183話 通りすがりの討伐戦、【武器を持つ者ども】の殲滅 (3)
腹をくくって触れた時、その剣はまるで己の身体の一部のごとく違和感もなく馴染んだ。
(マジで俺のための剣、か……)
切っ先まで己の血が流れている――そんな錯覚を起こすほど、否応なしにほかの剣との違いを感じた。
何ができて、何ができないか。条件次第でどんなことが可能であるか。剣が自ら己の潜在力を伝えてきて、アスファはほんの瞬きの間にそれを把握していた。
言葉ではなく、水面に煌めく光が目の中に入るのに似ていた。かつてない感覚に戸惑ったのは最初のうちだけで、驚きとともに深く息を吸い込んだ直後、戸惑いは消えた。
ためしに鞘と剣をそれぞれ別の場所へ置き、戻るように念じてみれば、両方ともが従順にスゥ、と浮遊して手もとにおさまる。
多分これは自分にとって、この世で一番使いやすい、一番頼りになる剣だ。
だからこそ、依存しないように気を付けよう。
こんな凄いものを手に入れたからといって、決して増長などするものか。普段の訓練では今まで通り既製品の剣を使い、この剣と通常の剣との違い、使い勝手の差になるべく慣れておくようにしよう。
これはグレン達からも言われていたが、何らかの事情でいつもの武器が手元になく、たまたま低品質の武器しか手にできない時、うっかりいつもの感覚でそれを振るいかねないからだ。
練度の高い戦士ならばそうそうそんなミスなどしない。けれどアスファは咄嗟の判断力も戦闘経験も、まだまだ甘い自覚があった。
己の未熟さを認めることは恥でも何でもない。
(……こういう時、前の俺ならどうだったかってつい考えちまうなぁ)
自分がいったい何者か、それについては未だ現実味がない。けれど「人違いですから、俺違いますから!」と否定してお断りできる段階はとうに過ぎた、というかそもそも否定させてもらえなかった。
タラレバは無益だと聞くけれど、ついつい「うそ、マジで!? 俺が!? すげえ!!」と大喜びで飛びついていたであろう過去の自分を想像してしまい、そのたびにアスファは自分を張り倒して目を覚まさせてやりたくなる。
そんな多感な少年のささやかな悩みごとに、魔法使いは軽く言ってのけた。
『タラレバの発想は必ずしも無益じゃあないよ? 今後に向けて有益な思考に繋がるなら有益、とことん後ろ向きで無益な方向に突っ走りそうなら無益だから考える価値なし、って私は思ってるけど?』
もともと素直で単純なアスファ少年は「なるほど」と頷きかけ、踏みとどまった。
何故だろう。頷いてはいけないと勘が言っている。
『……ちなみに師匠は、もし自分が勇者だって言われて、神様の剣を「おまえの剣だ」って渡されたらどうする?』
『ふはは、アスファ君。考えるまでもなかろう? ――それはそれ、これはこれ。どうせ返品不可なら受け取るだけ受け取って、あとは好き放題に有効活用させてもらうさ。他人が勝手に押し付けてくる役目なんぞを了承するか否かは別問題、誰にも文句つけられる筋合いはないね。だいたい僕がそんなものを名乗ってみたまえ、世界中から「なんでこんなのを勇者にしたんだ責任者出てこい」と苦情が殺到してしまうではないか!』
『…………』
背後に暗黒の気配を漂わせ、はっはっは! と高笑いする魔導士。微妙に無表情なところが怖い。
アスファは「こいつが勇者じゃなくてよかった」と悟った。
◇
土を蹴り、駆け抜ける。
重心を低くし、無駄のない動きで抜き放ち、左下から右斜め上へ剣閃を走らせる。
先日購入した剣ではできない。同じ角度で振るえば切っ先が地面を抉り、動きが止まってしまうだろう。
けれどこの剣――【エル・ファートゥス】ならば、それが可能だった。
まるでそこに地面など存在しないかのように、先端は地に沈み込みながら勢いを殺すことがなかった。
