186話 神官騎士と疑惑の目
「それでさ、ナハト王子がみんなに騎獣貸してくれて、護衛の人達と一緒に港まで案内してくれたんだ。おもしれーんだよこっちの騎獣! 雪足鳥と似てんだけど、なんか色が反転したみたいなやつでさ、全身うっすら肌色っぽい産毛になってて、足は黒いんだよ!」
「フェレスなども寒い地方では毛が長くなって、あたたかい地方では短くなるそうですから、雪足鳥の短毛種なのかもしれませんわね」
「そんでさ、名前は〝ムゥ〟って呼ばれてんだって! 鳴き声が『ムゥ、ムゥ』だからってさ! そのまんま!」
おもしれーよな! と、アスファ少年は身振り手振りを交えつつ笑顔になった。
貴族の宴に登場した直後こそ傲慢で近寄り難い王子の顔をしていたが、その後のナハト王子や護衛達との短い旅は、彼らにとってとても楽しい思い出になったようだ。
「こちらの王族は北よりもフットワークが軽い。とりわけパナケア王国の男児は、第一子であってもいざとなれば戦場に出る前提で教育を受ける。ナハト王子も滅多なことでは馬車や人力車など使わんそうだ」
「へぇ、そいつぁ大したもんだね。間違ったら脳筋が育っちまいそうだけど、話に聞く限りじゃその王子さんは心配なさそうだね?」
「そーだよ! あいつスッゲー頭いいの! 俺よかずっと年下なのにすげーよなー!」
「アスファに『おまえ』呼ばわりされても、平然と笑ってくださいましたしね」
「そうですわアスファ、言おう言おうと思ってましたけれど、王子殿下に対して従者の方々の前で『おまえ』はおやめなさいな。非公式ですしナハト様のお人柄もあってか、皆様とても寛容に見逃してくださいましたけれど、本来は許されないんですのよ?」
「ですね。あの方々でなければ普通は手討ちにされますよ。人目のある場所で『あいつ』呼ばわりも危険ですから、これからは注意しましょうね?」
「うぅっ……わ、わかったよぉ……」
連続攻撃を受けてしょぼんとするアスファに、ゼルシカは爆笑した。
反論せずへこんでいるということは、自分でもまずかったなと反省しているからだろう。
ともあれ、ほんの数日ではあったものの、ナハト王子との旅路はアスファ一行にとって新鮮で素晴らしいものだった。
道中、こちらの魔物にも遭遇した。北にはいない種類で、最初アスファ達は戸惑ったが、ウォルドの的確な指示でつつがなく撃退。
ナハト王子はさすがに後方へ下がっていたけれど、危険種であった場合は自らも戦闘に参加するつもりだったと聞いて面食らった。
――普通逆ではないのか? 強力な魔物が出たら、下々の者が食い止めている間に王子様を逃がすものではないのか。
しかしどうやら南の国々では、本当に王族男子までが戦力に数えられるようだった。エスタローザ光王国やイルハーナム神聖帝国ほどの領土を持つ〝大国〟がこちらにはなく、小国群で戦乱に明け暮れていた長い歴史があり、形だけの指揮官が豪奢に飾り立てた天幕の中でふんぞり返っているだけでは、生存競争に勝ち残れないのだ。
「文化が相当別物だから慣れるのに苦労する代わり、慣れたら南の国のほうがのんびりしてていい、って神官に聞いたことがあるんだがね。随分話が違うじゃないかい?」
ゼルシカが神官二人に目をやると、アロイスとメリエは頷いた。
「我々も、一時南に滞在していた神官がそう話しているのを聞いたことがあります」
「北方に比べ南方諸国のほうが、どこへ行っても皆さんのんびりしてる……っていうお話でしたが」
「それは〝神官だから〟だろうな」
ウォルドがゆっくり首を横に振った。
「年中暖かい気候の国で、実り豊かな作物を人々から捧げられ、戦闘現場に居合わせることもほとんどないとなれば、そういう勘違いをする神官も出てくる。……こちらでは王侯貴族より、神官のほうがずっと安全に守られているのだ。大規模な魔物の討伐戦でも、神官が招集されることはまずない」
「ええっ!? 治療とか、屍死鬼系の魔物がいっぱい出た時はどうすんだよ?」
「その時はその時だな」
