表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
169/316

168話 姫君の奮闘 (5)


「まあ……素敵なお部屋!」


 世辞ではない感嘆が口から漏れた。こぢんまりとして、王女宮と比較すれば使用人部屋のような狭さである。けれどまったく気にならず、むしろ魅力のひとつにすら思えた。

 黒髪の女性が「よっしゃ」と拳を握る。

 ……「よっしゃ」とはどういう意味なのだろう? 首をかしげつつ、フェリシタの好奇心は室内の様子に釘付けになった。


「まるで、物語の挿絵に出てきそうなお部屋だわ……眺めるだけでワクワクしてしまう」


 言った後で、少し子供っぽい発言だったかしら? と恥ずかしくなった。

 傍らを見上げれば得意げな笑みが返り、すぐに杞憂だったと悟る。


「そうそ! まさにそういうイメージだよね。灰狼の村はこんな石造りの建物多いんだけど、精霊族(エルフ)は木造っていうか『樹の中が家!』ていう状態なんだよ。右を見ても左を見ても空想物語で童話の世界。ここも秘密の書斎だったり隠し部屋だったり、何かの物語が展開しそうな雰囲気じゃない? こういう雰囲気が好きなんだよね~」

「ええ、ええ。そうですわね。わたくしもここがとっても素敵だと思いますわ。樹の中に家、ですか? それも見てみたいですわね」

「面白いよー、でも余所の人だと(さと)の中でも確実に迷っちゃうから、見せてあげらんないのが残念……って、ごめんね、私ばっかり喋って。そこの椅子に座ってくれる?」


 寝台の横にあった椅子に、促されるまま腰を下ろす。

 この部屋全体の配色や雰囲気が、本当に王女の好みに合致していると気付き、ターシャがどことなく嬉しそうに脇へ控えた。


「私は部屋の外におりますので、御用があればお呼びください」

「ええ、ありがとう」


 ラ・フォルマ子爵は室内に足を踏み入れず、そのまま廊下で待機した。

 建物の周辺に、さりげなく女性の灰狼が配置されているのに気付いてはいたけれど、護衛として同行を命じられた以上、それを放棄していい理由にはならない。


「ごめん。すんごく今さらなんだけど、私、丁寧語とか全然使ってないわ。ほんとは、きちんとお上品にお出迎えするつもりだったんだよ、これでも……」

「そ、そうなのですか? いえ、ご無理を押しつけてしまったのはこちらのほうなのですから、どうかお気になさらないでくださいまし」

「今から丁寧語にしたほうがいい? それともこのまんまの口調でいい?」

「それは…………そのお言葉遣いのままで、結構ですわ」

「了解! ところで、そっちはその口調が素? いつもそんなふうに話してる?」

「あの……ほぼ素ですけれど、お恥ずかしながら、侍女達と話す時はもう少し、くだけた言葉遣いになると思いますわ」

「じゃあ、ここでもくだけた話し方でいいよ、旅行客のお嬢さん。いちいち恥とかなんとか文句つける奴はいないからね」

「あ、……ありがとう、ございます……」

「そのためにもまずはこっちだな! 靴脱がすよ、痛かったら言って」


 勢いに押され、フェリシタも頷くしかない。

 男性の視線がなくなったので、心おきなく――というにはまだ羞恥が勝るけれど、足を見せた。


「あーやっぱり、擦り剥けちゃってる」

「あ、あの……わたくし、転んだりぶつけたりはしていないのですが、歩くだけでこのようになるものなのですか?」

「えっ? 靴擦れって知らない?」

「は、はい。初めて体験いたします」

「わお、マジか……そういや社交ダンス……社交界の集まりで異性同士が踊るっていうの、なかったねこの国……」

「え、ええ、そうですわ――そうですね。外国では、婚約者探しのために殿方と踊る催しを行うところもあると聞いています。我が国で未婚の異性同士が踊るのは、平民の祝祭ぐらいでしょう」


 この国の王侯貴族にとって、舞踊とは芸人のやることだ。身分高き者が舞い踊るなどはしたないことであり、未婚の異性同士で密着して踊るなどもってのほかなのだった。


(おおう……、こういうのもカルチャーショックっていうのかな?)


 ヨーロッパ風だが、舞踏会はない。

 貴人女性は矯正下着をつけているけれど、悪名高いガチガチのコルセットではない。

 出入口で引っかかって通れなくなるほどドレスのスカートを肥大化させたりはせず、ふんわりとしたアンダースカートで自然にふくらませるデザインになっている。だから「椅子に座って」と言われれば、普通に座れる。

 少なくとも、衣類については女性の身体に優しい国だった。

 赤ん坊のように滑らかな足に、痛々しく赤い箇所が散らばるのを見やり、つい溜め息をつく。


「靴擦れっていうのは文字通り、靴の中で足が擦れてこうなるものだよ。長時間歩いても問題ないこともあれば、ほんの数分歩いただけで剥けることもある」


 そもそもこの靴はどう見ても、旅路に向いた靴ではなかった。水差しの水を布にかけ、足首から下の全体を軽く拭きとりながら、靴擦れの何たるかを説明する。

 フェリシタは顔を赤らめて恥じ入った。マイエノーラからは歩きやすい靴をと言われていながら、歩くことをほとんど想定していなかったのに気付いたのだ。

 世間知らずの少女を責めるでもなく、不思議な雰囲気の黒髪の麗人は、赤く擦り剥けた部分にひんやり冷たい軟膏を塗り、薄く半透明の何かをぴっちりと巻きつけた。


「これは…?」

「軟膏は消毒と回復のお薬。この薄いのはね、とある魔物の皮」

「ま、魔物ですか?」

「もとの見た目があれなので詳しく訊かないほうがいいよん。完全防水だから、これでお風呂入っても大丈夫~♪」


 お風呂。

 どうやら、よほど自信があるらしい。

 客をもてなすためだけでなく、自分が好きだから他人にも広めたい。そんな感じであった。


(お風呂……そんなに、いいものだったかしら?)


