基本は排他的でも、自民族至上主義の集まりでもなかった。
力なき者がこの世を欲して力を欲し、力ある者はそんなものをたいして欲しがらない。
この世はよく出来ている。
訂正、よくできた皮肉で出来ていた。