ゼルシカ以外の全員が絶句した。女将は年の功に加え自身も加護持ちであることから、すぐに理由へ思い至り、ひょいと片眉を上げて溜め息をつくのみだ。
「北よりもこっちのが屍死鬼の出現率多いのかい?」
「俺の感覚ではそうだな」
「えっ、余計にヤバイんじゃねーかそれ!?」
「アスファ、そいつぁ逆さね。――だから対処に慣れているんだろ」
「――――」
ウォルドが「そうだな」と相槌を打った。
「魔物の活動期間が北に比べてずっと長く、種類も遥かに多い。だからこちらの人々は戦い慣れている。〈祭壇〉の存在しない場所にさえ都市や国を築くほどだ。事情に明るくない他国の者は、そんな場所でも平和な顔で暮らしている人々を見て、危機感が薄いだの呑気だのと勘違いをしてしまうのだろうな」
実際は万一の心構えをしておくのが常識過ぎて、却ってそうは見えないだけだ。
日頃からこまめに魔物の間引きが行われ、大規模な討伐戦に発展するケースもあまりない。もしそういう場合でも、呼ばれるのは大概、戦闘能力のある神兵や神官騎士だ。
そして国同士の諍いにおいて、神殿の者が兵士の治療にあたらねばならない義務はない。治癒院に訪れる怪我人や病人ならば受け入れはしても、国からの招集に応じる義務はないのだ。
ゆえに、権力者が神殿上層部と度を超えて仲良くする問題がたびたび発生するわけだが、その傾向は北より南のほうが高いかもしれない。
「つまるところ、ぬくぬくし過ぎて頭のゆるんだ神官どもの平和ボケかね」
「まあ、そういうことだな」
「そ、そんな……」
「知りたくなかった……いや、知ってよかったのか……?」
今の今まで同僚の言葉を鵜呑みにしていた神官組はショックを隠せない。
北の貴族令嬢らしく、南の女性への悪評を吹き込まれて信じていたエルダも顔色がよくなかった。
「わたくしも実を申しますと、南の方々については、良いお話をあまり耳にしておりませんでしたの。ですからこちらへ訪れるまで、なんとなく未開の地の蛮族のイメージが先行してしまっていて……失礼どころではありませんわね。帰ったら、同じような誤解をされている方々に訂正してさしあげなければ」
「いや――あまり気負うことはないぞ。とりわけ、おまえ達は変にこちらの国々を見直さんでもいい」
「え? どういうことですの?」
「ウォルド殿らしくありませんね…?」
「……こちらは、北よりも遥かに女性の地位が低いんだ」
ウォルドが言いにくそうに、視線をそらしつつ言った。
女性陣が全員きょとんとする。口にしたはいいもののなんとなく濁したくなってきた男の気配を察知し、女将が「ウォルド?」と退路を塞いだ。
「ちゃんと説明しな。気になるじゃないかい」
「すまん。……その、こちらでは基本的に、妻の数に制限がないのだ。女性はみな家におさまり、男の庇護を受けるものとされ、戦闘員に女性はいない。討伐者も騎士も護衛も、女性はゼロだ。それだけでなく、学者や文官、魔術士、治癒士……すべての職業は男のものであり、女性には許されない」
「はあぁ!?」
「なんですのそれは!?」
「あー、そういうわけかね……形ばっかりの庇護と引き換えに、何を自由にする権利もないってか?」
「まあ、そうだ」
女性陣が殺気を漂わせ、男達はこの場から逃亡したくなった。
一部の男は、この恐ろしい話題へ言及したウォルドに非難めいた視線を向けている。
「……ナハト様、わたくし達にもお優しかったのですけど。本心では見下していらっしゃったの……?」
「マジかよ……」
「ああいや、待て、彼は違う。言っていたろう、彼の母は女王で、母を尊敬していると」
「あ、そうでしたわね?」
「そーいや、そんな話してたな」
「パナケアは女王ミラルカが君臨して以降、風向きが変わってきている唯一の国だ。古臭い考えの連中がいるせいで中継ぎという体裁をとってはいるが、女王に心酔している者は多いと聞く。ナハト王子はそんなミラルカの影響を受けているのだから、信頼していいぞ?」
「…………」
アスファ達は不意に静かになった。
(……ウォルド、なんかやけに饒舌だな?)
