184話 小鳥の厳しい教育方針
「ん? アスファ以外の武器も呼んだら戻ってくるのかい?」
話の途中でゼルシカが口を挟んだ。
《はい。一時的な契約という形で聖銀の武具類には所有者を認識させております。私の判断で解除可能です》
「あっさり言ってくれるね……とんでもないじゃないか?」
《勇者の固有装備である神剣【エル・ファートゥス】の加工と違い、設計段階から好きにできましたのでさほど手間はかかっておりません》
「そんな問題かね」
手間の大小はともかく神剣を加工するなと誰もが思ったが、誰も口にできなかった。
◆ ◆ ◆
ウォルドと合流した後、エセルディウスとノクティスウェルは彼らを森の中に隠された遺跡まで案内した。
王子達の背を見失わぬよう、アスファ一行は暗い通路をハラハラしながら通り抜け、時間の感覚が曖昧になり、永遠に続きそうな闇の中からようやく脱した瞬間、浴びた陽射しの強さに目をすがめる。
「おわー……」
「ふわぁあ……全然雰囲気が違うよ……」
「樹も草も知らない種類ばかりですね。……これは携帯食を切らしたら終わりますよ」
「そ、そうですわね……! どれを摘んで食べたらいいのかまるでわからないんですもの……!」
「げっ、やべえじゃねーかそれ!」
食べられる植物と有毒植物の区別がまるでつかない。アスファ達は蒼白になった。
それぞれ持ってきた携帯食は、切り詰めて数日分。
示し合わせたわけでもないのに、四人が一斉にウォルドへ縋る視線を向けた。――ウォルドは一時、南方諸国で活動していた時期があるのだ。
こちらの事情に詳しいため、今回の南方遠征班のリーダーに抜擢されたのである。頼もしく面倒見のいいウォルドは、「身体の大きな人は心が優しい」という迷信が現実に形になった人物であり、今回も後輩達に「大丈夫だ」と落ち着き払った声をかけて安心させてやるのだった。
《ほぼ時差がないのは計算済みでしたが、季節も変わらないとは。興味深いことです》
「季節? 遠くへ来たからといって変わるものでもないだろう?」
小鳥の呟きにエセルディウスが不思議そうに首をかしげ、小鳥が《そうですね、失礼いたしました》と返すやりとりがあったものの、ささいなことだ。
次の瞬間、鮮やかな青からくすんだ茶色へ変じていた小鳥に全員が仰天し、ささいなやりとりは記憶から追いやられた。
「うわっ!?」
「へ!?」
「っ!?」
【……自在に変化できるのか】
【だいぶ慣れてきたつもりだったんですけどね……まだこんなワザが】
「……それは真の姿、というわけでもないのだろう? 幻術の気配はしないが」
《幻術ではありません。色素を自在に調整できるだけです。マスターが青をお好みですので、それが私の基本色となりました。――これより私はアスファのイヤホンのみで言葉を伝えます。アスファはくれぐれも、私の声に反応して逐一視線を寄越さぬよう注意してください。こちらに魔女の鳥は来ていないのです》
「! ――わかった」
エセルディウスとノクティスウェルの二人は、故郷ウェルランディアの女王から呼び出しを受けているらしく、一行を見送って再び秘密の道に戻った。
ウォルドが先頭になって異国の樹木の間を抜け、しばらく歩いた先に、だしぬけに大河が横たわった。
果てしない距離を、本当に一気に飛び越えたのか。一行は改めて実感する。
光王国より気温が高く、水の色も違う。北方の河川や湖では、水底まで透き通って青い。しかし南方では温かい季節になると、ぬるい淡水を好む藻が発生し、一面を緑色に染める。
黄金から緋色、群青へ移り変わる空。
斜陽の下を急ぎ足になりながら、河沿いをえんえん歩き続け、幸いにも辺りがとっぷり暮れる前に、最も近くにある神殿に辿り着けた。
異国の言葉を話す浅黒い肌の神官が出迎え、アスファとシモンは目を白黒させた。エルダとリュシーは南方の言葉を多少なりとも聴き取れるかと思いきや、書物でほんの少し触れた程度に過ぎず、つまりアスファ達と比較して何ら有利な点はないと判明した。
ウォルドは日常会話であれば困らない程度に話せた。それよりも、神官の間には神殿用の共通言語があり、どの国へ行っても通じるので、ウォルドはもっぱらこれを使って神官とスムーズに意思疎通を図っていた。
