178話 南の島で小鳥は語る
よく来てくださる方、初めて来られる方もありがとうございます。
そしていつもながら誤字脱字報告師様、助かります感謝です。読み返してもなかなか気付けないのですよ。
長い年月を削られ続け、貫通した大岩のトンネルをくぐりぬけると、船団の行く手、ぼんやり滲んで浮かぶ陸地の端に、細かく砕いた硝子のごとき煌めきがちらついていた。
夕暮れの陽光に反射して輝く港町の灯りだ。
慣れない者はさほど遠くない錯覚を起こしがちだが、そこへ辿り着くには思いのほか日数を要する。
このあたりの海岸近くには、南から北へ向かう潮の流れがあった。来る時は早いが、急流を遡る戻りには何倍もの時間がかかるのである。
船団は〝狼煙〟が上がればいつでも駆けつけられるよう、停滞した凪の海にしばらく待機していた。
無事任務を果たした彼らは、そのまま港町へは向かわず、無人島へと向かう。
岩陰から忽然と姿を現わした小さな島は、結界と防護壁で囲まれ、軍事的な施設の様相を呈しているが、実際はこれらの船を出した貴人の別荘、つまり個人的な所有物であった。
旗艦の合図を受けて海門が開き、護衛船を残して通り抜ければ、深みのある紺青の海に、白い砂浜で囲まれた陸地がぽっかりと浮かんでいる。
平屋の別荘は、いかにも南国リゾートという宣伝文句が似合いそうな建物だ。
甲板の高さに合わせて設けられた船着き場へ足をおろし、一行は浅黒い肌の従僕に案内され、美しい別荘の客間へと通された。
ちなみにシモンは、もはや自力で立つ気力もなく、灰狼に背負われてさっさと客室に放り込まれている。
海を一望できる広々とした客間には、樹の皮を編んだ椅子が脚の低い円卓を囲み、客人達の飲み物が既に用意されている。
「あまーい!」
「美味しいですわ!」
「なかなかだねぇ」
「うめーっ」
「いけるな、これ」
南方に生えている、ガナートという木の実の飲み物だ。
ガナートの見た目はモーニングスター、大きさはスイカほど、地獄の鬼が好んで振り回しそうな棘つきの鉄球に酷似している。
頑丈な殻を砕き破れば、皮の内側にはみっしりとアロエに似た透明な果肉がつまっていた。
たっぷり含まれた水分はミルクのように白く、すっきりとした酸味と甘さが絶妙なハーモニーを奏でている――らしい。
――推察しますに、〝ココナッツパイン〟に酷似した味わいでしょうか?
サイコロ大に切られた果肉が器の中にゴロゴロと沈められており、ジュースを飲みながら食べるという不思議な食感に、とりわけ少年少女が瞳を輝かせている。
少々なまったエスタ語で微笑ましそうに説明する従僕によれば、南方諸国では医者いらずの実とも呼ばれており、薬として使われる場合もあるとのことだ。
――これは是非、マスターにも試食していただかねばならない。
茶色い羽は世を忍ぶ仮の姿、真の姿は青い小鳥のARK・Ⅲは、造船技術に加えてガナートの輸入についても検討項目に入れた。
「夕食の準備できましたラ、およびしまス。どうゾ、ごゆっくりおくつろぎくだサイ」
従僕が客間を後にし、これで室内は身内のみとなった。
ウォルドが結界を張り、アロイスとメリエもそれに重ねる。
「コソコソしてる奴はいないぜ」
灰狼達が請け負い、誰にも聞かれる心配がないとしっかり確認した上で、ようやくゼルシカが言った。
「んじゃ、内緒話といこうかね。――あんたのその色、染めたのかい? それにアスファの耳にあるやつは何なんだい? それから……腰のやつ、例の聖剣じゃないかね?」
せっかちに繰り出される質問。だがこれでもかなり絞ったのだろう。
第三者が見れば女将の視線はアスファ少年に向けられているが、実際はその肩にとまっている小さな生物に固定されていた。
小鳥は性別の判然としない、抑揚のない声で淡々と答えた。
《順を追ってご説明いたします》
◆ ◆ ◆
ドーミアの討伐者ギルドの受付周辺は、依頼数の激減する真冬と、肉体自慢が空腹を訴える時間帯に人が少なくなる。
