165話 姫君の奮闘 (2)
誤字脱字報告いつもありがとうございます、助かります。
だいぶ間が開きましたが第2話です。
瀬名は伝書鳥の報せを受け取り、素っ頓狂な悲鳴をあげた。
「お姫様が来るうぅ!?」
――第一王女フェリシタが、この森にやってくる。
しかも、既にあちらを出発しているとのこと。
遠路を大幅にショートカットできる秘密の森が、王都を出て北の方角にしばらく行けばもうひとつあり、伝書鳥が早いか差出人の到着が早いかというタイミングになるらしい。
つまり、これからいつ着いてもおかしくはなかった。
「来るのはいいよ、いいんだけどさ? なんでもっと早い段階で連絡くれなかったの……!」
前々から伝え聞いていた姫君の評判、加えて今回、精霊族のマイエノーラが秘密の道の情報を共有して問題ないと判断した人物なので、おもてなしをすること自体に不満はないのだ。
ただし、こんなふうに電撃アポなし訪問をされても困る。ロイヤルな方々のもてなし方法など瀬名は知らないし、何より準備時間が足りない。
これが他の王族なら門前払いをくれてやるのだが、ライナスの婚約者ともなればそうはいかなかった。
故郷の森から呼び出しのあった弟二人を見送り、長兄のシェルローヴェンが瀬名のもとに戻ったのは、ちょうど彼女が〈村〉の広場のテーブルに額を打ちつけている瞬間だった。
青年は文面にざっと目を通し、「大丈夫だろう」と軽く肩をすくめる。
「礼儀を欠いているのはあちらのほうなのだから、せいぜい知人の上品な箱入り娘を出迎える程度の気構えでいればいい」
「要するにそれは『解決策は皆無、潔くあきらめろ』という意味でしょうか」
瀬名はテーブルと頬を仲良くさせたまま、恨みがましい上目遣いで睨んだ。
上品な箱入り娘のもてなし方? 野性味あふれるこの村で、なんと困難なミッションではないか。
(エルダさん? ……コメントを差し控えさせていただきます)
ともあれ、心情的に門前払いで片付けられない客人ほど、厄介な客人はない。
悪感情はないし、来るなと言いたいほどではないけれど、来られても困る。本物の繊細なお姫様となればなおさらだ。
「ふっつーの人より、ちょい上品めな対応、ぐらいでいいのかな? 王族用のマナーなんて、今からじゃ誰も憶えられそうにないし」
「瀬名のやりたいようにやっていいと思うぞ? それが理解できずにあれこれ文句をつけてくる手合いなら、ライナス殿達からそのような話があるはずだろう。お忍びである以上、大仰な歓待など望めぬと承知しているはずだ」
シェルローが言い、瀬名はふむふむと頷いた。
「でもさ、仰々しい接待なくてもいいからって、突然『来ちゃった♪』なんてされても迷惑だよ。宿泊場所と食事の用意はこっちがしなきゃいけないんだからさ」
「そうなのだが、今回限りで大目に見てやってくれ。おそらく焚きつけたのはマイエノーラだろうからな」
「マイエさんが?」
「王女は以前から口には出さないが、一度瀬名に会ってみたいと希望している様子があったらしい。だがそこらの貴族令嬢と比較して、自由にできる時間が遥かに少ない。元王女アレーナが身分を剥奪される前からも、王の娘に求められる公務は、すべてフェリシタ王女に集中していたそうだ」
「うええ、お姫様って確かまだ――十四歳、じゃなかったっけ? 何歳の頃から働いてんの。そんな小さい子に仕事押し付けるなよ、なに考えてんだ最近の王族は」
市井の少女の憧れの定番は、「お姫様になってキラキラ素敵なドレスを着てみたい」だろう。
では当のお姫様なら、いったい何に憧れる?
「きっと常日頃から『風になってどこかへ飛んで行きたい』って願いながら、窓を眺めてるんだろうなあ……切ない」
「ま、まあ、そうかもしれんな。生真面目という話だし、王の娘の矜持にかけて容易には認めんだろうが」
彼方の空を見つめながらしんみり語る口調に、シェルローはあやうく噴き出しそうになる。
「……話を戻すが、瀬名が遠出をすると聞いて、その前にと時間を調整した結果、ギリギリになってしまったのかもしれん。非公式であちらから出向いてくるあたり、こちらへの配慮はあると思うぞ」
笑い含みで王女を擁護しつつ、シェルローは内心、強行させたのはマイエノーラだろうと踏んでいた。
瀬名は己に関する噂話や世間一般の評価など、いちいちチェックしていない。気にし始めたらキリがなくなるので、実害のありそうなものだけ小鳥に報告させている。
ゆえに現在進行形で、王女殿下の抱いている危惧や苦悩などの原因の一旦、というよりほぼ大元が、自分自身であることなど知りもしなかった。
王女の危惧。
大いなる世の流れから、王家が取り残されてゆく――その流れを起こす中心に自分がいるなどと、瀬名は微塵も思っていないだろう。
そう言われたところで、全力で否定するに違いない。彼女の思惑がどうであれ、結果的にそうなっているのだと指摘しても、断じて認めはしないだろう。
ただし現実は無情、いくら彼女が己の凡庸さを声を大にして主張しても、もはや誰もそれを信じない。
(だからこその我々、なのだろうな)