ウォルドが神官騎士であり、アスファが〝勇者の少年〟であることも彼らには伝えた。――これは小鳥が《隠さず伝えてください》とウォルドに指示していたからだ。
大柄で誠実な〝加護持ち〟の神官騎士を記憶していた者もおり、ウォルドの身分については何も疑われなかった。次にアスファだが、これは彼の所持する【エル・ファートゥス】が自ら証拠となった。
不信感もあらわな視線をぶつけてきた一部の神官に対し、【エル・ファートゥス】が〝神気〟を放ったのだ。軽い威圧程度のものだったが、まさかそんなものを放てるとはついぞ知らなかったアスファ達は驚き、しかし神官達の驚きはそれ以上だった。
一転して、大歓迎。さっそく彼らのための客室が整えられ、神官長の指示で豪華な夕食がすぐさま準備された。
このあたりからウォルド達は嫌な予感を覚え始めた。――豪華な食事。清貧を旨とする神殿で、これほどの食事が即座に準備できるものなのか。
嫌な予感はすぐに的中する。神官長はその夜のうちに、ウォルド達に無断で報せを出した。
――我が神殿に、勇者様の御一行が立ち寄られました。
相手は、神官長が懇意にしている大貴族。
アスファ達は翌日、こちらの国々についてウォルドの簡単な講義を受けている最中、その大貴族の宴に招かれることになったと神官長から聞かされた。
宴は数日後の夜。着いて早々いきなりの展開に呆然とするアスファ達へ、神官長はドンと胸を叩いて言った。
――ご心配なさいますな! あなた方が本物である点については、このわたくしめが保証人になりますので!
勝手に強引に決めておきながら、どうして自分の手柄のように誇らしげなのか。
しかもこちらの意思をまるで確認する気もない。「貴族様のお招きなのだから出席して当然」と顔に書いている。
衣装は相手が客人のために豪華な貴族服を準備してくれるという話で進めてきたが、装備が聖銀製であると伝えれば、大袈裟にびっくりしながら揉み手をしつつ撤回した。
それは素晴らしいですね、と。
(こ、こいつ――サフィークじゃねえけど、なんか……)
小鳥が己の正体を隠した理由が、おぼろげながらわかってきた気がする。
――耳に装着した魔道具から、小鳥が同時通訳で、相手の言葉をアスファに伝えてくれるのだ。
それも、ウォルドが大人らしい配慮で黙っていた内容まで、かなり詳細なニュアンスまでも含め、正確に。
神官長と言っていたが、この男はまるで、商人だ。
「見世物になる気はないし、アスファ達をそうさせる気もないぞ」
ウォルドは最後まで渋った。
ところがどういうわけなのか、小鳥は出席するべきと主張した。
《一度経験しておくべきです》
これはアスファにとって必要なことだ。小鳥の主張に、ウォルドは不可解そうな顔をしていたが、結局は全員で出席することになった。
そして全員が後悔した。あの神官長は、大貴族に媚を売って優雅に暮らす腐れ神官だった。彼は今も神聖魔術を使えているのだろうか。力のある貴族と癒着しているのなら、不都合な事実はもみ消すなり誤魔化すなり容易いのかもしれない。
招待主の大貴族とやらは、都合のついた友人とやらも大勢招いており、それは豪勢な宴が開かれていた。
当初は大それたほらを吹く珍獣を眺めて嘲笑おうとしていた連中のまなざしが、やはり【エル・ファートゥス】によって面白いぐらいガラリと色を変えた。
次に訪れたのは賛辞の嵐。
勇者にすり寄ろうとする者。
笑っていない目で笑いながら利用しようとする者。
言質をとろうと狙う者。
勇者と親しく言葉を交わした、ただその事実を作ろうとする者。
――将来性のある若者ですなあ。
――神剣を手にした勇者殿であれば魔王など恐るるに足りず!
――さよう! 多少強い程度の魔物ごとき、勇者殿が葬ってくれよう!
――この世界に平和をもたらしてくれると、我ら一同心から信じておりますからな!
さらに、ウォルドの通訳がなければ会話が成立しないところを突いてきた。
言葉の端々に、若いアスファに対する侮りがさりげなくまざり始めた。ウォルドも決して流暢とはいえず、貴族的な言い回しには明るくない。
――わたくしの娘などはいかがです? 勇者殿。
――いやいや、ワシの娘のほうが。
――歳の離れた妹がおりましてな、年齢は勇者殿に近く、それはもう器量良しの娘ですぞ?