荒くれ者どもの第一波を捌ききり、午後の第二波が訪れるまでのひと時、職員達の間にはホッと緩んだ空気が流れていた。
が。
「ええええええ~っ!? アスファ君達、遠くへ行っちゃうんですかああっ!?」
「ちょ、ミュリちゃん、声、声大きいっ!」
無粋な甲高い悲鳴が空気を切り裂いた。
当然ながら、なんだなんだと視線が集まる。
「どおしてえ!? せっかくランク上がったのにやめちゃうのお!?」
「やめねえって! しばらく出かけるけど、また戻」
「やかましいわよミュリエル、何を叫んでるのあんたは!? 向こうの休憩室まで響いてきたわよ!?」
「あっ、イェニーせんぱい!! だってアスファ君達が討伐者やめちゃうって言うからっ!!」
「え!? やめてしまうの!? どうして!?」
「だから誰もやめるとか言ってねえ!! 話聞けよお!!」
「………」
受付のカウンターへ戻ってきたイェニーは、必死に否定するアスファ少年の様子からぴんときた。
「……別にやめたりはしないのね?」
「たりめーです!」
「当たり前ですわよ!」
新人討伐者パーティの曙光の剣メンバーは、仲間達と一緒に腹を満たし、ギルドの建物と繋がっている食堂から出てきた。
そこでたまたま手が空いていた受付嬢のミュリエルに声をかけられ、「何か依頼受けていきませんかぁ?」とすすめられたのだ。
『何日かかるかわかんねーけど、俺らもうすぐ用事で遠出する予定あんだよ。だからあんまし長期間になりそうな依頼は…』
――避けたいから短期で終えられそうな軽めの依頼はある? と少年が続ける前に、ミュリエルが叫び声を放った。
どうやら「遠出」の部分を「遠くへ行ってしまう」と誤変換したらしい。
「ミュリエル……あんたまた早とちりを……」
「大丈夫よアスファ君っ! いきなりひとつランク飛ばして上がっちゃったから、きっと注目されてプレッシャーになっちゃったのね! でもそんなの全然気にすることないのよっ! 大物狙わなきゃとかいい結果出さなきゃとか、そんな無理せずに小さい依頼を積み重ねていくだけでも、きちんと評価されるんだからっ!」
「だから違うって俺の話を聞」
「そうだわアスファ君、この依頼とかどうっ? これから貼り出す予定だった兎さんの討伐依頼っ! 今のアスファ君のパーティなららくしょーだと思うのっ♪」
「…………」
聞いていない。
カウンターの内側から取り出され、ずずいと突き出されたおそらく新品ほやほやの依頼書を見つめ、アスファ少年の胸に嫌な予感がもりもり湧きあがった。
(その依頼を通したのは誰だ……?)
ミュリエルは若く可愛らしい受付嬢である。
明るく、華やかで、ごつい野郎どもの人気者である――ただし、仕事が絡みさえしなければ、という注釈がつく。
彼女は時に、いやかなり頻繁に、討伐者の生と死の天秤を揺らがせる「極悪やらかし常習犯」として有名なのだった。
かつてアスファ達も、彼女が本来のレベルより低く見積もった魔物の討伐依頼を掴まされた経験がある。
その依頼は教官達に修行でまんまと利用され、かろうじて倒せた後に種明かしをされた。
それを知らないシモンも、最近とみに鋭さを増した勘で何らかの危機を察知し、逃げたそうな雰囲気を漂わせはじめた。
「……兎さん?」
「そ、うさぎさん♪ なんかね、依頼人さん達が街道の向こうの丘でちらっと見かけたんだって! 石ランクの簡単な依頼だから、アスファ君達ならお小遣い稼ぎを兼ねた気分転換になるんじゃないかなあ?」
「…………」
――〝村の近くで角の生えた兎を見かけました。心配なので増える前に退治してください〟
――〝石ランク パーティ依頼〟
「………………」
討伐者ギルドの依頼書は、魔物や素材などを描く専門の絵師がいる。平民以下は読み書きのできない人々が大勢いるので、読めなくとも絵やマークで依頼内容のあたりをつけられるようにしているのだ。
