17話 十五歳、はじまりの町で (6)
その後、空腹の虫が思いきり「ぐううう!」と主張し、瀬名は怪しい余所者ではなく、お腹をすかせた通りすがりの良い子という認識に落ち着いたようだ。
リアルタイムで戦闘を見なかったことによる、若干の認識のズレもあるだろう。
ともあれ、場を和ませてくれたお腹の虫万歳である。
さっさと切り上げ、当初の予定どおり串焼き店に向かいたかったのだが、引きとめられてしまった。というのも、
「すまない、もう少しだけ待ってくれ。君が倒した連中は賞金首だったんだ。現在精算している最中なんだよ」
という理由だった。
「はあ。後日改めて、っていうのは駄目なんですか?」
「絶対に駄目というわけではないんだが。本人がそこにいて金額がすぐに確定する場合、至急の用があったり、額が莫大で準備に時間がかかるなどの事情でもない限り、即払いが基本でね。もらえるものは早くもらいたい連中や、かつかつの生活をしている低階位の討伐者を抱えたギルドからの要望で、そういう取り決めになっているんだ」
たいした事情もないのに瀬名を手ぶらで帰してしまうと、何故その場で払わなかったのかを後で追及されてしまうそうだ。過去、他人様の賞金を誤魔化し、着服した馬鹿がいたことも関係しているらしい。
なるほど、それならば仕方がない。本当に討伐したのか怪しまれるケースでもないのに、受け渡しを先延ばしにしても面倒なだけだ。
「というわけなので、悪いが我慢してくれ。さほど時間はかからないはずだ」
そして待つこと何分か。どちゃりと金子袋が卓の上で重々しい音を立てた。
…………。
おかしいな。金色のおかねがたくさんあるよ。
銀貨三枚でほくほくしていたのは夢だったのかな。へんだな。
「犯罪者集団〝赤蛇〟の捕縛で金貨三十枚、他は個々の首にかかっていた懸賞金、合わせて金貨十七枚に銀貨二枚だ。聖金貨を希望する者は滅多にいないので、金貨で用意したが構わないだろう?」
「もちろんです」
聖金貨。それは庶民お断りの気配漂う、セレブ御用達の金貨だ。たった一枚なくすだけで絶望を味わう恐怖の貨幣など、誰も持ち歩きたくはないだろう。
そして金貨五十枚弱は〝莫大〟のうちに入らないのだろうか。
金銭感覚が初っ端から狂いそうで怖い。価値がわからないから余計に。
「少人数のゴロツキの割に、手を染めた罪の内容が実に凶悪な連中でな……結構な額になったんだが、大丈夫か? 帰宅するまで護衛を出すこともできるし、どこかのギルドに一部手数料を支払って保管してもらう方法もあるが……」
そんな方法もあったようだ。
「いえ、護衛は結構です。保管については考えがありますので」
「そうか? まあ、君は非常に若いがしっかりしていそうだし、腕も立つと聞いているから、道中で襲撃されても返り討ちにできそうではあるが」
その通りである。正直なところ、己の戦闘能力に、瀬名自身もちょっとびっくりしているほどだ。
そして貯金は〈スフィア〉に置いておくほうが確実に安全なので、ギルドを頼る気はない。これについては説明のしようがなく、曖昧に誤魔化すしかなかった。
「せめて、君の身内に迎えを寄越してもらうよう使いを出そう。宿に滞在しているのか?」
「いえ……身内といいますか。迎えの必要はありません。こう見えて十五歳ですので」
「――えっ? 十五歳? 成人していたのか?」
セーヴェル団長が驚きに目を見張った。
そう、この国では十五歳で成人なのである。
十五~十六歳の二年間は一部の税を免除されるなど、法的には大人予備軍の扱いだが、労働者階級では幼い頃から働くのが普通なので、実質十五歳を過ぎれば情け容赦なく大人とみなされる。
「そ、そうか。いや、すまなかった。てっきり、もう少し幼いかと……」