もし瀬名であれば、「豆腐に刃物を通すような手応え」という感想を抱いたであろう。
魔物どもの視線と意識は自分達を拘束した魔術士へ集中し、こちらにはまったく注意を払っていない。
魔術は発動から一定時間が経過すれば自然に魔力が薄れて消える。形と強度を保ち続けるには、安定した精神力で絶えず魔力を供給し続ける必要があり、単純に撃って終わるより消耗が激しいという。
エルダを疲弊させる前に、短時間ですべて仕留める。
〝主〟の精神に呼応し、仄かに輝きを帯びた神輝鋼の刃は、魔術の檻ごと岩並みの硬さを誇る巨躯をすんなりとななめに裂いた。
まずは一体。自分に何が起こったのかも認識できぬまま、「ウガ?」と間抜けな声を発してずるりと地面に落ちるのを避け、減速せず二体目へ斬りかかる。
視界の端でリュシーの髪がなびき、岩の足場から飛び上がりざま一体目の腕を斬りつけ、その勢いで二体目の首を飛ばすのが見えた。――あちら側の腕には巨大な棍棒があるのだ。
先に攻撃手段を封じて効率的にとどめを刺す、リュシーは速いだけでなく技術も判断力もアスファより遥かに上だった。彼女自身、昔はずっと貴族令嬢の侍女をやっていて、荒事とは無縁だったはずなのに、この馴染み具合はどうだろう。
生まれながらの身体能力、賢さ、長年の訓練によって身につけてきた技――それだけでこんなにも強く戦えるものだろうか。
(心が強いから、なんだろうな)
初めてギルドに登録した頃には、考えもしなかった。
仲間を得るという意味。その頼もしさに支えられる自分。
「このくらい俺は自力でできる!」としょっちゅう顔を真っ赤にしてわめいていた、なんと見当違いも甚だしかったことか。
格好つけて剣を振りかぶり、それらしく大きな動作で滅茶苦茶に斬りつけ、ただ目の前の敵を倒せさえすれば強いと勘違いをしていた。
そうではなかった。戦場にいるのは自分ひとりだけではなかった。
敵を倒す、もちろんそれも重要だが、何より〝ほかでもない自分の手で仲間を殺してしまわないこと〟――その立ち回りこそが本当に必要なものだった。
知恵の働く小狡い魔物の中には、同士打ちを狙ってくる輩もいる。仲間の身体がいきなり目の前に放り投げられても、振り上げた刃を咄嗟に回避させられるかどうか。
だからリュシーは初めの頃、戦闘中はアスファに下手に近付かないようにしていた。魔物の攻撃よりもアスファの攻撃に注意を払い、いつでも避けられるように動いていた気がする。
戦いの場でこんなに接近し始めたのは、最近になってようやくだ。
――俺も成長したな。嬉しくなる半面、気付かぬうちにかけまくっていた迷惑を今さらになって知り、同じぐらい自分に腹が立つ。
二体目の足もとを横薙ぎに切断し、どお、と倒れ込む胴体を上から斬りつけ両断する。そうやってアスファが二体目を仕留める間に、リュシーの突きが三体目の眼球を貫いていた。
(うおー、やっぱすげえなー)
五体すべてが確実に動かなくなったのを確認し、エルダが魔術を解いた。ほんの一体でさんざん手こずっていた頃がいっそ懐かしいぐらい、驚くほど短時間で片が付いた。
エルダの顔色は平素と変わらず、疲労など微塵もない。
高い位置にある巣穴に視線を走らせても、鳴き声ひとつ、物音ひとつなかった。戦闘中、地上を狙う矢はただの一本も届いていない。
俺の仲間、なんか凄いんじゃね? アスファはちょっと誰かに自慢したくなった。
◆ ◆ ◆
(凄いなぁ……これが僕の仲間なんだ)
なんだか嬉しいな。同じ頃、丘の上でシモンも喜びを噛みしめていた。
あんなでっかい魔物を全部倒してしまうなんて。アスファもエルダもリュシーも、みんな凄い。
(……一匹、足りない)
計六匹。
七匹目は?