討伐や採集の依頼書で絵のないものは、すなわち事前情報が少なく正体不明という意味になり、大抵は高ランクに指定される。
魔物の絵は、なるほど、少々凶悪な角の生えている、凶暴そうなピンク色の兎であった。
しかしリーダーのアスファ少年は、下の文面にも慎重に目を通す。
そして吼えた。
「アホかああああッ!?」
「きゃあッ!? どどどうしたのアスファ君ッ!?」
「角兎じゃねえよこれ、剣山鼠じゃねえかあああッ!!」
「えええええッ!?」
「何ィ――ッッ!?」
「んだとぉぉッッ!?」
聞き耳を立てていたギャラリーがどよどよと集まってきた。
エルダが依頼書をひったくり、リュシーと一緒に血走った眼でそれを読む。
「件の兎の魔物は、額の中央に大きな角があり、その周りに小さな角が三、計四本の角がある。毛並みの色はインクのように黒く……剣山鼠の特徴ですわよこれ!?」
「金ランク級の魔物ではないですか!」
「おま、俺ら殺す気かよ!? つかなんでこの内容でこの兎描かせやがった!?」
「え、ええ~、だ、だってぇ、角兎さんはかわいいピンク色だし、四本も角生えた個体なんて聞いたことないしぃ……」
「アホかああああッッ!!」
「え~ん……ぐすん……」
「『え~ん』ですむかーッ!!」
「『ぐすん』じゃねえよおっっ」
「ミュリちゃあん、勘弁してくれええ……」
……絵師はギルド職員の注文で描きはするが、字を読めるとは限らないのだった。
絵師に罪はない。
そして依頼人は街道を利用する村人達であり、魔物について詳しくなかった。騙す意図など欠片もなく、正直に魔物の特徴も伝えていたのだから、依頼人にも罪はない。
ちなみに剣山鼠は、耳が長めに垂れており、尾が短く、遠目には兎と見紛いやすい。
が。接近すればその巨体は角兎などとは比較にならず、パワーも凶暴さも桁違い、さらに毛並みは柔軟な針のように硬かった。
繁殖力が強く、一匹見かければ十匹以上いると言われ、単体ならば銀ランクで倒せるものの、討伐依頼では必ず金ランクを含めた複数のパーティが指定される。
イェニーが大慌てでギルド長を呼びに行き、ユベールが討伐者達に緊急招集をかけた。
「銀ランク以上にできるだけ声をかけろ、至急だ! ――アスファ、君のパーティも参加しろ。ギルド長権限で許可する」
「や、やっぱりかよ……」
「なんてこった、ですわ……」
「最悪ですね……やはりこういう展開になりますか」
「ひ、ひええ……」
アスファ達の青銅ランクでは本来、受けられないはずの依頼再び。
おおごとになってしまい、ミュリエルは「しょぼーん…」とうなだれていた。
「しょぼーん…」で済ませるあたり、ある意味彼女も大物である。
そして光輝の輪、星風の翼、孤高の矢などの高ランクパーティにまざって、蓋を開ければ百匹近くまでふくれあがっていた魔物の群れは無事に殲滅された。
アスファ達はこれを機に鉄ランクになった。
◇
「ユベール様。あの小娘、何故クビにならないんですの?」
「俺も超同感です」
「私も。不思議でなりません」
「すいません、僕も思いました……」
「いやあの……それがだね……」
「ギルマス、別にクビにまでするこたぁねえぞ!」
「そうだよ、ミュリちゃんも健気に頑張ってんだ!」
「そうだ、俺らが気ぃつけりゃいいだけの話だぜ!」
「賭けみてぇなもんだと思や楽しいぜ? この依頼は吉と出るか凶と出るかってな!」
「はらはらスリル味わえるんだぜ、運も実力のうちってな!」
そうだそうだ、と野太い声が唱和し、アスファ達はミュリエルが未だ安泰である裏事情を悟った。
「……男って」
「……はっ……」
「どいつもこいつも……」
女性陣が冷たく吐き捨て、アスファとシモンとユベールは小さくなる。
何にせよ、遠出の前に軽く小遣い稼ぎをするつもりが、曙光の剣メンバーには思いがけぬ収入とランクアップになったのであった。
余談ではあるが、この日以降、読み書きの重要性に目覚めた者が大勢おり、ドーミアの討伐者ギルドの識字率が向上したらしい。