「ええ、まあ。気にしないでください」
こちらは初対面の相手には間違えられる前提で話しているので、本当に気にしなくていいのだ。
彼女が当然のように瀬名の身内を呼ぼうとしたのは、まともな身なりの健康的な子供には、きちんとした保護者がいるものだからだろう。
まあ、十五歳でも成人と呼ぶには幼過ぎると思うけれど、それはともかく、身長百六十五センチ超えでも、その程度の年齢にしか見られないこの人種格差。瀬名は女だからあまり気にならないだけで、もし本物の男子であったなら、理不尽さに「ケッ」とやさぐれていたかもしれない。
≪にしても、初日でいきなり金貨およそ五十枚とはね……。これ、もしかしなくても大金なんだよね?≫
≪もしかしなくても大金です。凶悪犯罪者の首、生死問わず数名分と思えばそう多くはないかもしれませんが、庶民には一枚だけでも結構な額です。金貨を四捨五入できる人種は豪商や王侯貴族ぐらいですので、うかつに人前でなさってはいけませんよ≫
≪お、おう……!≫
危なかった。言われてみれば金銭感覚のない人間、すなわち大金持ちかやんごとなき身分の御方ではないか。
忠告がなければ、うっかりそんなものに間違われるところだった。
そうこうしているうちに、噂の辺境伯のご子息が駆けつけてしまった。
とどめとばかりに辺境伯本人と、姫君捜索に加わっていた高ランク討伐者も駆けつけ、瀬名は逃げるタイミングをすっかり逃してしまったのだった。
◆ ◆ ◆
いわゆる雲上の人々が目の前に勢揃い。
しかも食事をおごってくださるというのだから、平民にそんな状況下で緊張するなと言うのが無茶というもの。
どんなに肝が太く順応性の高い人間でも、初めのうちは萎縮せずにいられないだろう。
――普通ならそうだ。
社会格差はあれど、本物の身分制度を経験せずに育ち、体感型RPGで架空の王侯貴族と何度もイベントで絡んだ弊害である。最初から緊張の欠片もなく、いつも通り気にせず自然にふるまえる己の姿が、第三者の視線にどう映るのか、瀬名はまるで思い至らなかった。
後ろ暗いことがなくとも、ガチガチに挙動不審な態度を取れば職務質問を受けるはめになる――身に染み付いた〝世間一般の常識〟に基づき、不審者扱いされないふるまいを心がけたつもりだったのだが、この場合はむしろ、挙動がおかしくなるほうが正解だったのだ。
(……ひと口分ずつ、丁寧に切り分けている。食べ方も綺麗だ)
周囲の面々は、静かに驚愕していた。
一般的に平民が食事に使うのはフォークとスプーンのみで、ナイフは滅多に使わない。肉の塊が大き過ぎたり、硬くて喰いちぎれない場合などは、食事用ではない普通のナイフでぶつ切りにしたり、骨からこそげ落とすようにして食べたりするのだが、それは上流階級民ならば眉をひそめる下品で野蛮な行為だ。
ただ、辺境伯一家は代々、討伐者ギルドと持ちつ持たれつの関係だったため、そういう食事風景には理解がある。そもそも行軍中に食事のマナーにこだわる輩はただの馬鹿だと思っているので、携帯食が尽き、捕獲した獲物の肉をその場で焼いて食べた経験が山ほどある辺境伯からすれば、むしろ民の食事風景は活気に満ちて好ましいとさえ思えていた。
たとえこの〝少年〟がそのように食べたとしても、辺境伯の一行は護衛騎士達も含め、誰も気にする者はいない。ゆえに、恩人たる〝少年〟ができるだけ緊張せず気楽に食べられるよう、あえて庶民向けの店に足を運んだ。
これが気の利かない他の貴族なら、深く考えず城に招待し、豪勢な食事を出して、貴族でもない相手にマナーを要求するか、それ以前に感謝の念すら抱かないかもしれない。