(ていうか今、さらっと呼び捨てになさいませんでしたこと? だいたいこちらの協力者の方って、神官様じゃなかったんですの? 何故王子様なんて大物が出て来られるのかしら? いえ確かに、はっきり神殿の方と伺っていたわけではありませんけれど?)
(なんとなく旅の時にも、ナハト王子がやけに親しげというか、懐いていらっしゃるというか、気付けば二人で何か話されてるなあと不思議に思ってましたが……ウォルド殿……?)
(はは~ん? こいつぁひょっとしてアレかねぇ……?)
この場にいる面子の中で、「そうなんですか、素晴らしい御方なんですねぇ」と普通に感心している神官二人だけが純粋だった。
灰狼達は自分が割り込むと妙な方向に脱線する自覚が一応あったため、無表情で無言を貫きつつパタパタ尾が揺れている。
カリムはあからさまに興味津々な表情を浮かべ、横からこっそりカシムにどつかれていた。
自分で自分を窮地に追いやってしまったウォルドだったが、そこは普段の人徳がものを言った。
日頃から世話になりまくっている兄貴分のために、アスファ達は深く突っ込まず、さっさと話を先へ進めたのである。
「でもって、ナハト王子が船団貸してくれたんだよ! 忙しいからずっと一緒にはいられない、でもいつかまたゆっくり会おうって約束してさ!」
「船長さんもご親切な方ですし、言葉の通じる方を何人も確保してくださってましたものね。その後は、ゼルシカさん達がいついらっしゃっても駆けつけられるように、凪の海域という場所でずっと待機していたのですわ。飛び魚っていう魔魚の襲撃もありまして、皆さん凄かったんですのよ! もちろんわたくし達も戦闘に参加させていただいたんですの!」
甲板に人影があると、妖精の羽に似たヒレでジャンプし次々と襲ってくる。
大きさは成人男性並みで、こちらでは割とポピュラーな魔魚だったのだが、むろんアスファ達にとっては初対面の魔物だ。
「船員さん達にコツ教えてもらってさ、俺とリュシーは接近しかけたヤツを横っ飛びで避けつつ、首んとこをスパッ!」
「頭を落としてもしばらくビチビチ跳ねていますから、絶対に口の前に立つなとも助言されましたね。蛇種の魔物を倒す要領に近かったと思います。甲板の表面がやけにザラついているのはどうしてなのかも、戦ってみて初めてわかりました。あれはわざと滑り止め加工を施していたんですね。海水や魔魚の血がかかっても、ツルリと転んでしまわないように」
「倒したヤツは船員さんが鉤爪みてーな槍で引っかけて、ささささって端っこに持ってっちまうんだよ! 甲板にパカッて開く蓋があってさ、そこにドンドン落としちまうの! んで、全部倒したら甲板を海水でざーって流して、ほかのが寄って来る前に大移動すんの。一度撃退したら、近くにいるヤツはみんなそっち行ってしばらくは襲撃ないからって、溜めといたヤツを料理してくれてさ。めっちゃ美味かった!」
「わたくしは風の魔術で倒したんですのよ! 以前に師匠が教えてくださったんですけれど、こう、指先に細く集中して、現われる小さな魔術の円陣を一枚だけではなく、多重に重ねるのです。そうしたら矢のように風が飛ぶんですのよ! 目には見えませんけれど、無詠唱でもしっかりと威力のある不思議な矢が――」
エルダの勢いが尻すぼみになった。
本来の弓矢の使い手であるシモン少年がその時どうしていたか、思い出して。
なんともいえない沈黙が流れる。
《ふむ、飛び魚……マスターへの手土産にそれも……》
小鳥が何やら呟いていたが、全員が黙殺した。
◆ ◆ ◆
賑やかにお互いの報告をし合って、滞在二日目の夜。
《上空で監視中の白1号より報告です。――客人がいらっしゃいました》
まず小鳥が先に告げ、しばらくして、褐色の肌の従僕が「ご主人サマがいらっしゃいマシタ。お集まりくだサイ」と全員に声をかけた。
フェレスは人里で共生している猫型魔獣。
次話はお久しぶりのあの方が登場です。