奥に引っ込み、やりすごそうとしている? シモンは双眸をす、と細めた。
(…………)
こそこそ、と一匹の【小鬼】が出てきた。
アスファ達からは見えない位置。奇襲狙いではなく、明らかに逃げようとしている。
エルダはきっと気配を察知しているだろう。けれどあれはおそらく脱出用の裏口だ、回り込まないと攻撃魔術は当たらない。
(七)
完了。
皆のところへ戻ろう。
◆ ◆ ◆
(……随分、強くなった)
リュシーはどこか嬉しそうに胸を張っているアスファを眺めた。
(また悪い癖が出て、自画自賛でもしているんですか?)
けれど、彼は胸を張るだけのことはあるとリュシーは思う。
この少年とエルダを含め、自分までセット扱いされると思うと辟易していたのに、この変わりようはどうだろう。
称賛に値すると、素直に思えた。確かに、最高ランクの討伐者でさえそうそう手にできない武器の性能もあるだろうが、彼はちゃんとそのあたりも踏まえて戦っていたように感じる。
奇跡の剣を手にしても、きっと溺れたりはしないだろう。
まだ多少の危なっかしさは残るけれど、間近で剣を振るいながら、言い尽くせない頼もしさ、心強さで胸が満ちる。
――同時に、魔族の末裔と呼ばれる自分自身の存在が、彼の行く先に陰りを与えてしまわないか、そんな不安を覚えずにいられなかった。
「アスファ、エルダ、リュシー! 見えてたよ、凄かったね!」
「シモン! おまえだってすげーじゃん!」
「そうですわよ!」
シモンの合流と同時に、エセルディウスとノクティスウェルも戻ってきた。彼らも首尾よくすべて始末してきたらしい。
後始末は二人の精霊族が行った。彼らは周辺の草木に飛び火せぬよう、魔物の死骸のみを瞬く間に炭に変えてしまった――それも完全なる無詠唱で。
エルダが目をぱちくりとさせ、次いでぎりりと歯噛みしていた。格の違いを見せつけられてへこむのではなく、悔しがって「今に見てなさい……!」と唸れるところは、ある意味彼女の強みだろう。
彼女も成長した。嘘のように。
昔の自分がこの光景を目にしても、きっと信じない。
リュシーは笑みを浮かべようとして失敗した。――自分だけが取り残されていく気がして。
「おまえ、何かくだらんことで悩んでいないか?」
「セナに相談してみてはいかがです? アークが全部彼女に伝えてくれますよ」
《お伺いしましょう。ご遠慮なく洗いざらいどうぞ》
「いえ、結構です」
「え、リュシーなんか悩んでんのか!?」
「だ、大丈夫?」
「あらあらそうなんですの? そうなんですの? リュシーに悩みごとですって? あらあら、それは是非わたくし達に相談なさいな、さあ!」
「…………」
リュシーは視線に殺気をこめた。
仲間達は瞬時に黙った。
「すまんな、余計なことだったか。『負の感情は初期のうちに対処せよ』という家訓があるのでつい」
「気に障ったのでしたらすいません。――それはさておき、ウォルド殿が先に待っていたら申し訳ないのでそろそろ行きましょうか」
《気が変わりましたらいつでもご相談ください》
「…………いえ、結構です」
ウォルドは「魔の山を少し調べたい」と言い、一時的に別行動をとっている。
秘密の道の出入口付近で合流する約束なのだが、もう既に調査を終えているのかもしれない。
若干、不穏な空気が漂いかけたものの、念じるだけで手もとに戻ってきた矢にはしゃぐシモンのおかげで、重苦しさは払拭された。
そうして先を急げば、果たして、先に到着したウォルドの姿があるのだった。
リュシーさんは最年長なので深く考え過ぎてしまうきらいがあります。
それぞれの反応。
→びっくりするアスファ君
→真面目に心配するシモン君
→なんか目をキラキラさせてるエルダさん