そんな彼らの気遣いを裏切り、この〝少年〟のふるまいは、明らかに一般人のそれではなかった。
実のところ、瀬名は堅苦しいマナーなど好きではない派だし、ちゃんと学んだ経験もない。右手で持っていたナイフを、切る途中で左手に持ち替えたり、フォークをスプーンのように使って口に運んだりと、いい加減に適当に食べているつもりだった。
――が。所変わればマナーも変わる。
ナイフやフォークを右手と左手、いつ、どちらに持ち替えようが、この国では問題なかった。要はテーブルの周辺にこぼさず、丁寧に、周囲の人間に視覚的な不快感を与えないよう綺麗に食べることこそが、この国の上流階級におけるマナーの基本だったのである。
鷲掴みではなく、ペンを握るようにフォークを持つ。ナイフであらかじめひと口サイズに肉を切り分け、ソースが飛び散らないようゆっくり口に運び、きちんと咀嚼し、味わって飲み込んだ上でもうひと口、と繰り返す。
ここの平民の基準からすれば、〝少年〟は誰がどう見ても、美しい食べ方をしているのだった。
(あのナイフ、我が家にある食事専用のそれとほぼ変わらぬな。大衆向けの食事処にナイフなど置いておらぬから、わざわざ携帯しているのか。汁を皿の外側に飛び散らせたりせず、空腹でありながらがっつきもせず、実に落ち着いて食している。……十二歳ほどと見ていたが、もう少し年が行っているかもしれん。それにあの鳥、まったく鳴かぬが、異国の鳥であろうか? 目が覚めるような鮮やかな青……成鳥だとすれば、これほど小さい種は初めて見るな)
(異国の容貌だけれど、発音には訛りがない。言葉遣いも丁寧だ。平坦で抑揚のない喋り方は、学者の先生方に似てる。しかし学生には見えないし、どこかの使用人にも見えない。……そもそもあんな剣を所持しているはずがない。近くでよく見れば、拵えがかなり上等だ。無数の直線が均等に描かれて複雑な模様を形成している……あれは何と呼ぶ模様なんだろう? そこらの量産品じゃないな。普段何をしている子なんだろうか?)
(どこぞの坊ちゃんにしては、上から下まで装いが実戦向きすぎる。この状況にもまるで動じてねえ。……駆け出しが運良く、大手柄を立てたのかと思ってたんだがな? いいとこの坊ちゃんがお家事情でやむなく、ってな感じでもねえよなこいつは。――つくづく現場を見てなかったのが悔やまれるぜ、どんな戦い方をしてやがったんだ? こいつは後で奴らの話を詳しく聞かせてもらわねーとな)
三者三様に思考をめぐらせながら、「あ」とグレンが軽くテーブルを叩いた。
そのはずみで薄桃色の肉球がちらりと見えてしまい、瀬名の心拍数が危険な領域まで跳ね上がったのだが、幸い誰もそれに気付く者はいなかった。
「そういや訊いてなかったぜ。おまえさん、名はなんてんだ?」
他の二名も「あ」と目をまるくした。そういえば、尋ねる前に〝少年〟の腹が再び盛大に鳴って、現在に至るのだった。
〝少年〟はもぐもぐと咀嚼し、きっちり飲み込んだ上で答えた。
「どうも、申し遅れました。私の名はセナ=トーヤです」
「セナ=トーヤ……まさかおまえさん、〝レ・ヴィトス〟か?」
「ええ、まあ」
「なにっ!? マジでか!?」
グレンがテーブルに手を突き、勢いよく身を乗り出した。
その瞬間、テーブルの三名だけではなく、周囲の騎士、聞き耳をたてていた周りの客までザワリと揺れる。
瀬名は内心「えっ?」と固まった。鈍い表情筋のおかげで、動揺はほとんど表に出なかったのだが、注目を浴び過ぎて、密かに冷たい汗が伝う。
……やはりこの職業設定、何かがまずい……。
ただその土地に住む者と普通に出会い、なんの変哲もない世間話を、自然に交わせるぐらいになることが目標? ――果たして本当にそれだけで済むのか?