 ぬるい湯で半分程度を満たした浴槽に腰まで浸かり、何名もの侍女に身体を洗われる。

 それが日常である王女には、ぴんとこないのだった。





 その後、侍女のターシャまでが実は靴擦れになっていたと判明し、恥ずかしがって嫌がるのを半強制的に手当てを施され、ようやく温泉というものへ向かうこととなった。

 借りた布製の室内履きに履き替え、消えた痛みにほっとしながら、女性陣は廊下で繋がる別棟へと移動する。


「というわけで、ここからは男性立ち入り禁止です。子爵にも男湯の準備してますから入ってきてください。場所はわかりますよね?」

「しかし……」

「この周辺、みっちり警備敷いてますから安心してくださいって。ていうかあなたが外でずっと待ってると、この子が落ち着かないんじゃないかと思うんですが」

「……」

「というわけで、お嬢様が心おきなくくつろげるようにお願いします。余所だと油断大敵なんでしょうが、ここであなた方にくだらないちょっかいかける奴はいませんから」


 内心では納得しつつ、それでも勝手な判断はできかねるので、子爵はフェリシタに視線で問いかけた。


「わたくしは大丈夫です。仰る通りに」

「……わかりました。では、この御方をお願いいたします」

「はい、ご安心くださいな」

「それから、私に対してもどうか普段のお言葉遣いでお願いいたします」

「……りょーかい」


 主君がタメ口を使われているのに、臣下の自分が丁寧にされても困るというわけだ。

 笑顔で返しながら、森の主は内心「王族ってめんどくさ…」と辟易していた。

 これで名目上〝お忍び〟でなかったら、もっと大勢の侍女や侍従や護衛騎士がぞろぞろ付き従い、もっと面倒くさいやりとりが必要になったはずだ。

 決して頭の固い人間ではないラ・フォルマ子爵でさえ、この調子なのだから。

 気を取り直し、いざ女湯へ向かう。


「じゃーん! どうだ!」

「こ、これが、温泉なのですか……!」


 王女宮の浴室も豪奢で広かったけれど、浴槽は王女ひとりぶんのサイズしかなかった。

 要するに、世話係のために部屋のスペースが広く設けられているだけであって、厳密に風呂そのものが広いとは言えない状態だったのだ。

 それにこの、もうもうと白い、雲の中と錯覚しそうな湯気。


「ここは女性用で、男湯は別棟にあるから気兼ねなく入れるよ。別の場所にもう一ヶ所あって、今回はお客さんいるからこっちは使わないでね、って通達してある。贅沢貸し切り状態だよ~」


 ところがここでもひと悶着あった。ターシャが「殿下に公共浴場なんて…!」と渋ったのである。

 彼女は自分が王女の身体を洗うつもりだった。王女宮では風呂係の侍女がいたけれど、今回は同行していないのだから。

 つまり彼女もまた、フェリシタと同じ〝いつものお風呂〟をイメージしていた。浴室や浴槽の雰囲気、使われている石鹸の種類などがどのように違うのか、そういう方向に想像力を働かせていたのだ。


(アレ? ……ひょっとしてこの二人、主従揃って箱入り?)


 フェリシタに関しては、博識さと頭の回転の速さは疑うべくもない。

 ないのだが――どうも、小難しい分野には明るく、平凡な分野については知識不足の、偏った世間知らずだったみたいである。


「あー……一応、訊くだけは訊きますけど、侍女さんも私達と一緒にお風呂入ったりは……」

「わ、わたくしが殿下と同じ湯につかるなど!?」


 死にそうな形相で「畏れ多い!」と全力拒否されてしまったので、森の主は遠い目で「ですよねー」と返すしかなかった。

 これはまあ、仕方がない。主従のけじめは大事なのである。いくら気安かろうと、王族と侍女の関係としては、お風呂できゃっきゃうふふなど断じてしてはならない。


 ところで、〝お忍び〟とはいったいどういう意味の言葉だったろうか?

 先ほど思い切り「殿下」と叫んだ人物がいるのだが。空耳だろうか。


「――つうか。私ゃさっきから『お風呂に入ろ♪』としか言ってないでしょうが? 単に風呂入るってだけで、なんで戦地に赴くかのよーなやりとりさせられてんの!?」

「え、あの……」

「その……」

「めんどくさ! というわけで切り札を切らせてもらいます」

「き、切り札?」

「今この場で一番偉いのはわ・た・し。だから二人とも大人しく言う通りにしなさい!」

「えええっ?」

「問答無用!」


 数分後。

 ターシャは別棟にあるもう一ヶ所の浴場へ向かい――案内は灰狼の女性に頼んだ――森の主と王女は、ようやく温泉タイムと相成るのだった。




思わぬところで世間知らずぶりが判明したお姫様でした。

子爵は時と相手に応じて一人称を「僕」と「私」で使い分けています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