175話 こじれた兄と弟 (後)
久々に日をあけずの投稿です。
ドニは館を追い出されて以降、これまでどのように過ごしていたかを包み隠さず話した。
くだらない矜持を抱え続け、窃盗で投獄され。
浮浪者として極貧生活を送り。
経験の浅い運び屋の仕事で、知らず怪物の〝種〟を運ばされ、そして何が起こったかも。
「私がその仕事を受けなかったとしても、きっと別の誰かが運ばされていたでしょう。しかしそんな仮定の話で、己の愚行を帳消しにできるとは思っておりません。何より私は、受けざるを得ない状況に追い込まれておりました。たとえあの怪物に関わらなかったとしても、結局は別の何事かに利用される展開になっていたであろうと思います。すべては己の浅はかさ、弱さのせいで」
「…………」
その件がきっかけで〈黎明の森の魔女〉に拾われ、〈門番の村〉で生活していることも話した。灰狼を伴っている時点で、ドニが現在どこに住んでいるかなどすぐに判明する。
エクトルが一連の黒幕や出資者に噛んでいそうであれば、揺さぶりをかけて反応を見られるし、噛んでいなければ身内として警戒を促せる。
どちらにせよ、ドニに関する事柄に限定すれば、すべてを打ち明けて構わないと魔女には言われていた。
できるだけ要点をまとめてきたけれど、やはり長い話になってしまった。
ドニが話している最中、エクトルは余計な問いを割り込ませたりせず、腕を組み、難しい表情でただ耳を傾けていた。
そして灰狼達は相変わらず、「誰だこれ」「ドニが他人と入れ替わってる!?」と密かにうろたえている。
もしかして、どこかで変なものでも食べたのだろうか。
「……以上が、これまでにあったことです」
「…………」
兄は押し黙ったまま、腕を組み変えた。
そして口もとに手をやり、眉間の気難しそうな皺をますます深めている。
何かを考え込む様子だと見て取れたので、ドニも下手に声をかけられず、息苦しい沈黙がおりた。
それから、どれほど経ったのだろうか。
「私は……」
重々しい口調で、エクトルが低い声を発した。
「私はな、ドニよ……」
「は、はい」
「私は………………弟が、欲しかったのだ……」
「………………はい?」
突然、ドン! と握り拳をテーブルの上に叩きつけた。
茶器が衝撃で浮き上がり、がちゃんと音を立てる。
「あ、兄上?」
「私は!!」
「は、はいっ?」
「私は弟が生まれたと聞いて、心底嬉しかったのだ!!」
「――――はい?」
「学友どもの弟妹自慢を聞かされては、心底羨ましかった!! 父上から『立派な兄になれ』と言われ、『兄として弟を守り導いてやるのだ』と言われ、そうすると約束した!!」
「は……え……?」
「たかが位の低い第二婦人ごときの息子がどうのと、母上がなんぞネチネチ口やかましく言ってきたが無視した!! 弟は弟だ、母同士の諍いなんぞ、子になんの咎がある!! 母上同士の角突き合いは父上に任せておけばよいのだ、我らの知ったことではない!! 兄弟が兄弟をやって何が悪いというのだ!? そう思わんか!?」
「は、はいっ、兄上の仰る通りで――え、え……?」
反射的に肯定しつつ、ドニは息を荒げる兄を呆然と凝視していた。
まくしたてた後、エクトルは額に手を当て、背をまるめてテーブルにどかりと肘を突く。
怒鳴ったせいか顔面が真っ赤になっていた。
……ついでに耳も赤くなっていた。
つられてドニも「ええええ?」と赤くなる。
いい歳こいたおっさん同士が赤面。
目に優しくない光景であった。
灰狼達が「俺帰っていい?」「置いて行くな」「むしろ俺が帰る」「まあまあ」などとぼそぼそする一方、老執事は微塵の動揺も感じられない無表情。さすがである。
「だというのに、おまえという奴は……!!」
「ももも申し訳ございませんっっ!!」
「何が申し訳ないかわかっておるのか!? せっかく並み以上の頭を持って生まれつきながら、ろくに磨かず遊びほうけて、真の阿呆どもに舐められおって!! あの頃父上の金遣いが荒いと噂が流れたのは、何も知らぬ他人が無責任な噂を広めおっただけで、実際は先々代の頃に放置されていた領内の工事や産業への投資などに使われておったのだ!! それをきさまは、馬鹿どもが『父君だってこのぐらい遊んでいらっしゃるでしょう』などとほざくのを、まるっと信じ込みおって……!!」
「そ、そそそそんなことが、ありましたね、はい……」
父が大金を使って遊んでいるのだから、息子である自分も遊んで当然と、当時のドニは信じ込んでいた。
――今にして思えば、あの頃周りにいたのは、裕福な伯爵子息に寄生し、自分も贅沢のおこぼれにあずかろうとする害蟲の典型ばかりであった。
思い返せば父も兄も、そんな連中を警戒して遠ざけようとしてくれていた気がする。
しかし全員を退けるには至らなかった。他者との関わりを完全に断つわけにもいかなかったからだ。
ゆえに、もっと慎重さを覚えよと、何度も注意してくれていたのに――ドニが耳を貸さなかったのだ。
取り巻きになりたがる者どもは、甘く優しい言葉ばかりをこれでもかと降らせて悦ばせてくれる。
身内を想っての忠告の言葉は、大概耳に刺さって痛い。
まんまと周囲に腐らされ、利用されて金をばらまく放蕩息子が出来あがってしまった。
それは周囲のせいとも言えるし、楽な方向ばかりへ流れたドニの自業自得でもあった。
その経緯は、バシュラール公爵令嬢のフラヴィエルダが辿った道とほぼ変わらない。
そしてエクトルが、ドニの母親が、とうとうドニを追放したのは彼を嫌ったからではなく。
領地を治める者として、守るべき民がいたからだ。
周りに乗せられ、遊びほうけるドニの遊興費は、一部が領民の税から出ていた。
貴族の買い物は、常に金貨を持ち歩かずとも、「請求は我が家へ」とサインひとつで成立する。それで一時、途方もない額の請求書が大量にデュカス家へ届いており、あわやドニの母親が責任を取って自害するとまで言い出す事態になっていた。
(そそそ、そんなことが、あった、あったな……!?)