ウォルドが片っ端から代わりに断ってくれていたが、「神官騎士殿には申しておらぬ」「我らは勇者殿にお話ししているのだ」などと強引に押してくる。
――そちらのお美しい女性方は勇者殿の奥方ですかな?
――失礼ですが、ご身分は?
――いやいや、勇者殿の大切にしておられる女性方に対し身分の話など無粋であろう。
――さよう。まあ、勇者殿もお若いのですから、慣れぬ相手にはご不安もあるでしょう。ですからわたくしの娘は、まずは第三夫人としてお迎えいただき、お気に入ってくださればおいおい第一夫人にと……。
アスファは恐怖のあまり吐きそうになってきた。
それを彼らは、田舎者が大貴族の宴会に招待されて緊張していると誤解したらしい。
追撃の手をゆるめる者はなかった。
(やめろおおおぉぉぉッ!! エルダとリュシーにぶっ殺されるじゃねえかああああッ!!)
ウォルドが何とか話に割り込み、彼女らが未婚であり、アスファの妻ではないと伝えた。
すると彼らはまた新たな方向から攻めてきた。
宴に参加していた、彼らの身内あるいは腹心の部下だという見目の良い青年達を、女性二人に紹介し始めたのだ。
お美しい方、無事魔王を討伐された暁には、是非この息子の第二婦人に。
いや、我が家は第一夫人としてお迎えする。
ああなんて美しいのでしょう、一目で心奪われてしまいました、どうかわたしをあなたのお傍においてください云々――……。
言葉は通じない。
アスファだけでなく、エルダやリュシーにもそうだ。
シモンに至っては完全無視の扱いである。むしろ彼は放置されているので、招待された五人の中では最も平和だった。小柄で大人しそうな外見もあいまって、どうやら〝勇者の仲間〟というより〝ほぼ従者〟と認識されていたらしい。
エルダ、リュシー、シモンの三名は必ずウォルドとアスファの後ろにいて、決してひとことも漏らさなかった。皆、絶対に迂闊なことは言えないと肌で感じていた。
特にエルダやリュシーは、曲がりなりにも貴族令嬢と侍女の経験から、自分達がどんな状況にいるのかを正しく掴めていた。何がいつ役に立つかわからないものである。
こちらの言葉は聴き取れない話せない、そんな断り文句もなんのその、貴族達はこぞって話しかけてくる。言質を取るために。
勢いに圧されたアスファ達の失言を狙っている。うっかりで漏らした失言であっても、貴族の身分を大いにふるって有効にさせる気でいるのだ。
その意図も、彼らの言葉の隅々までも、実は小鳥がしっかりすべてアスファに伝えているとは知らずに。
(どいつもこいつも、俺が魔王倒す前提で好きに喋んじゃねーってんだよ!!)
期待をかける云々ではなく、勇者だったら倒して当然だろうという空気がある。
神剣があるのならそのぐらいできるだろう。できない、無理だ、やりたくない、などとは到底言い出せない空気。
(き、貴族って怖い……いや、皆が皆そうじゃねえんだろうけどよ……気持ち悪ぃ……なんなんだよこいつら……)
それに、あのエセ神官長。絶対あれは大貴族に胡麻を擂る商人だろう。でなくば、賄賂をもらって悪事を見逃す手合いの小役人だ。
ほかの神官達は何をしているんだ。あの小男を見逃しているのか? それとも、背後に貴族がいる神官長を敵に回したくないのか?
まさか、南に着いて一番乗りの神殿の内部が、すべてあの男のご同類だとは思いたくない。
(か、帰りてぇ……こいつら、もう相手にしたくねーよぉ……。なんで俺ら、こんなとこにいるんだろう……?)
心の声が伝わったかのようなタイミングで、耳元の飾りから小鳥の抑揚のない声が、静かに思惑を明かした。
《もし光王国の王宮があなたを「勇者として迎える」などと言ってきた場合、これと似たような展開が待っているでしょう。光王国に限らず、勇者や英雄を大々的に迎え入れようとする王侯貴族がいて、もしあなたが浮かれて口車に乗ったらどうなるか。……ご理解いただけましたでしょうか》
こういう意図あっての耳飾り型イヤホンでした。
アスファ君げっそり。頑張れ!