脳裏に青い小鳥の姿がよぎり、シェルローの瞳から笑みが消える。瀬名に悟られないよう、さりげなく瞼を閉じて隠した。
この世界において、瀬名や彼女を取り巻く存在のすべてが異質だった。
それを暴きたてようとすることも、無駄に恐れて攻撃することもなく、ただ彼女を信じて傍らにあり、守ろうとする存在。
まず最初に小鳥がそれを求め、合格点を与えられたのが自分達だった。シェルローは正確にそう読んでいた。
選ばれたことに不服はない。そうでなければ、あの小鳥は自分達の排除に動いたに違いないのだから。
あらゆる意味で鋭い嗅覚を誇る灰狼の群れも、瀬名に対してはあっさり心酔した――というより懐いた――一方で、小鳥に対する警戒心は、シェルロー達の抱いているそれと大差がなかった。
あの小鳥は今、珍しく瀬名の傍を離れ、某少年に同行して南へ行っている。
嵐の神【エル・フラーマ】の加護を得た女将ゼルシカ。
断罪の神【エレシュ】の加護を得た神官騎士ウォルド。
そして某少年――果ての神【エル・ファートゥス】を従えた、半神あるいは勇者たる【アーゼン】の少年アスファ。
さらには長らく人族と断絶状態にあった精霊族と。
特定の権力者などには尾を振らない灰狼の部族。
これだけの面子が、この王国の辺境で、たったひとりの魔女のもとに集まっている。
アスファに関する情報は、神殿の上層部以外にはあまり広まっていない。あの少年も瀬名に負けず劣らず、自分がそんなものだと聞かされたところで、微塵も信じられないのではないか。
ゼルシカやウォルドのような〝加護持ち〟は、神々の助力によって潜在能力を開花させ、時に神々の力を借り受けて発現させる、人ではなく神によって選ばれた神官だった。
アスファの場合、血の中にもとからその因子が入っている。すなわち、魔族の末裔であるリュシエラと対極にいる存在がアスファなのだ。
太古の時代、人の世に顕現する際、生身の肉体を持っていたとされる一部の神々の、その遠い末裔。多くの国々で、遥か昔に血が絶えたとされているが、神殿は根気強く子孫を探し続けてきた。
古い資料、気まぐれな神々のわずかな神託、時には占術などにも頼りながら、とうとう神殿はアスファ少年を見つけてしまった。
その時に何が起こったか。
多くの神々の末裔達が、自らの存在を世界から隠し、葬り去ろうとした最大の理由がまさにそれだった。
不都合な歴史をおいそれと表に出したくない気質が、似たような過ちを繰り返す悪循環を招いてしまっている。
そう、過去にもあったのだ。半神あるいは勇者たる存在を担ぎ上げて戦を起こしたり、疑心に囚われた王が暗殺者を差し向けたり、濡れ衣で投獄したりと。
華々しく讃えられながら、実態はさんざんに利用され、貪られ、平穏に幸福な生涯をまっとうできた者は少ない。
(父親側の血だろうな。とはいえ、存命であったとしても、血が相当薄まって只人と変わらなかったろうが)
隔世遺伝、先祖返り――もし説明してやったとしても、当の少年は「は? いや、俺違いますから!」と、全力で拒否しそうだった。
ちなみに瀬名は博識だが、何を知っていて何を知らないかが曖昧だと判明し、知識のすり合わせと再確認をかねて、このことをすべて話してある。
話し終えた後、何故か見晴るかす大海原のような心象風景が拡がった。……とても寛容で、すべてを深く受け入れてくれそうな波動を感じられた。
半眼になっていたので、要するにまあ、そういう心境だったのだろう。
ともあれ、幼いながらも優秀な姫君は、王家の中で唯一、現実が見えてしまったのだ。
王家が何ひとつ期待されていないことを。
使っている〝影〟が優秀なので、アスファや加護持ちの面々に関しても、ある程度は情報を得ているようだ。
真面目で潔癖な少女は、夢の中の花畑でふわふわ遊んでいる父王や兄王子達を横目に、マイエノーラへ現実を問いかけずにはいられなかった。
そして理知的で真面目そうな外見に反し、中身は結構いい加減で気分屋なマイエノーラは、答えあぐねて「当の魔女本人にいろいろ聞いてみたら?」と丸投げしてきたわけだ。
シェルローはうっすら危険な微笑みを浮かべながら確信していた。寿命が長いと、同郷の同胞とは付き合いがとことん長くなるので、思考の傾向を掴むのはお手の物である。
王女にそれっぽいことを吹き込んで、常識破りのお忍び旅行を敢行させたのは、間違いなくあの女だ。
「あ、あれ? シェルローさん? なんか顔こわくない……?」
「気のせいだ。わたしの顔より、そろそろ客人の部屋を準備したほうがいいのではないか? 村人への通達も要るだろう」
「あ、うん、そうだね。とりあえず、王女様のおもてなし方針は決めたよ」
瀬名はぐっと拳をにぎり、高らかに宣言した。
「やんごとなきお姫様、ぶらり湯けむり温泉の旅! 目指せ裸できゃっきゃうふふのお付き合い!」
「――わかった。灰狼の全男どもを眠らせておこう」
「いやそこまでしなくていいから!?」
互いの意見に折り合いをつけた結果、警備人すべてを女性で固めることに落ち着いた。
シェルローの口から物騒な意見が泉のごとく出てきた割には、あまりに普通で無難過ぎる落としどころであった。
とても無駄な時間を食ってしまった。