ちなみにドニはあの時、泣いて怒る母親に「ああもう、大袈裟だな!」とうんざりしながら両手で耳を塞いでいたのだった。
最低息子である。
暗黒の歴史が続々とよみがえり、額に脂汗が滲んできた。
家を叩き出されて至極当然だとドニは心から思った。むしろそんな奴追い出せと自分でも思った。
申し訳なさのあまり、もはや謝罪の言葉すら出ない。どんな謝罪文句をひねり出しても陳腐になりそうだった。
「お、俺って奴は……」
ずーん……と土気色になり、想像の中で自分用の墓穴をせっせと掘り始めた。
◇
積年の鬱憤を吐き出し、幾分すっきりしたのか、エクトルは瀕死の弟に「それで?」と先を促した。
「おまえは近況報告をしに来ただけか?」
「あ…………はい。その、近況というか生存報告といいますか……私が牢から出る際のことなのですが」
「ふん?」
「……私の身分証がどうなったか、ご存知でしょうか?」
「身分証? 何故だ?」
エクトルは怪訝そうに眉をひそめた。
「平民の身分証です。私にはそれが与えられるはずですよね?」
「何だと?」
本気でわけがわからないと言いたげだ。
心拍数の上昇を覚えつつ、ドニはさらに尋ねる。
「貴族の身分を剥奪されれば、奴隷にでもならない限り、平民用の身分証が発行されて交換になる――法ではそうなっていますでしょう?」
「……何を言うかと思えば。おまえの籍はそのままだ、交換も何もなかろう」
「え!? そのままって……ですが私は……」
「行方不明の届けは出したが、身分証の対になっている魔道具で生きているのは明白だからな、死亡届なんぞも出すわけが――いや待て、身分剥奪になると何ゆえ思い込んだ? もしや身分証を紛失したのか?」
「――……」
ドニはあえぎ、泣きたくなるのをすんでのところで堪えた。
(兄上は、ご存知なかったんだ)
兄ではなかった。彼が弟を陥れたのではなかった。
「牢から放り出される際、役人風の男が言ったのです。私はもうデュカスではない、身分証などないと」
「なに!? そんなわけがあるか、除籍の手続きなぞ誰もしとらんし、させてもおらんぞ!? ――そのはずだな!?」
「はい、旦那様」
執事が厳しい顔で肯定した。
ドニ=ヴァン=デュカスは、現在もこの家の一員で間違いなく、その身分は未だに保障されている、と。
「王命による剥奪であっても正当な理由が必須となります。第一に、ドニ様は公金を横領されたわけでも、殺人や違法人身売買といった重犯罪に手を染められたわけでもございませんでしょう。勘当され家からお出になろうと、身分そのものが消えてなくなるなど有り得ませぬ」
「……嘘じゃねえぞ、これ」
「ああ……こいつはマジで知らなかったみてえだ」
灰狼が小声で交わした。彼らは精霊族のように他者の感情を読む能力など備わっていないが、嘘をつかれればわかる。偽りを口に乗せる者は、声の調子や、においなどが微妙に変化するのだ。
精神操作を受けている不自然さもない。
この兄も、執事も白だ。
(大嘘こいて、ドニの身分証盗んで隠しやがった奴がいる)
(つーこた、あれだ。ドニせんせーがもし知らないまんま、自棄んなってマジで重大犯罪とかに手ぇ出してたら……)
(最悪この兄貴、連座? ってやつ? でなくとも、絶対すげえ疑われるよな……)
ドニは半ばあきらめつつ、兄が関わっていなければいいとどこかで祈っていた。
同じように、エクトルも弟が変わってくれていたらいいと願っていた。
家から追い出し、母親の死に立ち会わせてやれなかった負い目もある。
護衛の同席を許したのも、弟から憎まれ、信用されていなくても仕方がないと感じていたからだ。
「詳しく説明しろ」
「はい、兄上」
牢であった出来事の詳細を改めて説明し、ついでに魔女の見解についても話した。
エクトルは〈黎明の森の魔女〉について、それなりに噂を耳にしていたものの、さすがにそれについては半信半疑だった。
「魔術士ではなく、おとぎ話のごとき〝魔法使い〟と噂だが……事実なのか? どうにも信じ難いのだが……」