後で必ずARK・Ⅲを問いつめよう。瀬名は密かに決意した。
「言ってみただけなのによ、まさかマジとはな……何の用があって来た? 単に祭り見物か?」
「用といいますか……つい最近、主とこちらに引っ越してきたばかりでして」
「あるじ? ってこたぁ、どっかの専属やってんのか? 〝レ・ヴィトス〟が勿体ねぇな。つい最近このあたりに越してきた貴族なんぞいないはずだが、どこの家だ?」
「グレン、不躾な訊き方はやめんか。――セナ=トーヤ殿は非常にお若いが、専属魔術……いや、魔法士なのかな? 是非ご主人にも此度の礼を伝えたいと思うが、どちらの家に仕えているのだろうか?」
「や、ええと、すみません。言い方が紛らわしかったですね。専属ではありませんよ。師事している方と越して来たんです」
「なんと、お師匠殿と! ……いや、しかし、うむ。この町は魔術士が少ないので、実に喜ばしいことだ……」
口元に手を当て驚愕しつつも、言葉を紡げるのは辺境伯だけだった。他の者は全員、絶句して目をまるくしている。
瀬名の冷や汗はますます止まらなくなった。
「……せっかくそう仰ってくださったのに、申しわけないのですが。厳密にはこの町ではなく、森に移り住んだんです」
「森?」
「はい。この町から見れば、東のほうにある森の中です」
「……もしや〈黎明の森〉か?」
「そう呼ばれているらしいですね」
小さなささやき声すら消え、しいん、と耳鳴りがするほどの沈黙が降りる。
瀬名はとうとう我慢できなくなった。
≪あのさARKくん? この設定、やっぱなんかまずいよね? 絶対まずいよね?≫
≪いいえ、問題ありません。むしろその調子です、マスター≫
≪ほんとかよ!? 俺はおまえを信じていいんだよな!?≫
≪もちろんです。ただの平凡な平民設定では、出自をもっと厳しく問われますよ≫
≪出自……そういや町入る時、どこの生まれとか訊かれなかったけど、この設定のおかげだったりした?≫
≪そうです。もともと身分証を所持していない流れ者は、出身地がはっきりしないケースが多いのですが、マスターは一見、まともな身なりの外国人です。にもかかわらず身分証がなく、出身を曖昧にぼかそうとすれば、確実に怪しまれます≫
≪そ、そっか。でもさ、今さらだけど〝森近くに移り住んだ〟設定でも良かったんじゃ?≫
≪どこに家が建っているのか、尋ねられたら終わりですよ。たとえ沈黙を貫いたとしても、押しかけ訪問を目論み、住まいを探そうとする輩が出るでしょう。その流れで〝レ・ヴィトス〟があなたひとりだけと知られれば、「主が駄目と言っているから駄目」という断り文句が一切使えなくなる上、あなたに対する注目度が一気に強まるでしょうね≫
≪くっ……それは嫌だ。人の視線こわい。注目あびたくない。おうち帰りたい≫
≪…………≫
〝少年〟と〝小鳥〟の心あたたまるやりとりは、幸いにしてこの場の誰にも聞こえなかった。
「私自身はそんなに立派なものじゃありませんよ。師事というかお世話してる方がまあ、なんと申しますか偏屈で面倒なひきこもり主義の魔女でして。村や町に用事がある際には、私がおつかいをするんです。他人に神経を使うのが嫌なあまり、世捨て人のような暮らしをしてる方ですので、お心遣いはありがたいのですが、お礼なども全然気になさらないでください」
「……そ、そうか。では、無理には申すまい。ところで、そなたや魔女殿は、まことにあの森の中に居を構えているのか?」
「ええ、そうですよ」
「あそこはこの国でも有数の迷いの森なのだが?」
「そうらしいですね。人付き合い勘弁な人種にとって、理想的な環境らしいです」
「――ははっ、そうか!」
ほとんど自棄で答えた瀬名の台詞に、辺境伯は心から愉快そうに笑った。
よくわからないが、ツボに入ったようだ。
その後は無難な会話が続いたものの、辺境伯は終始愉快そうだった。ライナスとグレンも、辺境伯がこの会話を明らかに楽しんでいたため、最後まで瀬名に対して不信感や悪感情は抱かなかったようである。
この出来事のおかげで、辺境伯子息の婚約者である王女の誘拐という重大犯罪を未然に防いだ〝東の森の魔女の使い〟の存在は、労せずしてドーミア全体に広まったのだった。
たびびと・レベル1の日帰り冒険、ミッションクリアである。
……とりあえずは、なんとか。