「事実ですよ。私もまさかと思いましたし、あれは一度会ってみないとピンとこないと思います。〈門番の村〉に訓練場があって、お弟子さんに教えてるのを見学させてもらったのですがね、まあ凄まじいのなんのって……本人平然とされてるんですが、素人目にもとんでもないことやってらっしゃるのが一目瞭然ですよ」
「そんなにか」
「そんなにです。でも一番とんでもないのは、ここと、そら恐ろしいほどの情報収集力でしょうね」
ここ、と言いながら、ドニは人差し指で己の頭をつついた。
「誰の目にも明白な悪役の消えた今、あらゆる状況が『疑わしいのは兄上』だと言っておりまして。でもセナ様――魔女様は、『まだ断定できない』と仰られたのです。私も、違っていれば良いと思いながら、兄上にお会いしに参った次第です」
「ふん……グランヴァルの次はデュカスへと、疑惑を誘導している何者かがいる、と……?」
「あるいは、兄上の近辺に……」
「なるほど、な」
エクトル=ヴァン=デュカスの顔面に、ぴきぴきぴき、と血管が浮き上がった。
(――あ、兄上、こないだセナ様にいただいたメロンの皮みたいになってますよ~っ?)
控えめに言って怖い。血管が切れないか心配だった。
「あーと、伯爵さん? 殺る気んなってくれるのはいいが、マジでやばそうな時は突っ込んで行かずに、ウチの村へ連絡してくれよ?」
「ふ、承知しておるわ。腕が鳴ると思っておるだけだ」
「いや承知してねえだろ!?」
伯爵は好戦的な御仁であった。
「我が家は、この国に吸収され滅びた旧王国の貴族だった……なるほど、あやしかろうな。私とて親族の中に、そのような不心得者など確実におらんとは断言できぬところが口惜しい」
「兄上……」
「徹底的に調べ、おまえを通じて結果を魔女殿とやらに共有する。それで良いか?」
灰狼の言動に「無礼な!」と怒るでもなく、堅苦しそうな雰囲気とは裏腹な懐の深さ、柔軟さ。
ドニはつくづく、昔の己を張り倒したくなる。
「ありがとうございます。……では兄上、これをご覧ください」
懐の合わせから、一束の冊子を取り出した。
「デュカスについて、セナ様が既に調べられた範囲を書き出しております」
「こ、これは……なんと……」
「この地の歴史や、他家との関わり、危険と思われる人物、その他。すべてではありませんが、私が見た分にはかなりの部分を網羅してある印象を受けました」
「あ、ああ、相違ない……いや、その程度では……これほどのことをよく……」
「ですが兄上の立ち位置が不明だったのです。なので白か黒かを見極め、白であると判断できれば、これをお渡しするようにと。――徹底的にと仰られましたが、どうかご自身の安全を優先し、慎重にお振る舞いください。などと、私が偉そうに言える立場ではありませんが……」
「う、うむ……承知した。……無茶はするまい。そしてここに記載のない追加事項などが判明すれば、おまえに連絡するとしよう」
「はい。お願いいたします」
驚愕に目を見開き、冊子をめくる兄の手つきを見ながら、ドニは「そりゃびっくりするよなー。なんかすんません兄上…」と心の中で詫びていた。
だがこれで、あの魔女を侮ってかかるのが何よりまずいのだと、一番大切なことはしっかり伝わってくれただろう。
◇
その夜、灰狼を含めた全員分の客室が用意され、兄弟は十数年ぶりに水入らずで語り合った。
弟が下戸で甘党だと忘れていなかった兄は使用人に命じ、酒の代わりに最高級の茶葉と、高価な果物の砂糖漬けを準備させた。
茶で酔っぱらった兄に、耳に痛い過去のお小言を蒸し返され、と思えば妻が娘を連れて里帰り中だ可愛いんだぞと独り身にはきつい嫁と娘自慢を聞かされ。
気付かなかった父から息子への思いやり、母の弔われた神殿の話や最期の言葉なども聞いて、ドニは少し泣いた。
ドニはエルダさんと同じく、無責任な他人に必要以上にチヤホヤされたせいで、親と兄の言うことを聞かなくなったお坊ちゃまでした。
お兄さんは実際厳しい人物なのですが、弟想いの愛妻家。自分の母がきっつい性格で第二婦人を虐めてたので、自分は奥さん二人もいらないと思ってます。